2023年7月12日
広瀬 統一(早稲田大学 スポーツ科学学術院 教授/日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー)
- 調査・研究
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2023年7月12日
広瀬 統一(早稲田大学 スポーツ科学学術院 教授/日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー)
「スポーツに怪我はつきもの」から、「スポーツの怪我は予防するもの」へ。これが今、日本のスポーツ現場に求められているパラダイムシフトである。確かに、スポーツ活動は日常生活よりも怪我や事故のリスクは高いだろう。だからといって、怪我や事故を未然に防ぐための取り組みをしないでもよいという理屈にはならない。世界では、すでに子どもたちのスポーツ傷害予防が推進されている。国際オリンピック委員会はスポーツ傷害や疾病の予防だけに焦点化した学術会議を定期的に開催し、2015年にはユース・アスリート育成に関する提言にてスポーツ傷害や事故の予防推進の必要性を具体例も含めて示している1)。本分野の学術研究の加速度的な発展により、適切なスポーツ傷害予防のための体づくり、すなわちコンディショニングにより約50%の怪我が防げることも示されている2)。しかし、運動部活動での傷害は必ずしも減っていない。
現在、休日の中学校部活動の地域移行、すなわち地域クラブ活動への移行の動きが進みつつある。複数学校の生徒が一緒に活動する受け皿として、自治体あるいは総合型スポーツクラブや民間事業者が運営するものが想定されている* 。地域クラブ活動では生徒や指導者など人的な多様化に加え、活動場所も多様化する。これらの変化にはポジティブな側面が多々ある一方で、情報が指導者間で共有されないことによるスポーツ傷害や事故の増加もあり得る。例えば、定期試験前には睡眠時間が減少して体調を悪化させうる3)。試験日程や学校行事が異なる複数の生徒が一緒に活動する場合、これまで以上に個々の体調に合わせた練習負荷調整が必要になる。また活動場所ごとに練習器具の種類や、救急資材(AEDなど)の設置箇所と使用可否条件が異なるなども想定される。このような情報を指導者や生徒に周知されていないことによる事故も、すでに生じている。
スポーツ傷害予防には、怪我をしないための体や動きづくり(一次予防)、早期発見と対応(二次予防)、怪我をした後の再発予防(三次予防)を包括的に行える環境が必要である。部活動指導者を担いうるスポーツ少年団の指導者のなかで、これらの予防的措置を講じている例は未だ少ない。さらに指導者が重篤なスポーツ傷害への対応を不安視している現状もある4)。指導者がスポーツ傷害予防に関する認識を深め、正しい知識を持つことは必要不可欠である。しかしスポーツパフォーマンスが高度化し、子どもたちの要望が技術向上だけでなく体調管理や動きの分析など多様化かつ専門化している今3)、すべてを部活動指導者だけに委ねてよいのだろうか?子どもたちがスポーツを楽しみ、また指導者も安心して指導に専念できるサステナブルな環境構築のためには、各種専門家の連携が生命線となる。地域クラブ活動でスポーツ傷害予防を推進する専門家には、スポーツ医・科学に関する専門的かつ幅広い知識と技能に加えて、子ども達の成長を支援する思考や態度も求められる。現状では日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナーをはじめとして、様々な有資格者が地域スポーツ現場で「トレーナー」として活動している。今後は、上述した一定の素養を担保した専門家の育成や地域クラブでの活用が求められる。そうすることで、地域医療と連携した三次予防も達成できるだろう。
筆者はこれまでに何度か、スポーツ現場で救急対応にあたっている。そのうちの一回は子どもの試合観戦に来ていた父親に対するものであった。父親は後遺障害なく社会復帰したが、父親が退院するまでの子どもの不安そうな様子を、今でも鮮明に覚えている。高校部活動で生じた死亡事故の約8割は救急対応の専門的教育を受けていないものが対応している5)。「もし自分の大切なひとがこの状況におかれたら」、と想像して欲しい。
また、専門的な支援を受けた子ども達は意識が変わる。怪我をした後の競技復帰過程に関して、アスレティックトレーナーの支援を受けていないものは「安静」を、支援を受けたものは「トレーニング」を想起する6)。後者のように、たとえ怪我をしても体づくりを通じて再発予防と競技力向上が同時にできるという認識を持つ子ども達がつくる未来には、予防医学が当たり前のように社会実装された姿が想像できる。さらにトレーナーをハブとした地域クラブと地域医療、教育研究機関、自治体等との連携は、子ども達の将来の選択肢拡大や、互恵的なコミュニティづくりにもつながる。これは筆者がかつて支援した子ども達が時を経てトレーナーや指導者になり、地域の子どもや障がい児者の支援にあたっている姿から想像するものである。
エビデンスや経験をもとに想像力を働かせる。これが本邦でパラダイムシフトを起こし、新たな価値と未来を創造するために必要である。
*運営主体を各学校としたまま、外部指導者(部活動指導者)による指導体制づくりも移行措置として想定されている。また、本稿の前提として運動部活動の取り組みを対象としている。
【参考文献】
1)Bergeron M et al. (2015). International Olympic Committee consensus statement on youth athletic development. Br J Sport Med, 49(13), 843-851.
2)Soligard T, et al.(2008). Comprehensive warm-up programme to prevent injuries in young female footballers: cluster randomised controlled trial. BMJ, 1-9.
3)広瀬統一, 他.(2021). スポーツ活動に従事する中学生のスポーツ経験,傷害・疾病,生活様式,専門的支援に関する現状.日本アスレティックトレーニング学会誌,6(2), 213-230.
4)日本スポーツ協会.(2022).スポーツ少年団指導者の救急対応に関する経験・認識の実態調査報告書.
5)Yamanaka M, et al. (2021). Epidemiology of sports-related fatalities during organized school sports in Japanese high schools between 2009 and 2018. PLoS One, 16(8), e0256383.
6)小谷亮輔 他. (2023). 体育的(運動)部活動へのATサポートが高校生の外傷・障害受傷後の競技復帰に与える影響.第12回日本アスレティックトレーニング学会学術大会抄録集.