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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

IOCとオリンピック・パラリンピックのあり方

【2020年東京オリンピック・パラリンピック】

2022.06.10

 2021年の流行語大賞候補にまでなった「ぼったくり男爵」。これは米紙ワシントン・ポストのコラムニストが、トーマス・バッハ国際オリンピック委員会(IOC)会長に献上したあだ名の和訳だ。商業主義のオリンピックを主催し、開催国を食い物にする、というほどの皮肉が込められているのだが、このあだ名が世間の注目を集めたという事実に、IOCという組織への見方が端的に表れているように思う。

 IOCは本当に、「血も涙もない金の亡者」なのだろうか?そうでないなら、なぜ人々の反感を買い、批判の矢面に立つことがままあるのだろう?28年近くIOCの取材をしてきた経験から、読み解いてみたい。

東京2020 オリンピックの開会式でスピーチするIOC バッハ会長

東京2020オリンピックの開会式でスピーチするIOCバッハ会長

血も涙も

 オリンピック憲章によると、IOCはオリンピック運動を推進する最高機関で、その重要な使命が「オリンピックの定期的で確実な開催」だ。オリンピック運動を存続させることが、IOCの存在意義だと言ってもいい。一方、開催国がオリンピックを招致する目的は、都市の再開発や観光誘致等の「経済」、国威発揚や政権浮揚等の「政治」、そしてスポーツ振興や人々の触発など「社会」的な意図が絡み合ったものであることが多い。実はIOCと開催国は、オリンピックを開催し、成功させたいという意図だけが一致している同床異夢なのだ。

 夢の共有は、開催準備が順風である限り問題なく続く。しかし、コロナ禍による延期のような異常事態に直面すると、互いの目的が背反するような状況も生じ得る。東京大会では、感染症対策のために無観客となり、経済効果も祝祭感もしぼんだ。大会前の世論の批判にあったように、「コロナ禍と延期で日本は経済的負担を強いられ、感染拡大のリスクを抱える。IOCは自分の目的(利益)のために、それでも開催を求めるのか」ということになる。

 IOCは開催の是非等の議論に踏み込むことはなかったし、バッハ会長ら幹部の発言が曲解され、炎上してからはぱたっと発信もやめてしまった。それはIOCの「オリンピック運動を継続」する使命を最優先に考えた選択だった。同じ舟に乗ってはいるが、目的が違う──。その現実が、一部の日本人には「冷たさ」と映ったのではないか。

IOCの素顔

 理念を掲げ、スポーツの祭典を主催するIOC。その素顔は実は、「貴族クラブ」とはかなり異なる。近年のIOCは会社組織になってしまった、と古株のIOC委員が嘆いていたことがある。

 IOCというと我々は、会長以下、百人強の委員をまず思い浮かべる。過去はオリンピアン等が過半数を占めていたが、バッハ現会長が新たに任命する委員たちは、むしろビジネスや国際組織、法務関係などでの経歴を持つ実践派だ。それは近年オリンピック運動が、環境から難民まで、国際的諸課題と関わる活動を行っていることと無縁ではない。

 委員たちとは別に、オリンピックの開催という複雑多岐にわたる作業の実務を動かす専門家集団が、IOCのもうひとつの核だ。開催のノウハウを蓄積した実働部隊から、国際映像等を制作する放送部門まで抱えており、大会開催という目的に特化した企業体としての性格を帯びる。

 IOCは、2年に一度夏季か冬季オリンピックを開催し、ユース大会も含めて常時数都市を相手にしている。東京は、異例のコロナ禍に見舞われたとはいえ「開催都市のうちのひとつ」でしかない。東京パラリンピック閉幕の9日後に、IOC理事会の主要議題が北京オリンピックだったことと考え合わせると、そのビジネスライクな感覚が腑に落ちるのではないか。

 IOCと開催都市の関係の基本となる開催都市(開催地)契約は、主催者であるIOCが、オリンピックの価値を守るために取り決める項目が多い。もともと開催地は、IOCが出した条件のもとで招致をし、開催権を与えられた関係にある。開催都市側に「大会中止」の決定権がないのも、開催都市契約が「チェーン店のフランチャイズのようなもの」(ジョン・コーツIOC副会長)だからだ。

