2016.10.05
- 調査・研究
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
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スポーツ政策研究所を組織し、Mission&Visionの達成に向けさまざまな研究調査活動を行います。客観的な分析・研究に基づく実現性のある政策提言につなげています。
自治体・スポーツ組織・企業・教育機関等と連携し、スポーツ推進計画の策定やスポーツ振興、地域課題の解決につながる取り組みを共同で実践しています。
「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。
日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。
2016.10.05
長野オリンピックでアルペンの会場となった“八方尾根”会場。スタート付近からコースを臨む。(1998年2月)
山登りの趣味はない。だが、長野オリンピックを翌年に控えた1997年は、雪に覆われる前の長野県白馬村・八方尾根にたびたび登ることになった。
八方尾根スキー場で行われたアルペンスキー男子滑降のスタート地点をめぐり、引き上げを求める国際スキー連盟(Federation International de Ski: FIS)と、それを拒む長野オリンピック組織委員会(NAOC)の対立が続いていたからだ。
NOACは当初、標高1680m地点をスタートに設定した。ところがワールドカップ(W杯)で滑ってみたら、「滑降」にふさわしいコースではなかった。短かすぎた。FIS会長(当時)のマーク・ホドラーは「滑降の権威を損なう」として、1800m地点への引き上げを要求したのだが…。
長野オリンピック時に開催されたIOC総会でのサマランチIOC会長(1998年2月)
今、振り返ってみても、NAOC側の主張は筋が通らない。
引き上げ拒否の根拠を求めるFISに対し、NAOCは「滑降会場の1700m以上は国立公園の第一種特別地域にあたり、自然公園法17条により、建造物が建てられない」などと文書で説明した。
NAOCの主要ポストのほとんどが中央省庁や長野県庁、長野市役所の官僚出身者で占められていた。「官の発想と手法」で動いていたNAOCにとっては、「法律」は何よりのより所だった。
しかし、問題の地域は年間17万人の一般スキーヤーが滑っていた。環境庁も滑ることは問題ないとの見解を示していた。国際オリンピック委員会(International Olympic Committee: IOC)のフアン・アントニオ・サマランチ会長(当時)も「一般スキーヤーに開放されている場所なのに、五輪では利用できないというのは理解するのが難しい」とFISに同調した。
1984年に自然公園法の「風致を維持する必要性がある地区」に指定された。通常、標高2300~2800mの森林限界を超えた地域に生える高山植物が、2000m前後から群生しているというのが理由だった。
長野オリンピック開会式では平和の象徴“鳩”の風船が空に上がった。 (1998年2月)
NAOCはコース整備で使われる硫安が高山植物に影響を与えると主張した。しかし、八方尾根の高山植物に関する著書を持つ高山植物保護指導員は、「冬場は根だけなので影響はない。硫安は本来は肥料で造成区域の草花の成長を促しているほどだ」と証言した。
FISは第一種特別地域の外にスタート地点を設け、必要な施設は雪で作る案を示すなど、最大限NAOCに譲歩した。それに対し、NAOCは「内、外の問題ではない」と言い出した。現在、IOC名誉委員を務める猪谷千春氏が「日本人が日本語でわからないものを、外国人(IOCや国際競技団体の役員)に説明している現状だ」と嘆いたのも無理はない。
日本オリンピック委員会(JOC)の古橋広之進会長(当時)から「スポーツの門外漢ばかりで競技団体のことをあまりにも知らない」と批判されていたNAOCは、ここで自らの官僚体質を裏付ける愚行を犯した。FISを説得するために、一般スキーヤーの滑走禁止を計画していたことが暴露されたのだ。
ホドラー氏は憤った。NAOCの小林実事務総長(当時)に宛ててファクスを送付。その中で「そのような計画は白馬だけでなく、日本全体のスキーリゾートの状況を悪化させる。ウインタースポーツ、特にスキーに対する宣戦布告と受け取れる。スキーの振興、発展を阻害するものだ」と訴えた。NAOCの計画は、日本有数のスキーリゾート、八方尾根が培ってきたレガシー(遺産)を踏みにじるものだった。
JOCのホームページによると、長野オリンピックでは水分に触れると分解する「ハト風船」やリンゴの搾りかすを利用した紙食器などを使用して、環境への配慮を示した。既存施設を活用し、自然環境の改変が必要な場合は、日本の先端技術を駆使して復元を図った。ハイブリッド自動車と天然ガス自動車を使用して地下資源の保護を図った。
ただこうした取り組みはスタート地点問題の前に霞んでしまった。新幹線や高速道路整備のための自然破壊は黙認し、選手に最高の「競技環境」を提供するという開催都市の責務を放棄した。
長野オリンピックでアルペンの会場となった“八方尾根”会場全景(1998年2月)
滑降スタート地点は結局、国立公園内を跳び越すという奇策を用いて1765m地点に引き上げられた。そこに至るまでの不毛な対立は何だったのか。
実は滑降男子は志賀高原の岩菅山に新たにコースを切り開いて行う予定だった。それが自然保護団体の反対で八方尾根に移された経緯がある。白馬村で予定されていたバイアスロンも、ワシントン条約で保護対象とされているオオタカの営巣地であることが明らかになり、野沢温泉村で開催されることになった。最大限自然環境に配慮して作られた飯縄高原のボブスレー会場に対しても、自然保護団体は猛反発した。
「あそこ(八方尾根)が問題になると、せっかく活動が収まっている自然保護団体が動き出す。他のところにも飛び火する」と漏らしたのはNAOCの競技運営部長だった。NAOCが振りかざした「美しく豊かな自然との共存」という基本理念は、建前に過ぎなかった。