2025.3.7
佐賀県
山口 祥義県知事 対談
2025.3.7
佐賀県
山口 祥義県知事 対談
2024年10月、国体が国スポに新しく変わった第1回目の大会、SAGA2024が開催され大きな注目を集めた佐賀県。「すべての人にスポーツのチカラを届ける」をキーワードにライブ感、エンタメ感をふんだんに盛り込み、「新しい大会を象徴する式典」、「選手の活躍にスポットを当てた表彰」、「ナイトゲームの開催」などなど、スポーツ文化の新時代を体感できる、今までにない新しい大会を開催しました。
実施後の県民アンケートでは、なんと87%の人が、国スポ開催を「よかった」と評価。特に10代からの好意的な評価が一番多かったというから驚きです。
山口知事は、「この線を越えてはいけません」ではなく、「この線を越えなさい。失敗してもいいから」と伝えることで、参加する人たちの自発性を引き出し、やらされ感のない、感動と共感のあるSAGA2024を作り上げました。
また、佐賀県ではこのSAGA2024を一つの跳躍点ととらえた、「SAGAスポーツピラミッド構想(SSP構想)」を提唱しており、アスリートの人生にコミットした政策を展開しています。
スポーツのチカラをまちづくりにどのように活かしているのか、佐賀県の山口祥義知事にじっくり解説していただきました。
――今回のスポーツでアクティブな街づくりは佐賀県です。2024年10月、国体が国スポに新しく変わった第1回目の大会「SAGA2024」が開催され、大きな注目を集めました。また、このSAGA2024を一つの跳躍点と捉えた「佐賀スポーツピラミッド構想(SSP構想)」を提唱するなど、アスリートの人生にコミットした政策が特徴的です。スポーツの力をまちづくりにどのように活かしているのか。佐賀県の山口知事に話を伺いました。
渡邉理事長 どうぞよろしくお願いします。
山口知事 お願いします。
渡邉理事長 早速ですけれども、知事のプロフィールをご紹介いただけますか。
山口知事 そうですね。私もプロフィールって一番難しいのですけれども、いろんな経験をしてきました。たとえば、自治省・総務省で危機管理をやって、2000年問題とか原子力事故とか北海道の十勝沖地震、新潟地震しかも全部現場に派遣されて現場で部隊の調整をするということをしたり、税財政総務省の役人であったこともありました。知事になる直前はJTB総合研究所に出向して、さらに2019年にラグビーワールドカップをやったのは記憶に新しいところですが、そこの事務総長特別補佐をやっている間に知事選挙に出たという、本当にいろいろな経験があります。
渡邉理事長 出向をされている期間中に知事選に出たのですか。
山口知事 はい。そんな人はいないかなと思うのですけれども。
渡邉理事長 初めてお目にかかりました。
山口知事 しかも選挙に出る時は桶狭間の戦いのような感じで。1日の間に退職届をラグビーワールドカップにも出し、JTBも出し、総務省にも出す。しかも投票日の1カ月前に決断したという。もう10年も経つのですね。
渡邉理事長 早いですね。伺うところ私の方がちょっと年長だということですが、もう3期目ですか知事は。
山口知事 そうですね。まさに突然出馬したのがラグビーワールドカップの開催県の立候補が終わったタイミングで、そこから出馬してもう10年、49歳の時でした。
渡邉理事長 知事選に出るきっかけはどんなところでしたか。
山口知事 これを話すと、今日はそれだけになっていまいますが、本当に何でしょうね。不思議なものですね。そういう決断に至る時というのは。なかなか勇気が要ったんですけれども、やっぱり求めている人がいて、自分としていずれ自治体のリーダーを務めたいという気持ちはあったものですから、それが自分の故郷である佐賀であれば、なお気持ちが入りそうかなと思い、相手はともかく、自分として全力で訴えたら、たとえに駄目でも次の人生に思い切り飛び込んで行けるかなって思ったんですね。
渡邉理事長 若さもあったのですかね。
山口知事 そうそう。その時はまだ子どもが中学生一人と小学生二人だったので。
渡邉理事長 それは簡単な決断ではないですね。
山口知事 でも逆にね、1カ月しか選挙戦まで期間がなかったので、全部自己資金でクリーンな姿でずっと勝負できました。その成り立ち、生まれ方というか出方がよかったかなって今になって思います。
渡邉理事長 なるほど、それが県の行政をリードすることにも繋がってきているんでしょうね。