 オリンピックに関して、多大な影響力を持つIOC。しかしそれは、歴史的にそれほど前のことではない。転換点となったのは、商業主義の導入だった。

商業主義

 近代オリンピックのあり方への批判で、真っ先に挙がるのは商業主義やコストだ。バッハ会長に、商業主義についてぶつけてみたことがある。彼は率直に、「お金は大切だ。でもそれは、IOCがオリンピック運動を通じて、使命を果たすために必要だからだ」と言った。

 IOCの収入は、たとえば2014年ソチ・2016年リオ大会を組み合わせた4年間で57億ドル(約6280億円)だ。東京大会の開催費約1兆4500億円とは比べるべくもないが、収入の約90%は、国際スポーツ界に再分配され、4年間の命綱となる。残る10%の多くも、ドーピング対策や途上国・難民選手への支援など、競技の公平さを保ち、普遍性を担保するために使われる。

 そもそも、近代オリンピック創始から約125年、本格的な商業主義が導入されたのは、この40年弱のことだ。それはファンアントニオ・サマランチ第7代会長の改革の柱だった。その経緯を晩年のサマランチ氏から聞き取った時、印象に残ったことがある。商業主義導入は、オリンピック運動の生き残りを模索する中での窮余の策だったということ。また、スポーツが大衆化する中での時代の流れだったという点だ。

1998 年長野冬季オリンピックで記者会見に臨むIOC サマランチ会長(当時)

1998年長野冬季オリンピックで記者会見に臨むIOCサマランチ会長(当時)

生き残り改革

 サマランチ氏がIOC会長職についた1980年、オリンピック運動は風前のともしびだったと彼はいう。1972年ミュンヘン大会のテロ事件、1976年モントリオール大会の大赤字、1980年モスクワ大会のボイコットの激震と続き、「メディアには、オリンピックの終焉という言葉が躍っていた」。オリンピック運動を守るにはどうしたらいいか。その答えが「自立のための資金」だった。

 IOCは長年、委員が自身の活動費をまかなっていたほどで「金庫はカラ」。放送権契約は開催都市が直接行い、IOC会議の開催費も開催都市が持つなど、実権を有しておらず、会長もIOC本部に常駐していなかった。

 外交官出身のサマランチ氏は、お金が影響力の根源となることを知っていた。スポーツが大衆化し、テレビ視聴が広がる時代の流れをにらみ、IOC自体に放送権交渉や国際スポンサーシップの契約権限を集約した。プロ、アマを問わず世界のトップ選手が参加する最高峰の大会を目指し、オリンピックが国際社会や政治に分かりやすい言語──資金力や影響力──で価値を持つことに腐心した。倍々に増えた収入を、彼は途上国の大会参加支援にも振り向け、任期最後の2000年シドニー大会では、199か国・地域という「参加の普遍性」を獲得した。これも、現在に至るオリンピック運動の大きな力の一つだ。

 ちなみにIOC委員には商業主義が「悪」だという認識はない。サマランチ改革はオリンピック運動を救った。その変化なしには、オリンピックは時流の流れに取り残され、博物館の棚の上に置かれていただろう──と。


 他方、変革は内在していた歪みを拡大させ、ドーピングや買収スキャンダルのような不正が起きた。これが、商業主義が国際的な批判を浴びる要因となった。スポーツにあっても、金や影響力が不正を引き寄せるのは悲しい現実だ。サマランチ氏の罪は、商業主義の導入そのものより、社会の批判を呼ぶまで歪みに真摯に向き合わなかったことではと思う。

 もう一つ、サマランチ時代を起点とし今に続く歪みが、オリンピック肥大化とコスト増だ。サマランチ氏は新しい競技種目を次々に加えた。それが大会の注目度やプレステージを高める素地になり、放送権やスポンサーシップの拡大も支えたからだ。晩年は、「オリンピックのバスは満員だ」という認識から、参加選手数を制限するなど一定の対策に乗り出しはしたが。

