2023年8月14日
菊 幸一(国士舘大学大学院 スポーツ・システム研究科特任教授 / 筑波大学名誉教授/ 日本体育・スポーツ政策学会副会長)
- 調査・研究
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2023年8月14日
菊 幸一(国士舘大学大学院 スポーツ・システム研究科特任教授 / 筑波大学名誉教授/ 日本体育・スポーツ政策学会副会長)
私たちは、いつ頃から「スポーツ政策」という用語を頻繁に用いるようになったのであろうか。そもそも、スポーツと政策は、その語源や定義からみて相いれない性質を持っているのではないか。また、日本のスポーツ政策は、その法的定義からみていまだに体育政策の域を出ていないようにも思われる。ここでは、このような問いに応えるため、スポーツと政治・政策との関係を歴史社会学的に検討してみたい。
England V Scotland. 1903
スポーツ政策を「政府や地方自治体などの政治的公権力が、スポーツを普及・発展あるいは禁止・抑制するスポーツにかかわる政治的統制の基本的な目的・内容・方法」(佐伯,1987.下線は筆者による。以下、同じ)と定義すると、スポーツと政策との関係において2つの疑問点が生まれてくる。1つは、そもそもスポーツとは、1968年に開催されたメキシコ・オリンピック科学会議の『スポーツ宣言』において「遊戯の性格を持ち、自己または他人との競争、あるいは自然の障害との対決を含む運動」と定義されていることからもわかるように、その起源は遊戯(play)であり、そのもっとも基本的な性格は「自由」性にあると考えられている。それに対して、政策はどのような形であれ、そこに政治的権力と統制というある種の「強制」性が働くことを意味する。そこには、明らかに正反対の言語的な意味が含まれており、なぜこの両者が結びつくのか、が基本的に問われなければならないのではないか、ということである。
他方、現代のスポーツ政策の目的には「普及・発展」がイメージされるが、「禁止・抑制」といったイメージは持ちにくい。政策が政治的な強制を含意する以上、後者の作用も念頭に置くべき内容であるが、どちらかと言えばこれまで「スポーツ政策=スポーツ振興」という一面的な捉え方をされてしまうのはなぜなのか、という疑問である。
スポーツと政策との関係を一面的に「スポーツは政治・社会にとって良いもの」とみなすことによって、スポーツと政策との関係を楽観的に見てしまうと、思わぬ落とし穴が待っていることは、今回の「東京2020+1」を通じた一部の批判的なオリンピック評価にも表れていると考えるべきであろう。
スポーツと政治を切り離すことによって、スポーツを政策の対象ではなく、個人の力量(主に経済力)や嗜好によって個人主義の対象にし、アマチュアの経済力によって支えられる文化にしたのは、近代スポーツ発祥の地イギリスの中産階級(ブルジョアジー)を中心とするアマチュアリズム(思想)である。そこには、スポーツの高度化(プロ化)や大衆化(労働者階級への広がり)とは無縁な、あるいはそれに抵抗しさえする彼らの階級的利害状況があった。なぜなら、中産階級は現実社会において利害が対立する労働者階級がプロ化して、中産階級の文化であるスポーツが労働者階級によって支配・統制されることを嫌い、また政治的にも同じことを望んだからである。
したがって、スポーツに対するこの「政治的中立」という階級的思想(イデオロギー)は、20世紀後半まで世界大会やオリンピック参加の是非を問うアマチュア資格という壁(境界)をつくり、社会一般の政策対象としてスポーツを現実的に考え、その関係性をフェアーに、科学的に考えることを阻んできたと言えよう。
例えば、スポーツの歴史を近代スポーツ以前のスポーツと政治のあり様から遡って考えると、少なくとも4~18世紀のヨーロッパでは、当時暴力的に行われていた庶民のモブ・フットボール(サッカーやラグビーの起源)やクルーエル・スポーツ(動物いじめ)などといったスポーツが、しばしば禁止されていた。歴史的にみれば、スポーツは普及・発展の対象としてよりは、禁止の対象となっていることの方がはるかに長いのである。
近代後進国であった日本は、近代スポーツの移入当初から大学運動部や学校を中心に受容され、いわば「体育」としてこれを制度化してきた歴史がある。しかも、この「体育=スポーツ」あるいは「体育・スポーツ」の概念は、戦後日本のスポーツ政策の法的根拠となるスポーツ振興法(1961)における「運動競技及び身体活動(キャンプ活動その他の野外活動を含む。)であって、心身の健全な発達を図るためにされるもの」から始まり、2011年のスポーツ基本法における「スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、…(中略)…その他の精神の涵養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動」まで、その体育的な性格を変えていない。これは、明らかにスポーツ政策ではなく、体育政策の延長線上でスポーツを捉える政策であり、したがって当初から「スポーツは良いもので、振興されるべき」対象である、という理念や価値観が前提となっていると考えられよう。
文化としてスポーツを考えたとき、そこには必ず光と影があり、その両面を前提とした上で、社会との関係におけるスポーツ政策を社会科学的に考える視点を持つ必要がある。その意味では、文化政策に学ぶべき点は多くあり、また歴史的に日本においてスポーツ政策と呼ぶべきものが、ギャンブル・スポーツの統制や野球統制令(1937-47)にあったとすれば、その政策的意味を歴史社会学的に考えることも「スポーツ政策」を再考する1つのヒントになるのではなかろうか。