新感染症に“打ち負けなかった”大会としての成功
(左)2008東京マラソン 石原慎太郎都知事(右から二人目)
(右)2007東京マラソン スタート風景
―― 話は変わりますが、米村さんご自身は、どんなスポーツをされてきたのでしょうか。
私は中学校、高校と陸上部に所属していて、中距離の選手でした。高校では正課が柔道でしたし、趣味でテニスもしたりしていました。だから、もともとスポーツは好きなんです。
警察庁の面々もとてもスポーツに関心が強い人たちが多かったですね。そうそう警視庁時代の思い出と言えば、東京マラソンです。石原慎太郎東京都知事(当時)が東京マラソンをやろうと言い始めた際、警視庁は反対していたんです。私自身は「やったらいいじゃないか」と思っていました。例えばニューヨークマラソンがありますが、あれはマラソン大会でもありますが、大きく言えばフェスティバルなんです。そういう意味では東京フェスティバルをしたらいいのにと。結局、東京マラソンも定着して、今では随一の人気を誇るマラソン大会になりましたよね。私は人間にとって、スポーツは必要不可欠なものだと思います。私自身、今もちょっとした運動やジョギングをしたりしています。自宅近くにある24時間営業のスポーツジムに行ったり、皇居の周回コースを走ったりすることもあります。体を動かさないと気分が悪くなってしまうんですよ。それにスポーツマンシップというのは、フェアな精神が重要です。さらにチームスポーツでは、チームワークを考えたりしますから、スポーツを通じて人間にとって大事なことを得られます。まさにJVに必要だったのはチームワークで、“One Team”の精神がなければ、とても無理でした。
セバスチャン・コー氏。右はIOCバッハ会長(東京2020大会)
―― 改めて、米村さんにとって東京オリンピック・パラリンピックは、どんな大会だったでしょうか。
これは私が直接聞いたわけではないのですが、IPC(国際パラリンピック委員会)の人が「パラリンピックは不可能を可能にする大会だ」と言っていたそうなんです。実際に私もパラリンピックを見ていて、本当にそうだなと思いました。それからIAAF(世界陸上競技連盟)会長のセバスチャン・コー氏が「お世辞ではなく、コロナ禍での大会は日本ではなくてはできなかった。この献身的な仕事は誇れるものだ。日本の運営に驚き、感謝している。世界のスポーツ界から尊敬されるべきものだ」と言っていますが、これはお世辞ではなく実感がこもっている言葉だと思います。
私もはっきり言って「日本だからできた」と思っています。やはり日本人の生真面目さが非常に大きかったと思いますね。例えばボランティアの方々にしても、「ボランティアだから」ということではなく、真に相手のことを思って真心を持って対応してくれました。
米村 敏朗氏(当日のインタビュー風景)
―― 開幕前は、「新型コロナウイルスに打ち勝った証としての開催」が叫ばれていましたが、結局、無観客として歪な大会になりました。その点に関してはいかがでしょうか。
新感染症のCOVID-19が収束しない中で行われた東京オリンピック・パラリンピックが、果たして人類がウイルスに打ち勝った証として完全な形で行われたと言えるかはわかりません。ただ、間違いなく“打ち負けなかった”とは言えるのではないでしょうか。東京オリンピック・パラリンピックは“打ち負けなかった証”としては完全な形だったと思います。それこそ、人類にとっては勝つことよりも負けないことの方がとても意義のあることのような気がします。人生にはさまざまなことが起こります。そうしたなか、その現実に負けないためにいかに努力することが重要で、どれだけ大きな力を生み出すのか、ということは、パラリンピックを見てつくづく感じました。
―― とはいえ、まだ開催そのものに否定的な国民もいます。この人たちにはどのように説明すればいいでしょうか。
もともとスポーツやオリンピック・パラリンピックに関心がない人はいますから、そういう人たちは仕方ありません。また、例えば公平、平等を問われれば、確かにオリンピック憲章と照らし合わせても世界中のアスリートが公平、平等に参加し、競技ができたかと言えば、さまざまな問題があったと思います。国・地域によってはCOVID-19のパンデミックの中で、なかなか練習が積めなかったアスリートもいたことでしょう。またアスリートにとって最大の触媒であるはずの観客が原則ゼロだったわけですから、完全なオリンピック・パラリンピックだったとは言えません。“未完の大作”だったのだと思います。ただそうであっても、“打ち負けなかった”ということは、オリンピック・パラリンピックの全競技を、一つも欠かすことなくやり遂げたことで証明されたのではないかと思います。実際IOCからも世界のメディアからも称賛されていますし、東京オリンピック・パラリンピックを開催したことを日本人は誇りにしていいと、私は思います。
“打ち負けない”姿に感動の連続だったパラリンピック
警察学校体育祭での米村氏(2008年9月)
―― 巨大化し続けているオリンピック・パラリンピックですが、警備面の責任者でもあった方として、今後はどうあるべきだとお思いでしょうか。
特にオリンピックの方は、このまま継続して開催していくのは正直難しいと思いました。東京大会で言えば、17日間、開会式前のサッカー、女子ソフトボールの予選を加えれば19日間、42会場で33競技339種目を実施したわけです。経費やセキュリティの面からして、これだけ巨大なイベントを実施できる国や都市は世界でも限られています。私は無理して総合大会にしなくてもいいのではないかと思います。同じ世界のトップアスリートが集結する世界最高峰のスポーツ大会を開催するにしても、単体競技であれば、たとえコロナ禍でもそう難しいことはないと思います。あるいは総合大会をするにしても一つの都市とするのではなく、さまざまな都市にまたがって行い、施設も既存のものを使用すればいいのだと思います。それこそ陸続きのヨーロッパなら国をまたいでの開催も可能だと思います。
―― 2014年12月のIOC総会で「オリンピック・アジェンダ2020」が採択され、オリンピック・ムーブメント改革の方針による40の提言が決議されました。また、2021年3月のIOC総会では、「オリンピック・アジェンダ2020+5」が採択され、2025年までのオリンピック・ムーブメントの新たなロードマップができました。「連帯」「デジタル化」「持続可能な開発」
「信頼性」「経済的・財政的なレジリエンス(回復力)」の5つを柱として、オリンピックのあり方を再構築していくための指針が示されたわけですが、提言の一つには「開催都市以外での競技開催」も含まれています。その分、警備も難しくなりますが、実際、2024年パリオリンピックでは、サーフィンの会場が南太平洋のタヒチとされています。
とてもいい傾向だと思います。タヒチはもともとフランス領だったということもあるのだと思いますが、私はもっと明確に広範囲に各競技の開催地を移譲させてもいいと思います。一つの都市開催とするのではなく、この競技はフランス、この競技はアメリカというふうにして、世界中に分散させてもいいのではないかなと。これまでのこだわりを取っ払って、もっと視野を広げ、それこそ「想像と準備」を大事にして“目に見える”議論をすれば、オリンピック・パラリンピックを存続させる方法はいくらでもあると思います。
東京2020オリンピック新競技 スケートボード
―― コロナ禍での東京オリンピック・パラリンピック開催を実現させたことは、若い世代にはどのような影響があったと思われますか?
