町民のスポーツへの意識を変えたチャレンジデー22回連続参加
右:鈴木重男氏(葛巻町町長)左:渡邉一利(笹川スポーツ財団専務理事)
渡邉 葛巻町はチャレンジデーに参加し始めて22年がたちます。まずはまちづくりにおけるスポーツの位置づけについて教えてください。
鈴木 チャレンジデーという事業の存在は本当にありがたいものでした。それ以前、町では町民運動会や地区対抗の野球、相撲、駅伝大会などを開催してきました。ただ、誰もが参加していたかといえばそうではなく、する人としない人がはっきり分かれていました。それがチャレンジデーによって、誰にとっても運動・スポーツが身近なものになりました。スポーツというとどうしても競技スポーツのイメージが強かったのですが、チャレンジデーに取り組むことで、そうしたイメージがうすらいでいったのではないかと思います。
渡邉 チャレンジデーがスポーツを通じたまちづくりのきっかけになったということですね。
鈴木 最初のころは町と町の対戦ということで「参加率を上げよう」「勝とう」という目標があって、行政主導で進めましたが、徐々にチャレンジデーの認知も広がり、町民が主体的に参加するようになりました。今では町内のほとんどの企業・事業所が参加しています。さらに各自治会や企業が独自の計画を立て、年間を通して運動・スポーツに取り組むようになりました。たとえばある自治会では、みんなで簡単な運動をして、そのあとで医師を呼んで健康講話を聞くとか。昔ならスポーツと何かを組み合わせる発想はなかったと思います。
渡邉 20年以上取り組んできた結果、町民の意識もずいぶん変わったと。
鈴木 朝夕にウォーキングをする人も増えました。20年前に私はジョギングを始めましたが、そのころは誰もやっていなくて恥ずかしかった思い出があります。町民が運動をするようになった結果、ここ1、2年は医療費も増えていません。スポーツ少年団の団員によるスポーツテストの参加率が県内トップクラスという実績もあります。
渡邉 葛巻町はスポーツ施設も充実させました。スポーツを通した交流人口も増えているのではないでしょうか。
鈴木 はい。総合運動公園の多目的グラウンドに、東日本大震災の後、近隣で被災した地域の子どもたちを呼んでサッカー大会を開きました。サッカーをして、焼き肉を食べて元気を出してもらいたいと。しかし、土のグラウンドだったので、最初の年は土埃がひどく、次の年は雨でドロドロ。参加者との交歓会の中で「人工芝にしてください」と言われて、それはいい提案だということで、早速、職員とスポーツ関係者を埼玉スタジアムに派遣して勉強させ、全天候型走路と人工芝サッカー場の整備に着手しました。2015年に完成し、その年の第4回大会から人工芝で大会を開いています。また、施設の整備という面では、総合運動公園の整備と国体開催にあわせ、野球場のグラウンド改修およびスコアボードのフルカラーLED化にも取り組み、スポーツ施設の利便性と機能向上に努めました。
こうした施設を整備することで、大学の運動部が合宿に訪れるなど、いろいろな方面から注目してもらえるようになりました。もう少しうまく情報を発信すれば、まだまだ可能性はあると考えています。昨年(2016年9~10月)、国体(第71回国民体育大会希望郷いわて国体)が開かれ、本町は軟式野球の会場を引き受けましたが、整備した野球場はもちろん、全天候型の走路や人工芝グラウンドは大変役に立ちました。また、大会期間中は監督・選手、観客など約3,000人が本町を訪れてくださいました。今後はこれらを活用した交流人口の増加、いわゆるスポーツツーリズムによる町の活性化などにも期待しています。
渡邉 震災以降のスポーツを通じた支援が、やがてスポーツツーリズムにもつながるのですね。
鈴木 昨年の夏、台風10号で近隣の岩泉町に大きな被害が出た際も、すぐに支援を行いました。本町でも被害がなかったわけではないのでが、おとなりの岩泉町の被害は甚大でした。そこで水や薪を運んだり、葛巻に来て通院や買い物、お風呂に入ってもらうようにバスで送迎をしました。支援というと、何か奉仕のように考えられがちですが、そうではありません。葛巻町もいつ被災するかわからないのです。支援をするということは、いざというときの勉強にもなるのですから。
