- 開催日時
- 2023年9月13日(水)19:00~20:30
- 開催場所
- 日本財団ビル 1階 バウルーム/Zoomウェビナー
- 講師
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関 めぐみ氏(甲南大学文学部社会学科 講師)
大阪府立大学大学院人間社会学研究科博士後期課程修了。博士(人間科学)。専門は社会学、ジェンダー/セクシュアリティ論。京都光華女子大学女性キャリア開発研究センター助教を経て、2020年4月より現職。2017年と2023年に日本スポーツとジェンダー学会学会賞(論文賞)を受賞。主な著書に、『〈女子マネ〉のエスノグラフィー:大学運動部における男同士の絆と性差別』(晃洋書房)など。
コーディネーター:宮本 幸子(SSFスポーツ政策研究所 政策ディレクター)
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<主な講義内容>
1.「はじめに」:誰がささえているのか
子どものスポーツを「ささえる」人について、表にまとめた。未就学児や小学生は、地域の運営スタッフや保護者がささえる。中高生は主に部活動で、教員や学生スタッフがささえる。大学の部活動では、OBが中心と思われる社会人スタッフと学生スタッフがささえている。
作成者:関 めぐみ(甲南大学文学部社会学科 講師)
本日の話では、運営スタッフや教員・社会人スタッフというメインでささえる人たちを、さらにその下からささえる「保護者の中の母親」と「学生スタッフの中の女子マネージャー」の共通項を探りたい。
2.〈女子マネ〉研究からみる「ささえる」役割
女子マネージャーに関する具体的な研究として、日本におけるX大学・Y大学、およびカナダのZ大学において、フィールドワークやインタビューを実施してきた注1) 。カナダのZ大学の部活では、たとえば「ストレングス・アンド・コンディショニングコーチ」(怪我をしない体づくりの指導)、「スタッフセラピスト」(怪我への対処)、「ビデオコーディネーター」(動画撮影)、ほかにも栄養担当、道具担当、採用担当、勉強担当などの仕事があり、主には有償で社会人が担っていた。対して日本の大学の部活では、それらの役割を女子マネージャーが無償で、むしろ部費を払いながら行っている。カナダの状況から考えると、日本の女子マネージャーの仕事には価値がある―すなわち組織運営に不可欠で、有償に値する仕事をしているといえる。
また、日本の女子マネージャーには、活動時間中にグラウンドで担う業務以外の「見えない仕事」が非常に多い。加えて「マネージャーはどのような仕事をしているのか分からない」「するのが当然だ」「自分で選択した」と思われて、階層的には下に位置づけられている場合もある。
作成者:関 めぐみ(甲南大学文学部社会学科 講師)
注1)講師の女子マネージャーに関する研究の詳細は、以下を参照。
関めぐみ,2018,『〈女子マネ〉のエスノグラフィー:大学運動部における男同士の絆と性差別』晃洋書房.
関めぐみ,2023,「大学運動部活動の学生スタッフのためのInstitutional Ethnography(1):経験記述から見える組織の一員としての「女子マネージャー」」甲南大學紀要文学編173,pp.109-121.
