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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

東京2020オリンピック選手村にて

【2020年東京オリンピック・パラリンピック】

2022.08.09

アルゼンチンからの嬉しい知らせ

 2013年98日午前520分。眠い目をこすりながら、祈るようにテレビに向かっていた。「お・も・て・な・し」のプレゼン、当時の国際オリンピック委員会(IOC)ジャック・ロゲ会長が掲げた「TOKYO」の文字。アルゼンチンからの知らせは、日本中に希望を与えてくれたように思った。

 「7年後、自分がどこで何をしているのか」「社会がどのように変化しているのか」当時高校生の私は、期待と想像を膨らませた。「オリンピック・パラリンピックを観に行きたい」「2020年の夏は、思い切り大会の感動に浸りたい」と胸弾ませた瞬間を、今でも鮮明に覚えている。

 それから8年、社会人1年生となった私は東京2020オリンピック選手村にいた。プレオープンから閉村までの約1か月間、日本選手団のアシスタントとして働ける機会を頂戴したのである。新型コロナウイルスの感染拡大により史上初の大会延期、そして無観客開催となった。しかし、私の8年前に抱いた想いは不完全ながらも現実のものとなった。機会を与えてくれた方々に感謝し、選手村で沢山のことを、みて、感じて、経験しようと思っていた。

オリンピック選手村

選手村居住棟

選手村居住棟

 選手村は、オリンピック開催期間中、選手をはじめ、コーチやトレーナー、参加国・地域オリンピック委員会(NOC)の宿舎となる。パラリンピックも同様、オリンピック閉幕後にそのまま使用される。各NOCには大会組織委員会の円滑なコミュニケーションをサポートするNOCアシスタントがおり、①担当NOCへのアテンド②言語サポート③各種手続きサポートなど、主にこの3つの役割を担う。私は縁あって独自アシスタント(Own Assistants)という、NOCが独自に採用するアシスタントという立場で、日本選手団を担当。本部の方々やアシスタントの仲間と共に、居住棟の雰囲気づくりや、競技団体のサポートなどを行った。

 東京2020オリンピック・パラリンピックの選手村は東京都中央区晴海に建てられた。海を挟んだ向かいには、豊洲市場、有明、お台場、そして大会組織委員会の入る晴海トリトンスクエアもすぐ近くにあった。選手の居住棟は21棟、海側に位置する棟からはレインボーブリッジ、東京タワーも垣間見える。24時間食事のとれるメインダイニングホール、選手がくつろぎ、気軽に食事ができるカジュアルダイニング、フィットネスセンター、総合診療所(ポリクリニック)やオフィシャルグッズショップなどが入る木造のビレッジプラザが設けられた。自動運転バスが村内を循環し、滞在期間中に不自由なく過ごすための設備が充実していた。

 残念ながら今回は、新型コロナウイルス(COVID-19)対策として様々な規制の中で過ごさなければならなかった。自由に選手村から外出できないのは当然、選手やコーチ、関係者も毎日PCR検査を行う。過酷な競技スケジュールの中、いつ感染してもおかしくないストレスと戦っていた。

 それでも選手たちは工夫を凝らした。「ここが私たちの棟だぞ」とでも主張するかのように、各国・地域の旗や横断幕が居住棟にデコレーションされ、各国・地域の公式ウェアが村内を行きかい、人種や性別、文化がこの村で入り混じっていることに驚いた。

 私はよく村のなかを歩いた。競泳、体操、陸上、バスケットボール、フェンシング、ボクシング……様々な競技のスターたちに出会った。村内をランニングする選手、屋外でフェンサーたちが剣をつき、ボクサーたちがシャドーボクシング、アーティスティックスイミングの選手たちは芝生の上で音楽に合わせて振り付けの確認を行うなど、おのおのが自分の出番に向けて準備している。あの真剣なまなざしに、「Good Luck」以上にかける言葉が見つからなかった。

多様性と調和

 選手村で見たすべてのことが新鮮だった。特に、オリンピック開会式当日の光景は忘れられない。各国・地域の選手たちがそれぞれ開会式用のウェアに着替え、それぞれの居住棟の外で結団式を行い、村から出発するバスの順番を待っている。異なる競技の選手たちが一堂に会し、チームとしてのアイデンティティを高めている。様々な国・地域の旗や、それぞれの文化を反映し趣向を凝らしたウェアで村内が鮮やかに彩られた。様々な民族が混ざり合いながら、おのおのが個性や文化を尊重しあっている。その姿はまさに、「多様性と調和」の象徴であり、平和で希望に満ち溢れた、理想的なスポーツシティだった。