その災害で岩泉町の野球場が使えなくなり、もともと岩泉町で行う予定だった国体の2試合を葛巻町の野球場で行うことになりました。このとき、岩泉町在住の女性が「台風では葛巻町にお世話になった。ぜひボランティアで恩返しがしたい」と3日間通い続けて、野球場のトイレや周辺の掃除をしてくださいました。岩泉にもすごい方がいらっしゃると驚くとともに、大変ありがたいことで感謝しました。
渡邉 立派な温水プールもありますね。
鈴木 葛巻小学校の温水プールは2012年に町産材であるカラマツの集成材を骨組みに使って完成しました。熱源に使うのは町産の木質ペレット。ただ単に新しいものをつくるのではなく、少しだけよいものにしようと考えて町の特産品であるカラマツを使うことにしました。町民待望の一般開放型のプールで、寒冷な当地でも年中水中運動ができる施設を開設し、町民の健康増進に役立てたいという思いで建設にあたりました。町民への開放は通年行われ、広く町民の健康増進に活用されています。
渡邉 町ではトップスポーツ選手を招くという取り組みも積極的に行われています。
鈴木 先ほど話の出た温水プールの開所記念で、2008年の北京オリンピックに水泳で出場した伊藤華英さんを招いて水泳教室をやっていただき、その後も水泳教室は毎年開催しています。バスケットボールのプロチームのリンク栃木ブレックスが町で合宿を行い、地元の岩手ビッグブルズとプレシーズンマッチを開催し、1,400人もの観客が集まりました。町政60周年の記念事業の一環だったのですが、結果、市町村が主催するプロスポーツイベントとしては県内初の試みとなったようです。同じ年に、これも地元岩手のプロサッカーチームであるグルージャ盛岡とJリーガー有志チームによる対戦も行われ、400人の観客が集まり盛り上がりました。やはり本物に触れる、いろいろな体験をするというのはすごく大事だと思います。体験に勝る教育はありません。いろいろな方に町に来ていただいて、子どもたちと触れ合ってもらう。みんながプロを目指すわけではありませんが、そういったプロの方々と直に触れ合い、プロのプレーを間近で体験するチャンスを与えるのが大人の役割だと考えています。
酪農、ワイン、山村留学、バイオリン・・・自立した町を作るために
渡邉 幼稚園、保育園のお子さんたちがバイオリンに親しむというのも、そうした考えに基づくものでしょうか。
鈴木 町内にある分校のひとつが廃校になり、その校舎を使って花巻市(岩手県)の音楽教室の生徒たちがバイオリンの合宿をしました。10数年前の話です。2週間ほど合宿をして、最後に分校で発表会をしました。楽譜も読めないような未就学児もいたのですが、これが決して上手ではないけれど、感動的なんですね。その後、私が町長になったときに、葛巻の子どもは何かの楽器ができるようになればと思い、バイオリン45挺を購入し各保育園に配りました。子どもたちには「自分はバイオリンを弾いたことがある」というわずかな自負心をもって生涯を送ってほしい。大きくなってからではなかなかできません。大事なのは機会を与えることです。20年後の葛巻はちょっと違うかもしれません。
渡邉 町が取り組んでいる地元の高校への山村留学制度についてもお聞かせください。
鈴木 自立した町をつくるためには教育と医療、この二つが欠かせません。葛巻高校は県立高校ですが、町民の多くが入るわけですから、町立高校のようなものです。ただし県には県の基準があり、1学級の定員は40人までと決まっています。41人以上だと2クラスになり、2クラス分の先生が配置されることになります。ですから質の高い教育をするためには、ある程度の生徒数を確保する必要があります。町内の中学生だけでは2クラスを確保できなくなってきたため、県外からも生徒を集めようと、町内に宿泊施設の提供と送迎バスなどの就学支援を準備して、県の教育委員会に提案しました。
渡邉 県外の中学卒業生は基本的に県立高校には入れないわけですね。
鈴木 そうです。その規定を変えてもらおうとお願いしてOKになりました。その結果、初年度に神戸から1人来てくれました。昨年は3人です。今年も3人が入学してくれる予定になっています。教育の機会をしっかり与えることで、若い人の町への定住につながります。次代を担う若い人材を育てるのはとても大事です。
