2012.03.15
薩摩半島の南端に位置する指宿市で実施され、全国から2万人以上のランナーを集めている「いぶすき菜の花マラソン」。30年以上にわたり開催を続けてきたその成功の秘訣と教員として多くの生徒のスポーツ指導を行ってきた経験から、スポーツにかける思い、人づくりにおけるスポーツの価値を豊留市長に語っていただいた。
- 調査・研究
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
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スポーツ政策研究所を組織し、Mission&Visionの達成に向けさまざまな研究調査活動を行います。客観的な分析・研究に基づく実現性のある政策提言につなげています。
自治体・スポーツ組織・企業・教育機関等と連携し、スポーツ推進計画の策定やスポーツ振興、地域課題の解決につながる取り組みを共同で実践しています。
「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。
日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。
2012.03.15
薩摩半島の南端に位置する指宿市で実施され、全国から2万人以上のランナーを集めている「いぶすき菜の花マラソン」。30年以上にわたり開催を続けてきたその成功の秘訣と教員として多くの生徒のスポーツ指導を行ってきた経験から、スポーツにかける思い、人づくりにおけるスポーツの価値を豊留市長に語っていただいた。
渡邉 まず初めに、ご自身のスポーツ歴についてお聞かせください。
豊留 私自身は365日毎日運動をしているようなスポーツ好きです。若い頃は特にサッカーに夢中で、小学校の教員になってからは「指宿市をサッカーのまちにできないか」と本気で考えていました。今年で47回目を迎えた指宿市新春サッカー大会はその思いを形にしたものです。まだサッカーがそれほど普及していなかった時代から実施してきて、今では毎年正月恒例のイベントになっています。
渡邉 地域のスポーツ大会が47年も続いているのは、すごいことですね。
豊留 そうですね。地域レベルでこれほど大切にしているスポーツ大会はあまりないと思います。私自身がサッカーが好きだというのも理由のひとつですが、自分が教員だったので、指宿市から全国に通用する選手を育てたいという夢もありました。
渡邉 選手の育成にも携わられたのでしょうか。
豊留 実際に指導を行ったのは水泳でした。“鹿児島の北海道”とも呼ばれる大口市(現在の伊佐市)に赴任したとき、水泳人口の少ないこの地域で、どうすれば水泳の指導ができるだろうかと考えたのがきっかけです。嬉しいことに、指導を始めてから2年後には全国大会出場レベルの選手が育ちました。
渡邉 指導において、大切にされていたことを教えていただけますでしょうか。
豊留 この地域では、限られた時間と厳しい寒さのなか、徹底して効率を上げて指導をしなくてはなりませんでした。私はサッカーも水泳も素人同然でしたから、資格をとったり指導者認定講習に行ったりと、とにかく熱心に研究しました。分からないことは専門家に聞いて、知識を習得する。そんな風に模索しながら、独自の指導の手引きをつくりました。やはり自分でやってみなければ、指導の要点はつかめません。指導する立場の者にとっては、非常に大切なことです。
渡邉 素人だからこそ確立できた指導法ですね。ところで、現在は子どもの体力やスポーツとの関わり方について、全国的に二極化が進んでいるというデータがあります。教育の現場でも、実際にそのような変化を感じますか?
