2023.02.21
- 調査・研究
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
スポーツ政策研究所を組織し、Mission&Visionの達成に向けさまざまな研究調査活動を行います。客観的な分析・研究に基づく実現性のある政策提言につなげています。
自治体・スポーツ組織・企業・教育機関等と連携し、スポーツ推進計画の策定やスポーツ振興、地域課題の解決につながる取り組みを共同で実践しています。
「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。
日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。
2023.02.21
羽生結弦ファンタジーオンアイス2022(千葉県幕張)
日本で最も人気のあるウィンタースポーツはフィギュアスケートであることは論を俟たないだろう。海外の大会まで応援に行くコアなファン、いわゆる“おっかけ”が多いことでも知られている。そんな日本のフィギュアスケートの歴史を俯瞰する時、やはり羽生結弦、浅田真央という2人の男女のスケーターを最初に取り上げたい。羽生結弦は言うまでもなく、人気、実力、実績ともナンバーワンの選手である。加えてその発信力のある言動も魅力の一つとなっている。
羽生は仙台市出身。4歳でフィギュアスケートをはじめ、名伯楽都築章一郎にその才能を見出され、小学生時代から国際大会で実績を残し、14歳でジュニアグランプリファイナル(JGPF)、15歳で世界ジュニア選手権を制した。2011年の東日本大震災では仙台市のリンクも被災し練習拠点を失うという試練も経験。2014年ソチオリンピックではアジア初のシングル金メダル。続く2018年平昌オリンピックでは、前年の11月に靭帯損傷という大怪我を負ったが、大会ではそれを克服し66年ぶりとなる連覇を果たした。この年国民栄誉賞も受賞している。この間、全日本選手権はもちろんのこと、グランプリファイナル(GPF)や世界選手権でも輝かしい成果を残している。前人未踏のクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)の成功を目標に掲げて臨んだ3度目の北京オリンピックでは、ショートプログラム(SP)で氷上の穴にはまってジャンプが乱れ8位と出遅れたが、フリーでは3位と巻き返し、総合4位となった。クワッドアクセルにも果敢に挑戦。回転不足とはなったが国際スケート連盟(ISU)の公認大会で初めて認定された。その後の去就が注目されたが、2022年7月に「決意表明」と題した記者会見で、競技会からの引退を表明、今後はアイスショーなどプロのスケーターとして活躍の場を広げることになった。またクワッドアクセルについては引き続き挑戦を続けることも明言した。羽生の活動はその後も止まらない。同年11月には早くも初の単独アイスショー「プロローグ」をスタート。2023年2月には、「これまで自分を支えてくれたすべての人に感謝」という思いを込め、「GIFT」というタイトルのアイスショーを開催した。今後も競技会を超えた場所での“羽生結弦”という存在に注目していきたい。
浅田真央サンクスツアー(2018年/新潟県)
もう一人のフィギュア界の稀有な存在は浅田真央。浅田の代名詞と言えば「トリプルアクセル(3回転半)」。5歳の時に姉と一緒にフィギュアをはじめ、ジャンプの天才伊藤みどりに憧れていたという。注目を浴びたのは14歳で出場したJGPFで、女子ジュニア史上初のトリプルアクセルを成功させた時。2006年のトリノオリンピックには、国際大会の実績から出場を期待する声もあったが、ISUの定めた年齢制限に87日足りず代表資格を得られなかった。2008-09年シーズンからは名コーチ、タチアナ・タラソワに師事。プログラムの幅を広げ、満を持して臨んだ2010年バンクーバーオリンピックでは、SP、フリー共にトリプルアクセルを成功させたが韓国のキム・ヨナに及ばず銀メダルにとどまった。2014年ソチオリンピックでは、SPでジャンプの失敗が響き16位と出遅れたが、フリーで巻き返し3位、総合6位。演技後の涙と笑顔は感動を呼んだ。同年3月の世界選手権では3度目の優勝を果たした。その後、1年間の競技生活休養を発表、現役続行の可能性は「ハーフハーフ」と発言し、流行語ともなった。2015-2016シーズンは競技復帰を果たしたが、2017年4月に現役引退を表明した。