 2001年、サマランチ氏の後継となったジャック・ロゲ第8代会長は、公約に大会肥大化抑止や徹底したドーピング対策を掲げた。選出はサマランチ氏の肝いりで、彼は歪みの是正を、ロゲ氏に託したとも言える。しかし、肥大化対策は国際競技連盟等の抵抗で奏功しなかった。

2013年IOC総会(ブエノスアイレス)で第9代会長に選出された トーマス・バッハ氏(右)と第8代会長のジャック・ロゲ氏(左)

2013年IOC総会(ブエノスアイレス)で第9代会長に選出された トーマス・バッハ氏(右)と第8代会長のジャック・ロゲ氏(左)

パラリンピックとIOC

 他方パラリンピックは、選手たちの活躍を通じ、障害という「違い」に対する社会認識を変えるという理念を掲げる。スポーツを通じ社会をより良くしようという意味で、オリンピック運動とベクトルは同じだが、パラリンピックの方がメッセージが分かりやすく、変革の方向性も実社会で示しやすい。東京パラリンピックは、新型コロナウイルスの感染者数の急増の中で開幕を迎えたが、意義への理解の前に、開催への批判は高まらなかった。

 国際パラリンピック委員会(IPC)が、批判の矢面に立つことも少ない。そこにはもう一つの事情がある。IPCはIOCと交わした覚書によって、オリンピックと同じ組織委員会の運営により、オリンピックの施設を使い、大会を開催できるからだ。費用は一体のものも多く、近年オリンピックの上位スポンサーがパラリンピックを通しで契約することも珍しくない。IPCは開催コストの批判を免れやすく、発信も意義を伝えることに集中しやすいというわけだ。そのわりには、パラリンピックへの評価が、IOCへの評価やイメージ改善につながる気配はないのだけれど。

本当の価値

 オリンピック・パラリンピックのあり方は、今後どうなるのか。

 商業主義の導入が、オリンピック運動の存続をかけた動きだったように、IOCというのは、歴史を通じて「生き残り」のために腐心し、時流を取り込んでオリンピックのあり方を変えてきた。それはおうおうにして、対症療法的でその場限りの判断を伴う。史上初のオリンピック延期に踏み切り、候補都市の減少を逆手に取って大会招致の方法を根底から変えてしまったバッハ会長の選択も、同じ理由に基づいている。先見の明と危機でのリーダーシップという評価の反面、それが今後オリンピック運動にどんな歪みをもたらすのかを、注視する必要があるだろう。次の試練となりそうな、ポスト・コロナ時代の国際関係や社会経済の変化が予見できるだけになおさらだ。

 IOCに、東京大会から学んでほしいことが一つある。オリンピックの存続は、IOCの判断や能力だけでなく、選手たちから開催国の関係者まで、その困難を乗り越えようと努力を続ける人々の支援があって初めて成り立つこと。そして多くの人々の努力は、IOCという組織体ではなく、オリンピックの掲げる理念や、選手たちの活躍というスポーツの本質を信じる思いがあって初めて可能になるということだ。それは、ビジネスや契約を超えた「何か」だし、それこそがオリンピック運動の価値なのだと思う。IOCは、それが今の社会に残り、東京大会実現に寄与したことに、感謝を捧げるべきだろう。それなしには、オリンピックは決して、未来に存続できないのだから。

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スポーツ歴史の検証
  • 結城 和香子 読売新聞編集委員
    1962年東京生まれ。筑波大学附属高校、東京大学文学部英語英米文学科卒。1986年読売新聞入社、運動部、シドニー支局長、ロンドン支局員、アテネ臨時支局支局長、運動部次長を経て2011年から編集委員(現職)。文部科学省オリンピック・パラリンピック教育有識者会議委員、スポーツ庁スポーツ審議会委員、同スポーツ基本計画部会員などを務める。日本オリンピックアカデミー副会長。国際オリンピック委員会(IOC)の取材を30年以上担当。現地特派員として報じたシドニー、アテネ大会や、2020年東京大会など、1994年以降の夏季・冬季五輪15大会と、夏季・冬季パラリンピック10大会を取材。著書に「オリンピックの光と影 東京招致の勝利とスポーツの力」(中央公論新社)など。