2022.02.07
- 調査・研究
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
スポーツ政策研究所を組織し、Mission&Visionの達成に向けさまざまな研究調査活動を行います。客観的な分析・研究に基づく実現性のある政策提言につなげています。
自治体・スポーツ組織・企業・教育機関等と連携し、スポーツ推進計画の策定やスポーツ振興、地域課題の解決につながる取り組みを共同で実践しています。
「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。
日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。
2022.02.07
冬季オリンピック・パラリンピック大会が「2倍楽しく!」なるように、歴史を中心とした逸話や記録、冬ならではの魅力を、クイズでお楽しみください♪
これは、冬季オリンピック初出場を果たした日本選手団の写真です(1928年)。6名の選手が出場しました。ここでクイズ!日本が初出場を果たした年は?また、写真の中に変わった経歴の選手がいます。答えはQ2、Q4!
初めて行われた1924年冬季オリンピック、フィギュアスケートの様子
1924年第1回冬季オリンピックのポスター
正解:③フランス
1924年1月25日から2月5日までの12日間、フランスのシャモニー・モンブランで、「国際冬季スポーツ週間」という競技大会が開催されました。としてフランス・オリンピック委員会が中心となって行われたこの大会は、後に「第1回冬季オリンピック大会」と追認されました。
開催時の正式名称は、「第8回オリンピアードの一部として、IOCが最高後援者となり、フランス・オリンピック委員会がフランス冬季競技連盟とフランス・アルペンクラブ共同でジャモニー・モンブラン地方で開催する冬季スポーツ大会」という、大変長いものでした。「オリンピック」の文言が入っていなかったのですが、大会がうまくいったら冬季オリンピックにしようと、国際オリンピック委員会(IOC)は考えていたからです。
▼関連情報
戦前の冬季オリンピックの歩みと日本の参加史
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic/29.html
正解:①スキー
6名の選手が日本選手として初めて冬季オリンピックに参加しました。5名は早稲田大学の現役学生とOB、1名は北海道帝国大学(現在の北海道大学)のOBでした。当時、選手たちを派遣したのは大日本体育協会ではなく1925年発足の全日本スキー連盟(SAJ)で、クロスカントリーやジャンプなどで出場しています。最高成績はクロスカントリー50㎞での24位(30人中)、ジャンプ出場選手2名は転倒で記録なしなどの結果でしたが、この6名の選手が中心となり、日本の冬のスポーツは発展していくことになります。なお、この1928年サンモリッツ大会が初めて「オリンピック」の名を冠して開催されました。
正解:②札幌
1972年、札幌冬季オリンピックが開催されました。これは日本で初めての冬季オリンピックであるとともに、アジアでも初開催となりました。実は、札幌では1972年の32年前、1940年にも開催される予定だったのです。1940年と言えば、東京で夏季オリンピックの開催が決まっていました。当時は、夏季大会開催国に冬季大会の開催権も与えられており札幌が選ばれましたが、戦禍の拡大で返上をした経緯があります。札幌は1968年の招致ではグルノーブル(フランス)に敗れました。1972年札幌大会は札幌のみならず日本においても悲願の大会だったのです。
長野では1998年に開催されました。長野も1940年(志賀高原など)、1968年(山ノ内町と軽井沢町)の招致に申請しましたが、いずれも国内選考で札幌に敗れており、待ちに待った大会となりました。この1998年大会、開会式の開始の合図は、古い歴史を持つ長野市・善光寺の鐘の音でした。旭川、山形は、これまで招致に名乗りでましたが、残念ながら国内選考で選ばれませんでした。
▼関連情報
戦前の冬季オリンピックの歩みと日本の参加史
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic/29.html
1952年オスロ大会、颯爽と滑る猪谷千春
正解:③箱根駅伝
麻生武治は、早稲田大学で1920年第1回箱根駅伝から第3回まで出場した経歴を持っています。第2・3回大会は、山登りの5区を連続区間賞で走っており、まさに「元祖・山の神」と言えるかもしれません。大学卒業後スイスに留学し、登山家として活躍。1923年には日本人で初めてマッターホルン(ツムット稜)モンテローザに登頂しました。山々を巡りながらスキーの腕を磨き、1928年サンモリッツ大会に出場することとなります。