浅田真央の新たな挑戦はここからはじまった。2018年から3年間、現役時代の支援への感謝の意を込めた「サンクスツアー」と題したアイスショーを全国で202回開催。間髪を入れず2022年9月には、コロナ禍をはじめ様々な苦難を乗り越えるということを意図した「BEYOND」をスタートさせ、2023年3月まで約70回の公演を継続中。「BEYOND」のプログラムに書かれた彼女の言葉は「覚悟と進化」。2022年10月に笹川スポーツ財団(SSF)「スポーツ歴史の検証」の企画で浅田真央のインタビューに立ち合う機会があった。現役時代同様“真央スマイル”満載であったが、その言葉からは今後の活動についてなみなみならぬ決意が感じられた。その縁もあって私自身も「BEYOND」の公演を見せて頂いたが、自身のペアへの挑戦も含め、映像と滑りを融合させた10人のスケーターによるプログラム構成は、まさにマオワールドというべきもので感動を覚えた。
フィギュアスケートはFigure(図形)に名を残している通りまずサークルを描くことからはじまり、19世紀なかばにオランダやイギリスを中心に発展。その後アメリカのジャクソン・ヘインズにより音楽や振り付けが考案され革命的な進歩を遂げた。日本では、仙台市内青葉城公園内にある五色沼で、1890(明治23)年ごろから外国人たちが滑りはじめ、1897(明治30)年ごろにアメリカ人テブィンソンがこどもたちにフィギュアスケートを教えたのが日本のフィギュアスケートの始まりと言われている。明治の終わりに仙台の旧制二高(現・東北大)の学生たちが外国人教師から習ったフィギュアスケートの技術を日本各地に広めた。二高生が伝えた技術が東京を経由して名古屋に伝わった。1920(大正9)年にフィギュアスケート愛好者により日本スケート会が設立され、スケートの競技会が行われるようになり、徐々に競技としてのフィギュアスケートが発展していった。そして1929(昭和4)年には大日本スケート競技連盟(現在の日本スケート連盟)が設立され、全日本選手権が開催されるようになった。
初期の選手で特筆すべきは女子フィギュアスケートの先駆者稲田悦子だ。1924(大正13)年生まれの稲田は8歳でフィギュアスケートをはじめ、11歳で全日本チャンピオンとなり、翌年の1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックに出場した。この時の12歳0日という年齢は現在でも日本のオリンピック出場者最年少記録である。戦後は指導者としても活躍し、上野純子、福原美和などの一流のフィギュアスケーターを育てた。
その後に続く女子選手としては、1960年スコーバレー、1964年インスブルック両オリンピック日本代表の上野(現平松)純子、福原美和。1964年インスブルック、1968年グルノーブル両オリンピック代表の大川(現佐藤)久美子。1968年グルノーブル、1972年札幌両オリンピック代表の山下一美、1980年レークプラシッド大会代表の渡部絵美が上げられる。そして1992年アルベールビルオリンピック女子シングルで日本のフィギュアスケート史上初のメダルとなる銀メダルを獲得した伊藤みどり。1994年世界選手権優勝の佐藤有香。2006年トリノオリンピック金メダルの荒川静香。2007年、2011年世界選手権優勝の安藤美姫。前述の浅田真央へと美の系譜が紡がれてきた。最近の選手では、2022年4月に引退、プロ転向を表明した宮原知子、怪我のため北京オリンピックを断念した紀平梨花、2018年世界選手権銀メダルの樋口新葉、2022年GPF優勝の三原舞依、2022年北京オリンピック銅メダル、2022年世界選手権優勝の坂本花織、2022年スケートカナダ優勝の渡辺倫果など。若手では2022年にオリンピックと世界選手権出場を果たした河辺愛菜(18歳)、2022年JGPF優勝の島田麻央(14歳)に期待がかかる。