山口知事 そうですね。県民の信頼を裏切らないようにまっすぐな仕事をして、もちろんいろいろな人の意見を聞くけれども、最終的には自分が決断して、それをみんなにわかってほしいなというところです。たとえば大勢の皆さん、佐賀県民がいろいろな意見を言います。それを全部私も聞いて、こんな感じで皆さんは考えておられるんだなと思いながらも、その一つ先の未来に向けて、自分としての政策を常に提示して、それで県民の皆さんに満足していただいて、また次に進むというステップを繰り返してきた10年だった気がします。
渡邉理事長 なるほど。その一つとして、スポーツ政策にSSP構想。「SSPスポーツピラミッド構想」があるわけですね。
山口知事 そうこれはね。ちょうど私が総務省の過疎対策室長からJTB総合研究所に出向してスポーツツーリズムに携わるようになっていくわけですよ。そうすると、自分の自治体勤務で私は鳥取県、秋田県、長崎県を経験しておりますが、まずいろんな経験からスポーツの根源的な価値を、この国はうまく使えていないんじゃないのかなと思ったんです。
簡単に言うと、戦後復興の中で身体を鍛える、そして栄養を受け取ることはとても大事なことです。体育という世界の中で、スポーツはする、鍛える、運動するそしてその先にはまさにアマチュアスポーツが昇華してオリンピックがあるみたいに。 そこの中心には体育関係者、体育の先生などが中心になって、本当にいい仕事をしてもらったと思うんですけれども、それだけでいいんだろうかってずっと思っていたんです。
やはりその研究をする中で、そしてラグビーワールドカップを海外をいろいろみていく中で、何か世界のスポーツの楽しみ方とわが国のスポーツとの付き合い方が、体育というか、まるで違うのではないのかなというところにぶち当たったんですね。 渡邉さんは「どのスポーツをやっていましたか」って聞かれたことないですか。
渡邉理事長 多いですね。
山口知事 多いです。だからすごくそれが違和感で「どんなスポーツを楽しんでいるか」っていう聞き方を海外がするのに、何で日本は「するか」っていう「する」ということだけなのだろうと思います。逆にいえば「する」ということを中心に、みたり、ささえたり、そういったことも「する」ことを中心に考えられているので、別にスポーツってしなくてもいい。だってみんな野球をやっていなくてもメジャーリーグの大谷さんの活動の応援をしておりますから。いろいろ根源的にはわかっているのに、なぜか日本の体育の社会が「する」ことを中心に生まれているってことに気づきました。トップを目指すのはいいけれども、しっかりとスポーツで飯を食っていくために、やっぱり裾野を広げて、いろんな人たちがスポーツを楽しんでいくということがどうしても必要です。そこでお金が回っていくっていう仕掛けができたことによって、みんながハッピーになるっていう、まさにスポーツピラミッド構想、頂点を伸ばして裾野を広げるということを、私はJTB総研の時に提唱したんですよ。
渡邉理事長 なるほど
山口知事 「あれ、意外と受けがいいな」と思っていたタイミングで知事選挙に出たものだから、それがちょっとうやむやになっていたので、知事になったなら、これを佐賀から地域発で組み立てようということでSAGAスポーツピラミッド構想ということになったのです。
渡邉理事長 なるほど、それでSSPになったわけですか。実際に2018年から始まりましたが、これをするためには知事がお一人で唱えても動きませんよね。
そして職員の皆さんだけでも動きません。いろんな民間の人も含めて協力者、あるいは基礎自治体といったものが必要になってくると思うんですが、2018年を迎えるまでの間のおそらくご苦労というかご尽力だったと思うんですが、その辺もお聞かせいただけますか。
山口知事 そうですね。私もまだ知事になってすぐ信頼を得ていたわけではないので、一つ一つ丁寧に県民の皆さん方からの信頼を得ていったということと、スポーツを楽しむってどういうことなのかなってみんなで共有しないとなりません。自分だけ走っていてもだめなので、佐賀の場合はありがたいことにサガン鳥栖というプロスポーツチームがあったので、そことの連携をしながら。とても自分にとってありがたかったのは、国体が国スポに新しく変わる1回目の大会が佐賀でできそうだっていうタイミングで予定されていたわけです。
「ああ、これはうまく使えるな」と自分が考えているスポーツというものを、日本という国の体育関係者にしっかり提言できるいいタイミングだなと思ったことと、もう一つは前々から考えていた収益を上げられる施設「SAGAアリーナ」を自分として構想したいなと思ったんです。