3.〈女子マネ〉と母親の役割の共通項:性別分業
女子マネージャーと母親の役割との共通項は、マネージャーという立場、保護者という立場でありながら、男性か女性かで役割が異なる「性別分業」だと考える。性別分業とは「男性が賃労働、女性が家庭のケア労働を担う近代社会における分業をさす」(山根2010、p.34)が、そこで想定されるのは対等な関係ではなく、「権力の差がある」関係である。
女性がケア労働注2) をする理由を、山根(2010)は「女性だから他者のニーズを重視しているのではなく、ケア責任を委ねられている行為者であるからこそ他者のニーズを考慮し、またそこに自分の人生の意味を見つけ出そうとしている」(p.302)ためと指摘する。女子マネージャーも、多くは勧誘をきっかけに入部する。ケアの役割を期待され、「お願いされているし、やってみようかな」という気持ちで関わる例が多かった。
女性がスポーツをささえる理由も、山根の指摘する「(女性が)ケア責任を委ねられている行為者であるから」、端的にいえば女性であるために「あなたがするのは当然でしょ?」という考え方でケア責任が委ねられているからではないか。また、女性が「する」スポーツから離れている実態や、男性の有償労働時間の長さも背景として指摘できる。加えて、そもそものスポーツ組織が、誰かが無償でささえなければ成り立たない制度設計であることも問題だと考える。これをどのように変えていくかがポイントではないだろうか。
注2)「ケア労働」という言葉は、本来は看護・介護・育児など、必要なニーズが満たされない立場の人をサポートするという意味で使われる。本講演では、健康な大人をささえるのに「ケア労働」という言葉が適切かという是非もふまえた上で使用している。
4.おわりに:誰がささえるのか
関氏による発表(Zoomウェビナーより)
ケア労働に関して清水(2022)は「誰かが担わなければならない重要なものであるにもかかわらず、私たちの社会はケア労働の価値を正当に認め、ケアをする人に敬意を払って労働に見合った報酬を支払う、ということをしてこなかった」(pp.114~115)と指摘する。ケアすることへの正当な評価や対等な扱いがなく、一段下に置かれることが問題ではないだろうか。
その状況を変えるために、まず身近なところでは、ささえる人の困っている声に耳を傾けることが重要だ。そのときに「女性だから」「母親だから」という「役割」ではなく、何をしなければならないかという「仕事」をリストアップして、誰がどこまで担えるかを考える。そのためには、心理的安全性が担保された組織で、個人が声をあげられる仕組みや環境を整備する必要がある。
誰が子どものスポーツをささえるのか―結局、一人ひとりができることをやるしかないが、それが女性に偏るのは問題ではないか。女性がスポーツをささえることを見込んだ制度設計や、階層的に下位に位置づけられている問題で困っている人がいるのであれば、変えたほうがよい。
何より大事なのは、「する」人と「ささえる」人の双方にとって、安全・安心な場を確保することである。ガイドラインや法律の制定によって安全を確保すると同時に、種目や競技レベル、地域性などによっても異なる多様な人のニーズをどこまで満たすのかを考えて、個別具体的な考察を深めていく。その二本柱で、それぞれの立場で、「誰が子どものスポーツをささえるのか」を考えることが重要ではないか。
参考文献
清水晶子, 2022, 『フェミニズムってなんですか?』文藝春秋.
山根純佳, 2010, 『なぜ女性はケア労働をするのか:性別分業の再生産を超えて』勁草書房.
<質疑応答>
会場参加者からの質問に答える関氏(右)と宮本(左)
- Q.(フロア)女子マネージャーや母親の競技に対する理解力が高かったら、選手たちは階層的に下にはみないのではないだろうか。
- A.(講師)女子マネージャーはたくさん勉強しても、実際に競技をしている選手とは同じ経験ができない。競技に対する理解力は上がっても、選手たちのように練習後も長い時間携われない状況では、選手から「理解力が高い」とみなされることはなかなか難しいのではないか。同じことを母親に要求するのはさらに難しい。
ささえる人に何かを求めるよりも大事なことは、ささえられている選手が、自分がささえられていることを理解して自分の行動を考えることではないだろうか。
- Q.(フロア)女子マネージャーの希望者が増えているように思うが、なぜだろうか。
- A.(講師)そもそもマネージャーの研究は非常に少なく、全国調査が行われていないため、「増えている」といえるのかがわからない状況である。まずは全国の中学校・高校・大学に、マネージャーや学生スタッフがどれくらいいるのか、その実態や推移を知るための調査をする必要がある。