本番ではジャンプ、ノルディック複合、クロスカントリーに出場しましたが、転倒など満足いく結果は残せませんでした。しかし、語学が堪能なため通訳として世界の技術や用具などの知識を日本にもたらす役割も担い、1932年レークプラシッド大会ではスキーチームの監督を務めるなど、「異能の人」として日本のスキー競技発展に大きく貢献しました。
1928年サンモリッツ大会に出場した監督と麻生を除く5名の選手は、北海道、新潟、長野と雪に縁深い土地の出身ですが、麻生は東京・麻布区(現・港区)出身。これも異色と言えます。
※ページ先頭の写真が、1928年サンモリッツ大会・日本チームの6選手です。左から2人目が麻生武治。
▼関連情報
「箱根駅伝」と「サンモリッツ冬季オリンピック」 麻生武治という異能な男
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic_athlete/29.html
正解:④髙木菜那・美帆(スピードスケート・団体パシュート)
髙木菜那・美帆姉妹は、前回の2018年平昌大会で、団体パシュートの一員として金メダルを獲得しました。これは、夏季・冬季オリンピックを通じ、日本初の姉妹で金メダル獲得という快挙でした。大会では、姉の菜那がマススタートでも優勝し合計2個の金メダルを獲得、妹の美帆は1500mで銀メダル、1000mで銅メダルを獲得し、姉妹での大活躍は大きな話題に。姉妹は2022年北京大会にも出場し、美帆は歴代最多タイとなる5種目出場、日本選手団の主将も務めます。
①荻原健司・次晴は双子の兄弟。兄の健司は勝者が「キング・オブ・スキー」と呼ばれるノルディック複合に出場し、1992年アルベールビル大会、1994年リレハンメル大会で団体金メダルに輝いたほか、世界選手権、ワールドカップで数々の優勝を果たしました。弟の次晴もトップ選手として活躍し、1995年ノルディックスキー世界選手権(サンダーベイ)では、兄弟で金メダルを獲得しています。
②渡部暁斗・善斗兄弟は、兄の暁斗が2014年ソチ大会、2018年平昌大会と、2大会連続の銀メダルを獲得し、2022年北京大会も出場。これは5大会連続出場という偉業になります。弟の善斗とは、2017年のノルディックスキー世界選手権(ラハティ)で団体スプリントの銅メダルを獲得しています。
③平野歩夢・海祝兄弟は、歩夢(次男)が、スノーボードハーフパイプで2014年ソチ大会、2018年平昌大会、2大会連続の銀メダルを獲得し、昨年の2020年東京大会に、日本人5人目となる夏季・冬季大会出場を果たしました。2022年北京大会にも出場しますが、海祝(三男)が初出場。兄弟での活躍が期待されます。
正解:②猪谷千春(スキー・回転/1956年コルチナ・ダンペッツォ大会)
猪谷千春は、1956年コルチナ・ダンペッツォ大会に出場し、アルペンスキー男子回転で銀メダルを獲得し、これが日本初の冬季オリンピックにおけるメダル獲得となりました。同時にヨーロッパ以外の冬季オリンピック・メダリストという偉業でもありました。それ以降、スピードスケートやフィギュアスケート、スキー・ジャンプ、スノーボードなど多くのメダルを日本は獲得しましたが、アルペンスキーでのメダル獲得はこの時のみです。2006年トリノ大会で皆川賢太郎が4位となり表彰台に近づきました。
①稲田悦子は、1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘン大会に12歳で出場。これは冬季大会における日本史上最年少出場記録です。夏季は、2020年東京大会のスケートボードに出場した開心那が同じく12歳でした。また稲田は、戦前の冬季オリンピックに出場した女子唯一の日本選手でもあり、日本女子フィギュアスケート界の先駆者でもあります。
③高見沢初枝は、1964年インスブルック大会に出場しました。500m5位、1000m5位、1500m19位、3000m4位という結果で、日本女子選手の冬季オリンピック初の入賞となります。この大会で女子スピードスケート種目が初採用されました。
④笠谷幸生は1972年札幌大会、スキー・ジャンプ70m級で金メダルを獲得。これが日本の冬季オリンピック初の金メダルとなります。この時、銀メダル・金野昭次、銅メダル・青地清二と表彰台を日本が独占。この大活躍した3人は「日の丸飛行隊」と呼ばれ、国民から大絶賛されました。
▼関連情報
冬季オリンピック 3つめの日の丸飛行隊
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic/19.html
スポーツ歴史の検証 インタビュー第6回 日本人初の冬季メダル 猪谷千春
https://www.ssf.or.jp/files/story_06.pdf
稲田悦子「女子フィギュアスケートの先駆者"えっちゃん"」
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic_athlete/14.html
正解:①里谷多英