普通だと国体をやるところって知事が「国体があるから、体育部局に体育関係者でそういう体育館をつくってね」とだいたい陸上競技場に屋根をつくって開会式をやるとか、だいたい定食メニューがあるんですね。完全に僕らはそれを放棄しまして、まったく違う、屋根はつくらない、その代わりSAGAアリーナをつくって、そこは体育館だけではない施設にしました。いわゆる体育館を体育の関係者がつくるとバスケやバレーボール用のコートを6面つくるのです。みんなで運動する施設だから。でもそれだとエンタテイメントアリーナにならないんです。みんなが稼げるアリーナにならないので、メインは1面だよ。サブアリーナはあってもいいけれども、そこには座席の傾斜の強いアリーナをつくって、コンサートやさまざまなコンベンションができて、いわゆるMICE(Meeting、Incentive、Convention、Exhibition、Event)ができるように、下はコンクリートにすることを考えました。私がまさにそういうふうに思っていたので、体育の施設だけじゃなくて、いろいろな関係者を集めました。佐賀県には佐賀デザインという部署があり、デザインで横串を刺す部署にも入ってもらい、全体のコーディネートをするということをしてもらいました。
知事ってオーケストラの指揮者みたいなものだと思うのです。放っておいても各パートは練習するけれども、放っておいてもいい曲にはならない。だからたまに知事が出てきてああだ、こうだと大きな方針を示して、曲が全体として生まれるのです。まさにSAGAアリーナだったり、SAGAサンライズパークはいろんな部署のみんなの力によってできた総合施設です。
渡邉理事長 みんなの力の結晶なんですね。
山口知事 はい。そういった意味ですごくタイミングが良かったなって思っています。
渡邉理事長 今のお話の中でも国民スポーツ大会を千載一遇のチャンスで、それはうまく活かされましたが、それについてもいろいろなことをお聞きしたいです。
日本のスポーツシーンを「これでいいのかな」と思われましたよね。海外のどのようなスポーツシーンをご覧になって、日本のスポーツはこれでいいのかと思われたのですか。
山口知事 たとえば、ラグビーでいえばシドニーで開催されるブレディスローカップというオーストラリアとニュージーランド代表の対抗戦があるのですが、街中がその何日も前からフィーバーしているわけです。
もちろんサッカーでいえばヨーロッパのチャンピオンズリーグもそうだけど、同じように試合の前から街全体が熱狂的な盛り上がりを見せて、しかもそのスタジアムにいても2、3時間前からスポンサーだったり、いろいろなVIPだったり、お金をいっぱいかけた人は盛り上がっているわけです。商談をしたり、ビジネスをしたり含めて。そしてそのセッションが終わって、試合の10分前くらいになると、会場にワーっと人がおもむろに入ってくるのが普通のシーンです。
でも日本の場合はどっちかというと、もう逆に40分ぐらいに前か何か応援合戦をしているようなイメージです。お酒を飲むわけでもなく。そのため海外の場合はお金が回っている感じで、それがちゃんと選手たちにも還元されて、選手たちがなお頑張れるみたいだなと思いました。やっぱりアスリート、選手たちも霞を食べて生きてはいけないんです。 みんないい時だけ盛り上がりますが、普段は生きていかなければいけません。しかもスター選手だけじゃなく、スポーツだから怪我もあるし、そういう選手たちみんなが大好きなスポーツで飯を食っていける社会をつくりたいと思った時に、この社会を日本にも取り入れたいと思いました。日本って都合のいい時だけユース化されてみんなが盛り上がっていて、この子たちの人生にコミットしているのだろうかって思ったんです。
佐賀県は幕末の時も世界のモノを輸入して、世界で最初に大砲をつくったり、蒸気船をつくったりした県でもあるし、この世界と日本の温度差をもうちょっといい形で日本流にアレンジしたらさらに世界の先を行けるんじゃないかと思いました。
渡邉理事長 知事がおっしゃるように、日本はどうしても明治以降、軍事教練と体育というのが一緒になっていたようなところもありますし、いわゆる待遇できてしまっているところがあります。ヨーロッパへ行くと、文化ですよね。いわゆるカルチャーとしてしみついていますよね。
アメリカへいくとエンタテイメントだし。ニュージーランドはもうカルチャーとエンタテイメントのミックスだと思うんですけど、そういったものを国スポなどもうまく通じて佐賀でまず実現して、それを全国に発信しようと。そんな意気込みもおありになったわけですか。
山口知事 はい、やっぱり体育でやると、みんなが同じスタイルなんですね。同じスタイルで同じパターンを指導者が決め打ちする。でもね、スポーツの良さって今渡邉さんがお話しになられたように何かにじみ出てくる自分の文化だったり、自分これまでの経験を表現できるようなところに良さがあるのですね。
