持続可能なパラスポーツ支援に必要な“自分ごと”
山脇康氏
―― 2014年に立ちあがったスポーツチームの経緯について教えてください。
2014年4月から当社内にスポーツチームが立ち上がることとなり、私が責任者として早大スキー部の指導と兼務する形で着任しました。前述した通り、車いすバスケットボールへのサポートから拡大するというシナリオは描いたものの、実際の「DO」の部分はこれからという状況でしたので、正直何をどうすればいいのか、アクションプランは何もありませんでした。それで大日方さんはじめパラスポーツ関係者や、JOC(日本オリンピック委員会)、中央競技団体あるいはナショナルチーム関係、スポーツ人脈をたどりいろいろと話を聞き、情報収集しました。その過程で、JPC(日本パラリンピック委員会)という組織があることがわかりました。当時JPC委員長の山脇康さん(現・日本財団パラスポーツサポートセンター会長)および日本パラスポーツ協会(以下、JPSA)の方を紹介いただき、お目にかかりました。「当社ではパラスポーツを応援する事業を展開していきたいと思っているのですが、どのようなことをしたらいいでしょうか」とざっくばらんに伺いました。すると「まずは、ぜひ大会に来てほしい、ご自身の目で現状を見てもらえたらありがたい」と。そこで直近の大会に足を運んだところ、JPSAの皆さんがおっしゃっていた通り、観客席はほぼ空席状態でした。「これが、日本のパラスポーツの現状なのだな」とわかり、まずは社員に大会で応援してもらうところから始めようと考えました。加えて山脇さんから「JPSAのスポンサーになっていただけませんか」というお話もありました。金額的にもいけそうだったので、その場で「わかりました」と私の独断でお返事をしてしまいました。
ジャンプ選手採用、櫻井梨子選手
―― 即断即決ですね。
というのも、当社は、スポーツに関しては、いわば白地でしたので、取り組みをするための土台をつくりたいと考えていたので、JPSAへのスポンサードは最初からありだと判断していました。自分たちがやろうとしていることにしっかりと結びつくものですし、スポンサーという形であれば社内でも「パラスポーツを応援している」ということが形としてわかりやすく、浸透しやすいだろうと思えたのです。私の意見に、社長も理解を示してくれ、稟議もスムーズに通り、早々にJPSAとスポンサー締結をしました。その後、7月に初めてゴールボールの大会を応援しに行くことになったのですが、驚いたことに100人ほどの社員が来てくれました。ほかの観客はほとんどいなくて、当社の応援団だけがスタンドを独占するような状態でした。試合の合間には、体験会もあって、まるで弊社の社員のために開かれているような感じだったのですが、初めてのパラスポーツ観戦は社員にとってもインパクトの強いものになったようでした。アンケートを実施したところ、「とても良かったので、こういう事業をこれからも続けてほしい」というようなことを書いてくれた社員が多くいました。
その時に「スローガンをつくろう」と思い立ち、“観て感じて考える”というスローガンを掲げました。まずは実際に見てもらわないとわからないですし、見れば何か感じてもらうことができます。そして、損保会社の社員として自分ごとに置き換えて考えてみよう、というような思いが込められています。このスローガンは現在に至るまで継続されています。以降、当社のスポーツ支援の柱として大会応援を位置づけています。
競泳選手採用、牧野紘子選手
―― 社内の雰囲気も変わって、2015年からは、他社に先駆けてパラアスリートの採用を推進し、現在は所属アスリート21人のうち13人がパラアスリートです。
パラアスリートの採用については、2014年にスポーツチームが組成される前から考えていました。スポーツを応援するなかで、最も大切なのは現場であり、選手だということはスポーツ界にいた人間としてわかっていたので、社内に選手がいないことには本当のパラスポーツの支援にはならないだろうと感じていました。2014年秋に人事部に、アスリート雇用の制度設計を依頼しました。その大きなきっかけとなったのは、会場に足を運んでパラスポーツを応援するというプロジェクトを進めていくなかで、あることを感じたことにありました。最初は初めて見る光景に、どの社員も「すごい!」と驚いた様子で夢中になるのですが、長時間見ていると、そのうち飽きがきてしまうのです。というのも、パラスポーツの場合、クラブチーム戦で、チームにも選手にもまったく関わりがないために、勝敗に関わる感情がまったく湧いてこない、応援の対象が不在、ということでした。そうした社員の姿を見ていて、「やっぱり所属選手がいなければ。選手が真ん中にいることが大事だ」とあらためて感じました。アスリート雇用はパラアスリートから開始しましたが、現在では、オリンピック・パラリンピック垣根なく採用しています。当社では、オリンピック・パラリンピック一緒にアスリート研修会を開催したり、選手間のコミュニケーションの場づくりを行っています。選手の相互交流も選手の成長に大きな意味を持つと思っています。
社員の大会応援風景
―― スポーツチームが立ち上がって、今年でちょうど10年目になります。フィードバックしながら推し進められてきたと思いますが、社内ではどのような変化があったのでしょうか?
