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「パラリンピック元年」開いた東京大会
――広く伝わった「パラ競技の生きた姿」

【2020年東京オリンピック・パラリンピック】

2022.02.21

 2021年は日本におけるパラリンピック元年になったと言えるだろう。自国開催の東京大会でいままでにない規模のテレビ中継が放送されたことにより、多くの人々が初めて、パラ競技を目の当たりにしたのである。コロナ禍のもとでの無観客開催だったとはいえ、実際のところ、一般にはほとんど知られていなかったと思われるパラ競技の実像が、これだけ広く世の中に知れ渡ったのは、まさしく画期的な出来事だった。

 今大会、テレビの競技中継放送は、質量ともにかつてないレベルで展開された。中心となったのはNHK。総合、Eテレ、BS1、BS4K、同8Kの各放送波で行った競技中継は、合わせて590時間にも上った。視聴者の多い総合、Eテレ、BS1では計410時間の放送があり、見る側としては「見たい時にいくらでも見られる」態勢になっていたといえる。また、民放も少ないとはいえ、各局がそれぞれ競技中継を行い、そのほかにインターネットでも見ることができた。1964年の夏季、1998年の冬季に次いで日本で開かれた3度目のパラリンピック大会。時代の変化を受けて、今回の注目度がけた違いだったのは、オリンピックと並び立つ「オリパラ」の略称が頻繁に使われたのにも表れている。そうした中、かつてない規模の映像視聴が可能になったというわけだ。

 これにより、一般の視聴者が、パラリンピック大会というものを、また障害者スポーツ、パラ競技というものを初めて、つぶさに見ることができたのである。障害者スポーツのみならず、日本のスポーツ界全体にとっても、また社会全般にとっても、これはまさに歴史を画する出来事だったと言っていい。

 手足に欠損のある水泳選手が、いかに体幹を巧みに使って加速していくか。ただでさえ扱いにくい競技用義足をつけた陸上選手が、いかにそれを使いこなして目を見張るようなダッシュやビッグジャンプを可能にしているか。テニスやバスケットボールの選手たちが、競技用に特化した車いすをいかに自在に操ってハイレベルなプレーを続けているか。視覚障害のあるゴールボールの選手が、いかに「まるで見えているかのように」ボールに反応しているか。脳性マヒのあるボッチャの選手たちが、思うままに動かせない体でいかに繊細かつ高度な技を繰り出しているか――。それらの卓越したパフォーマンスを、それらの競技がもたらす迫力十分の面白みを、多くの人々が初めて知ることができたのが今大会だったのである。

水泳男子100m自由形で金メダルを獲得した鈴木孝幸の泳ぎ

水泳男子100m自由形で金メダルを獲得した鈴木孝幸の泳ぎ

これまで多くの人々は、たとえ熱心なスポーツファンであっても、パラリンピック大会や障害者スポーツを「一般知識」としてしか知らなかったように思う。パラリンピックという大会があり、さまざまな競技がさまざまな用具を用いて行われているという知識や一般常識は持っていても、競技の実際の様子はといえば、まったくと言っていいほど知らなかったということだ。あるいは、「障害のある選手たちにもっと注目すべきだ。共生社会にもつながるのだから」という観念や建前によって、さほど関心はなくとも「大きな意味を持つ大会」と意識するよう自らに言い聞かせてきた人々もいたのではないか。知識も観念も大事ではあるが、いずれにしろ、それではパラ競技を本当に知っていることにはならない。野球やサッカーなどのポピュラーな競技のように、生きた実像を十分に知っているわけではなかったのである。

 その状況が今回、テレビ映像によって打ち破られた。ニュースで一場面がわずかに映ったり、特集やハイライト番組で一部が紹介されたりするのを目にするのではなく、パラスポーツをひとつの競技として、さらにその競技の一部始終を細部にもわたって見ることができた。知識や観念としてではなく、生きた感覚をもって実像をあますところなく味わう機会が、会期中ずっと手の届くところにあったのだ。

 大会終了後、これまではほとんど障害者スポーツに関心のなかった人々から聞かれたのは、「パラ競技って、こういうものなんだと初めて知った」「なかなかすごいことをやっているんだな」「意外と面白かった」――というような声だった。それらの率直なトーンに、今回もたらされた成果が表れている。初めて競技としての実際の姿を目の当たりにしたことによって、そのレベルの高さや内容の充実ぶりを知り、さらには、健常者の競技と同様に「見るスポーツ」としての面白さがそこにあることにも気づいたというわけだ。