だから、なぜ国体の開会式をいつまでもみんなが同じ格好して入場するんだろうとか、みんな自分で自己表現したいんじゃないかなと思いました。オリンピックもそうだなと思った時に、佐賀以外の46都道府県にみんなでやろう、自分の県を自由に表現しようということになって、ああいう開会式が生まれました。そうするとやらされ感がないわけなんですよ。佐賀の開会式は、佐賀のパフォーマーのみんな手あげ方式なので。今まではね、だいたい割り当てするんです。ここの学校がここでマスゲームをしてと。基本的にスポーツもそうだけど、自発的にやるって楽しいです。人にやらされると嫌なのね。
渡邉理事長 スポーツの根源はそこなんですよ。自発的なのだそうです。 自ら楽しんで、そこなのですよね。
山口知事 ボランティアです。
どうして小学校の時に体育をもっと楽しめなかったかというと、やっぱり跳び箱を笛で「ピー」とかマット運動を「ヒ―」とかやった経験がありませんか?スポーツってもっと楽しいものだから。
ゲーム制やルールだってみんなで決めてもいいのに、日本人って真面目だから世界で決められたルール通りに教練を始めるわけです。もっと楽にしてみんなが楽しめるようにして、SAGA国スポはナイトゲームを入れたり、アルコールを出したりして盛り上げたわけです。盛り上がっちゃいけないんですか?
渡邉理事長 いや盛り上がった方がいいんですよ。これからのスポーツシーンはそれでなくてはと思います。
渡邉理事長 知事、今開会式の話も出ましたし、ナイトゲーム、アルコールの話も出ましたけども、SSPっていうのがベースにあって、一つの跳躍点としてSAGA2024があったわけですけどね。SAGA2024で創意工夫されたところをもうちょっと具体的にいくつかうかがえますか。
山口知事 そうですね。あとは都道府県対抗戦っていうのはこれは一つ面白いといえば面白いですよ。なぜかというと選手はいつも個人戦が多いので、何か都道府県のために戦うことって結構新鮮らしいのです。そのため普段の種目別とは違うようなルール設定もできたりするから、フェンシングでは普段はサーブル(上半身すべて有効)なのにエペで(体中どこでも有効)やって。都道府県対抗のいいところがあるのですが、今までは単に県の名前で賞状1枚でしたが、メダルを導入したりとか、あとは全障スポだと伴走をするメンバー、ボッチャではランプオペレーターなど、伴走競技者についても同じメダルを渡したり、そういう工夫をしたりとか。あと閉会式はアリーナで行いまして、非常に感動的なBatons(バトンズ)という大会テーマ曲があるんだけど、閉会式では自然とみんなで佐賀出身の鷲尾伶菜ちゃんの歌声とともにライトがどんどん広がってく。
だから、スポーツの良さや共感と感動がみんなの中に根付いていくと、「ああ良かった」とみんなが思えるような大会でした。佐賀県にとっては新しい挑戦が非常に随所にあったので、Jスポにも室伏長官にも「きっと失敗しますから」って言っておりましたが、思った以上にうまくみんな回りました。
それこそピシッと統一的には回っていないけれども、自然にいい感じでみんなの共感があったからか回った。すごい、やはりここ(ハート)って大事だなって思ったんです。
渡邉理事長 ここから二つ伺いたいのですけど、一つはSSPの跳躍点ということでSAGA2024だったのですが、この国スポ、全国障害者スポーツ大会というのをここから先どうやってこうつなげていって、SSPをもっと大きく成就していきたいと思ってらっしゃいますか。
山口知事 元々通過点というふうにSAGA2024を思っていましたので、それこそSAGAアリーナにしてもアクア(水泳場)にしてもプライミングベースとか新しいさまざまな設備をつくったり改築したりしました。レスリングだったり、フェンシング場、ホッケー場などもね。
いい形でトレーニングセンターをつくりましたが、それは国スポのためじゃないんですね。全障のためでもなくて、むしろその先にどううまく使えるのかというところで考えていました。そのため仮設ではなく、その先でも使えるようなものをこれからもつくります。しかも今回、国スポ、全障スポのために佐賀の選手団に入ってくれたメンバーも数年前からいるわけですが、7割以上が残ってくれているんですよ。これがすごく嬉しくて、SSPにすごく共感して、これから指導者として佐賀の子どもたちも育てたいという流れになっています。たとえばこの過程の中で、女子柔道やレスリングが急に強くなって選手が全国から佐賀に集まり出すようになりました。
これはすごく良いことで、佐賀で育てられることがとてもいいことだなって思ってくれて。寮も実は3カ所(佐賀・鳥栖・太良)に最初はつくったのですが、3ヵ所では全然足らなくて今からアスリート寮を量産しようと思っています。
