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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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偽りの青空~中国共産党が得た遺産

【オリンピック・パラリンピックのレガシー】

2016.10.03

2008北京オリンピックが開幕する数日前だったと記憶している。日付が変わるころ、遅い夕食を終えて帰り道を急いでいると、突然、土砂降りに見舞われた。  

「土砂降り」という言葉では生ぬるい。「滝のような雨」「バケツをひっくり返したような雨」でも描写しきれていない。「爆買い」ならぬ「爆雨」とでも表現するべきか。排水機能が整備されていない北京の道路は一瞬で川となり、全身ずぶ濡れになった。天気予報では降水確率は0%だったのだが…。

2008年8月8日に北京国家体育場(通称:鳥の巣)で華やかに開催された北京オリンピックの開会式

2008年8月8日に北京国家体育場(通称:鳥の巣)で華やかに開催された北京オリンピックの開会式

中国メディアによると、突然の豪雨を引き起こしたのは、8月8日の開会式を青空の下で迎えるために、中国当局が雲に打ち込んだミサイルだったようだ。ミサイルに搭載されたヨウ化銀が水滴と結びつき、人工的に雨を降らせるという仕組みだ。 

かように、自然現象までも意のままに操ろうとするのが中国という国だ。極度にメンツを重んずるその国が、世界中の注目を集めるスポーツイベントを開催するにあたり、理念の一つに掲げたのが「緑色奥運」。つまり、環境に配慮したオリンピックだった。 

五輪招致の公約に環境改善を掲げた北京市は、1998年に環境改善計画をスタートさせた。しかし、大会の開催権を獲得した2001年当時も依然として、北京は数々の懸念材料を抱えていた。特に水不足とともに深刻だったのが、大気汚染だった。

PM2.5を含む光化学スモッグに覆われた北京市内。オリンピック開催中も深刻さを増す大気汚染が懸念された。

PM2.5を含む光化学スモッグに覆われた北京市内。オリンピック開催中も深刻さを増す大気汚染が懸念された。

1978年に始まった改革・開放政策のもと、急速に工業化を進めていた中国では、「汚染を引き起こしても、後でキレイにすればいい」という考え方が政府の方針としてまかり通っていた。

工場も家庭の暖房も、エネルギー源として頼っていたのは粗悪な石炭だった。さらに近代化に伴って急増した自家用車の排ガスが拍車をかけた。世界銀行の報告では、北京は2004年に世界で13番目に汚染された都市にランクされた。

中国当局は市場から粗悪な石炭を排除し、天然ガスや再生可能エネルギーへの転換を進めようとしたが、消費者は安価な石炭を求めた。オリンピックに向けて風力発電を導入、競技施設に太陽発電装置を設置したが、一般家庭に普及することはなかった。 

ただ、北京オリンピックの期間中は、北京市はもとより、天津市、河北省、山西省など周辺地域も含めて1400以上の工場が生産停止や減産を命じられた。ナンバープレートの偶数、奇数による交通規制を実施。こうした施策によって、北京には連日、「オリンピック・ブルー」と呼ばれた青空が広がった。

国際オリンピック委員会(International Olympic Committee :IOC)のジャック・ロゲ会長(当時)は、閉幕前の記者会見で「環境保護は今大会の重要な遺産となる」と評価した。

国連環境計画(United Nations Environment Program :UNEP)は2009年2月18日に発表した北京オリンピックに関する最終環境評価報告書の中で、「北京は環境のハードルを上げ、オリンピックは北京市に永続的な遺産を残した」と結論づけた。

しかし、IOCも、UNEPも、「遺産」という言葉を軽々しく使うべきではなかった。北京オリンピックを通じて中国政府が学んだのは、威信をかけたイベントが開かれている間、「快晴」を出現させるテクニックに過ぎない。 

中国政府は2014年11月に北京でアジア太平洋経済協力会議(Asia-Pacific Economic Cooperation :APEC)が開かれた際、同じ手法で「APECブルー」を作り上げた。2015年9月には抗日戦勝記念行事の軍事パレードに合わせ、軍事パレード・ブルー」を演出した。

習近平国家主席は毎回、恒常的な大気汚染の改善を口にしてきた。しかしここ数年、北京では微小粒子状物質「PM2.5」による大気汚染が深刻さを増している。水質汚染や土壌汚染が引き起こす健康被害も後を絶たない。市民生活や経済活動への影響を無視した期間限定の青空は、今や市民の間で「ファシズム・ブルー」と揶揄されている。

北京オリンピックのメイン会場周辺では厳重な警備体制が敷かれた。

北京オリンピックのメイン会場周辺では厳重な警備体制が敷かれた。

北京市は2022年、河北省張家口市とともに冬季オリンピックを開催する。北京は史上初めて、夏と冬、両方のオリンピックを開催する都市という栄誉を手にする。

共産党政権は今回もまた、大気汚染の改善を約束するだろう。既存施設の再利用で簡素化を実現するというが、アルペンスキー会場は新たに山を一つ切り開いて造成する計画だ。しかし中国では自然破壊への抗議活動は起こらない。政権批判が封殺されていると同時に、北京オリンピックの「遺産」として引き継がれるべき環境保護の意識が、市民に根付いていないことを物語る。

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スポーツ歴史の検証
  • 川越 一 産経新聞社 副編集長