2022年4月13日
玉木 正之 (スポーツ文化評論家/ノーボーダー・スポーツ 主筆編集長/日本福祉大学 客員教授)
- 調査・研究
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2022年4月13日
玉木 正之 (スポーツ文化評論家/ノーボーダー・スポーツ 主筆編集長/日本福祉大学 客員教授)
日本のスポーツ界が「オリンピック依存症」もしくは「オリンピック中毒」とでも呼ぶほかない状態に陥っていることを端的に教えてくださったのは、一橋大学大学院でスポーツの社会史などの研究をされている坂上康博教授だった。
サンフランシスコ講和条約によって第二次大戦後の日本が独立した1952年以来2021年9月の東京パラリンピック閉幕までの69年4か月の間に、東京、札幌、名古屋、長野、大阪の5都市が五輪の招致に立候補し、招致活動や開催準備活動を展開。その期間は58年11か月に(85%)及ぶという。そして今も2030年の札幌冬季五輪の招致に向けた活動に突入しているのだ(数字は坂上康博/來田享子・編著『東京オリンピック1964の遺産』青弓社・刊より)。
これは確かに「依存症」とか「中毒」と称すべき状況だろう。が、そのような症状を呈するようになったのには原因があるはずだ。
その原因を考えるには、諸外国と日本のスポーツのあり方の違いを較べてみればいい。
たとえば2009年にアメリカ・メジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースが新しいヤンキースタジアムを建設したときは、その建設費15億ドルの約50%をニューヨーク州とニューヨーク市の税金から拠出した。
また1998年にアリゾナ・ダイヤモンドバックスが誕生したときは、その本拠地球場(現在の名前はチェイス・フィールド)を建設するため、本拠地となる州都フェニックスの小売税(日本の消費税に当たる税金)が2%引きあげられて、建設費に充てられた。
ロサンゼルス・ドジャースの本拠地ドジャー・スタジアムも、全額ロサンゼルス市と周辺郡の税金によって建設され、ドジャース球団に永久無償貸与されたもので、メジャーリーグのスタジアムは、すべてが公的資金(税金)によるか、公的資金の多額な援助によって建設されている。
ヨーロッパに目を向けても、各都市にあるスポーツクラブは、運営は会員(使用者)の会費で賄われているが、練習場や体育館などのハードウェアは税金で建設され、各国のサッカーリーグでサッカーチームの本拠地となっているサッカー場も税金で建設され、サッカーチームに所有権や運営権が委譲されるケースがほとんどだ。
2000年7月のFIFA(国際サッカー連盟)理事会で、2006年のワールドカップ開催国にドイツが決定され、試合が行われるドイツ各都市が準備に入ったときは、たとえばハンブルグ市が所有していたスタジアムと土地が、スポーツクラブのサッカーチームHSV(ハーエスファー=ハンブルガー・スポーツ・フェライン)に1ユーロ(約120円!)で売却され、HSVはサッカーの試合のない時でも使える(マンションの部屋のような)台所付きの会議応接スペース100室や大量の年間指定席を10年契約で売り出し、あっと言う間に200億円近い新スタジアムの建設費と経営維持費を集めた。
このように欧米のスポーツは多額の公費や公的援助によって支えられている。が、日本のスポーツの場合は、プロ野球は読売新聞社をはじめとする親会社(私企業)の所有物と捉えられ、高校野球でも朝日新聞社や毎日新聞主催のイベントとして、公的資金(税金)が導入されることは考えられない。
読売新聞社主催の箱根駅伝や各種新聞社主催のマラソン大会、NHK杯の国際フィギュアスケート競技大会も同様で、スポーツが社会に必要なカルチャー(地域住民が創りあげた文化)という考えが定着も広がりもしていないから、スポーツを公的に育てよう(税金を投入しよう)という発想が存在しないのだ。
2021 NHK杯国際フィギュアスケート競技大会 エキシビション ガラ
かろうじていくつかのJリーグのチームが経営難に陥ったときは、ホームタウンの都市が税金を投入することもあった(その是非を巡って賛否両論が闘わされたこともあった)。また最近では、北海道日本ハムファイターズの新しいボールパーク(新球場)建設に、札幌郊外の北広島市が固定資産税の免除等の優遇策で支援すると聞いている。
が、プロスポーツは利益追求の私企業扱いで、かつてアマチュアスポーツと呼ばれたスポーツも、その多くが企業スポーツとして新聞社や私企業の宣伝媒体と考えられているため、公的な金銭支援となるとオリンピックというイベントの開催や招致という「錦の御旗」が必要になるというわけだ。
オリンピックの招致開催となると、各種スポーツを盛りあげたり、施設の建設修理のために税金がスポーツに投入される。開催決定となると、通常は年間20~30億円程度の選手強化費も100億円を超えるまでに増やされる。
しかしオリンピックが終わると、増額された税金はすぐに減額され、再びオリンピックを招致しようという声が涌き起こり……そして、そういうことが繰り返されて日本のスポーツ界は「オリンピック依存症」「オリンピック中毒」となってしまったのだ。
要は、スポーツが豊かな社会生活を営むために必要なカルチャー(文化)であるという認識が、日本の社会ではまだ定まっていないことが元凶と言えるだろう。そして、そんな現状を改善するには、スポーツの主催者やスポーツチーム所有者となって企業スポーツ的に利益を独占している新聞やテレビのメディアが、まずスポーツの支配から手を引き、スポーツを社会の手に渡すことが必要なのではないだろうか?
明治時代に欧米からスポーツという文化が伝播して以来、新聞や放送などのメディアが日本のスポーツの発展に果たしてきた役割と貢献度は、計り知れないほど多大なものがあるが、未来の日本社会では、メディアはスポーツを自社の利益に利用することなく、スポーツ・チームの所有やスポーツ大会の主催運営からは手を引き、スポーツ・ジャーナリズムに徹して、日本のスポーツの正しいあり方を唱えるべきではないだろうか?