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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

小平奈緒と李相花の物語を語り継ぐために…

【オリンピック・パラリンピックのレガシー】

2018.02.20

平昌オリンピック、スピードスケート女子500mで金メダルに輝き日の丸を持って声援に応える小平奈緒。(2018年)

平昌オリンピック、スピードスケート女子500mで金メダルに輝き日の丸を持って声援に応える小平奈緒。(2018年)

2018年平昌冬季大会は核開発で国際社会から孤立する北朝鮮の参加をめぐり、政治の影響が色濃く表われたオリンピックだった。そう、断言することに異論を唱える人はそうはいないだろう。

ただ、平昌を「政治に左右された大会だ」と記憶するだけでは寂しい。政治の思惑に囚われることなく、選手たちは見事なパフォーマンスをみせた。高みをめざして全力を尽くす姿は、やはりスポーツの真髄であった。

そして、この地でオリンピックの長い歴史に残しておきたい、いや語り継いでいくべき物語が生まれた。それを忘れてはならない。

平昌オリンピック、スピードスケート女子500mのレース後、健闘を讃えあう金メダルの小平奈緒(右)と銀メダルの韓国の李相花

平昌オリンピック、スピードスケート女子500mのレース後、健闘を讃えあう金メダルの小平奈緒(右)と銀メダルの韓国の李相花

2018年2月18日、スピードスケート女子500mで優勝した小平奈緒と2位になった韓国・李相花との物語である。少し長くなるが、記録に留めておきたい。

あの日、先に走った小平は36秒94。オリンピック新記録を樹立、会場を沸かせた。とりわけ、日本からの応援団は喜びを爆発、大きな歓声をあげた。そのとき、小平は口元に指を押し当てた。次に走る選手のため、静まってほしいとの願いである。

李は次の組。2010年バンクーバー、2014年ソチを連覇し、世界記録を持つ最大のライバルである。気持ちを集中した李は速いラップで飛びだした。しかし、わずかに0秒39、小平には届かなかった。

母国で3連覇を逃した李はしかし、感謝の思いを込め、太極旗を手にリンクをまわる。その背に「イ・サンファ」コールが降り注いだ。あふれる涙を隠さず、リンクを1周した彼女を出迎え、抱きしめたのは小平である。背には日の丸。そのとき、北朝鮮への対応や慰安婦像問題をめぐって少しギクシャクする日韓両国の旗が、寄り添いながら交じり合った。

「よく頑張ったね。相花をリスペクトしているよ」

小平は耳元でささやいたという。

氷の上で火花を散らしてきたライバルは、長い友人でもある。双方がそれぞれの国を訪ねて旧交を温めたこともあった。悲愴な思いで小平がオランダに留学したことや、2連覇したあと、李がケガに悩まされ続けたことはわかりあっていた。もちろん、国を背負う重さを、ふたりで語り合ったに違いない。

ふたりは肩を抱いたまま、ゆっくりとリンクをまわった。つくられた〝統一〟にはない自然な姿がそこにあった。

このコラムのテーマは「オリンピック・パラリンピック教育」である。にも関わらず、なぜ、ふたりの話を長く書き綴ったのか。

この話こそ、格好の〝教材〟として、学校教育のなかで取り上げてもらいたい。心底、そう思っているからである。

近代オリンピックを創始したフランスのクーベルタン男爵

近代オリンピックを創始したフランスのクーベルタン男爵

「オリンピックバリュー」という言葉を聞いたことがおありだろうか。

国際オリンピック委員会(IOC)は、オリンピックの価値として「Excellence」「Friendship」「Respect」の3つを掲げる。「卓越」「友情」そして「敬意・尊重」と日本では訳されており、創始者ピエール・ド・クーベルタンが唱えた基本理念「オリンピズム」とともに、オリンピック教育の根幹とされている。

しかし、言葉だけで意味を理解することは可能だろうか。私自身、筆をもつ〝仕事〟ながら、表現する難しさを覚える。

では、小平と李の物語はどうだろう。ふたりはライバルである。おたがいを意識し、高めあって技術を磨き、高いレベルを目指してきた。その結果が優勝と2位だ。

ふたりは友人でもある。国の体制や文化、社会的環境を乗り越えて交流を深めてきた。そして、お互いがお互いの素晴らしさをよく知り、互いを尊敬しあっている。

それはスピードスケートというスポーツ、オリンピックという世界のアスリートが目標とする大会を通して培われたものにほかならない。目の前で起きた実際のレースが、残念ながら文章では書き尽くせないほど雄弁に、「オリンピックの価値」を物語っている。

だからこそ、印象が濃いうちに教育の場で「オリンピックの価値」「スポーツの意義」とともに教えてもらいたいのである。

すでに、実践された先生たちもいらっしゃるかとは思う。ただ、多くの教育の場では、「すごかったねえ」「小平さん、りっぱだったね」で終わっているのではないだろうか。杞憂ならいいが、先生によって、あるいは地域でモチベーションも異なるように思う。