会社事業であればすべて数値化されています。選手であれば成績などで数値化できます。スポーツ領域の事業に対して評価するうえでの数値化というのは難しいため、スタート時から続けてきた社内アンケートを用いて社員の意識がどう変わってきたかを“見える化”しよう、それをKPI指標にしようと考えました。アンケートはいくつかの設問に対して、5段階で選んでもらい、最後は自由に感想や意見が書けるようなフリースペースをつくっています。初期のころは、単に「すごい」とか「初めて見ました」というような漠然としたコメントが多かったのですが、2018年ごろになると「今度は家族を連れて見に行きたい」「こういう体験の場を、全国展開していくべき」「応援にとどまらず、運営にも携わりたい」「選手を一緒に支えたい」というような、自分ごとに置き換えたコメントが増えてきました。そこで、JPSAにお願いをして、大会時に企業ボランティアの枠をつくっていただき、今では当社の社員は応援とボランティアの両方で大会に携わるようになりました。2017年に創設したのが「パラアスリートスカラシップ制度」(2022年度まで)です。昨今では桃佳選手のように大学に進学をして競技を続けるというパラアスリートが増えてきているので、将来を嘱望された選手を経済的な面からサポートする給付奨学金制度をつくりました。
講演風景
2018年には、日本財団ボランティアサポートセンターと連携し、スポーツボランティアの魅力や楽しみ方を学べる基礎プログラム「スポーツボランティア研修会」を共催し、弊社の全国にある主要拠点9カ所で、希望の社員を対象に研修を行いました。さらに、全国の自治体と連携して、所属アスリートを派遣、講演会や小中学校での体験会を行うということも積極的に行っています。自治体や各都道府県の教育委員会から多くお声がけいただいており、地域密着型の支店を全国に持つ当社の強みでもあると考えています。これは選手にとって、社会での活動の場となり、能力開発にもつながり、デュアルキャリアの視点からも、将来を見据えたセカンドキャリアの視点からも、とても良い経験になるだろうと思います。選手たちも競技の合間に積極的に活動してくれています。自治体にとっても、選手にとっても、当社にとってもプラスとなり、しかもそれぞれ役割分担していますので、負担が軽減されて無理なく実行できます。持続可能な事業として展開されていて、2021年度には全国141カ所で講演会、体験会、小学校オリンピック・パラリンピック教育授業が行われるほどになっています。選手のセカンドキャリアのデザインを考えることも重要だと思っています。
競技を引退する選手が出た場合、セカンドキャリアとして2つの道をつくっています。ひとつは私たち一般の社員と同じように、「契約社員」「地域型社員」「全域型社員」のようにスタンダードにキャリアアップしていく道です。もうひとつは社内の仕事に限らず、アスリートとして培ってきた経験を生かした仕事もできるような道です。後者を取る選手が多いのですが、途中で業務の仕方やキャリアの道筋を変更するなど柔軟な対応を考えています。このように、社内には大きな変化が表れています。保険会社においては、スポーツが企業収益に直接結びつくことはありませんが、間接的に経営に貢献していると考えています。大きくは、当社のスポーツ支援が社会的意義を持ちつつあることです。社内的には、所属アスリートががんばる姿を見て、応援することによる効果が挙げられます。社内の一体感の醸成・職場チーム力の醸成・社員のモチベーション醸成など、良い方向の意識改革につながってきていることが挙げられます。パラスポーツを通じたダイバーシティへの理解促進も図られてきています。これは、社員アンケートからもみてとれます。
―― 御社のような取り組みはまだ特別だろうと思いますが、パラスポーツがさらに発展していくためには、今後はどのようなことが必要だとお感じですか?