3カ所では全然足らないため久光製薬さんとか九州電力さんとか企業とタイアップして、企業の寮なども我々がファンドで入れたりしながらやってるわけで、そういったところをもっとこれから増やしていって、多くの人たちを佐賀で育てたいと思います。まさにそれ自身が地域振興でもあるし、女性アスリートに対しても女性外来を設けたり、窓口を設けたりして支援し、アスリートの人生にコミットしていい人生を歩んでほしいと思っています。
だから、みんなの人生を考えてあげないと、単にその時の大会だけとかじゃなくて、彼らが本当に就職するなら佐賀に就職してもらって、そのために斡旋をしたりしながら、アスリートの育成を広げていく良いきっかけにはなりました。そのように、リーダーが国スポ全障スポをきっかけにすればいいと思います。単にそれを開催することだけを目的にするから、お金がかかるとかね。せっかくだから、いいお金の使い方ができるスポーツの良さをみんなで体感できて前へ進むいいチャンスだと思えばいいのに、なんでそんな財政のことばかり言うのかと思います。
渡邉理事長 SSPっていうのがベースにあると、当然バックキャスティングでものを考えて、高等学校などにもクライミングウォールとかホッケー場をおつくりになってずっとレガシーでお使いになるんですよね。そこで人が育っていってアスリート、指導者に変わっていくわけなんですが、他の県ってなかなかこういったベースになるプラットフォームがないんですよ。 だから国スポ全障スポをやろうと思うと一過性になってしまうのだと思うんですね。
山口知事 これはもったいないことです。
渡邉理事長 そこは知事の立場で全国知事会っていうのもおありになりますけど、どうお考えになって他にどういうふうにメッセージを出したいですか。
山口知事 もっとリーダーにはスポーツの現場に足を運んでほしい。そこには多くの感動があるし、単に試合をみたって気持ちって動かないんです。そこに解説があって、自分が知っている選手がいて、その選手の人生に寄り添うからこそ、その涙の意味がわかるんですよ。ストーリーがあるのです人生と一緒でね。だからそこをみんなが共感できるようになったら、すごく地域が盛り上がるし、そこを佐賀県は今回のSAGA2024では大事にしていました。今回すごく嬉しいデータがあって、8割以上が「SAGA2024がよかった」と言ってくれたんだけれども、一番多かったのが10代だったんです。
渡邉理事長 これは大事ですね。
山口知事 そう。だいたい佐賀県の場合、いろんなデータで高齢者の評価が高いです。でも今回は10代が一番高かったということは、この子たちは50年経って60歳になったって「あの国スポ・全障スポがよかったよ」と語り草になります。まさにレガシーです。
そのため本当にあの子たちが自分たちの自発的な意思で、「放送部だって普通に読まなくていいんだよ」って、「好きにしゃべりなさい。それで失敗してもいいから、そこから何か生まれるし」という気持ちで高校生みんなが新しい挑戦をしましたし、そういったところがすごくよかったです。決まりきった「この線を越えてはいけません」じゃなくて、「この線を越えなさい。失敗してもいいからね」っていう全く逆転の発想というか。僕からみれば当たり前の発想なんだけど。日本が逆に今までちゃんとルールどおり規則どおりピッって笛の通りにやるようにといったやり方が、今はもう曲がり角を迎えているのではないかと。だからこうやってみんなが「いいんですか」、「好きにやっていいんですか」っていうところが良いのです。
渡邉理事長 すごいリーダーがいらっしゃって、皆さんもさきほどは話を聞いておりましたけれども、知事の何かエキスが移植されたようで、すごく元気に嬉々としていろんな話をしてくれました。
山口知事 うちの県庁職員は。
渡邉理事長 ダイバーシティがあるそうですね。
山口知事 中途採用が日本一だし、一人一人がすごく個性派なのです。やはり同質化した集団は駄目なんですね。いろいろな奴がいると「ああそうか」って自分自身もね。だからリーダーである指揮者である私ですらなるほどなって思うし、少なくとも僕よりもプレーヤーとしてはイケてる奴が沢山いるので、指揮棒を振るという意味では、私の幅広い経験があるのかなと思うんだけど、でもやはりいろいろな音楽の奏で手がいないと単調な音楽でつまらないんです。だから、そういうメンバーが今回いい躍動の仕方をしたなと思いますね。
渡邉理事長 なるほど。SAGAアリーナがすごく大きな役割を果たしましたよね。閉会式もありましたし、僕がナイトゲームもアルコール販売っていうのを経験させてもらいましたけど、つくるにあたってはいろいろ他のアリーナなど海外国内各地を視察されているのですか?
