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11. 連勝・連覇『吉田沙保里、伊調馨と歩んだ時代』

【オリンピックの歴史を知る】

2016.12.12

強い。辞書をめくると、「勝負などで、相手をしのぐ力をもっている」(明鏡国語辞典第二版)とある。

競う相手、すべてをしのげば優勝者。オリンピックでは金メダルを手にできる。

ひとつの大会、ひとつの種目で優勝者はただ1人。そこに至る道は容易くはない。もしも何大会にもわたって優勝者となったなら、それは超人と呼ぶほかあるまい。われわれは幸せなことに、2016年リオデジャネイロで超人のなかの超人を目撃したのだった。

8月17日、レスリング女子フリースタイル58kg級。32歳の伊調馨いちょうかおりは準決勝までを危なげなく勝ち上がり、決勝に進んだ。

女子レスリングがオリンピック公式競技に採用された2004年アテネ大会、63kg級で初優勝。20歳だった。以来、2008年北京、2012年ロンドンと2学年上の吉田沙保里よしださおりとともに、3大会連続優勝を果たしていた。

日本人のオリンピック3連覇は、柔道男子60kg級の野村忠宏が1996年アトランタ、2000年シドニー、そしてアテネで記録しただけ。4連覇は前人未踏である。

いや、目を世界に転じても、オリンピック4連覇を成し遂げた選手は、このリオ大会開幕まで史上3人しか存在していなかった。

ヨット男子フィン級で1948年ロンドンから1952年ヘルシンキ、1956年メルボルン、1960年ローマのポール・エルブストロム(デンマーク)と陸上男子円盤投げのアル・オーター(米国)。オーターはメルボルン、ローマ、1964年東京、1968年メキシコシティーで記録した。そして日本でもおなじみのカール・ルイス(米国)が陸上男子走り幅跳びで1984年ロサンゼルス、1988年ソウル、1992年バルセロナ、アトランタと4連覇しただけである。

一口に4連覇というが、大会から大会まで4年のインターバルがある。12年間、世界のトップに君臨するということは、まさに超人のなかの超人といっていい。

シドニー大会、ガードナーがカレリンを破る

シドニー大会、ガードナーがカレリンを破る

ロシアにアレクサンドル・カレリンというレスリング選手がいた。身長191cm、体重130kg。下半身を攻めてはならないグレコローマンの130kg級で1987年から2000年まで国際大会13年間無敗を誇り、「霊長類最強の男」と称された。

その13年間で世界選手権9連覇、欧州選手権10連覇を果たし、オリンピックもソウル、バルセロナ、アトランタと3連覇。シドニー大会も間違いなく優勝するだろう。多くの人々がそう信じて疑わなかった。

ところが、勝負に絶対はない。決勝で米国のルーロン・ガードナーに敗れてしまった。13年ぶりの敗戦は、オリンピック4連覇がたち消えた瞬間でもあった。

勝ち続けることはたやすいことではない。霊長類最強の男の敗戦は、大きなニュースとなって世界を駆けめぐった。

リオ大会で4連覇をアピールするフェルプス

リオ大会で4連覇をアピールするフェルプス

一方、男子競泳のマイケル・フェルプスは傍目にたやすく4連覇したようにみえる。

伊調に先立つこと6日、8月11日に行われた200m個人メドレー決勝。31歳になった「水の怪物」は、400m個人メドレーで優勝して勢いにのる萩野公介をまったく寄せ付けず、圧倒的な強さで勝利した。この種目ではアテネ、北京、ロンドンに続く金メダル。史上4人目の栄冠である。さらに800mリレー、400mメドレーリレーでも、チームメートこそ違え、自身4連覇を果たした。

アテネで金6銅2。北京では出場した8種目すべてに金メダルを獲得した。ロンドンは金4銀2、そしてリオでも金5銀1のメダルを手にした。合計23個の金メダル、28個のメダル獲得数はいずれも史上最多である。
ただ、12年の間には大麻吸引騒動に巻き込まれたり、薬物疑惑をかけられたり、酒気帯び運転の疑いで逮捕されたこともある。引退、その撤回も繰り返した。身長より長い腕と柔らかな関節、何より厳しい練習による抜群の持久力が「史上最強のスイマー」に押し上げた。

さて、伊調である。ロシアのワレリア・ゴブロワゾロホフに1-2とリードを許し、追いかける展開。残り30秒、相手がタックルにきた。右足を取られたが落ち着いてこらえて、逆にバックにまわろうと動く。足が抜けた。バックにまわってポイント2、残り5秒の逆転勝利だった。「もう最後のチャンスだと思って、ここしかないと思って、取りにいったんですけど、取れて良かったです」

息を弾ませ、女子選手では史上初めてオリンピック4連覇した超人は、こう続けた。

「ホントに、最後はやっぱり、お母さんが助けてくれたと思います」

2014年11月、母トシさんが急逝した。姉でアテネ大会48kg級銀メダリストの千春さんがスポーツ新聞に寄せた手記には「父も兄も私も馨も悲しくて泣いていたけど、一番泣いていたのは馨じゃないかなっていうくらい、ずっと泣いていた。精神的なショックも一番大きかったと思います」とある。