支援となると、どうしても企業側の一方通行の視点からになるケースが散見され、選手から遠いところで考えられがちなのです。一番大事なのはいかに選手のために、選手に近いところで支援できるか、その発想をさらに広げていく必要があると思います。企業だけでDOするのではなく、もっと現場にいる選手を巻き込んで、一緒につくっていくべきではないかなと。そして最も大事なのは、継続すること。そうでなければ、いくらたくさんの火を灯しても、それぞれが一瞬で消えてしまってはあとに何も残りません。また、よくパラスポーツを通じて「共生社会」や「ダイバーシティ」を学ぶというようなことが言われていますが、当社ではオリンピックとパラリンピックは共通したスポーツの祭典で、その2つの間には壁がないということを伝えたいと考えています。スポーツを通じてマネジメントやマーケティングのことが学べるのと同じように、共生社会やダイバーシティを学ぶというイメージ。ロールモデルとして見せることが、アスリートの役割のひとつではないでしょうか。アスリートのそのような姿を通じて、社会に反映されるべきものがあると思います。個人の意識変革、企業内での効果、地域での効果、その集合体が社会におけるスポーツの価値に通じていくものと思います。スポーツの価値はひとつではありません。「勝利」という価値以上に、「プロセス」による価値に多くの原石がちりばめられているので、原石がダイヤに変わる過程にある価値をそれぞれの立場・ステージで「価値」と考えればよいと思います。まずは、スポーツが「文化」であることをさらに定着させたいですね。多様性社会が当たり前であることを、スポーツを通じて知る、学ぶ。スキーで言えば、フィンランドやロシア、オーストリア、ノルウェーなどではオリンピックとパラリンピックのスキー競技団体が一本化されて、健常者のスキー大会が開催されている会場に、パラスキーの大会もどんどん誘致されていきます。オリンピック委員会とパラリンピック委員会も融合されています。そのため海外に行くと、オリンピアンとパラリンピアンが一緒にいて当たり前になっている環境があります。一方、日本では組織自体が分かれていて、大会を開催するにも別々に開催することが当たり前になっています。組織自体が一本化する方向で変革されると、自ずとパラスポーツへの認識も大きく変化するように思います。
倉田 秀道氏(当日のインタビュー風景)
―― 倉田さんは、スポーツの価値についてはどんなふうにお考えでしょうか?
競技スポーツにおいて、まず重要なのは勝つことです。なぜなら、アスリートは何のために過酷なトレーニングをしているかというと、純粋に「勝つため」だからです。自分が立てた目標を達成する、どこにステージを置くかは選手それぞれに異なりますが、その「自己実現」が、競技スポーツにおいては「勝つこと」にほかなりません。ただし、それがすべてではなく最終的には勝つために費やしてきたプロセスを人生に生かすこと。これがスポーツの価値であり、その姿をロールモデルとして見せることが、アスリートの役割のひとつではないでしょうか。
アスリートのそのような姿を通じて、社会に反映されるべきものがあると思います。個人の意識変革、企業内での効果、地域での効果、その集合体が社会におけるスポーツの価値に通じていくものと思います。スポーツの価値はひとつではありません。「勝利」という価値以上に、「プロセス」による価値に多くの原石がちりばめられているので、原石がダイヤに変わる過程にある価値をそれぞれの立場・ステージで「価値」と考えればよいと思います。まずは、スポーツが「文化」であることをさらに定着させたいですね。
地域に根差すことがレガシー継承のカギに
―― コロナ禍で行われた東京2020大会は、倉田さんの目にはどのように映ったのでしょうか?