山口知事 沖縄に行きました。海外はスペインの「サン・マメス」とかいろいろなところへ行ってNBA(ナショナル・バスケットボール・アソシエーション)をみたりして、ああなるほどなっていうイメージはありました。沖縄アリーナの形は日本の建設会社でもおおむね作れるんだなと、そこに法人系のVIPルーム。SAGAアリーナは3階全部法人枠貸しになっているのですけれど、部屋ごとに特徴・スタイルがあって、日本のスポーツシーンでは今までそういう箱売りはほとんどしてきませんでした。そういったことを企画して、場所も自分なりに都市型にしたいと思って、色々な意見を聞きながら最終的な全体のコンセプトメイキングは自分でやっております。そうしないとたとえばスポーツ委員全員の意見を入れていたら、統一的なメッセージを発せられませんので。SAGAサンライズパークに文化の仕事で来た人が「あれっ」って、日常と非日常が織りなすような何か面白いことやっているねって感じるような。
そういう人生ってHappenedというかちょっとした人と人の出会いもそうだし、何かとのイベントと出会いから何かが始まるので、そういう自然と何かが起きるようなスペースをつくったつもりなんです。
渡邉理事長 なるほど、まだ評価検証っていうのは時間も経ってないし、難しいところがあると思うんですけど、SAGA2024を実際にやって、知事としての手ごたえや、当初構想していたものと比較して、総括されてみるとどうでしたか。
山口知事 私は想像以上に何か共感が得られたかなと思います。役所の仕事って半々だったら御の字で、いろいろな批判があってもこういうイベントですから。今回については8割以上の人たちが「よかった」と思っていただけました。むしろ反対意見の人が10%ちょっとで、その一番の理由が「自分には関係がなかったから」っていうことだったから、「さもありなん」ってことです。逆に言えば、その子たちは参加できなかった。その点は僕は残念だと思うし、もうちょっと手を差し伸べればと思うけど、参加できた人間はとてもいい気持ちで参加していたので、財産だなと思いました。
ただ、これを今後さらにみんなの気持ちがいい方向に一つになったら、佐賀のために動かしていくのがこれからの真骨頂です。
渡邉理事長 例の国民スポーツ大会を考える有識者会議では、かなり多くの有識者の方が開会式や各競技に行かれたそうですが、総じて高評価だったんですよ。国体が国民スポーツ大会になるとこんなに変わっちゃうのかなと。プラスの評価が非常によかったんですね。
山口知事 でもね、この大会のテーマ「新しい大会へ。すべての人に、スポーツのチカラを。」はこの国体騒動、国体見直し論が起きる前から、僕らは実は本当は2024じゃなくて2023年に行う予定でした。鹿児島県が2020年にコロナでできなかったので、2023年に入っていただいて、うちが1年ずれたんです。
でもずれてもいいけれども、譲れないのが国スポの1回目は佐賀からだと。ここだけは譲れませんでした。そのために、僕らはみんなでさんざん議論をして新しい大会を作り上げてきました。しかも我々の誇りはあのSAGAアリーナも、バスケのBリーグが5000人以上のアリーナが必須だなんて決める前から計画をして建設していたし、そこから自然発生的に佐賀バルーナーズという当時の地域リーグから行われたバスケチームが、不思議なことにアリーナのオープニングの日にB1が決定するという。とんでもない下克上みたいな。
しかも久光スプリングスという神戸が拠点のバレーボールチームが、SAGAアリーナができたことで移転してきたわけですね。何か別に意図したわけではないけれども、何かみんなの気持ちがどんどんどんどん仲間を増やしていくっていう形になったので、プロスポーツが佐賀に集結することになって、現在お互いに連携ミーティングなどもやっております。
その先もベーシックでみんなでスポーツを楽しむところからプロスポーツまでうまく揃ってきて、これからの僕らの未来に向けて楽しみです。
渡邉理事長 そうですね。一方で課題も当然あると思います。どんなところが課題でしょうか。
