Search
国際情報
International information

「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

知る学ぶ
Knowledge

日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

分厚い壁に風穴を開けた快走
 ――田中希実 快挙もたらした真っ向勝負  


【2020年東京オリンピック・パラリンピック】

2022.03.01

 壁は越えられる。どんなに高く厚くとも、それを乗り越えるすべは必ずある。スポーツがしばしば教えてくれるのはそのことだ。2021東京オリンピックでは、その実例を日本の女子ランナーがあらためて見せてくれた。

 陸上競技の日本女子にとって、世界のトップレベルはおしなべて、はるかに遠い、手の届かないところにあった。ことに、まったく勝負にならなかったのが800m、1500mといった中距離だ。瞬発力と持久力の双方を必要とし、長くスピードを維持するという過酷さに耐えつつも、ラストには短距離のような爆発力も求められる中距離走。しかも、格闘技と表現されるほど熾烈な競り合いを勝ち抜くたくましさも欠かせない。力と力のぶつかり合い、純粋なパワー勝負は日本勢の最も苦手とするところなのである。

 日本女子で初めてオリンピックに足跡を記した人見絹枝は、1928年のアムステルダム大会の800mで女子初メダルとなる2位に輝いているが、それは草創期ゆえの出来事。女子中距離種目が普及し、多くの海外勢が本格的に取り組むようになると歯が立たなくなった。世界記録と日本記録を比較すると、それは一目瞭然だ。800mでは7秒17の差があり、1500mでは2020年夏まで17秒79の大差がついていた。800mでは3回のオリンピック出場があったものの、1500mには今回の東京大会を迎えるまで、一度も出場さえかなわなかったのが、いかに壁が厚かったかを表している。

 だが2021年8月、その分厚く高い壁、到底越えられないかにも見えた世界の壁に、一人の選手がついに風穴を開けた。東京オリンピックを21歳で迎えた田中希実は、クラブチームの豊田自動織機TCに所属する同志社大4年生。女子1500mへの日本女子初出場を果たした若きランナーは、果敢な走りでオリンピック史に画期的な足跡を刻み、「越えられない壁はない」ことを鮮やかに証明してみせたのである。

 中学時代から頭角を現していた田中が、国際レベルへと一気に力を伸ばしたのは高校を出てから。レースを走るたびに1500m、5000mなどで自己記録を更新してきた。国際舞台で勝負の狙いを定めていたのは長距離の5000mだったようだが、それにこだわることなく、800mや1500mにも積極的に挑んできたのが今回の快挙につながっていく。1500mで4分05秒27を出し、14年も破られなかった日本記録を2秒59も縮めたのは2020年8月。だが、それは快挙の序章に過ぎなかった。そこからの1年間で、彼女はさらに一段も二段も飛躍することになる。

第17回世界陸上競技選手権大会(2019/ドーハ)代表選手選考競技会女子1500m 表彰式。田中希実は2位(左)、1位(中央)は卜部蘭、3位(右)は萩谷楓

第17回世界陸上競技選手権大会(2019/ドーハ)代表選手選考競技会女子1500m 表彰式。田中希実は2位(左)、1位(中央)は卜部蘭、3位(右)は萩谷楓

 参加標準記録は破れなかったが、世界ランキングで上位に入って、卜部蘭(積水化学)とともに1500mでのオリンピック出場をつかんだ。記念すべき初出場を実現させたとはいえ、その時点で本番での活躍が予測されていたわけではない。世界の中距離で簡単に上位に食い込めるなどとは、さすがに関係者の誰も思えなかったのだ。ただ、その間にも彼女の進化は加速していた。

 東京オリンピック本番。5000mで14分59秒93の自己新を出しながらも予選落ちしたことが彼女の闘志を燃え盛らせた。そして迎えた、日本女子初出場の1500m。8月2日の予選では3組を走り、自らの持つ日本記録を3秒近くも上回る4分2秒33をマークして4位に入った。これで準決勝に進出。4日の準決勝1組では、3分59秒19と4分を切る好タイムをたたき出して5位に入り、フェイス・キピエゴン(ケニア)ら有力選手がそろう難関を突破した。初出場ながら、並み居る強豪を向こうに回して決勝進出を果たしたのだ。

 6日の決勝。スタートラインには、キピエゴンやシファン・ハッサン(オランダ)らのトップランナーが並んだ。だが田中の勢いは止まらない。再び4分を切る3分59秒95のタイムでゴールに飛び込んだ。結果は8位入賞。陸上関係者も予想し得なかった大殊勲の入賞だ。女子の日本勢として初の出場、初の入賞、初の4分切りと初尽くしの快挙は、こうしてなし遂げられた。厚く高かった壁に大きく風穴を開けた快走は、長くスポーツ界の語り草となっていくに違いない。

 ただ、ここで語っておくべきことは、もうひとつある。史上初の成績や記録だけでなく、その走りそのものにも、かつてない意味があり、大いなる価値があったと言っておきたいのだ。

 予選から決勝に至る3レース。身長153cmの田中は、長身の海外勢に伍してひたすら積極果敢に走った。常に前へ前への気迫をみなぎらせていた。その果敢さ、勇敢さを象徴していたのが、どのレースでもスタートから先頭に立って集団を引っ張ったことだ。