マラソン(視覚障害)で金メダルを獲得した道下美里

マラソン(視覚障害)で金メダルを獲得した道下美里

 障害者の競技についていささかなりとも知識を持っていたとしても、それを見て楽しむスポーツとしてとらえていた人は、熱心なスポーツファンの中にもほとんどいなかったに違いない。だが今回、その視点が一気に開けた。パラ競技の実像が広く知れ渡ったことだけでなく、そこに「見て面白い」「観戦を楽しめる」側面があることも伝わったのである。その意味では、健常者スポーツと障害者スポーツには何の違いもなく、まさしく同列にあるという認識が生まれたと言える。つまりは、パラリンピック大会とその競技が、この社会で本当の「市民権」を得たというわけだ。「日本におけるパラリンピック元年」とは、そのことを指している。

 「障害者スポーツの魅力や面白さを知るには、目をこらして見つめなければならない」とは、筆者がたびたび指摘してきたことだ。飛び抜けたパワーやスピード、並外れた技などが一目瞭然の健常者競技と違って、障害者スポーツは、誰もがひと目でそのすごさを感じ、強く惹きつけられるというものではない。運動の基本となる体そのものにハンディがあるのだから、それは当然のことだ。が、競技や障害やクラス分けについて、また個々の選手のキャリアなどについて、ある程度の知識を得たうえで、じっくり腰を据えて目をこらしていれば、それはにわかに輝いて見えるようになる。鮮烈な迫力が伝わってきて、目が離せなくなる。健常者スポーツと同様の、あるいはそれ以上の感動、感激を味わえるようになる。

 今回、我々は、さまざまな競技に目をこらす機会を得た。その迫力、その卓越を楽しみ、感動することを覚えた。少なくとも、障害者スポーツの魅力を本当に理解するための入り口をくぐったことは間違いない。

 今回のオリンピックはコロナ禍のもとで開かれた。「多くの疑問や反対の声がある中、十分な説明もなく開催を強行したことは、オリンピックそのものに深い傷を残した。この時点で強行開催せず、大幅再延期を選択して、世の中が落ち着いてから開くべきだった」というのが筆者の見解だ。当然、パラリンピックについても同様に考えている。オリンピック・パラリンピックの精神からして、多くの人々に歓迎される形で開くべきだとの考えは変わらない。ただ、パラリンピックに関しては、無観客という異例の措置をとってまでして開いたことが、結果として大きな成果につながったとは言えるだろう。大切な世界共通の財産をただ傷つけるだけに終わったかにも見えるオリンピック。一方、パラリンピックはといえば、無理を重ねた開催が、かつてないテレビ中継態勢のおかげで、「パラリンピック元年」を開く役割を果たすことになったのである。

 パラリンピックは障害者スポーツの頂点に位置している。他にもさまざまなレベルのさまざまな大会がある。ハイレベルな大会ほど魅力が見えやすいのは言うまでもないが、一方で、どのレベルの競技にもそれなりの面白みや魅力があるのは忘れないでおきたい。どの大会であれ、どのレベルであれ、見方は同じだ。すなわち、ある程度の知識を頭に置いて、あとはひたすら目をこらして見つめればいい。2021東京大会は多くの人々の目を開いた。目をこらしてその魅力を見つめ続けていけば、日本のパラリンピック・ムーブメントの道もまた、広がり続けていくだろう。

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スポーツ歴史の検証
  • 佐藤 次郎 スポーツジャーナリスト

    1950年横浜生まれ。中日新聞社に入社し、同東京本社(東京新聞)の社会部、特別報道部をへて運動部勤務。夏冬6 回のオリンピック、5 回の世界陸上選手権大会を現地取材。運動部長、編集委員兼論説委員を歴任。退社後はスポーツライター、ジャーナリストとして活動。日本オリンピック・アカデミー(JOA)正会員。ミズノ・スポーツライター賞、JRA馬事文化賞を受賞。著書に「東京五輪1964」(文春新書)「砂の王 メイセイオペラ」(新潮社)「義足ランナー 義肢装具士の奇跡の挑戦」(東京書籍)「オリンピックの輝き ここにしかない物語」(東京書籍)「1964年の東京パラリンピック」(紀伊国屋書店出版部)など。