例えば、オリンピックで初めて正式採用されたアーバンスポーツ(スケートボードやスポーツクライミングなどの都市型スポーツ)は、大きな影響を及ぼしましたよね。これからさらに人気が出てくるのではないでしょうか。ただ、一番大きかったなと思うのは、パラリンピックですね。1964年の時も東京パラリンピックは行われていましたが、一般的に見る、知る機会がほとんどなく、開催されていること自体知らなかった人も少なくなかったと思います。ところが、今回は会場には行けませんでしたが、大勢の人がテレビやインターネットで見る機会がありました。そして大きな感動をもらいましたよね。スポーツの力を感じた若い人たちも多かったのではないでしょうか。
東京2020パラリンピック ボッチャの杉村英孝選手
―― ハード面では、日本はだいぶバリアフリー化が進んできたと思いますが、どちらかというと問題は“心のバリアフリー化”だと思います。これについては、いかがでしょうか。
私は30年ほど前、旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の首都ベオグラードに勤務し、生活していました。ご存知のように旧ユーゴスラビアは民族対立の激化と内戦により、2003年に完全に崩壊。スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6カ国に分離されました。
現在はセルビアの首都となったベオグラードに、内戦後に訪れた時は驚きました。街のあちこちに内戦の傷跡は残っているものの、「これが、あのベオグラードなのか」と目を疑うほどの人々の明るさと活気に満ち溢れていたのです。社会主義の時代には、Uniformity(画一性)と、社会主義という正義に反するもののExclusion(排除)が信条だったのが、現在はDiversity(多様性)とInclusion(包摂)に変わっていました。結局、社会の発展や人類の幸せというのは、すべて「Diversity&Inclusion」の中から生まれるものなんですね。その「Diversity&Inclusion」が詰め込まれているのが、まさにパラリンピックだと思います。
―― 今回、特にオリンピックの方で問題となったのが、SNSでのアスリートへの誹謗中傷です。
本当にひどかったですよね。ダメなものはダメだと、国も何かしらの策を講じるべきだと思います。直接1対1ではとても言えないことを、匿名によって感情を吐き出してしまっているわけです。被害者にしてみれば看過できるものではありません。「表現の自由」をはき違えているなんてものではなくて、犯罪と言ってもおかしくない。厳罰化することも必要ですし、運営会社が野放しにせずに強制的に削除するようにしていくべきだと思います。
東京2020パラリンピック競泳50m・100m背泳で銀メダルを獲得した山田美幸選手
―― 最後に後世に伝えたいことをお聞かせください。
さまざまな困難が降りかかる人生において「打ち負けない」ことの重要性です。パラリンピックのアスリートたちを見ていると本当にそう思います。例えば、東京パラリンピックで史上最年少14歳で銀メダルを獲得した水泳の山田美幸さんの泳ぐ姿や言葉には感動しました。
山田さんのお父さんは2年前にお亡くなりになっているそうですが、そのお父さんが「お父さんは河童だったんだよ」と言っていたということで、彼女がメダルをとった時「私も河童になったよ」と天国のお父さんに語りかけました。その記事を見て、涙が出ました。
それからパラアーチェリーに出場した岡崎愛子さんは、2005年4月25日に起きたJR福知山線脱線事故で頚髄を損傷し、首から下に麻痺が残ったわけですが、当時私は大阪府警の本部長をしていました。現場から戻ってきた隊員から話を聞くと、現場は惨憺たるものだったそうです。その現場に彼女がいたのかと。そしてこうして東京パラリンピックに出場するまでにどれだけの努力をしてきたのだろうと思うと、感動せずにはいられませんでした。
5大会連続出場を達成したウエイトリフティングの三宅宏実選手(東京2020オリンピック)
オリンピックの方も、私は金メダルを取ることだけが全てではないと思っています。例えば、5大会連続出場だった重量挙げの三宅宏実さんは、ジャークで3回ともに失敗をして記録なしに終わりましたが、ここまでどれだけ努力してきたのかを考えたら、やはり感動しましたし、それこそが一番の価値だと思います。
スポーツは、勝つだけが最高の価値だということではないということを、若い世代の方々にも知ってもらいたいと思いますし、東京オリンピック・パラリンピックはその価値を知ってもらえた機会になったのではないかと。それもまた東京オリンピック・パラリンピックを開催したからこそ生まれたレガシーなのではないでしょうか。