 予選の結果を報じた新聞各紙の記事には、こんな談話が載っている。

「一番を目指すくらいじゃないと準決勝には進めない」「最初の100mで躊躇せず、自分のペースで行こう」「いいペースメーカーにされていると感じたが、逆にラッキーととらえて、自分のペースでいけるなと走った」

 初の大舞台に臆することなく、世界のレベルの高さを恐れもせず、積極的に勝負を挑んでいく。そのために、自らレースの主導権をつかみにいく。初のオリンピックに臨むにあたって、田中は明確な戦略を胸に秘めていたのである。

 何より印象的だったのが準決勝の走りだ。スタートしてすぐ先頭に立ち、そのまま中盤過ぎまでトップを譲らなかった。途中、カナダ選手が前に出た時、すぐ抜き返したシーンが田中の意図を雄弁に語っている。決勝進出を見据えて、各選手がさまざまな駆け引きを仕掛けてくる準決勝。それに翻弄されて力をなし崩しに使ってしまえば、上位争いから脱落するのは目に見えている。ならば、少々無理をしても先頭に立って自分のペースに持ち込んだ方がいい。強豪相手に勝ち抜くチャンスを広げるために、彼女は積極果敢な走りを迷わず選んだのだった。

東京2020オリンピック女子1500m 準決勝で集団の先頭を走る田中

東京2020オリンピック女子1500m 準決勝で集団の先頭を走る田中

 準決勝の様子を伝える各紙に載った談話はこうだ。

「接触するぐらいなら、ハイペースの自分のリズムでいこう」「自分も苦しいけど、2周目に他の選手を休ませない方が決勝に残れる可能性が高い」

 予選では、2周目に無理をせずラストへの力を残そうとする選手が多いのを見てとっていた。それなら、自分で引っ張ってライバルの力を削っていけばいいと判断したのである。後半、先頭を譲ってからも先行集団に食らいつき、後続の追撃を許さずに粘り切って5位に入ったのも、臆せず自分から真っ向勝負を挑んだ姿勢が功を奏したからに違いない。

 決勝でも田中は先頭に躍り出た。今度は有力どころがすぐさま加速してリードを許さなかったのは、予選と準決勝の田中の走りが並み居る強豪を刺激して、早々と本気を出させたからだろう。それは、世界のトップが田中を無視できないライバルとして認めた証だった。「世界の本気」と真正面から勝負しての8位入賞には、計り知れない価値があると言っていい。

 オリンピック初出場は、それだけで偉業であり、快挙である。そこで満足してしまう選手もいるだろう。それまでは雲の上の存在だったトップ選手の中に入って萎縮してしまうケースも多いに違いない。千載一遇のチャンスなのだからと、慎重に構えて消極的になることもありそうだ。これまでの日本勢はそんな傾向に陥りがちだったのではないか。

東京2020オリンピック女子1500m決勝。8位に入賞した田中

東京2020オリンピック女子1500m決勝。8位に入賞した田中

 田中はそうではなかった。レース後のテレビインタビューや日本陸連公式サイトでの談話からは、そのあたりの思いがうかがえる。

「決勝に進めばいいということじゃなくて、しっかり勝負したいという気持ちを自分で感じることができてスタートラインに立てて、その上で入賞できたので、今後につながってくると思う」「いままでの常識を覆すというか、自分の中の常識を覆すことができた」

 3本のレースを走るにあたって、彼女は、自分の勝機をいかに広げていくかということだけを見据えていた。勝ち進んでも満足も委縮もせずに勝負に集中し、上位に食い込むための方策を冷静に探っていた。強豪ぞろいの大舞台に臨んだこれまでの日本勢が、なかなかできなかったことである。田中の走りは、その意味でも壁を破るものだった。初尽くしの歴史的快挙をもたらしたのは、かつての選手が持ち得なかった「自分なりの勝負を挑む」意識であり、姿勢だった。まさしく、これまでの「常識を覆した」のである。先に述べた「成績や記録だけではなく、走りそのものにもかつてない価値があり、大いなる意味があった」とはそのことだ。

 もちろん、これは最初の一歩と言わねばならない。頂点への道はまだ、はるかに遠い。しかし、多くの選手が、十分な練習を積んだうえで、田中希実と同じ意識と姿勢を持つようになれば、世界の頂点も夢物語ではなくなるだろう。

関連記事

スポーツ歴史の検証
  • 佐藤 次郎 スポーツジャーナリスト

    1950年横浜生まれ。中日新聞社に入社し、同東京本社(東京新聞)の社会部、特別報道部をへて運動部勤務。夏冬6 回のオリンピック、5 回の世界陸上選手権大会を現地取材。運動部長、編集委員兼論説委員を歴任。退社後はスポーツライター、ジャーナリストとして活動。日本オリンピック・アカデミー(JOA)正会員。ミズノ・スポーツライター賞、JRA馬事文化賞を受賞。著書に「東京五輪1964」(文春新書)「砂の王 メイセイオペラ」(新潮社)「義足ランナー 義肢装具士の奇跡の挑戦」(東京書籍)「オリンピックの輝き ここにしかない物語」(東京書籍)「1964年の東京パラリンピック」(紀伊国屋書店出版部)など。