くずまき高原 ヨーグルトで乾杯
渡邉 若者の定着には雇用も大きな問題です。葛巻町では酪農や林業に力を入れ、また、ワインづくりも成功させました。
鈴木 昭和50年代、私が町職員として役場で働いていた20代のとき、多くの町がレジャー産業や企業誘致などを通じて町おこしをしようと考えていました。葛巻もほかの町と同じように努力しましたが、うまくはいきませんでした。海がない、高速道路がない、鉄道もない、温泉もない、スキー場もゴルフ場もない。そんな町で2代目の町長は、5,000頭の牛を1万頭に増やし、酪農の町をつくろうと考えました。当時、町の予算規模が年間30億円という状況で、牧草地や舗装道路の整備に146億5,000万円をかけました。先代の情熱が実を結び、葛巻は酪農の町になりました。今では県内で牛の美人コンテスト(ホルスタイン共進会)をやると、葛巻の牛が上位入賞の半分を占めます。
渡邉 ワインも町の特産品ですね。
鈴木 酪農はまだ基盤がありましたが、ワインはぶどうもなければつくり方もわかりません。ところが当時の町長は「山にたくさん山ぶどうがあるだろう。それを使おう」と。そこで、私が東京の農業科学研究所に派遣されて勉強しました。正直なところ「できるわけがない」と思っていましたが、東京から北海道の十勝、池田町に勉強にいって目が覚めました。全国から観光客がバスを連ねて訪れ、ワインが売れに売れ、レストランの売上げもすごい。職員が頻繁に海外視察に訪れて、ワインの研究を重ねている。こんな町づくりができるのかと、本当に驚きました。
鈴木 一本もぶどうの木がない状況だったので、自生している木から挿し木で苗木をつくるところから始めました。最初はぶどうが足りなくて山に自生しているものも使いました。ようやくできたワインは酸味が強く、あまりおいしくなかった。それを出荷したので、「葛巻ワインは高くておいしくない」というイメージが定着してしまいました。その後、おいしいワインができたのですが、一度定着したイメージを覆すのに苦労しました。店に置いてもらおうと営業をしても門前払いというような状況です。そこで一計を案じ、客として店を訪れ「葛巻ワインがほしい」と注文しました。ほとんど店で扱っていないわけですから、取り寄せになります。すると、たいてい店は1ダース単位で仕入れなければならないので、私が買った1本以外はいやでも売らないといけない。しかたなく売ってもらっているうちに、以前の評判が覆っていったのです。そうして、ようやく数が出るようになりました。おかげさまで最近は品評会で賞をもらうまでになりました。
渡邉 アイディアマンである町長の熱意と工夫が生んだ大変興味深いお話です。最後に町長の目指すまちづくりについて教えてください。
鈴木 誰もが安心して暮らせることが大事です。そのために我々はひとつずつ安心を確保していきます。たとえば年をとって外に出られなくなったとき、情報が入らなくなるのはとても不安です。そこでどんな環境にいても情報が入るような基盤を整えました。葛巻では町営ケーブルテレビ「くずまきテレビ」で、町の情報がすべてわかります。町内での葬儀の日程から病院の休診日、今どこで火災が発生しているかなどさまざまな情報を放送しています。もちろん議会も放送します。自宅のテレビで議会をすべて生中継で見られるというところはほかにないでしょう。
渡邉 葛巻町は「何もない」とおっしゃいましたが、まちづくりのさまざまな取り組みをうかがうと、何でもある町のように思えます。本日はどうもありがとうございました。
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鈴木重男氏 : 葛巻町 (岩手県) 町長
昭和30年(1955年)生まれ。
葛巻町のワイン事業参入のために農業科学化研究所に派遣され、ブドウの栽培やワインの醸造技術を学ぶ。その後葛巻町でブドウ苗木の育成やワイン工場の設立に関与し、特用林産課長、事業部長を経て、1995年にくずまきワイン常務取締役に就任。1999年からは葛巻町畜産開発公社の専務理事やくずまきワイン経営アドバイザーを兼任。
平成19年(2007年)葛巻町長に就任。
著書:「ワインとミルクで地域おこし: 岩手県葛巻町の挑戦」
葛巻町 町長からのメッセージ