豊留 近頃は、スポーツは若いうちから徹底してやれば伸びる、という考え方がありますが、それだけでは伸び悩むことが多いのではないかと感じています。もちろん、子どもには潜在的な能力がありますが、それを育て、能力を開花させる機会を与えてやる必要があります。それは個々で違いますから、「この時点でこんな運動をさせて、この能力を伸ばす」というような一人ひとりのカルテをつくって指導していました。技術的なことだけではなく、スポーツを通じて、人間としてどう成長するか、どう伸びる可能性があるのか、そういうことを考えることも、子どものスポーツ指導には重要です。
渡邉 理想的な指導ですね。ただ、現在では先生がとにかく忙しく、子どもたちに充分な時間を割くことが難しくなっているように感じます。スポーツがあまり得意ではない先生もいらっしゃいますし、一人ひとりに合ったスポーツ指導というのは難しいのではないかと思います。
豊留 おそらく教員自身が個々に対して丁寧なスポーツ指導をやろうと思っても、時間的に難しいでしょうね。ですから、それができるような環境をつくることが大切なんです。例えば、教師は練習メニューをつくるなどのコーディネーター役に徹して、子ども自身に目標を立てさせ、自発的に練習をさせる。あとは一人ひとりの成長を確認するだけです。脱落しそうになる生徒がいれば、そのときは、児童心理を理解し尽くした教員としての腕の見せどころ。生徒がやる気を起こすように、うまく導いてあげることです。
渡邉 そういった工夫も必要なのですね。
豊留 教員といえどスポーツは素人ですから、自分のできることには限界があります。機能的な指導プロブラムを組めるか組めないかが、指導者の真価なのだと思います。素人がプロの指導者に負けないためには、戦略性と生徒の心理を利用した技術力の向上、これしかありません。
渡邉 一方で、学校と外部指導者との連携についても議論が行われていますが、指宿市ではいかがでしょうか。
豊留 やはり、プロの指導者から得るものは大きいですから、外部指導者の導入は有効だと思います。文部科学省がトップアスリート派遣指導事業(詳しくは、文部科学省ホームページ へ)を実施していましたが、これは子どもたちのモチベーションを高める最高の方法だと思います。しかし、このような事業と日々のスポーツ指導は別物です。指導は、生徒のモチベーションをどのように持続させるかが大切です。外部指導者にすべて任せればいいということはなく、それを自分の指導にどう生かすかという視点を持つことが重要です。
渡邉 受け入れる側、つまり教育現場がそのような視点をしっかり持っているべきですが、責任も含めてすべて任せてしまいたい、という現場からの意向が強いように感じます。
豊留 肝心の目的がずれてしまうと、その結果、目指す目標に達するまでの道のりが遠回りになってしまいます。施設運営の業務委託なども同じです。業務委託というのは、一方からみると行政の責任放棄とも考えられます。教育も施設運営も、そういう厳しい経営感覚を持たなければなりません。
渡邉 市長が掲げたマニフェストには、スポーツに関する項目がありますが、その発想に至った背景などをお聞かせください。
豊留 スポーツは、市民に元気を与えてくれます。なでしこジャパンが良い例で、東日本大震災で悲しみに打ちひしがれていた日本が、喜びにわきました。それぐらい大きな力があるのです。経済にも良い影響を与え、少子高齢化が進む社会においては地域活性化の原動力になると考えています。
渡邉 かつて指宿市は、プロ野球の合宿地として賑わっていましたね。
豊留 指宿市は昔、キャンプのメッカといわれていて、一流のプロスポーツ選手がたくさんの地元の子どもたちに夢を与えてくれました。皆、サイン帳を持って走り回っていたものです。スポーツを通して、夢を見ることができる。私自身の幼い頃の経験をもとに、そう感じています。市民の皆さんにも、同じように感じていただければと思っています。そのためには、合宿誘致の基盤として、また市民と選手が触れ合える場所として、スポーツ施設の整備が必要であると考えています。市民がスポーツに親しみ、「あんな選手になりたい」という夢を持てれば、競技力の向上や生涯スポーツの推進にもつながるはずです。
渡邉 実現するためには、いろいろな協力が必要ですね。
豊留 企業には、社会貢献の一環として力を貸していただきながら、一緒にさまざまな合宿誘致事業ができればと考えています。指宿市には、温泉、温暖な気候、豊かな食、おもてなしの心がそろっています。その財産を活かし、海外からもキャンプを受け入れるぐらいのキャパシティを持ちたいと考えています。
渡邉 海外との交流について、具体的にはどのようにお考えでしょうか。
豊留 指宿市を、アジアとのスポーツ交流のメッカにしたいという夢があります。実際、中国は冬の寒さが大変厳しく、また東京よりも指宿市の方が近いこともあり、指宿市が国際交流の起点になり得ると考えています。政治的な課題はありますが、中国、韓国、台湾を含めて、この指宿市で国境を越えた交流ができればと考えています。実現のためには、私自身がかつて中国の北京で日本人学校の教員をしていた時の経験とネットワークをどう活かすかということが、今の私が試されていることなのだろうと感じています。
渡邉 指宿市からの国際交流の推進、ぜひ実現していただきたいですね。