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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

2. 狩猟から始まった

【スポーツの歴史を知る スポーツとは】

2017.02.10

2013年2月12日。国際オリンピック委員会(IOC)理事会の決定は、国際スポーツ界を震撼しんかんさせた。2012年ロンドン大会で実施された26競技から、2020年大会に行う25の「中核競技」を決めた。レスリングが除外されたとわかったときの話である。

レスリングは1896年、アテネで開かれた第1回近代オリンピックで実施された8競技のひとつであり、永くオリンピック競技として普及してきた。それが、なぜ…という衝撃が世界中を駆けぬけた。結局、7カ月後、野球・ソフトボールや空手など他の6競技を退け、継続は決まったが、伝統競技ですらオリンピックムーブメントへの熱意を欠くと除外対象となり得る現実が残った。

いうまでもなくレスリングは古代ギリシャにおける人気競技のひとつであった。文献によれば紀元前1700年から紀元前1400年ごろ、地中海に浮かぶクレタ島では、戦車競走やボクシング、ダンス、雄牛跳び、狩猟などともにレスリングが行われていたとある。

また、それに先立つ文明の地、古代エジプトでも、ナイル川東岸にあるベニハッサン村で発見された洞窟の壁画に、400種類以上のレスリング壁画が残されている。ここは古代エジプトの王によって造られたとされる神殿のある場所で、壁画は紀元前2100年ごろのものと推察される。レスリングのほかにも重量挙げや跳躍、弓矢による狩猟、ボールを伴った運動などが描かれており、これらがこの時代に実施されていたことがわかる。

ベニハッサン村で発見されたレスリングの壁画

ベニハッサン村で発見されたレスリングの壁画

文明以前の先史時代、人は主として狩猟によって暮らしていた。野山を駆けまわり、石を投げ、動物と格闘して日々のかて を得る。やがてヤリや弓矢といった道具が狩猟に用いられる。これらの一つひとつが身体活動であり、狩りの合間の余暇にはその技を誇り、競い合っていたように思われる。

古代エジプトや古代ギリシャでレスリングやパンクラチオン、ボクシングのような格闘技、力自慢の重量挙げに弓射、やり投げや円盤投げ、さらに雄牛跳びといった身体運動が競われたのは狩猟に端を発したといえよう。また、野山を駆けることから競走が生まれ、村と村による争いから戦車競走に発展していったと考えても間違いではあるまい。

これら身体活動が整備され、やがて古代オリンピックの実施競技としてまとめられていく。古代ギリシャでは、部族の長など社会的な地位のある人物が亡くなると、死者を追悼する競技会を催す習わしがあった。社会的な身分の高い人物は身体的な能力に秀でていたことから、葬送そうそう競技を催すことで魂が安まると信じられていたという。

注目すべきは、収穫を神に感謝する儀式、葬送競技会などは祭典として発達していくだけではなく、すでに観客を意識した競技祭になっていたことがあげられる。ギリシャのオリンピアで4年ごとに開催される「オリンピック」競技祭(古代オリンピック)があまりにも有名だが、他の地域でも競技祭は行われていた。大きな競技祭はオリンピックを含めて4つあり、それらは四大競技祭と呼ばれていた。さらにアテネでは大パンアテナイ競技祭も開かれるなど、古代ギリシャ人にとっては生活と切り離せないものとなっていた。

アテネからオリンピアまで、ざっと330kmはある。観客は4年に1度、悪路を2週間かけて歩いたという。哲学者プラトンをはじめ、名だたる人たちが名ばかりの宿泊所かテント泊、野宿をしながら聖地をめざした。すべては、「至上の戦い」の目撃者となるために、である。ソクラテスは、「旅は遠すぎる」といった男にこう語ったという。

「何が心配なのだ? アテナイ(アテネ)でも一日中歩きまわっているではないか…その距離を合わせて五日か六日歩けば…オリンピュア(オリンピア)までの距離になるではないか」

古代オリンピアに寄せる観客の熱狂は、この競技祭を特別な地位に押し上げ、紀元前776年から後393年まで、1200年もの永きにわたって継続させたのである。

ちなみに古代オリンピックの終焉しゅうえんは、ローマ帝国によるギリシャ支配でもたらされた。キリスト教がローマ国教となり、ときの皇帝テオドシウスは「異教の祭典」を禁じた。オリンピアのゼウス像はコンスタンチノープル(現在のトルコのイスタンブール)に移送され、426年、ゼウス神殿はテオドシウス2世によって燃やされた。

古代ギリシャの壺に描かれた戦車競走 (メトロポリタン美術館)

古代ギリシャの壺に描かれた戦車競走 (メトロポリタン美術館)

古代ローマ人は実用を重んじ、ギリシャ風の競技大会に興味を示さず、軍事目的の身体活動に重きが置かれた。しかし、次第に健康維持や娯楽の要素が認識され、やがて「観るスポーツ」が発展していった。いわゆる『パンとサーカス』による民衆統治である。

このサーカスとは「キルクス競技」といわれる戦車競走をさし、現存する巨大競技場コロッセウムでの観戦を意味した。剣闘士の闘い、猛獣相手の死闘、競技場に水をはって行われた船合戦…一番人気は戦車競走だったという。今日、映画『ベンハー』で熱狂ぶりを伺い知ることができる。

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スポーツ歴史の検証
  • 佐野 慎輔 尚美学園大学 教授/産経新聞 客員論説委員
    笹川スポーツ財団 理事/上席特別研究員

    1954年生まれ。報知新聞社を経て産経新聞社入社。産経新聞シドニー支局長、外信部次長、編集局次長兼運動部長、サンケイスポーツ代表、産経新聞社取締役などを歴任。スポーツ記者を30年間以上経験し、野球とオリンピックを各15年間担当。5回のオリンピック取材の経験を持つ。日本スポーツフェアネス推進機構体制審議委員、B&G財団理事、日本モーターボート競走会評議員等も務める。近著に『嘉納治五郎』『中村裕』(以上、小峰書店)など。共著に『スポーツレガシーの探求』(ベ―スボールマガジン社)『これからのスポーツガバナンス』(創文企画)など。