2011.10.31
市内を拠点とするスポーツチームを、市の重要な資源と捉えて地域ぐるみのまちづくりを行っている川崎市。市を挙げてのチームの応援は、選手たちのモチベーションを向上させ、子どもたちやスポーツファンに選手と触れ合う貴重な機会を与えるほか、大きな相乗効果を生んでいる。
- 調査・研究
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
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スポーツ政策研究所を組織し、Mission&Visionの達成に向けさまざまな研究調査活動を行います。客観的な分析・研究に基づく実現性のある政策提言につなげています。
自治体・スポーツ組織・企業・教育機関等と連携し、スポーツ推進計画の策定やスポーツ振興、地域課題の解決につながる取り組みを共同で実践しています。
「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。
日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。
2011.10.31
市内を拠点とするスポーツチームを、市の重要な資源と捉えて地域ぐるみのまちづくりを行っている川崎市。市を挙げてのチームの応援は、選手たちのモチベーションを向上させ、子どもたちやスポーツファンに選手と触れ合う貴重な機会を与えるほか、大きな相乗効果を生んでいる。
渡邉 市制80周年の年に、川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー制度を創設したきっかけを教えてください。
阿部 もともと川崎市には、ヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ)があり、ロッテオリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)もあったのですが、どのチームも最終的には川崎市を離れてしまいました。スポーツと市政とが結びつく、さらに市民の元気とが結びつくような取り組みが必要だと思案していたところ、市内には全国レベルの素晴らしいチームがいくつもあることに気付きました。そこで、そのようなチームを見つけ、“ホームタウンスポーツ”を推進する代表的チームとして認定し、チームと行政が協力関係を築くことを目的として設立したのが、川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー制度です。
J1リーグで活躍する川崎フロンターレ、野球の東芝ブレイブアレウス、男子バスケットボールの東芝ブレイブサンダース、トランポリンプレイヤーの中田大輔選手、女子バレーボールのNECレッドロケッツ、アメリカンフットボールの富士通フロンティアーズ、女子バスケットボールの富士通レッドウェーブを認定し、協力関係を築いてきました。せっかく川崎市にいいチームがあるのですから、みんなで応援して盛り上げるべきだと私は思っています。以前、ロッテオリオンズの監督を務めた山内一弘さんとお話した際、私が「ロッテは川崎市から出ていってしまいましたね」と言ったところ、山内さんに「そんなこと言ったって、川崎市民が応援してくれなかったじゃないか」と言われてしまいました。現在は、川崎市で活躍しているチームは、市を挙げて応援しています。
渡邉 アメリカンフットボールを活用したまちづくりも行っていらっしゃると聞いています。
阿部 川崎市では、年間約120回以上の試合が川崎球場で行われているほか、複数の国内トップチームが市内に練習拠点を置いています。そのきっかけになったのは、川崎球場です。川崎球場は、アサヒビールシルバースターの活動拠点です。しかし、グラウンドの状態があまり良くないため、アサヒビール株式会社からも整備費用を出すから川崎球場をアメリカンフットボールの競技場として整備してくれないかという話が来ました。そこで、川崎市も負担して球場を整備したところ、アサヒビールシルバースターはもちろん、ほかのチームも試合をするようになったのです。そうして見てみると、市内には強いチームがたくさんあり、富士通フロンティアーズのほか、法政大学トマホークス、専修大学グリーンマシーンなども川崎市を拠点としていました。そのような背景もあり、社団法人日本アメリカンフットボール協会から、「川崎市がアメリカンフットボールの拠点として際立っているので、ぜひワールドカップを川崎市で開催してほしい」という話をいただき、2007年川崎球場と等々力陸上競技場で、第3回アメリカンフットボールワールドカップを開催しました。
渡邉 市内の学校でフラッグフットボールを普及されていますが、ワールドカップの開催がきっかけとなったのでしょうか?
阿部 そうですね。加えて、川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー制度も普及を後押ししていると思います。現在では、富士通フロンティアーズや法政大学トマホークス、専修大学グリーンマシーンなどの選手たちが、子どもたちにフラッグフットボールを教えています。学校の先生方も、ルールを覚えて授業での指導にあたっています。(平成22年度は市立小学校113校のうち、86校がフラッグフットボールを採用)
渡邉 陸上競技でも、大きな大会を開催されています。
阿部 陸上競技については、陸上関係団体から「北京五輪に出場する代表選考会を兼ねた日本陸上競技選手権大会を川崎市で開催してほしい」と頼まれたのがきっかけです。大きな大会を開催できる施設は既にありましたが、第一種陸上競技場としての公認取得を含めて、約11億円を投じて整備しました。その後、国際陸上競技大会などの大きな大会やイベントも開催され、五輪出場選手など多くのトップアスリートにも活躍していただいています。ウサイン・ボルト選手が走ったトラックを、子どもたちや市民も走ることができるのです。川崎市は、そんな一生の思い出に残るようなスポーツとの関わり方が可能になりました。
渡邉 川崎市でのスポーツのまちづくりが発展してきたという手ごたえはありますか?
阿部 ありますね。最も良い成功例は、川崎フロンターレだと思います。新たな後援会、株主会ができ、皆が応援するようになって、試合の入場者数も増えています。チーム自体もJ2からJ1に昇格し、活躍を続けています。サッカーワールドカップで活躍する選手も輩出してきました。
商店街が一生懸命応援していまして、そうすると商店街のイベントに選手がユニフォームを着て登場してくれたりもしています。おもしろいのが、川崎フロンターレが出している算数ドリルです。ドリルに選手の写真を掲載しているのですが、それだけに留まらず選手が小学校を訪問して算数を教えてくれるのです。子どもたちのやる気が起こらないわけがありません。もちろん小学校を訪問したときには、サッカー教室も開催しています。この算数ドリルは、東日本大震災の被災地にも送られました。チームからもファンから集めた復興支援金が送られました。
株式会社川崎フロンターレの武田信平社長は、川崎市に関するさまざまな会合に出席します。チームも経営者もさまざまなかたちで地域とつながることで応援が増え、選手もみなさんから歓迎されています。
川崎フロンターレに限ったことではないですが、チームが強くなると、選手が海外など別のチームに移籍してしまうことがあります。全国レベルなのですから、当然のことです。川崎市内を拠点としている間に、地域とのつながりを大切にしてさまざまな活動に参加していただく。その効果として、市内の子どもたちがサッカーや野球に打ち込んだり、あるいは観戦を楽しむ人が増えて仲間をつくったりすることに価値があると思っています。川崎市内でスポーツ選手を育てるということはもちろん大切ですが、トップスポーツなのですから日本中から集まってきた選手たちと川崎市民がどう付き合うかが大切だと思っています。実際、市民の多くはチームそのものを応援していますから、川崎フロンターレを去った選手は、新たな地域の応援を受け頑張ることになるでしょう。