2021.03.18
- 調査・研究
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
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スポーツ政策研究所を組織し、Mission&Visionの達成に向けさまざまな研究調査活動を行います。客観的な分析・研究に基づく実現性のある政策提言につなげています。
自治体・スポーツ組織・企業・教育機関等と連携し、スポーツ推進計画の策定やスポーツ振興、地域課題の解決につながる取り組みを共同で実践しています。
「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。
日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。
2021.03.18
通常、オリンピック・パラリンピック招致を考える場合は、ターゲットとする開催年の10年以上前から活動を開始する。先ずは、計画が国際オリンピック委員会(IOC)の目指す方向に沿っているのか、「オリンピック憲章」や「アジェンダ2020」などを参照しながら構想を考える。オリンピック・パラリンピックが求める価値、社会にもたらし得る価値を国民、市民が理解しているか、また立候補都市や国の特徴を反映しているかなどを検討しなければならない。
IOCは2019年6月の総会において、2030年以降の冬季大会とユースオリンピックの開催に関して複数の都市・地域・国による立候補を承認し、選定時期の柔軟化など招致プロセスを大きく変化させた。立候補するにあたり、国民の立候補都市への支持率の数値が重要視され、日頃からのオリンピックムーブメント推進が大きなポイントとなった。
IOCは決定する2年前から立候補都市に対する評価委員会を立ち上げ、基本計画などを精査しIOC委員に通知する。開催7年前に総会を開き、IOC委員による投票で過半数を獲得した都市を開催都市として決定する。
2020東京大会の場合、2016年大会招致に失敗し再立候補の末、招致に成功した。私も招致活動のお手伝いをしたが、前回失敗の反省に基づいて準備を進めたことが開催をかち得た最大の要因だといっていい。
2016オリンピック東京招致、IOC総会に向けた出陣式でスピーチする石原慎太郎都知事(2009年)
簡単に開催都市決定までの経緯を紹介しておこう。
東京にオリンピック・パラリンピックを呼ぼうと提唱したのは当時の石原慎太郎東京都知事である。2006年3月に東京都議会が招致を決議し、翌年正式に立候補した。しかし国民の支持率は伸びず、2009年10月2日デンマークのコペンハーゲンで行われたIOC総会で敗れた。
東京が再度、立候補を正式に表明したのが2011年7月。この年3月11日に東日本大震災が発生して岩手、宮城、福島などで大きな被害があった。石原知事は被害の大きさを考えて逡巡する一方で、被災3県の知事の賛同を得て復興を世界に示す「復興五輪」として招致する意向を示した。
その後、石原知事が任期途中で辞職して猪瀬直樹知事に替わり、2013年9月7日アルゼンチンのブエノスアイレスで開催されたIOC総会では1回目の投票でマドリード、決戦となった2回目の投票でイスタンブールを破って開催都市に決まった。
「復興五輪」のテーマは取り下げられていたが世界の関心は高く、福島原発事故の処理に関して安倍晋三首相の「アンダーコントロール」発言が大きな話題になった。日本は責務として復活を世界に示さなければならない。
東京は財政や治安、大会運営などで高い評価を得ていたものの支持率が課題だった。いろいろな方策を実施、2016年では50%超だった支持率が75%まで高まった。招致成功の大きな要因であった。
苦労して勝ち取った2020年東京大会だが、残念ながら新型コロナウイルス感染拡大によるパンデミック(世界的流行)で史上初めて開催が1年延期された。オリンピックそのものの意義、存在感も少なからず変わってきている。そんななかでも、アスリートや大会関係者が医療従事者のサポートを得て、パンデミックを克服した形で開催されることは「人類がコロナウイルスに打ち勝った証」となることを確信する。
