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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

1. スポーツとは何か

【スポーツの歴史を知る スポーツとは】

2018.01.10

ふだん、私たちは何気なく「スポーツ」という言葉を使う。
野球やサッカー、陸上競技や競泳、柔・剣道に空手、ダンスやバレーにいたるまで、スポーツとして一括りにして話すこともある。テレビをつければスポーツニュースにスポーツバラエティ。スポーツ新聞は毎朝、さまざまな「スポーツ」の試合内容や結果、選手たちの言葉などを満載して読者に届けられる。

身体を動かすことは「スポーツする」であり、器具や憩いのスペースを持つ施設は「スポーツクラブ」と称される。特別に意識することなく、周囲にこの言葉があふれる。
では、スポーツって何?そう問われたとき、あなたは何と答えるだろう。
言葉として見聞きし、自ら発していても、正面から考えたことはそうはないだろう。いや、考える必要もなかった。

リオデジャネイロオリンピックの陸上競技場

リオデジャネイロオリンピックの陸上競技場

手元にある国語辞典によれば「陸上競技、野球、テニス、水泳、ボートレースなどから登山、狩猟にいたるまで、遊戯・競争・肉体的鍛練の要素を含む身体運動の総称」(広辞苑第六版)、「余暇活動・競技・体力づくりとして行う身体運動。陸上競技・水泳・各種球技・スキー・スケート・登山などの総称」(大辞林第三版)とある。

言ってしまえば、余暇を利用した身体を使った活動であり、そこに「競う」という要素も含まれる。さらに「遊戯」つまり「遊び」が例示されていることに着目したい。
研究者の間で、スポーツの定義は「学者の数だけある」とさえいわれている。

フランスの学者ベルナール・ジレは著書『スポーツの歴史』でこう説く。「一つの運動をスポーツと認めるために、われわれは三つの要素、即ち、遊戯、闘争、およびはげしい肉体活動を要求する」。阿部生雄あべいくお筑波大学名誉教授は、ジレの指摘を「スポーツの三要素」と呼び、研究の基本姿勢に置く。
また、1964年東京オリンピックの際に国際スポーツ体育協議会(ICSPE)は「プレイの性格を持ち、自己または他人との競争、あるいは自然の障害との対決を含む運動はすべてスポーツである」と定義している。オリンピック開催にあたり、スポーツの概念がこう定義されたことを深く噛みしめたい。

さらに、アレン・グートマンの『儀礼から記録へ:近代スポーツの本質』では、より簡潔に「『遊びの要素に満ちた』身体的競争」となる。いずれも共通するのは、「遊戯」であり「プレイ」「遊び」なのである。スポーツはここを離れてはいけないのではないか、そう思わせる先人たちの研究である。

スポーツ(sport)の語源が、ラテン語の「deportare」に由来することは、文献を読めばすぐにわかる。阿部名誉教授によれば、「de」は「away」、「portare」は「carry」であって「運び去る」とか「運搬する、輸送する、追放する」という意味があったという。

あるところから別の場所に運ぶ、移す、転換するという本来的な意味から、「気分を転じさせる」「気を晴らす」といった精神的な次元での「移動」「転換」に変化していく。やがて「義務からの気分転換、元気の回復」が、一義的な意味を持つようになった。

この「deportare」がフランス語の「気分を転じる、楽しませる、遊ぶ」という意味の「depoter」「desporter」となり、16世紀、英語における同義の「disport」「sporte」「sport」となる。ここにはゲームやショー、見世物など多様な意味が存在していた。

フィギュアスケート・イメージ

フィギュアスケート・イメージ

今日、定義されている要素を持つのは17~18世紀のスポーツである。野外での自由な活動、とりわけ狩猟活動を意味し、それは密接に結びついていた。近代スポーツ発祥の地とされる英国での暮らしの反映だったかもしれない。それが19世紀に入ると、スポーツは競技的な性格を帯び、戸外で行われるゲームや運動への参加、あるいはゲームの総称に育っていく。阿部名誉教授のいう「スポーツの三要素」である。

スポーツが日本に“輸入”されるのは、主として明治時代初期であった。ただ、確かに身体を使う活動、競技的な要素はしっかり導入されたのだが、第一義の「遊び」の要素は切り捨てられたといっても過言ではない。

当時、戊辰ぼしん戦争を経て武士の世を倒した文明開化の日本は、欧米列強と肩を並べるべく近代国家建設に邁進していた。殖産興業しょくさんこうぎょう富国強兵ふこくきょうへいを“スローガン”に掲げて、欧米にならい、肩をならべていくことを夢見た。まさに『坂の上の雲』の世界である。

輸入されたスポーツは「楽しむ」よりも、「身体を鍛える」ことが主眼となった。人材育成のための明治の三育、すなわち「知育」「徳育」、そして「体育」である。スポーツは体育となり、軍隊と学校を揺りかごとして浸透、成長していくのである。

さらに、日本には古来、身体活動を通して精神を磨くという伝統が色濃く残っていた。座禅を組み、武士道に代表される「道」は、能狂言や茶の湯、生け花といった「楽しみ」にさえ、「極める」ことを求めた。

明治の気骨を支える基といえるが、ここに今日のスポーツの“不幸”が始まったように思う。明治文化史研究家の木村毅きむらきは、『日本スポーツ文化史』をこう書き起こす。
「日本人は、スポーツには縁の薄かった国民である。スポーツという以上『楽しむ』要素が強くなくてはいけない。しかし武士道のストイックな、ある意味ではヒューマニズムに背反した道徳的訓練では、楽しむことを罪悪のように考えた。そうでなくとも児戯として軽んじた」  あの「日本の近代スポーツの父」とされる嘉納治五郎かのうじごろうですら、柔道も含めたスポーツや日本伝統の水泳などを総称して「運動遊戯」とよんでいる。1910(明治43)年にまとめた『青年修養訓せいねんしゅうようくん 』はこう記す。

第一に、筋骨を発達させ身体を強健にするという点から、その種類方法を選び、些少さしょうの余裕の時間も運動に費やすよう心がけること
第二には運動遊戯を、単に身体のためばかりでなく、自己に対して人に対しての道徳上品位上の修養の質にきょうすこと
第三にはこのような運動の習慣を修学時代を終わると同時に廃止にしないで永くこれを継続し、心身ともに常に若々しくあること

スポーツの価値としての身体機能の発達、道徳と品位の向上、生涯スポーツを持てと教えつつ、しかし「遊び」にはふれていない。嘉納が教育者であり、とりわけ道徳教育に熱心に取り組んだ人らしい教えであるが、ここに「遊び」「楽しみ」の要素をいれてくれていたならば、今日のあり方は変わっていたに違いない。日本のスポーツには、残念なことではあった。

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スポーツ歴史の検証
  • 佐野 慎輔 尚美学園大学 教授/産経新聞 客員論説委員
    笹川スポーツ財団 理事/上席特別研究員

    1954年生まれ。報知新聞社を経て産経新聞社入社。産経新聞シドニー支局長、外信部次長、編集局次長兼運動部長、サンケイスポーツ代表、産経新聞社取締役などを歴任。スポーツ記者を30年間以上経験し、野球とオリンピックを各15年間担当。5回のオリンピック取材の経験を持つ。日本スポーツフェアネス推進機構体制審議委員、B&G財団理事、日本モーターボート競走会評議員等も務める。近著に『嘉納治五郎』『中村裕』(以上、小峰書店)など。共著に『スポーツレガシーの探求』(ベ―スボールマガジン社)『これからのスポーツガバナンス』(創文企画)など。