岡田 千あき(大阪大学大学院人間科学研究科 教授/日本スポーツ社会学会 理事)
- 調査・研究
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
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スポーツ政策研究所を組織し、Mission&Visionの達成に向けさまざまな研究調査活動を行います。客観的な分析・研究に基づく実現性のある政策提言につなげています。
自治体・スポーツ組織・企業・教育機関等と連携し、スポーツ推進計画の策定やスポーツ振興、地域課題の解決につながる取り組みを共同で実践しています。
「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。
日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。
岡田 千あき(大阪大学大学院人間科学研究科 教授/日本スポーツ社会学会 理事)
数年前、筆者の子どもが「お茶当番」の廃止を予定していたスポーツチームに入会した。通称、「外部」と呼ばれる学校部活動以外のスポーツの場では、親の手伝いが必要とされることが多い。しかし、近年、共働き家庭の増加、子どもの習い事やレジャーの多様化などを背景に、親の当番を必須にしていては選手を集められないチームが増えている。わが家も「お茶当番」の負担が大きいチームは避けようと考えていた中、廃止を謳ったチームは、とても魅力的に映った。
いざ入会してみると「当番」は廃止されたものの、「お茶」に関してはそのまま残っていた。お茶のみでなく、弁当、飲料、おしぼり、茶菓子、デザートを指導者に提供する母親の役割、また、フィールドの整備や器具の補修、練習のサポートなどの父親の役割はそのまま残り、当番制でなくなった分、誰かがボランティアでこれらを担った。ボランティアを募るのに、表向きチームは関与していないが、(少なくても母親については)先輩ママ、OBママによって「指導者のお世話をさせて下さい」と言わされる実質的な強制があった。
「お茶当番」は、スポーツに関わりの薄い友人から「そんなの今でも本当にあるの?」と言われる不思議な世界であった。数年前の個人的な経験だが、男性の指導者がトイレに行けば、ドアの横で母親たちが(冬は温かい、夏は冷たい)おしぼりを持って待機し、食事は、おしぼり、お茶、箸、弁当、みそ汁など、決まった順番で提供していた。他にも、挨拶の仕方、お茶の入れ方、飲料の渡し方など、先輩ママから丁寧な指導を受け、挙句に「先輩ママを敬いなさい」「私たちの時は先輩ママがもっと厳しかった」「女性としての接待のたしなみが覚えられる」と言われれば、入ったその日に逃げ出したくなる。ちなみに「先輩ママ」「後輩ママ」は、子どもの学年のみに紐づいており、母親の年齢などの属性は一切考慮されない。
以前、日本のスポーツとジェンダーの課題について、「マネージャー」と「お茶当番」を例に英文の原稿を書いたところ、諸外国のスポーツ関係者やジャーナリストから大きな反響があった。よく聞かれた質問は、「日本の女性は、ケアをするのが好きなの?」というシンプルなものであったが、矛盾や葛藤を伝えるのが難しく言葉に窮した。「マネージャー」と「お茶当番」の違いは、ケアの対象が選手であるか指導者であるか、また、マネージャーは本人の選択に基づいているが、お茶当番は選手の母親が自動的にせざるを得ない点にある。「お茶当番」は、多くの母親たちが、「子ども達の『やりたい』という気持ちを削いではいけない」「活躍の機会を奪うような邪魔をしてはいけない(その中には、指導者の機嫌を損ねることも含まれる)」と我慢を強いられる暴力的な構造を持つ。
実際に、お茶当番に「やりがいを感じている」という語りを耳にしたこともあるが、「お茶当番」の存在がチーム幹部や指導者、保護者間のヒエラルキーの維持を目的としていると考察した研究も存在する。近年では、これらを問題と感じ、新しい形態のチームが設立されたり、違う形に変化するチームも増えつつある。しかし、そもそも指導者たちは、選手の母親というだけのよく知らない女性たちによるお世話を望んでいるのだろうか?練習の横目にお世話に勤しむ母親の姿を見る選手たちは何を思うのだろうか?もし、当然の光景と映っているとしたら、なぜ、日本のスポーツは、男性=指導者、女性=サポートを前提に構築されてきたのだろうか。
スポーツの場でのサポートは、「応援」の一種とも考えられる。応援の表象である限り、他者から強制されたり、表現方法を限定されたりする性質のものではない。しかし、日本のスポーツの場には、受け継がれてきた「女性的な」応援の方法が残っている。例を挙げると、大会の時に準備される千羽鶴を折るのは、マネージャーや母親といった女性が多い。フエルトで作るお揃いのマスコットは手縫いであることが称賛され、手作りおにぎりには手書きのメッセージが添えられる。サポートの内容は、炊き出しや洗濯、関係者への年賀状の作成にまで及び、女性あるいは母親としての役割を果たすために、本来中心であるはずの選手たちが置き去りにされる。サポートに時間を取られ、練習や試合の様子を全く見られない時など、もはや何のために誰を応援しているのか分からなくなる。
SSFが2016年と2021年に行った調査では、子どものスポーツは、母親が担う傾向にあり、中でも「指導者や保護者の送迎をする」「練習や大会等で、指導者・保護者の食事や飲み物を用意する」「大会等で、保護者や関係者が観戦する場所を確保する」「会員の集金や管理を行う」「団体のメーリングリストやSNS・ホームページの管理を行う」などが、母親の負担感を増大させることが明らかになった。これらは、選手に直接的に関わらないものばかりであり、スポーツの場にある「そんなことは女性にやらせておけ」という暗黙知の存在を疑わざるを得ない。スポーツは、「男性を主体とし、女性を従属させるという社会の性役割を確認し、それを再生産する装置となっている」(笹沼 2005、p.52)との指摘が当てはまり、東京オリンピック・パラリンピックを経験した現在もこの傾向は変わっていない。
親たちは、子どものスポーツにあらゆる期待をする。身体を強くしたい、成功体験や勝利体験をさせたい、人間関係や礼儀を学ばせたい、異年齢の仲間とのコミュニケーションの機会を得たい、などである。子どもが、オリンピックに出ることやプロ選手を目指していたり、「やりたい」と望んだからという理由もあるが、多くの場合、何らかの学びを期待し、仲間を作ってあげたい、学校以外の居場所を見つけて欲しいと願っている。その切実な願いを軽視したり、悪用したりするチームはいずれ淘汰されていく。何より子どものスポーツの場が、そのような「しんどい環境」にあることは、スポーツ界にとっての大きな痛手である。
子どものスポーツ人口の減少が取り沙汰される近年、「お茶当番」に対する母親の「しんどさ」を単なる愚痴としてではなく、問題として捉えることが急務である。「お茶当番」をさせているのは誰か、なぜ必要なのか、なぜ母親なのか、などを再考することは、子どものスポーツ環境の改善に資するのみでなく、スポーツ界が主導して、社会全体のジェンダー課題に向き合う意味も持つであろう。