改めてスポーツは文化だなと感じました。オリンピック選手がパラリンピックのことを語る場面も多々ありましたし、パラリンピックの開催についても開会式から閉会式まで人々に訴えるものがあったと思います。それは言葉にすると「共生社会」というひと言に尽きるかもしれませんが、人々の間に壁はないことに対して理解が深まり、その意味での文化が垣間見えた大会だったように思います。ただ、共生社会の基盤が築かれたと結論づけるのは時期尚早かなと思います。基盤は人々の心や意識にありますので、ハード面でさえ基盤がまだ整っていないなかで、人々にはまだいきわたっていないように思います。もちろん数値化すれば、かつてよりはあらゆる指標が向上しているとは思いますが、ほかのパラスポーツ先進国と比べればまだまだ。それこそ「共生社会」と言っているうちは、当たり前になっていないということです。まだ基盤づくりの真っただ中であろうと言えます。
―― 東京2020大会のレガシーをどう残していくかが問われていることについては、いかがでしょうか?
まず、レガシーとして何を残すのか、残す意義をしっかりと考え、伝えることが大事だと思います。ハード面のレガシーは目に見えてわかりやすいかもしれませんが、真のレガシー創造とは、ソフト面(意識)であろうと思います。そして、レガシーを継承していく担い手は、国ではなく、私は地域だと考えています。さらに言えば地域の若い世代です。自治体に予算配分や助成をしたり、制度の大きな枠組みをつくるということは国の役割ですが、最終的に人々と一緒になって現場でまわしていくのは地域です。つまり、レガシーを継承していくには「地域」が大事なキーワードで、どれだけ地域に根差すことができ、地域で紡ぐことができるか、活用しながら残すことができるかがポイントになるのではないでしょうか。
左:1972年札幌オリンピックでフィギュアスケートと閉会式が行われた真駒内屋内競技場 右:1972年札幌オリンピックでジャンプ競技が開催された大倉山シャンツェ
―― 札幌が2030年冬季オリンピック・パラリンピックの招致をめざしていることについては、どのように感じられていますか?
解決しなければならない課題が山積していることは事実ですが、オリンピック・パラリンピックの開催自体には大きな意味がありますので個人的には賛成です。
ただ、まずは「アスリート・ファースト」として選手のために行われる大会であってほしいと思っています。また、前回の1972年札幌大会では、大倉山ジャンプ競技場やフィギュアスケートで使用された真駒内屋内競技場など、ハード面はすでにありますので、それを使用することがレガシーのひとつだと思います。また、1972年札幌大会の招致に伴って前年の1971年には札幌市営地下鉄が開業し、札幌市の発展にもつながりました。そうした1972年の時に残されたレガシーを再認識する場でもあるように思います。そして、当時は開催されなかったパラリンピックが初めて札幌で行われるわけですので、ダイバーシティという考えが人々の心に訴求されていくチャンスでもあると思います。つまり、昔のハード面でのレガシーを再認識しつつ、新たにソフト面でのレガシーを創出していく、そんな大会になると非常に大きな意義があるように思います。
北海道オール・オリンピアンズの活動告知
―― 札幌の招致も含め、今後、日本スポーツ界が発展していくために、企業はどのような関わり方が理想でしょうか?
