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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

ソチパラリンピック 現地レポート

1. 大会運営・組織体制

1. 大会運営・組織体制

五輪公園内を照らす聖火

五輪公園内を照らす聖火

私は2008年の北京パラリンピック大会から大会の様子を取材し始めた。10年バンクーバー冬季大会、12年ロンドン大会と現地に飛んでいる。各大会ともそれぞれ特徴があったが、ソチ大会についても興味深い特徴があった。それらのなかには開催が決まっている2020年東京大会への参考になるものもあるだろうと思う。

第11回冬季パラリンピック・ソチ大会は、ソビエト連邦時代も含め、ロシアで行われた初めてのパラリンピック大会となった。1980年にモスクワ・オリンピックが開かれたが、パラリンピックについては当時のソビエト連邦政府は開催を辞退しているためだ。おそらく当時あった「障害者観」などが辞退の理由のひとつと思われる。

パラリンピック・シンボルの前で<br>ポーズをとるボランティア

パラリンピック・シンボルの前でポーズをとるボランティア

時代は流れ、旧ソ連は崩壊。2000年、プーチンが大統領に就任して以降、ロシアは国際社会での存在感をより高めるため、オリンピック・パラリンピック招致をめざした。2012年夏季大会は第1回目の投票で落選したが、2014年冬季大会の招致に成功し、パラリンピックの開催もついに実現したのだ。

3月7日夜(日本時間8日未明)に行われた大会開会式で、IPCのフィリップ・クレイヴン会長は、「今夜はとても特別だ。可能とは思われなかったことも可能になることを証明した夜だから。34年前の1980年、ソビエト連邦がモスクワでのパラリンピック大会の開催を辞退したとき、ロシアでパラリンピックを開催できる見込みなど全くなく、ただの夢にすぎなかった。でも、その夢が今夜、かなった」と感慨深げに語り、開幕を祝福した。

大会組織委員会のドミトリ・チェルニシェンコ会長は、「ロシアで史上初めてのパラリンピック大会の開幕。スポーツの真の祭典であるパラリンピックは、多くの人々に新たな高みへと手を伸ばす力を呼び起こすものだ」と挨拶。さらに「バリアフリー環境の実現というコンセプトを掲げたソチは、大会運営に関して行ったすべてに対して、障害のある人々の意見を取り入れ、ロシアにおけるモデル都市となった」と開幕までの道のりを振り返っている。

■バリアフリー都市から、バリアフリー国家へ

3月16日夜(日本時間17日未明)に行われた閉会式ではクレイヴンIPC会長が挨拶のなかで、「ソチは今、バリアフリー・シティになった」と再度強調した。実際、2007年にソチ五輪パラリンピックの開催が決定して以来、ロシアはソチをバリアフリー都市として再生させることに取り組んだのは確かなようだ。

まず、ロシア政府の承認のもと、「バリアフリー環境の創出」を目的にした計画に従って、整備を行った。施設の新設、改築には実際に障害者の意見も取り入れた建築基準を新たに設け、その基準にそった街づくりを行い、バリアフリー環境を実現していったという。

2020年東京招致で活躍した佐藤真海さんが聖火リレー走者に

2020年東京招致で活躍した佐藤真海さんが聖火リレー走者に

ソチ在住という、あるボランティアに尋ねたところ、「昔とは全然違う町になった。建物やバスなどのバリアフリー化が進んで、町のなかでも障害のある人を見かけるようになった。とてもいいことだと思う」と、大会開催がソチという地域にポジティブな変化を与えたことを実感している様子だった。

また、組織委員会が完成させたプロジェクトのひとつに「アクセシビリティ・マップ」がある。ロシア国内にあるバリアフリー環境を備えたスポーツ施設が14,000カ所以上(2014年3月時点)も登録されており、各ユーザーは「徒歩圏内」の施設をインターネットから簡単に検索できるというプログラムだ。障害のある人がスポーツに親しむための環境づくりの一環だ。

ロシアは今、ソチという一都市をモデルケースとして、バリアフリーの機運を国内各地に飛び火させ、バリアフリー国家としての発展にも挑もうとしている。モスクワ在住だという、大会ボランティアのひとりは、「ソチに来て、バリアフリー環境が進んでいることに驚いた。モスクワでも少しずつ始まっているが、これからだと思う」と話してくれた。