里谷多英は、1998年長野大会でフリースタイルスキー女子モーグルで金メダルを獲得し、冬季オリンピック日本女子選手初の金メダリストとなりました。里谷は続く2002年ソルトレークシティ大会でも銅メダルを獲得しています。
②橋本聖子は、1984年サラエボ大会にスピードスケート4種目で冬季オリンピック初出場を果たすと、続く1988年カルガリー大会で5種目入賞、そして1992年アルベールビル大会・1500mで悲願の銅メダルを獲得。日本女子選手初の冬季オリンピックのメダリストとなりました。一方で1988年ソウル大会、1992年バルセロナ大会、1996年アトランタ大会に自転車競技で出場し、日本で初めて夏季・冬季大会出場を果たした選手となりました。夏季・冬季合計7回のオリンピック出場を果たしています。
③荒川静香は、2006年トリノ大会、フィギュアスケート女子シングルで金メダルを獲得。冬季オリンピック日本女子では2人目の快挙でした。
④浅田真央は、2010年バンクーバー大会、フィギュアスケートで女子シングルで銀メダルを獲得。多くの国際大会で活躍し、国民的人気を博しました。2014年ソチ大会ではショートプログラムで失敗し16位。しかしフリーで完璧な演技を披露して世界中の人々を感動させました。
▼関連情報
スポーツ歴史の検証 インタビュー第35回 美しき女王の軌跡(トレース) 荒川静香
https://www.ssf.or.jp/files/story_35.pdf
冬季オリンピック 冬のスポーツと美
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic/18.html
正解:①葛西紀明
葛西紀明は、41歳のとき、2014年ソチ大会のスキー・ジャンプ、ラージヒル個人で銀メダルを獲得しました。これが冬季オリンピックにおける日本選手最年長のメダリスト記録となっています。10代から活躍し、19歳時、1992年アルベールビル大会でオリンピック初出場を果たすと、ワールドカップでも優勝を重ね、当時「カミカゼ・カサイ」の異名をとり、2014年ソチ大会の活躍で「レジェンド」と呼ばれるようになりました。
41歳での銀メダル獲得はもちろん、1992年アルベールビル大会を皮切りに、1994年リレハンメル大会、1998年長野大会、2002年ソルトレイクシティ大会、2006年トリノ大会、2010年バンクバーバー大会、2014年ソチ大会、2018年平昌大会と8大会連続出場。冬季オリンピック連続出場記録となっており、「レジェンド」と呼ばれる所以にもなっています。49歳となった今もトップレベルで活躍しています。
②原田雅彦は、1992年アルベールビル大会から5大会連続で冬季オリンピックに出場。1998年長野大会では、ラージヒル個人で銅メダル、ラージヒル団体で金メダルを獲得しています。
③清水宏保は、1998年長野大会、スピードスケート男子500mで金メダルを獲得、1000mで銅メダル、続く2002年ソルトレイクシティ大会でも500mで銅メダルを獲得しています。
④堀井学は、1994年リレハンメル大会、スピードスケート男子500mで銅メダルを獲得し、1998年長野大会、2002年ソルトレイクシティ大会にも出場しました。
2006年トリノ大会、フィギュアスケート・女子シングルで金メダルを獲得した荒川静香
北京オリンピックで3連覇達成を狙う羽生結弦
正解:③羽生結弦 = クワッドアクセル
羽生結弦は、2014年ソチ大会、2018年平昌大会と男子シングルで2大会連続の金メダルを獲得し、2022年北京大会で3大会連続の金メダル獲得を目指しています。これは男子フィギュアスケートでは94年ぶりの歴史的偉業となります。そして今大会、これまで誰も成功したことがない「クワッドアクセル(4回転半)」ジャンプに挑戦する可能性があり、3連覇とともに世界が注目しています。
①伊藤みどりは、1992年アルベールビル大会、女子シングルで銀メダルを獲得しました。日本女子フィギュアスケート界初となるメダルで、女子選手で初めて、オリンピックという舞台でトリプルアクセル(3回転半)を成功させました。
②高橋大輔は、2010年バンクーバー大会で3位となり、日本男子フィギュアスケート界で初となるメダリストとなりました。「世界一」と評されたステップシークエンスで観客を魅了しました。
④荒川静香は、2006年トリノ大会で金メダルを獲得しました。得意とするイナバウアーは、実は採点には関係しない技でしたが、あえて演技に入れ、その美しい表現力で観客を魅了しました。2006年トリノ大会での日本のメダルは、この荒川の金メダルのみでした。
正解:②前向きで踏み切る
フィギュアスケートのジャンプは、アクセル、ルッツ、フリップ、ループ、サルコウ、トウループと全部で6種類ありますが、アクセルだけ前向きから踏みきり、後ろ向きで着地することで、ほかのジャンプより半回転多く飛ぶことになります。ジャンプでは、踏みきりや姿勢などから、前向きで飛ぶことに恐怖をおぼえやすく、そのためアクセルは難易度が高く基礎点も高く設定されているジャンプです。
正解:④ブレード(スケートの刀)先端
