2017.01.06
- 調査・研究
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
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スポーツ政策研究所を組織し、Mission&Visionの達成に向けさまざまな研究調査活動を行います。客観的な分析・研究に基づく実現性のある政策提言につなげています。
自治体・スポーツ組織・企業・教育機関等と連携し、スポーツ推進計画の策定やスポーツ振興、地域課題の解決につながる取り組みを共同で実践しています。
「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。
日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。
2017.01.06
2016年はスポーツ史、オリンピック史において「負のイメージ」で語られる年となるだろう。大国・ロシアによる国家ぐるみのドーピング隠し騒動である。
問題の調査にあたった世界反ドーピング機関(WADA)調査チームは、ロシアに国家ぐるみの
結局、国際オリンピック委員会(IOC)は国際競技団体(IF)に最終判断を委ね、陸上競技とウエイトリフティングの全選手、その他競技の一部選手の参加は許されなかったが、ロシア選手がリオ・オリンピックの舞台から姿を消すことはなかった。しかし、国際パラリンピック委員会(IPC)は
IOCとIPCの決定にはドーピングへの決定的な意識の違いがあったといっていい。
IOCはドーピングに関与していなかった選手の人権を考慮した決断だったとする。だが、大国ロシアへの配慮、ロシアの反発を恐れた弱腰と指摘されても仕方あるまい。
一方、IPCは障害者が治療等のため薬物により近い距離にいることを重要視、だからこそ決然と判断した結果であった。
両者の違いを実は見過ごしにできない。IOCの判断は誤ったシグナルを発し、今後、世界のアンチ・ドーピング活動に影を落としかねない。ドーピングは、もはや各国政府、関係諸機関が一致協力して対策を講じなければ解決できない「負の遺産」となっている。
では、ロシアはどのような不祥事を起こしていたのか。WADA調査チームの調査報告「マクラーレン報告書」に沿って述べよう。
報告書は、モスクワにある検査機関が2011年から2015年にかけて577件の陽性結果を把握していながら、上層部の指示で312件を陰性と認定したという。この間、2013年世界陸上競技選手権がモスクワで、2014年冬季オリンピック・パラリンピックがソチで開催されたが、いずれも違反がもみ消されていた。スポーツ省の関与は明白だった。
とりわけソチでは、実に巧妙な手口で検査所において尿検体がすり替えられていた。
2014年ソチ冬季オリンピックの開会式。中央にロシアのプーチン大統領、隣はIOCバッハ会長
まず、メダル獲得が期待される有力選手は事前に尿を採取し、ソチの検査所近くにあるロシア連邦保安庁(FSB)の建物内に保管しておく。しばらく薬物を使わず、きれいになった尿であることはいうまでもない。検査所には保安対策のためと称し、FSBの担当者の待機部屋を用意する。この部屋は尿検体の保管場所に隣接。担当者は壁にあけられた穴を通して尿検体のすり替えを行っていた。
通常、検体をいれるボトルは
ロシアは依然、国家ぐるみを否定しているものの、政府が関与しなければ“成功”しない仕掛けであった。問題は2014年12月にドイツの放送局のドキュメント番組に出演した元ロシアの反ドーピング機関職員と元陸上競技選手夫妻の証言によるものだった。彼らの内部告発がなければ、まだ“国家犯罪”は闇に隠されていた可能性も高い。
では、なぜ、ロシアはこうしたドーピング隠しに手を染めたのか。
ロシアは1991年のソ連
2000年、プーチン大統領が「強いロシアの復活」を掲げて登場。国家のプレゼンス誇示、国内の連帯を強めるにはスポーツが重要な役割を果たすとして強化に乗り出した。大統領の直接関与は不明だが、側近が意図を忖度し、禁じ手を解いたと考えていい。ロシアはソ連時代、東ドイツと並ぶドーピング先進国だった。過去の“得意技”の復活である。
オリンピックでは1960年ローマ大会で初めて、興奮剤を使用した自転車選手の死亡事故が起きた。IOCは1963年に医事委員会を設置、1964年東京大会時に開催されたオリンピック科学会議において1968年グルノーブル冬季、メキシコシティー両大会からドーピング検査を実施することを決めた。
いま、オリンピック史を
検出が困難といわれてきた
表彰台中央のベン・ジョンソンがカール・ルイスと握手。この金メダルはまもなく剥奪される
この後、IOCは検査方法や罰則規定を強化、ドーピング排除に努める。しかし、それをあざ笑うかのように手口は巧妙化、薬物の存在を消す方法も開発され深く進行した。東西冷戦構造崩壊で拡散した東ドイツやロシアなど東側の“ドーピング頭脳”がその推進役を果たしたことはいうまでもない。
1998年、ツール・ド・フランスで大量のドーピングが発覚、世界に衝撃を与えた。その際、IOCのファン・アントニオ・サマランチ会長の反応は鈍く、各国政府から批判が殺到。
WADAは独立機関としてIOCやIF、各国政府、国際刑事機構など国際諸機関と連携。検査の実施、禁止薬物やドーピング方法のリスト作成、フェアプレー精神に基づく反ドーピング活動などを行っている。スポーツの価値を高める運動は高く評価される一方、財政面での
かつて、ドーピングはオリンピックの商業主義とともに語られてきた。メダルの獲得、記録の更新は選手に巨額の報酬をもたらすとともに、周囲の指導者や関係者にも多大な利益をもたらす。そのため、選手が知らないところでコーチなどがドーピングを行うことも少なくなかった。健全な選手を守ることはスポーツの価値を高めることといっていい。
2016年夏のロシアのドーピング問題は単に選手やコーチなどの利己的な欲望の表れに留まらず、国家によるスポーツ利用、
ドーピングは禁止薬物や禁止された手法によって競技力を高め、優位に勝利を得ようとする行為である。公正さは失われ、選手の健康を害し、スポーツの価値を犯す。オリンピック、いやスポーツを持続可能にするためにも、WADAを中心とした連携を強化、負の遺産の