 村内のボランティアたちも、担当国のロリポップ(国旗が描かれた看板)をもって選手たちの誘導を行っている。出発を待つ選手たちの笑顔は、これから始まる競技への緊張感を感じさせないほど、楽しそうな顔だった。

 日本選手団は開催国なので、開会式での入場は最後になる。選手村からバスが出発するのも最後だ。海外の選手団を送り出す任務を終えたボランティアたちが、日本選手団を送り出すためメインストリートに整列し、携帯のライトを灯して一斉に手を振っている。自国開催の強みと、日本人としてのナショナリティを感じた瞬間でもあった。この応援が少しでもチカラになればと思い、選手を見送った。

This is Olympic

オリンピック休戦Mural

オリンピック休戦Mural

 競技が始まると、村内で過ごす選手たちの雰囲気も少しずつ変化してきた。メダルを獲得して称えられる選手もいれば、思うような結果が出せずに肩を落とす選手もいた。日本選手団の中でコロナ感染者は出なかったが、海外選手の中には、感染してしまい、試合を目前にして出場辞退を余儀なくされた選手もいた。選手、コーチ、スタッフおのおのが大会成功に向けて力を振り絞り、戦っている。その気持ちはボランティアも一緒だった。コロナ禍でありながら懸命に働く人々から、自分たちが大会に関わっていることへの喜びと生きがいが伝わってきた。

 ある日、ビレッジプラザにある「オリンピック休戦ムラール:オリンピックに参加する選手などに休戦への賛同を呼びかけ、平和への祈りを込めて署名してもらうもの」を見に行く機会があった。そこでは、国や人種、性別関係なく多くの人が集まり、署名を行っていた。ルーツの異なる選手同士が会話をしている姿に、「戦争というものは何なのか」と考えさせられた。お互いがお互いを理解し、思いやりのある世界が実現すれば、平和が訪れるのではないか。少なくともこのオリンピックでは、スポーツを通して選手・スタッフ・国が繋がり、ソリダリティ(連帯)をもって平和な世界を築き上げようとしている。それがオリンピックを開催する意義なのではないだろうか。

ARIGATO

閉会式で描かれた「ARIGATO」

閉会式で描かれた「ARIGATO」

 初めてオリンピックに関わり、「オリンピックとは何か」「選手村とはどのような場所なのか」など多くのことを学び、選手村の中でみて、感じたことを通してあるべき社会の姿についていろいろ考えた。新型コロナウイルスによる史上初の大会延期、無観客開催となった特殊な大会は、開催の是非について多くの議論がなされた。選手たちも、世界中が混迷を深める中、目の前の目標が見えなくなる辛さと葛藤、様々な想いと共に不安な日々を送っていたに違いない。オリンピック・パラリンピック自体の在り方も、改めて考えさせられた。しかし、選手たちの真摯に挑戦する姿は、きっと世界中に感動・希望・勇気といった「スポーツのチカラ」を与えてくれたことだろう。私自身も、選手の活躍やオリンピックそのものから多くのことを学び、「スポーツのチカラ」を全身で感じた。大会に関わったすべての人に「ARIGATO」と言いたい。

謝辞

 本コラムを作成するにあたり、ご協力頂いた日本オリンピック委員会(JOC)の笠原健司様、日本体育大学の杉田正明先生に感謝致します。そして、オリンピック期間中、選手村内で大変お世話になったJOC本部の皆様にも心より感謝致します。

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スポーツ歴史の検証
  • 秦 絵莉香 大分県玖珠町出身。学生時代から地元でスポーツによる地域振興のプロジェクトを行う。その後、立教大学大学院に進学し、スポーツ社会学やコミュニティ・スポーツ、オリンピック・パラリンピックについて学修(スポーツウエルネス学修士)。東京2020オリンピックでは、NOCアシスタントとして、選手村で日本選手団のアシスタントを勤める。現在は株式会社スポーツビズで、アスリートマネジメントやスポーツマーケティングに従事するとともに、一般社団法人日本スポーツSDGs協会でスポーツ・アスリート×SDGsにおける「フェンシング・折れ剣プロジェクト」や「スポーツ援農事業」を推進中。