平昌オリンピック開会式で日本選手団の旗手を務めた葛西紀明(2018年)

平昌オリンピック開会式で日本選手団の旗手を務めた葛西紀明(2018年)

2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まり、「学ぶ」ことに関心が集まった。しかし、全国の多くの学校現場ではいまだ戸惑いが続いている。

先生の悩みをしばしば耳にする。「どう教えたらいいんでしょう」「あまりオリンピックやスポーツの知識がないので…」「どなたか教えて頂ける方をご存知ありませんか」

オリンピックでは、IOCのワールドワイドスポンサーであるパナソニックが教材を配布、学校教育の場での普及に務める。日本財団パラリンピックサポートセンターが国際パラリンピック委員会(IPC)と協力し「I’m Possible」と題したパラリンピック教材を作成、全国の小学校への配布を始めた。教員むけに指導教本も添えられた。それらに限らず、教育への取り組みは少なくない。

東京都教育委員会では都内の国公立、私立を問わず小学4年生以上の児童、生徒全員に『オリンピック・パラリンピック学習読本』を配布した。中学生、高校生に加えて教員用も製作、締めて部数は100万冊を超える。読本には、オリンピック、パラリンピックを知るための材料が埋め込まれた。

都ではまた、全小中学校での教育の推進を図る。「ボランティアマインド」や「障害者理解」、「スポーツ志向」、また「日本人としての自覚と誇り」、「豊かな国際感覚」の5つが重点に置かれた。とはいえ学習時間は年35時間、週1コマである。さて、どれだけ学校の場で学ぶことができるのか。

もちろん熱心な学校、そうともいえない学校との差は歴然。全国レベルでみれば、東京を始めに競技が実施される地域と、そうではない地域との格差は大きい。せめて合宿地として選んでもらえれば、交流を通した教育が可能になると考える自治体も少なくない。

長野オリンピック時の一校一国運動でルーマニアの選手と交流する子どもたち(1998年)

長野オリンピック時の一校一国運動でルーマニアの選手と交流する子どもたち(1998年)

オリンピック、パラリンピックは大学も含め、青少年教育の宝庫である。競技とその周辺に限らず、国家・国際問題や歴史・文化、スポーツビジネスと商業主義、女性・人種差別やドーピング(禁止薬物使用)、科学研究や都市・社会創成など、学び、教える材料には事欠かない。オリンピズムやオリンピックバリューが伝える「フェアプレーの精神」や「スポーツマンシップ」は時代や地域を越えて生きていく真理といっていい。

だからこそ、活動が一過性であってはならない。過去、1964年東京でも、1972年札幌冬季でもオリンピック教育は実施された。1998年長野冬季では、「一校一国運動」というムーブメントまで起きた。

一校一国運動こそ、この平昌冬季大会でも実施されるなど、レガシーとなったが、1964年や1972年の教育は断絶して久しい。2020年、新たにオリンピック、パラリンピック教育を始める以上、大会を超えて後世にまで続いていかなければ意味はない。

「オリンピック教育は一回限りではなく、続けていくことが大事。学生が面白がることも重要な要素です」。そう語ったのは筑波大体育専門学群長の真田久教授。オリンピック教育に熱心な、東京都八王子市立横山第二小学校の上田隆司先生は経験を踏まえてこう話す。「学校で学んでいる内容にオリンピックの要素を加えるだけでいい。意気込まないで三日坊主にならないことです」

オリンピックやパラリンピックの現場、あるいはスポーツイベントを通して「価値」や「意義」を伝えていく。小学生から大学生、いや社会人まで、楽しみながら学ぶ環境を整えられるか。2020年から未来に向けた課題のひとつである。

平昌オリンピック、スピードスケート女子500m オリンピック新記録で金メダルを獲得した小平奈緒(2018年)

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  • 佐野 慎輔 尚美学園大学 教授/産経新聞 客員論説委員
    笹川スポーツ財団 理事/上席特別研究員

    1954年生まれ。報知新聞社を経て産経新聞社入社。産経新聞シドニー支局長、外信部次長、編集局次長兼運動部長、サンケイスポーツ代表、産経新聞社取締役などを歴任。スポーツ記者を30年間以上経験し、野球とオリンピックを各15年間担当。5回のオリンピック取材の経験を持つ。日本スポーツフェアネス推進機構体制審議委員、B&G財団理事、日本モーターボート競走会評議員等も務める。近著に『嘉納治五郎』『中村裕』(以上、小峰書店)など。共著に『スポーツレガシーの探求』(ベ―スボールマガジン社)『これからのスポーツガバナンス』(創文企画)など。