山口知事 そうですね。やらされ感でやらないことです。たとえば今回佐賀があって、来年は滋賀があって青森があって宮崎ですが、佐賀と同じことをやる必要はないので、「佐賀はこんなことをやったんだ。じゃあうちはこうやってみんなを楽しませよう」とか、発展型の国スポ、全障スポにすればいいのです。国体って全部同じ定食メニューをずっと食べてきたんですよ。だってみんなその前の国体をモノマネして、同じ業者が全体を仕切ってやってきた歴史です。何が起きるかというと昭和20年代とあまり変わらないってことですよ。だってずっと同じことをやってきたので。
だから我々はそこにプツリと線を入れたから最初は大変だったんですよ。新しい企画をやるたびに初めてになるわけですから。でもそれをやってみたら楽しかったのです。次の県も佐賀の真似をぴったりとしてしまったら発展しないので、「うちはもっとこういう風にやるよ」とか、それこそ「モーニングゲームがあるよとか、決勝を夜にやるよ」とか佐賀の国スポをさらに改善して、もっともっと多くの人たちが集うように考えてもらったらいいです。そうならないと何か負担かなと。 もし負担になるのならば、この大会はやりたい県がやればいいんです。別に無理して47都道府県全部回らなくていいわけで、みんなで俺たちはやるよって挙手制にしてやっていけばいいのにと思います。他の知事は次に回ってくるのが嫌だったらやらないと返事をすればいいと僕は思うんですよ。
だから国スポにやりたい人たちが出て踊ったりしているのと一緒で、この自発的な気持ちってすごく人間にとって大事だと思いませんか。
でも、今回の開会式に10県以上の知事が来てくれて、しかもあの開会式の夜に僕と鹿児島の知事と次の滋賀の三日月知事と青森の知事と四人で飲んだわけです。その3人の知事がおっしゃるには、「山口知事の言うことがわかった」って。
実際に見てみるとやりたいことがわかるけれど、新しいことを口で説明するってすごく難しいんですよね。だから見てもらうのが一番です。今回は見直し委員会の皆さんがみんなで見たいから5分か10分に編集してビデオにまとめてよって言ってくれて、すごくいいアイディアだなと思いました。
渡邉理事長 ショートフィルムはとてもよかったですよ。
山口知事 ご覧になりましたか?
渡邉理事長 ええ。有識者会議でも拝見しました。
山口知事 私も実際にそれを体感できるってとてもいいことだと思います。
渡邉理事長 よく課題に出てくるのが国民スポーツ大会ですが、佐賀で開催していても隣の県の方にはやっていることすらよく知らないといった話がよくあるのですね。今回も何人かの有識者がたまたま期間中に東北に行かれたり、九州でも別の県に行かれていろいろな話を住民の方から聞いたらしいんですね。みんな知らないんだそうですよ。ここはやっぱり一つの課題かなと思う反面、じゃあどこまで周知して知ってもらったらいいのかというのも一方であると思いますね。知事はどのようにお考えになりますか。
山口知事 これはやはりオリンピックがずっと輝いて皆に着目されるのは、そのコンテンツをずっとブラッシュアップしてきた歴史があると思うんですよね。国体も昔はもっと注目を浴びていたと思いますが、それぞれの競技団体が成長して、それぞれの選手権が成長してきた日本の中で、じゃあ国スポって何なんだろうとブラッシュアップする。みんなで盛り上げていく部分が、いくらかマンネリ化してきたんじゃないかなと思うのです。今回が新しく変わって少なくとも参加してきた人は、楽しかったと言って全国に散らばっていったので、これが続けば自然と目が向くようになっていくのではないかと思いますし。ここまで注目を浴びなくなってしまったことを関係者がいい反省材料にしたらいいのかなと思います。
渡邉理事長 全競技種目をライブ配信されましたが、どのくらいの視聴があったのですか。
山口知事 全国の皆さん方よくご覧になっておりました。まずは選手の関係者とかご家族、親戚とか。また配信に合わせてアスリートの解説をできるだけ付けるようにしました。これも失敗してもいいので。でもやはり音声があると盛り上がるんですよ。もし大事な日本代表の試合を音声なしでみてみると本当の通はいいけれど、「ん?」ってなるので。あとはアスリートのその後の人生にも活きてきますから、今回も今だからできる配信ができたことはとってもいいものになりました。