母親っ子だった。母の教えは「強くあれ」である。リオを前にした2016年1月、ヤリギン国際大会決勝でモンゴルのプレブドルジに一方的に敗れ、不戦敗をのぞけば2003年以来の敗戦、連勝は189で止まった。その負けをきっかけに、「勝利にこだわる」レスリングを求めた。それが、あの残り5秒での逆転劇を生んだのかもしれない。

リオ大会で女子個人初の4連覇を決めた伊調馨

リオ大会で女子個人初の4連覇を決めた伊調馨

強い伊調だが、やはり妹気質なのだろう。女子レスリング界では常に2番手の位置にいた。先頭に立って「強いニッポン」を牽引してきたのは吉田沙保里である。

おおらかな性格と持ち前の明るさで、吉田は日本ばかりか、対戦したライバル選手に慕われ、目標ともなっている。断りきれない性格からリオには選手団主将として乗り込んだ。

夏季、冬季を問わず、オリンピックの選手団主将は金メダルを獲れないとのジンクスがある。でも吉田なら、と誰もが期待した。

その経歴を簡単に紹介すれば、フリースタイル57kg級の全日本チャンピオンだった父・栄勝えいかつさんの指導の下、素早いタックルを会得、子ども時代から優勝は数知れず。15~16歳にかけて世界カデット選手権に連覇し、さらに2000年、2001年と世界ジュニア選手権58kg級を制した。

2001年から2008年1月に女子ワールドカップ団体戦で敗れるまで公式戦119連勝。2002年は、最大のライバル、世界王者の山本聖子をクイーンズカップで下して優勝すると、6月世界学生選手権、10月アジア大会、11月には世界選手権に優勝。「吉田時代」の幕を開けた。生命線はスピード、とりわけ高速の両足タックル。カレリンの向こうを張り「霊長類最強女子」の異名もついた。

同じ階級を回避する選手も現われた。実は伊調もそのひとり。当時55kg級から63kg級に階級をあげた。上げていなければ4連覇は現実になっていただろうか。また、女子レスリングのオリンピック公式競技化を推進し、注目される競技に育て上げた日本レスリング協会の福田富昭ふくだとみあき会長は、「吉田の存在が大きかった」と語る。吉田の強さ、存在感を現わす逸話は事欠かない。

まだ伊調の逆転優勝の余韻が残る8月18日、吉田は4度目の大舞台に立った。昨年の世界選手権で史上最多となる13連覇を達成し、33歳で迎えたリオである。

年齢相応に技量が磨かれ、相手が研究してきても跳ね返すだけの成熟があった。8カ月間、公式戦から遠ざかってはいたが、準決勝まで無失点で勝ち上がった。しかし、得意の両足タックルは爆発力を欠いていた。

決勝戦。24歳、若いヘレン・マルーリス(米国)につけこまれた。低い姿勢で手をしっかり組まれ、タックルに飛び込めない。第2ピリオド開始早々、一瞬の隙にバックを取られた。1-4のまま攻撃をかわされた。

マットに突っ伏し、起き上がれない。衝撃の映像が日本中のお茶の間をかき乱した。

「最後、自分の力が出しきれなくて、申し訳ないです」

涙とともに言葉を絞り出す。いったい何が起きたのだろうか。
福田会長は「吉田のレスリングではなかった。重圧が気持ちのなかにあったかもしれない」と話した。誰もが女王敗戦に戸惑っていた。歴史が変わるときとはそうしたものかもしれない。

勝って喜ぶマルーリスと起き上がれない吉田

勝って喜ぶマルーリスと起き上がれない吉田

その頃、優勝したマルーリスはこんな話をしていた。12歳のとき、アテネで金メダルを獲った吉田沙保里をみてレスリングの道に進むことを決意、反対する両親を説得した。彼女は自分のヒロインであり、いつか彼女みたいになりたいと努力してきた。とくにこの2年間は吉田を倒すために練習していたと。
そして、そのマルーリスにレスリングを手ほどきしたのが山本聖子だったとも…。

4連覇こそならなかったが、吉田はやはり偉大な選手である。われわれは伊調と吉田という超人と時代を共有していることを誇りたい。

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スポーツ歴史の検証
  • 佐野 慎輔 尚美学園大学 教授/産経新聞 客員論説委員
    笹川スポーツ財団 理事/上席特別研究員

    1954年生まれ。報知新聞社を経て産経新聞社入社。産経新聞シドニー支局長、外信部次長、編集局次長兼運動部長、サンケイスポーツ代表、産経新聞社取締役などを歴任。スポーツ記者を30年間以上経験し、野球とオリンピックを各15年間担当。5回のオリンピック取材の経験を持つ。日本スポーツフェアネス推進機構体制審議委員、B&G財団理事、日本モーターボート競走会評議員等も務める。近著に『嘉納治五郎』『中村裕』(以上、小峰書店)など。共著に『スポーツレガシーの探求』(ベ―スボールマガジン社)『これからのスポーツガバナンス』(創文企画)など。