2016.09.07
- 調査・研究
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
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スポーツ政策研究所を組織し、Mission&Visionの達成に向けさまざまな研究調査活動を行います。客観的な分析・研究に基づく実現性のある政策提言につなげています。
自治体・スポーツ組織・企業・教育機関等と連携し、スポーツ推進計画の策定やスポーツ振興、地域課題の解決につながる取り組みを共同で実践しています。
「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。
日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。
2016.09.07
井原正巳、遠藤保仁、小野伸二に川島永嗣、長谷部誠、本田圭佑と並べて、彼らには共通するものがある。
それは何かと問いかけると、
「サッカーの日本代表」
きっと、即座に答えが返ってくるに違いない。
では、そこにノルディックスキー複合の荻原健司、バドミントンの小椋久美子、バレーボールの杉山祥子、マラソンの土佐礼子、スキー・ジャンプの原田雅彦、カーリングの本橋麻里。彼ら彼女らも加えて、みんな共通したものがある。改めて聞かれると、頭を抱える人も出よう。
「オリンピックに出たことがある人」
そう答える人もいると思う。
さらに、元プロ野球選手の里崎智也、山本昌に、落語の桂米團治、行事に参加しただけではあるが、女優の黒木瞳の名前まであげると、もうお手上げだろう。
2014FIFAワールドカップアジア最終予選対イラク戦の日本代表先発メンバー
(後列左端/川島、右端/本田、前列左端/長谷部、左から二人目/遠藤)
答えを教えます。彼ら彼女たちは、子どもの頃、「スポーツ少年団」に参加、出身者だという共通項で括ることができる。
著名な選手でもスポーツ少年団、正式には日本スポーツ少年団によってスポーツキャリアをスタートさせた選手は少なくない。
小学3年生から高校3年生まで、中学生を中心メンバーとし、学校活動の枠を超えてスポーツに親しむ機会を提供してきたのが、略称・スポ少。スポーツのみならず、音楽や奉仕、共同学習など、活動範囲を広げている。
日本体育協会に本部を置き47都道府県の約3万5000団体が加盟、登録する団員数は約80万人を数える。
ピークの1986年約112万人から激減*したが、依然、日本有数のスポーツ組織だと断言してもいい。
* 登録団員数は2002~2014年の12年間で2割減少(スポーツ少年団現況調査報告書より)
このスポ少こそ、1964年東京オリンピックが残した大きな遺産、レガシーである。
少しだけ、歴史を紐解いてみよう。
東京がオリンピック招致に成功したのは59年5月25日。熱狂いまだ醒めやらない翌60年5月、日本体育協会は「青少年に対するオリンピック啓発運動推進のための機関設置」方針を定めた。早速、動き出したのは選手強化対策副本部長を務める大島鎌吉であった。
6月の理事会、大島はこう提案した。
「仮称『日本スポーツ少年団』結成準備を進めたい」
1964年東京オリンピック開会式で聖火の点火を行う坂井義則
いうまでもなく、大島は32年ロサンゼルス大会陸上三段跳びの銅メダリスト。オリンピアンであるとともに、毎日新聞ベルリン特派員時代を通して、クーベルタン研究の第一人者として知られたベルリン大会組織委員会事務総長、カール・ディームと親交を重ね、スポーツによる青少年教育の重要性を主張してきた。東京オリンピック、青少年への啓蒙はまさに時を得たものであったろう。
大島を推進役に、18歳以下の未組織の少年少女を対象とした組織ができあがる。62年6月23日、オリンピックデーに日本スポーツ少年団は産声をあげた。当初は東京、埼玉の22団体、753人の登録であった。
1990年に福井県で開催された
「全国スポーツ少年大会」
その数が格段に増えたのは、聖火リレーに参加する方針が知れ渡ってからだ。リレー走者の伴走、開会式や大会各競技場での大会旗や各国国旗掲揚の介助。オリンピックに参加できる誇らしさが普及に結実した。
しかし、大島は首をひねる。物足りないのである。ディームが戦後、青少年育成の哲学とともに創設に尽力した「ドイツ・スポーツ・ユーゲント」が手本になったことは想像に難くない。ユーゲントを貫く理念が、まだスポ少にはない。大島は根本精神を「哲理」と呼び、必要性を訴えるのだった。
「哲理は、あたかも社の中の神像であります。(中略)その中には魂がなければなりません。スポーツの哲理を腹の中にたたき込んで、新しく起こる国民運動になる」
当時の社会的な背景をみると、急加速する高度経済成長の影で、青少年問題がクローズアップされている。消費社会の広がりと余暇時間の増大、核家族化現象と進学熱の激化、その混乱のなかで〝こぼれていく〟青少年による犯罪の増加が社会問題化していた。
大島はこれらを「民族の危機」と呼び、少年少女のスポーツ機会を増やすことにより、問題解決の道を探ろうとしたのである。そして64年1月、当時の日本サッカー協会会長・野津謙や元成城大学教授・森徳治ら委員会による長い討議を経て、「スポーツ哲理」が発表された。そこではスポーツの本質を問いかけ、スポーツする自由がうたわれた。
久しぶりに、こうして歴史のなかに身を浸してみると、スポ少の理想と現実のギャップに思いを致さざるを得なくなる。
全国スポーツ少年団剣道交流大会の様子(1999年)
もとより、スポ少はエリート選手の養成組織ではない。スポーツに親しむ機会の少ない子どもたちに機会を提供し、スポーツ本来の「フェアプレー精神」であるとか「スポーツマンシップ」、あるいは「団結心」や「キャプテンシー」などを学んで、後の人生を豊かにしていくための場ではなかったか。
しかし、プロ志向の高まりはこの組織を確かに蝕んだ。勝利至上の指導者や過度な期待を子どもに寄せる保護者のありようは、組織自体を変えている。競技性志向は、スポーツをする子としない子に分け、さらにスポーツができる子とできない子に分けてしまう。スポーツをしたくて入団したはずが、いつしか、できない自分に気づいてスポーツ嫌いになっていく。そんな現実も生まれて久しい。
長く続く少子化とともに、登録団員減少を招いた要因ではないか。さらに経済問題、指導者の資質も考えなくてはならない。いま、スポ少は曲がり角にあるといっていい。
「全国スポーツ少年大会」
スポ少をもう一度、考えてみたい。歴史を枕に、ありようが見直されていいのではないか。2020年を機に、新たなレガシー創出が叫ばれる。レガシーを創る重要性は十分、わかっているつもりだが、まず、今あるものを見直すことから始めてもいいように思う。
日本スポーツ少年団の未来を構想することこそ、新たなレガシーの創出になり得るのではないか。そう信じてやまない。
(敬称略)
笹川スポーツ財団では、スポーツ少年団に関する調査を行っております。
スポーツ少年団現況調査報告書