また実際に「増えている」のだとすると、男女で「する」「見る」「ささえる」が平等に選択できるようになっているのかを考える必要がある。スポーツを「する」ことと「見る」「ささえる」こととは大きく異なる。女性に「する」選択肢よりも「ささえる」選択肢が用意されているのであれば不公平だ。「する」権利が皆に平等に与えられるべきで、そのような観点もふまえて、なぜ「ささえる」を希望する女性が増えているのかを考えたい。
- Q.(フロア)女子マネージャーの仕事の内容がきちんと定まっていないことが課題だと思う。組織図においてマネージャーが雑用係ではない位置づけにされているチームはあるのか。
- A.(講師)マネージャーが増えすぎて、やらなくてもよい仕事や選手がやるべきことまで行っている実態はある。各チームで、どのような仕事が本当に必要で、それに対してマネージャーは何人必要かを考えるべきだと思う。
調査をした部活では、トレーナーやアナライジングスタッフなどは組織的にも明確な位置づけをされていたが、雑用係の多くの部分はマネージャーの仕事になっているのが現状だ。また、あるマネージャーが、グラウンドでやることがなく、仕事ではないもののボールを拾っていた。最初は選手から「ありがとう」と言われたが、続けるうちにやらないと責められるようになった。つまり、ケアの要求レベルが上がり、仕事が無限に増えていく。マネージャーがどこまでするべきなのか、非常に難しい問題である。
<オンラインでいただいた質問への回答>
- Q.(オンライン)女子マネージャーはいつ、どの種目のどのような場面で誕生したのか。テクニカルやフィジカルなど、明確な役割の必要性が生じ誕生したのか。
- A.(講師)女子マネージャーの歴史については、高井昌吏先生が2005年に出版された本注3)に詳しく書かれている。高校野球の内容を中心にまとめているその本によると、かつて男子運動部には男子マネージャーしか存在しなかったが、高度経済成長期の1960年代頃に女子が参入していくようになった。それは、大学受験が激化するなかで選手の数が減り、男子マネージャーが選手として駆り出されたことで、マネージャーが不足したからである。しかし、女子が担ったのは、男子マネージャーが担っていた監督やコーチのような役割ではなく、雑用および洗濯や食事作りといった女子用の役割であったという。
注3)高井昌吏,2005, 『女子マネージャーの誕生とメディア:スポーツ文化におけるジェンダー形成』ミネルヴァ書房.
- Q.(オンライン)24時間スポーツのことだけを考えてやり続けるのが大学スポーツ(アメフト)で、そのために献身的なマネージャーが必要とされる構造自体が日本的なのか、それともカナダを含む世界でも同レベルなのか。
- A.カナダやアメリカの大学では、国レベルで練習可能な期間や時間が設定されており、長期間・長時間練習することができないようになっている。また、脳震盪を起こす可能性のある接触する練習も厳しく制限されている。そのため、日本とは構造が異なり、サポートスタッフの関わりも異なっているといえる。
セミナー終了後、多くの参加者が関氏と簡単な意見交換を行った。
SSFの関連研究紹介
2022年2月発表「母親自身が子どもの頃から、保護者の役割は母親が中心という構造」
母親自身に子どもの頃を振り返ってもらい、本人やきょうだいがスポーツ活動をしていた場合の保護者の関与について尋ねた。
全体では「保護者がコーチをする活動があった」は14.6%、「保護者が係や当番をする活動があった」は31.6%であった。「保護者がコーチをする活動」では、「父親がコーチをしたことがあった」6.5%>「母親がコーチをしたことがあった」1.5%と父親のほうが多く、「保護者が係や当番をする活動」では母親22.2%>父親7.4%と母親のほうが多かった。過去の振り返りとして尋ねているため限界はあるものの、子どもたちの祖父母世代から、指導以外の関与は母親が中心であるという構造には変化がない様子がうかがえる。
2023年1月発表「保護者の当番の"大変なイメージ"が、子どもをスポーツから遠ざける可能性」
当番をめぐる実態を、「当番をしている母親」「当番はしていないが、スポーツ活動をしている母親」「当番を理由にスポーツ活動をしない母親」「その他の理由でスポーツ活動をしない母親」にわけて、全体の分布を示した。対象となる母親全体を母数にすると、現在当番を担当している母親は7.5%にすぎない。しかし、当番の負担を理由にスポーツ活動を敬遠する母親は26.1%にのぼる。