いまの日本のスポーツ界の隆盛や、アスリートがスポーツで生活していくという人生設計ができるようになったのは、1964年の東京オリンピックがあったからにほかならない。1964年のレガシーで50年以上、スポーツ界は繁栄を謳歌してきた。
しかし、50年以上経過してスポーツ界は時代の変化や要望に対応しきれなくなり、さらに少子高齢化を迎えている昨今、時代に合わせていろいろな意味でのリセット、再構築が求められるようになった。
新型コロナウイルスの世界的な蔓延は「Withコロナ」の時代をいかに生きるか、考えることを求めている。世界中の人たちが生き方を変えようとしている時代である。
東京2020大会開催はスポーツ界の再構築に最高の機会となるとともに、日本がイノベーティブな事案を発信していく絶好の機会となろう。開催意義がそこにある。世の中が感じている閉塞感を破るものとして、開催がベストシナリオだと思う所以である。
スポーツ業界のみならず、オリンピックに関わる企業は開催都市が決まると7年後に向けて、開催国でのビジネスチャンスを求めて販売チャネルや市場での商品売上の拡大などの戦略を立てて実行していく。スポーツメーカーは4年に1度の最高の舞台で、いかに自社製品をアピールするかを追求し、販売拡大、ブランドイメージや企業の認知度向上をめざす。
アスリートだけでなく、スポーツメーカーも地上最大のイベントでいかに自社の地位を確立できるか、頂点をめざす。どんな製品を開発し、アスリートの夢やチームの優勝、世界新記録などに貢献できるか、開催都市決定ごとに、新たな取り組みを始めるのだ。
商品の研究・開発と同時に、営業戦略としてどんな競技のアスリート、チーム、競技団体、あるいはどこの国・地域に攻勢をかけるか、情報を収集しマーケティング戦略を立案する。スポーツ用品は計画的なエビデンスを作成することが難しく、最終的に市場にインパクトを与えるのは優勝チームやアスリートである。スーパースターやヒーロー、ヒロインが着用したシューズやウェアが最も効果的な販売力向上につながる。逆に言えば、そうしたスーパースターに自社製品を着せて最高のパフォーマンスを披露してもらうことが、最も効率の良い営業手法となる。
1984年ロサンゼルス大会の陸上男子100mで優勝を決め、ウイニングランをするカール・ルイス。ナイキのシューズを履いている
消費者はアスリートの使用した商品で感動を味わい、またチームと同じデザインのレプリカウェアでアスリートを応援し、一緒に戦っている気分を楽しむ。特にサッカーのFIFAワールドカップの「SAMURAIブルーのTシャツ」や「日本オリンピック選手団のレプリカウェア」は人気も浸透力も高く、大会終了後の売上に大きく貢献している。だからこそ、スポーツメーカーは“広告塔”になるアスリートの獲得を競うのである。
私が関わった事案をあげれば、「20世紀最高のオリンピック選手」と言われた陸上競技のスーパースター、米国のカール・ルイス“獲得”である。
1984年ロサンゼルス大会以降、オリンピックが商業化に舵を切り、マスメディアを通してアスリートの露出効果は全世界に一段と拡大した。どの競技の金メダルも素晴らしいが、なかでも「地上最速の人間」と称される男子100mの金メダリストは格別な存在感を持つ。それはルイスやオリンピック3連覇のウサイン・ボルト(ジャマイカ)の存在が証明していよう。彼らはオリンピックを通じて超スーパースターとなり、彼らが身につける物は全世界にブランド認知度を向上させ同時に売上に絶大な効果をもたらした。
ルイスと接触した当時、ミズノはまだスーパースターを活用する戦略を持ってはいなかった。野球やゴルフでは認知されていたが、その他の競技では発展途上だった。1984年ロサンゼルスで100m、200m、走り幅跳び、400mリレーで4冠に輝いたルイスの姿を目の当たりにしたミズノでは、彼こそ企業ブランドを高める存在だとして「ルイス獲得」を目指した。
1992年バルセロナ大会の陸上男子走幅跳で金メダルを獲得したカール・ルイス。シューズはミズノ製
ロサンゼルスをナイキの靴で走ったルイスはその後、契約を終了し、当時どこのメーカーとも契約していなかった。サンプルを持って米国に行って辛抱強く交渉、ルイスの希望にも耳を傾けて、最終的に契約にこぎつけたのは1987年ローマで開催された世界陸上選手権の数日前だった。ドーピングで陸上界を追われたベン・ジョンソン(カナダ)との1987、1988年の因縁の戦いを経て、30歳のルイスが9秒86の驚異的な世界新記録をうちたてたのが1991年東京の世界陸上選手権。ミズノの開発担当が精魂傾けて、190gのシューズを115gまで軽量化した“魔法の靴”が大きな役割を果たした。