スピードスケートのゴールフィニッシュは、ブレードの先端部分(スケート靴の氷と接する金属部分)がフィニッシュラインにとどいた瞬間がゴールとなります。フィニッシュの選手の足に注目しましょう。片足を前にのばしてフィニッシュラインを越えています。陸上競技のトラック種目では、頭・首・腕・脚を除いた胴体部分でゴールを判断しますので、大きく異なることが分かります。
正解:①テレマークという地方
スキーは古くからノルウェー・テレマーク地方でとても盛んでした。そしてジャンプ競技は、飛距離以外にも、空中での飛行姿勢や着地姿勢など、複数の要素で競う採点競技です。テレマーク地方の選手たちが着地時に「脚を前後に開き、膝を曲げる」「両手を地面と平行に開く」という姿勢をとっていたことから、「テレマーク姿勢」と呼ばれるようになったと言われています。
飛距離を延ばすためには、飛行中、スキー板を「V字」に開くことで空気をしっかりとらえられる とされ、多くの選手がこの形をとっています。飛距離を語る上で、よく「K点越え」という言葉がでてきますが、飛距離の基準、目安とされています。しかしもともとは、「これ以上飛ぶと危険」であるという理由 で使用されていました。
正解:②約2300人
笹川スポーツ財団「中央競技団体現況調査 2020年度」によると、日本カーリング協会 登録競技者数は、全体:2,306人、男性:1,719人、女性:587人となっています。2018年平昌大会では、女子チーム「ロコ・ソラーレ」の活躍をテレビ観戦し「おもしろい!」と思った方は多かったのではないでしょうか?また、選手の「そだねー」という試合での掛け声は競技中とは思えないほのぼのさがあり、2018年の流行語大賞にも選ばれました。ハーフタイムには選手がお菓子などを食べながらリラックスする姿は「もぐもぐタイム」と呼ばれ、活躍もさることながら和気あいあいとする姿は大きな話題となりました。
▼関連情報
カーリングの歴史など
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/dictionary/curling.html
正解:②1980年ヤイロ大会(ノルウェー)
日本は、1980年ヤイロ大会で冬季パラリンピック初出場を果たしました。5名の選手が出場し、メダルには届かなかったものの、1964年東京大会から16年後、日本の冬季パラリンピックの歴史が動き出しました。なお、1976年エンシェルツヴィーク大会が、初めての冬季パラリンピック大会となります。
▼関連情報
年表でみる、パラリンピックの歴史
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/paralympic/01.html
正解:④土田和歌子が日本選手として、夏季・冬季、両方で金メダル獲得という偉業を達成
土田和歌子は、1998年長野大会で、アイススレッジスピードレースで2つの金メダルを獲得しました。その後、2004年アテネ大会で車いす女子陸上5000mの金メダルに輝き、このとき日本選手として初めて夏季・冬季での金メダリストとなりました。1992年アルベールビル大会で冬季オリンピック初出場、2000年シドニー大会で夏季オリンピック初出場、そして昨夏の2020年東京大会にも出場し、「鉄人」として長年結果を残してきました。
1998年長野大会、日本は金メダル12個、銀メダル16個、銅メダル13個と、前回2018年平昌大会を含めて過去最高となるメダルを獲得しています。そのほか、女子選手の参加が初めて100人を超え、また、メディアでも多く取り上げられたことから、記録にも記憶にも残る大会となるとともに、日本国内においてもパラリンピックが多くの人々に知られるようになりました。
1994年リレハンメル冬季パラリンピック アイススレッジスピードレース]に出場した土田和歌子
正解:③5個
村岡桃花は、出場したアルペンスキー5種目すべてでメダルを獲得するという偉業を成し遂げました。座った状態で滑るチェアスキー競技に出場し、女子大回転で金メダル、女子滑降と女子回転で銀メダル、女子スーパー複合と女子スーパー大回転で銅メダルを獲得。一度の大会で5つのメダル獲得は、冬季パラリンピックでは日本史上最多であると同時に、21歳での金メダル獲得は日本史上最年少と、多くの記録を打ち立てました。そして、2020年東京大会でも車いす女子100mで6位入賞と、まさに「二刀流」の活躍。2022年北京大会にも出場します。
本クイズは、大野益弘氏(日本オリンピック・アカデミー理事)監修のもと、「オリンピック・パラリンピッククイズ(全4巻)」(小峰書店)の1「歴史編」、2「競技編」、3「人物編」、4「パラリンピック編」より編集したものです。
オリンピックやパラリンピックの歴史、競技や種目、活躍した選手や発展につくした人物などの楽しいクイズが満載。かんたんな問題から超難問まであり、オリンピック・パラリンピックについて、楽しみながら学べます。定価8,800円(税込)