動画でもすごく感動的なシーンがいくつもあるので、本当はこれがだんだん高じてくると、それを特集にするとか、そこをYouTubeに上げるとか、そういうふうにだんだん流れができてくればいいと思います。我々はそういった意味ではまだまだ素材で。やっぱり私もチェックして自分で行くことが出来ないところはみようとすると、バイナリコードとか課題はあって、試合に辿り着くのに時間がかかったりしました。今回はまずやれたこと、それをこれからの時代に合わせた形で発展して、多くの人に関心をもってもらう流れをつくっていけばいいのかなと思います。
渡邉理事長 なるほどSSP2018から始まって、今回のSAGA2024もありました。約6年間を過ごしてきたわけですが、これを総括するとどんなことがいえますか。
山口知事 SAGA2024がとてもよかったので、そのレガシーがかなり今 蓄積されていて、このまま残りそうだなと感じています。あとはみんながどれくらい踊るかですかね。私が「踊れ」って言って踊るんじゃ駄目なんです。私は素材はばらまいて、あとはそれをみんなが手に取って踊って、この考え方や雰囲気がみんなに体感されて伝わっていくことができればと思うので、これから私もワクワクしながら期待している一人です。それといろいろ常にチューニングアップというか、ハードもソフトも仕掛を見直して、輝くように手を入れていかなければならない。いずれは陳腐化しますので、そこの部分をしっかりやってフォローアップしていくということ。それをずっと続けていくことが大事です。我々、まさに渡邉さんも60ちょっとでしょう?
渡邉理事長 61歳になりました。
山口知事 なので、まさに戦後の体育で生きてきた現場だから、我々がこのスポーツの本当の素晴らしさをもっと自由に享受していいんだよっていうところまで何とか一緒にやりましょうよ。新しい時代に。
渡邉理事長 そうですね。最後を県民の皆さんにこれからのまちづくり、スポーツも含めて一言メッセージをいただけますでしょうか。
山口知事 佐賀県民の皆さんに申し上げるとすると、僕は佐賀県ってすごく人と人の結びつきが日本一強い地域だなと思っていて。だからそれが図らずもみんな国スポ全障スポで「する みる ささえる」、僕も「スポーツせんでもよかよ」って言って、みんなが会場に行って青い服を着て応援したり、ああいうシーンがいっぱいみんなで作れたっていうのは、我々のすごく財産でもあります。あまり発表していないけど、いろんな選手団が町でご飯が食べられなくて、ホテルにもご飯がついていないから困ったっていうことに対し、みんなで買って何かを提供したり、いろいろな倍の交流が今回のSAGA2024で行われたっていうのはすごく我々の誇りです。本当にいい大会で、この2024年は佐賀県にとって大変思い出に残る年になったと思います。これから佐賀スポーツピラミッド構想(SSP構想)をみんなで盛り上げていって、この果実をみんなで享受できるように頑張っていきたいと思います。 これからもよろしくお願いします。
渡邉理事長 ありがとうございます。前後しますが、「佐賀さいこう!」についてもちょっと簡単にお教えいただけますか。
山口知事 これはね、8年前ぐらいになりましょうか。僕は佐賀っていいなと佐賀に住んでいる人間は大体わかってはいるのですけれど、佐賀を知らない人には佐賀には何でもあって、「富士山」とか「桜島」みたいな特徴のあるものがなかなかなくて。でも本当に何でもかんでもある素晴らしいところなんです。
それをどう表そうかなと思った時に「佐賀さいこう!」って、お風呂場で思いついて。でも「さいこう」っていろいろな意味がありますよね。明治維新の時みたいに再び興す(再興)とか光を取り入れる(採光)とか、もう一回佐賀を再び考えてみよう(再考)とか、「さあ行こう」とかいろいろな意味があるから平仮名で「佐賀さいこう!」という言葉をお風呂場で思いついたのです。
職員に「佐賀さいこう!」ってみんなでやれたらいいねって言ったら「いいですね」と言ってもらえて、佐賀デザインという部署に何か作ろうよと提案をしてこのシールを作ってもらいました。最初はこのPRツールを「何ですか?」「えー」って言われてあまり受け取ってもらえなかったんです。
8年が経過して今ではみんながこれを欲しがって、しかも私が何も言う前から「佐賀さいこう!」とか言ってガッツポーズをするようになりました。何割くらいかな8割ぐらいの人は知っていると思います。 だから今日は「佐賀さいこう!」で締めましょう。それでいきましょう。
山口知事、渡邉理事長 「佐賀さいこう!」
ありがとうございました。