当社では、2021年から「北海道オール・オリンピアンズ」という、北海道出身者のオリンピアン、パラリンピアンをメンバーとする団体と包括連携協定を締結しました。そのメンバーの方々と当社の社員とで事業を考案して、札幌市内の学校で授業を行ったり、子どもたちや年輩の方を対象としたウォーキングイベントを開催するなどしています。当社札幌支店も運営に入っていますが、そこが中心となるのではなく、あくまでも北海道オール・オリンピアンズの組織が中心となって動いています。そこに札幌市などの自治体なども一緒になってやっていくこと。このように、企業が参画しながら、スポーツ界がハンドルを持つという形になると、継続的な事業展開が可能となるように思います。いずれにしても、企業も継続して動くことが求められます。また、企業には、アスリートを支えること、競技団体を支えること、地域と連携することなど関わり方・アプローチが無数にあるように思います。関わり方のレベル感がありますが、各社の身の丈に合った取り組みをスモールスタートで具現化を図ることが望まれます。小さな取り組みも、企業数が増加していくと大きなムーブメントにつながり、地域に反映されていくことになります。
2022北京オリンピック・ノルディック複合団体で銅メダルを獲得した日本チーム(全員が教え子)
―― 倉田さんが深く携わられたスキー界の現状と、今後の発展のための課題とはどんなことでしょうか?
スキーに限った話ではなくスポーツ界全体に言えることだと思いますが、指導者が不足している、真の指導者育成が脆弱、という現状があります。とりわけ、パラスポーツ界はその課題が顕在化しています。私見ですが、3つの課題があると考えています。ひとつは、指導者育成。各競技団体だけではなく、JPC、JPSAとも連携をして、指導者の育成をしていく必要があると思います。そして指導者の質を上げることも大事です。これはオリンピックでも言えることですが、日本にはまだまだ人間教育ができる指導者が少ないように感じています。そして、もうひとつは指導者が指導に専念できる環境をつくること。日本では仕事をしながら片手間で指導をするということがまかり通ってしまっているので、ある一定の期間だけでも指導に専念しながら生活もできるというような制度、仕組みをつくっていく必要があると思います。そうすると、指導者の担い手が変わっていくはずです。諸外国では、指導者が経済的に窮することのないようコーチ制度が構築されています。競技力や技術の差もさることながら、コーチがコーチの仕事に集中できる、仕組みの差が結果として選手の競技力への影響も大きいものとなると考えています。2つめは、選手への負担増。中央競技団体における強化体制・マーケティング脆弱性の改善。もうひとつ、スキー界では、世界選手権やワールドカップの日本代表に選出された選手であっても自己負担を強いられるケースが散見されます。中央競技団体におけるスポンサー離れ、マーケティング力脆弱性などがその要因なのでしょうが、アスリートのための競技団体の機能が薄れつつあるように感じます。パラスポーツの世界でも同様のケースが、顕在化しています。同じ競技の日本代表でも、身体と知的で選手の自己負担額が異なるなど、いわば格差が発生しています。3つめは、強化+スポーツ文化のムーブメントの考え方。これは、レガシー創造にもつながります。強くなること=「強化」、ファンづくり・楽しみ=「普及」、支援・マーケティング=「市場」、この3つがバランスよく融合されることが中央競技団体における理想的な運営です。このことは、スポーツビジネス領域の学術的にも示されています。今こそ、この3つの課題をに向けて一歩前進すべき時期だと思います。
2022北京パラリンピック・アルペンスキーで金3、銀1を獲得した村岡桃佳選手
―― 最後に、倉田さんが次世代に残したい、伝えたいものとは何でしょうか?
昔は際立っていましたが、今現在は失われつつあるもの、例えば「根性」、「気合」、「粘り強さ」。私たちが若いころは「水分とるな」といったことが横行していましたが(笑)、昨今ではあまり耳にしない言葉です。子どもたちには何らかの形で知る機会をもってもらいたいと思います。というのも、現代はともすると楽しければやるけれど、そうでなければやらない、という風潮にあるのかなと。それはそれでよいと思うのですが、最後の大事なことを伝える必要があると思うのです。楽しみながら身体を動かして、やり続けること、そのためには目標を持つことの大事さを、今の時代だからこそ改めて伝えたいです。
アスリートの究極のがんばりの裏側には、「根性」「気合」「負けたくない気持ち」があるはずです。目標に向かってがんばり続けることを伝えながら、その裏側にあるものが求められると思っています。そして次代を担う若者・子どもたちには、障害があってなくても、みんな同じということ、お互いをリスペクトし合うこと、一緒にがんばることを、スポーツを通じて理解してもらって、そして、友だちをたくさんつくってほしいと思います。