2017.10.30
- 調査・研究
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
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スポーツ政策研究所を組織し、Mission&Visionの達成に向けさまざまな研究調査活動を行います。客観的な分析・研究に基づく実現性のある政策提言につなげています。
自治体・スポーツ組織・企業・教育機関等と連携し、スポーツ推進計画の策定やスポーツ振興、地域課題の解決につながる取り組みを共同で実践しています。
「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。
日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。
2017.10.30
開会式で揃いの深紅のブレザーコートを着用し入場する日本選手団(1964年/東京)
アジアで開かれた1964年、1988年、2008年のオリンピックはそれぞれ、日中韓の首都、東京、ソウル、北京に、インフラ整備や経済成長を加速する効果をもたらした。国民に自信を与え、国際社会への扉を開けた大会でもあった。
東京オリンピックの開会式が行われた1964年10月10日、その日の産経新聞夕刊1面には「世界をつなぐ〝東京祭典〟」の文字が躍った。日本選手団378人が入場する様子を写した写真には「われわれの代表が行く。日の丸を高くかかげて」という説明が添えられた。
11日付のサンケイスポーツには学徒兵OBだった当時の運動部長、北川貞二郎がこう書いた。
〈〝この日〟を迎えるまで、われわれ日本人はどれだけの風雪を越えてきたことか〉
戦後の復興を示し、高度経済成長を加速させた東京オリンピックは同時に、日本人の「愛国心」を呼び覚ました。
2008年北京オリンピックもまた、中国の大きな転換点となった。米CNN(日本語電子版、2014年)によると、開催に要した費用は約400億ドル(約4兆5500億円)。その多くがインフラ整備に充てられた。
現代中国史は「北京オリンピック前」と「北京オリンピック後」で分けてもよい。北京の〝装い〟は、オリンピックを境に劇的な変化を遂げた。
北京オリンピック組織委員会執行副主席を務めていた北京市副市長、劉敬民は2007年10月の記者会見で、オリンピックが北京市にもたらした4つのメリットについて語っている。
劉はまず、「北京市の国際的知名度を高めた」と主張した。続いて、「北京市の経済発展を大きく推進した」と評価した。さらに、「環境・交通・インフラ整備の面で大きな発展を遂げた」と強調した。そして最後に、「北京市民のマナーが向上した」と自賛した。
北京オリンピックの前に、北京市のある研究所が「不愉快なマナー」を調査したことがある。「路上にタンやつばを吐く」「ゴミのポイ捨て」「割り込み」「公共の場で大声で話す」…。中国の〝常識〟が、国際社会では通用しないことが明らかになった。
「大国」のイメージを喧伝しようと躍起になっていた中国共産党は、オリンピック期間中500万人と推定された外国人観光客の目から、そうした姿を隠そうとした。
北京市は2006年から、路上でのタン吐きに対し50元(約860円)の罰金を科した。しかも〝現行犯〟の証拠をつかむため、100万元(約1700万円)をかけて、半径500mが撮影できるカメラを備えた監視用車両を投入したから恐れ入る。
割り込み対策も大仰だった。2007年には毎月11日が「整列の日」と定めた。そして小旗を手にした「整列乗車指導員」を、バス乗り場などやタクシー乗り場に配置。列を作って並ぶよう呼びかけた。
当局はこうした取り組みのおかげで、市民のマナーが向上したと胸を張る。しかしあくまでも一時的なもので、「マナーが醸成された」とは言い難い。北京市郊外、ましてや地方都市では、今でも「かーっ、ぺっ」の不快な音が街のあちらこちらで響く。
国旗“五星紅旗”を掲げ自国の選手を応援する中国のサポーター(2008年/北京)
JETRO北京センターによると、北京市の1人当たりGDP(国内総生産)は北京オリンピック翌年の2009年に1万ドルの大台を突破した。約5000ドルだった2005年から、わずか4年で倍増したことになる。世界銀行が算出した世界各地域貧困度基準では、すでに中・上所得レベルの上限に達したという。
中国古代の書「管子」に、「衣食足りて礼節を知る」という言葉がある。しかし、世界第2位の経済大国にのし上がった中国では今、拝金主義が蔓延している。
富裕層はカネの力にあかして、好き勝手な振る舞いをしている。生活に余裕が生まれた中国人はこぞって海外旅行に出かけているが、あまりのマナーの悪さゆえに、行く先々で嫌われている。
北京市ではこれまで何度も、公共施設や飲食店の禁煙を実施してきた。しかしもって1カ月というのが常だった。ところが2022年北京冬季オリンピックの開催が決まった2015年8月に導入した禁煙条例は長続きした。なぜか。
違反して喫煙をした人を見つけて当局に報告する〝密告制度〟が導入されたからだ。密告者に報奨金が与えられたことから、飲食店の店員や客が金目当てにこぞって密告したというのが実態だった。
旗手を務めるバスケットのスーパースター姚明を先頭に入場する中国選手団(2008年/北京)
北京オリンピックの運営責任者を務めたのは、当時国家副主席だった習近平(現国家主席、中国共産党総書記、党中央軍事委員会主席)だった。習は2008年3月31日に北京で行われた聖火歓迎式典で、北京オリンピックを「世界を平和と友好でつなぐ中華民族百年の夢」と表現した。
習は最高指導者になってから、「中華民族の偉大な復興」を掲げて「愛国主義」を煽ってきた。振り返ってみれば、北京オリンピックの頃から、温めていたスローガンだったのだろう。
北京は2022年に冬季オリンピックを開催し、「史上初めて夏、冬両方のオリンピックを開催した都市」という称号を手にする。そして2008年と同様に、付け焼き刃のマナー向上策と環境対策を講じ、澄み渡った〝奥運藍(オリンピックブルー)〟を作り出すに違いない。