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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

学校運動部活動が持っていた弊害を今こそ歴史的に考えるべき

SPORT POLICY INCUBATOR(43)

2024年8月14日
宮嶋 泰子(スポーツ文化ジャーナリスト/(一社)カルティベータ代表理事)

 中学校の運動部活動が教員の働き方改革のために、大きな変換期を迎えているのは今や多くの人が知るところとなった。まだまだ課題が多く、行く先をしっかり見つめていく必要はありそうだが、過去の歴史を紐解きながら、学校運動部活動が抱えていた「負」の部分を知ることが、これからの日本のスポーツをより豊かにするためには必要だと思う。

 そもそも、日本のスポーツは明治8年に来日したストレンジという英国のお雇い外国人教師が陸上競技やボート、野球を伝えたことから始まったと言われている。ストレンジは教師であるので、大学の中でこうしたスポーツを広め、スポーツを習った者が高校や中学に伝え、今の学校運動会や、運動部活動も、その流れでできたと言われている。

 しかし、米国ではスポーツは公園と共に発展してきた。言葉もなかなか通じなかった移民同士がスポーツを通じてコミュニケーションを図ってきたことは想像に難くない。またドイツでは体操を基にクラブができ、地域を守る消防団も作られていった。こうしたコミュニティーの拠点として地域ごとに作られたクラブでスポーツが行われるようになっていった。

 これまで日本のスポーツは海外とは異なり、学校で行われるのが当たり前と考えられてきたが、花内誠氏の研究によれば、日本ではスポーツをどこが管轄するかで内務省と文部省が綱引きをしたことがあったとのことだ。

1924年、明治神宮外苑競技場が完成し、同競技場を管轄する内務省衛生局は明治神宮競技大会を創設し主催した。日本最初の全国的な大会であり戦後の国民体育大会の原型ともいわれている。同大会の創設など国民の保健衛生を目的にスポーツを振興しようとする内務省の積極的なスポーツ振興施策は、それまで教育としてスポーツを行ってきた文部省との所管争いを表面化し、1925年から1928年の間、行政調査会および行政制度審議会で審議された。当初は内務省の主張も優勢であったが、文部省が神宮大会への学生の不参加を通知するなどの経緯を経て、当時の選手のほとんどが学生であることを理由に、19281月にスポーツの所管を文部省にする閣議決定がなされた。」(注1)

 こうして、日本ではスポーツを所管する省庁が文部省となり、スポーツは学校の中で行われることになったわけだ。義務教育の中にスポーツが入り、多くの子どもたちがスポーツをする機会に恵まれたというメリットも確かにあっただろう。しかし、これにより、日本のスポーツ界が失ってしまったものもあったことを看過すべきではない。それを確認することが、これから運動部活動が学校以外で行われる時に大切になっていくと思う。

 その一つは、上意下達や年功序列などの悪しき体育会的特徴が学校スポーツの基本となってしまったことだろう。学校では指導者は教員である。生徒と教員という構造的な上下関係に加え、戦中戦後、文部省が、体育の指導者を軍人から登用したことも大きく影響している。軍隊式のトレーニング、軍隊式の勝つことだけに意味を見出す勝利至上主義などが、スポーツの「当たり前」として引き継がれてきたのだ。 

 2020年にNGOヒューマン・ライツ・ウォッチがアスリートやスポーツ関係者を調査し、「数えきれないほど叩かれて」というリポートを出した。日本のスポーツ界のハラスメント体質を告発したリポートで、これは世界中を震撼させた。こうしたハラスメント体質は軍隊的な指導や年功序列の関係性の中で生まれてきたものと言わざるを得ない。さらには中学時代からこうした部活動の在り方に慣らされた日本人は、社会人になってもその気質が取れず、弱い者いじめをすることに抵抗を持たないハラスメント社会を生んでいるともいえる。

 もう一つの弊害としてあげられるのは、一般の人々がスポーツを行うことが後回しにされてきたことだ。公園で行われていれば、誰もが、好きな時にやりたいスポーツをすることができたはずだ。内務省がスポーツを管轄していれば、一般庶民のレクリエーションとしてのスポーツが中心に考えられていたであろうに、文部科学省が管轄する学校以外で行われるスポーツが完全に後回しとなってしまった。各競技団体は、学校で育てた選手から掬い上げた日本代表が国際大会でより良い成績を上げることを使命とするかのように、トップアスリートの強化のみに邁進している。

 競技団体で一般の人が楽しむスポーツに力を入れているところは本当に少ない。一般愛好者を増やしたり、そのために練習環境を整えたりすることには全く無関心だ。トップアスリートがいくらメダルを獲って活躍しても、それがスポーツ人口の増加や身体活動の充実には繋がらないという論文を、ハーバード大学と東京大学で研究をしてきた鎌田真光氏が発表している。競技力向上と愛好者を増やす施策は全く別物なのだ。しかし、これを理解し実践している競技団体はほぼないと言ってよい。

 筆者はこの数年、マスターズスポーツに注目して多くの選手や大会などを取材しているが、人生を歩みながら、自分のペースでスポーツを愛する人たちを見ていると心癒される場面に多く遭遇する。妙な競争意識で鬱になる人も少なく、人を蹴落として勝とうとする我欲の強い人も少なく、一緒にスポーツをする仲間を支える気持ちのやさしさや、上下関係ではない横の緩やかなつながりの人間関係がそこにはある。こうした環境の中で、子供たちがスポーツを通して育っていけば、どんなに良い人生を歩むことができるのだろうと思わずにはいられない。そのような地域のクラブが増えていくことを強く望む。

 学校から部活動がなくなっては困るという人もいるが、部活動が学校から出ることで得られることも多くあることをこの機会に是非知ってほしい。

注1:第二次大戦前の大正・昭和期における「運動場問題」の構図に関する研究

  • 宮嶋 泰子 宮嶋 泰子   Miyajima Yasuko スポーツ文化ジャーナリスト/(一社)カルティベータ代表理事 テレビ朝日にてスポーツの番組制作を40年以上にわたり行う。1980年のモスクワ大会から19回の夏冬の五輪やパラを現地取材。文部科学省中央教育審議会青少年スポーツ分科会や政策評価委員会のメンバーを長年務め、現在は女子体育大学招聘教授を務める。日本オリンピック委員会2016年女性スポーツ賞受賞。現在はWebカルティベータで様々なスポーツ情報を記事やYouTube動画で発信。