当時、全国のスポーツ店から「店員が説明しなくても『ルイスの履いているシューズをください』と少年ランナーが買いにくる」と報告が寄せられて、感動したことを覚えている。父親が1万円もしない靴を履いているのに、1万5000円もするシューズを買うという現象が起きていた。
このルイス獲得の副産物が、1988年ソウル大会陸上女子100mの金メダリスト、フローレンス・ジョイナーの獲得だった。男女の最速ランナーがミズノのブランドイメージを高めてくれたことは言うまでもない。
だからこそ、スポーツメーカーは大会時にどこの国のどんなアスリートがどんなパフォーマンスを残し、どんな結果を残すか大変気がかりなのである。さらに大会期間中には、各NOC(国内オリンピック委員会)や各NF(国内競技団体)と次の大会に向けて交渉を始めるのである。
日本の場合、多くのアスリートはそれぞれ事業団チームの所属として、いろいろな企業のサポートを受けて競技生活を送り、現役引退後も引き続き、働ける環境が保証されているケースは少なくない。近年はプロ化する選手たちも陸上や水泳などでもみられるが、やはりアスリートと競技団体を支えているのは企業に他ならない。
しかし2020東京、2022年北京冬季大会代表切符を確実に手にしているアスリートはまだよいが、2024年パリ大会、2026年ミラノ・コルティナダンペッツオ冬季大会をめざすアスリートを取りまく環境は、大変厳しい。コロナ禍による企業の業績悪化の影響を被る可能性は否定できない。
スポーツ振興くじ助成金(toto助成)はJOCを通して各競技団体に配分されているが、すべてのアスリートにいき渡るわけではない。2020大会が終了すると、選手強化に割く予算も縮小され、恩恵を受けることができるアスリートはほんのひとにぎりに過ぎない。各競技団体、スリート個人は企業の理解とサポートがなければ競技を継続していくことさえ難しいのが現実だ。
2020大会開催延期によって、アスリートは練習計画を修正し、ピークの時期を新たに設定し直すことが求められた。各企業も大会開催のタイミングに合わせた計画の変更を余儀なくされて、その影響は計り知れない。例えば旅行業界ではオリンピック・パラリンピック開催によるインバウンド効果をもくろみ、大きな投資を行ったが、それが水泡に帰し、新たな戦略の見直しが必要となった。
スポーツメーカーもアスリートとともに開発してきたシューズや水着などの新商品発表の時期が狂い、場合によっては体形の変化に合わせて一から商品開発を見直さなければならない。開発への再投資は決して容易なことではなく、それがアスリートにも影響しないと断言はできない。
スポーツは健康長寿社会に貢献し、スポーツ活動は子供の成長に体力面だけでなく精神面やインテグリティーなどの形成においても欠かすことのできない存在である。その起爆剤がオリンピック・パラリンピックだ。
いま日本では「少子化」が指摘されて久しい。少子化により、子どもを含めたスポーツ人口、スポーツ実施率の底上げができるかどうか、わからない。そしてスポーツメーカーにとっては、スポーツ用品の売上げがどうなるか、大いに気を揉むところだ。
メガ・スポーツイベントでは確実にスポーツ用品の売上促進が見込まれる。また各国・地域の代表などトップチームに納品するために各メーカーは商品開発の技術を競う。前述した通り、日本代表選手団着用のウェアは信頼度が高く、店頭でも常に優位性が持たれている。科学的な動作解析を行い、パフォーマンスに合った革新的な商品開発は今や水平展開され、ノウハウが看護師のウェアなど作業服として商品化された。技術革新はアスリートだけでなく、すべての人々に高品質な商品を提供し、さまざまな分野でのモチベーションを支える重要な要素となったといえよう。
オリンピック・パラリンピックを通じた平和な社会の構築、スポーツを通じた健全な身体の育成、長寿の社会の形成が指摘されて久しい。スポーツは人間にとってなくてはならないもの、オリンピック・パラリンピック開催の意義だとも言われている。それはスポーツ、アスリートを支える企業にとって同様、だからこそ持続可能なオリンピック・パラリンピック開催を願うものである。