初期の男子選手としては戦前の1932年レークプラシッド、1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンの両オリンピックに出場した老松一吉がいる。戦後では1960年スコーバレー、1964年インスブルック両オリンピック代表、1965年世界選手権4位の佐藤信夫。佐藤はその後指導者として多くにトップスケーターを育てている。特筆すべきはやはり1976年インスブルックオリンピック9位、翌1977年東京で開催された世界選手権でオリンピック・世界選手権を通じて日本男子初となるメダル(銅)を獲得した佐野稔だろう。端正な顔立ちで人気を博した。その後は、1980年レークプラシッドオリンピック日本代表の五十嵐文夫、1998年長野、2002年ソルトレークシティ両大会代表の本田武史、そして2006年トリノ大会8位、2010年バンクーバーオリンピック銅メダル、2014年ソチオリンピック6位、世界選手権、GPFでも優勝を果たした高橋大輔。高橋はその華麗なステップで観客を魅了したが、2014年に現役引退。2018年に復帰して、現在は村本哉中と組んでアイスダンスに挑戦している。現役では何と言っても羽生から絶対王者を受け継いだ宇野昌磨。2018年平昌オリンピック銀、2022年北京オリンピック銅、2022年GPF、世界選手権優勝などの実績は群を抜いている。続くのが2022年北京オリンピックで銀メダルに輝いた鍵山優真、2022年GPF2位の山本草太、2022年4大陸選手権3位の三浦佳生(17歳)など。2010年バンクーバーオリンピック7位の織田信成は2013年に現役を引退したが、2022年9月に35歳で現役に復帰し話題となった。
三浦璃来・木原龍一(2022年/NHK杯フィギュア)
ペア、アイスダンスについては日本は長年にわたり国際大会で実績を残せないでいたが、2012年の世界選手権ペアで高橋成美、マーヴィン・トラン(カナダ)組が日本代表として銅メダルを獲得、その後高橋成美、木原龍一ペアを経て、三浦璃来、木原龍一の“りくりゅう”ペアが誕生。その歴史を大きく変えた。“りくりゅう”は2022年北京オリンピックでは7位入賞、団体銅メダルに貢献、続く世界選手権でも銅メダルを獲得、そして2022年GPFではついに頂点に立った。
アイスダンスでは2022年全日本選手権で村元哉中、高橋大輔の“かなだい”コンビが、5連覇を狙う小松原夫妻組を破り念願の初優勝を果たした。今後は国際大会での上位進出を狙う。
村元哉中・高橋大輔(2022年/全日本フィギュア)
北京冬季オリンピックにロシアオリンピック委員会(ROC)として出場した15歳のカミラ・ワリエワは、事前のドーピング検査で陽性反応が出たが、ドーピング規定で16歳未満の「要保護者」に該当したため、スポーツ仲裁機構が出場継続を容認したことで物議を醸した。ワリエワは結局ジャンプの転倒などが響き4位に終わり、後味の悪さが残った。これが引き金となり、2022年6月、ISUはオリンピックに出場できる年齢制限を現行の15歳から17歳以上に引き上げることを決定した。引き上げは段階的に行われ、22~23年シーズンは15歳のまま、23~24年は16歳、24年~25年以降は17歳となる。新たなシーズンが始まる7月1日より前に規定年齢に達することが条件となるので、前述の島田麻央は10月生まれのため2026年のミラノ・コルチナダンぺッツォオリンピックには出場できない。
2022年9月に行われた国際大会で、アメリカのイリア・マリニン(当時17歳)が、男子フリーで最高難度のクワッドアクセルを成功させ話題となった。次期オリンピックでは宇野昌磨、鍵山優真ら日本勢の好敵手になりそうだ。そのミラノ・コルチナダンぺッツォオリンピックは2026年2月6日~22日に開催される。戦いはもう始まっている。