パラリンピック普及にSMAPが残した大きな功績
日本財団パラリンピックサポートセンター設立発表会見(左から3人目)(2015年)
―― 日本財団では2015年5月にパラリンピック支援の活動拠点「日本財団パラリンピックサポートセンター」(以下、パラサポ)を設立されました。また、2018年6月にはパラスポーツ専用体育館「パラアリーナ」をオープンさせました。さらに2017年6月には2020年東京オリンピック・パラリンピックの成功に向け、障がい者スポーツや障がい者理解に関する専門知識などを有するスポーツボランティアの育成やボランティア文化の醸成事業を行う「ボランティアサポートセンター」が設立されました。パラスポーツ、パラアスリートに対して、ここまで手厚い支援というのは、これまで日本国内ではなかった画期的なことです。こうした取り組みは、どのような経緯、理由からだったのでしょうか?
現在は大会名も大会組織委員会も「オリンピック・パラリンピック」と並べられることが当然となり、東京大会も「東京オリンピック・パラリンピック」となっています。しかし、実際パラリンピックのサポートというのは、オリンピックに比べると日本国内ではほとんどなかったのが実情です。そうした中、2012年ロンドン大会ではオリンピックに限らず、パラリンピックにも注目が集まり、大変な盛り上がりを見せました。多くの人々に感動を与えた大会として今も「史上最高のパラリンピック」と称賛されています。私自身もロンドンパラリンピックを見ていて、「これからはパラリンピックの成功なくして、オリンピックの成功はない。そういう時代になるだろう」と直感しました。
左:リオデジャネイロパラリンピック開会式(2016年)
右:リオデジャネイロパラリンピック開会式で入場する日本選手団(2016年)
そうしたところ、翌2013年9月に2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定しました。そこで東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗会長に、ロンドン大会で感じたことをお話ししたところ「笹川さんがおっしゃる通り、これからの時代はパラリンピックの成功なくしてオリンピックの成功はない。私もそう思っています。ところが、JOC(日本オリンピック委員会)はまったくパラリンピックには関心がない。これでは困るんだよなあ」と。当時は日本のパラリンピックの実情も把握できていなかったですし、何より国民の関心がまったくないような状況でした。そして調べてみると、パラリンピック競技の組織はほとんどが関係者の自宅の一室が事務局になっていて、夫婦で競技を支えているようなケースも少なくありませんでした。そのような状態で、どうやって2020年東京パラリンピックを盛り上げていくのか、大きな問題でした。
日本財団パラアリーナ(2018年)
そこでまずは、日本財団のほうで場所を用意するので事務局を1カ所に集めましょう、ということで日本財団ビル(東京都港区)の4階にパラサポを設置したわけです。現在は29の競技団体がパラサポに事務局を置いています。これまでお互いに顔も合わせたこともなければ、話をしたこともない、競技団体同士のつながりが、パラサポという場所に1カ所に集結したことで、相互に刺激し合いながら情報を共有できるようになりました。また、スポーツ庁が資金援助をするには、金銭の出入りを明確にするなどして信頼されることが必要です。これまでのように夫婦でやっているような個人的要素が強い競技団体では、政府も支援したくてもガバナンスとしての信頼がおけなくて難しいだろうと考えて、パラの競技団体を1カ所に集め事務局としてパラサポを設置するに至りました。
開設後は、山脇康会長※(第49回スポーツ歴史の検証参照)や小澤直常務理事の指導のもと、パラサポのスタッフたちが啓蒙活動に注力してくれて、全国各地の小学校や中学校に行って、競技や選手の認知拡大にも非常に貢献してくれていますよね。最も顕著なのが、パラリンピック競技のひとつであるボッチャ(重度脳性麻痺者や四肢重度機能障がい者のために考案されたスポーツ)ではないでしょうか。これまで誰も「ボッチャ」という名称さえも知らなかったのに、今では競技が認知されただけでなく、さまざまなところで実際にボッチャが行われるようになりました。障がい者だけが行うスポーツではなく、健常者も一緒になって楽しめるスポーツとして急速な広がりを見せています。
もちろんオリンピックは伝統のあるすばらしい国際競技大会です。しかし、パラリンピックはハンディキャップを乗り越えたヒューマン・ヒストリーが、オリンピック以上に具体的な形で見えるわけです。「障がい」や「難病」を乗り越えて、絶え間ない努力をして世界の舞台に挑戦する姿というのは、将来を担う子どもたちに大きな夢や自信を持ってもらえる、そうした教育的効果も高いのではないかと思っています。2020年東京オリンピック・パラリンピックを開催するうえで、今後につなげるレガシーを考える必要がありますね。私は多様化した社会の中で、健常者も障がいがある人も共生する、インクルーシブ社会を築き上げていくことだろうと思っています。
パラ駅伝(2015年/駒沢オリンピック総合運動場)
―― 実際にパラスポーツやパラアスリートの普及・認知拡大は、この数年で大きな広がりを見せています。
パラスポーツは実際に見たり、やったりすると、面白いんですよ。非常に魅力がたくさん詰まっていますよね。ところが、以前は「どうせ障がい者がやっていることだから面白くないだろう」という先入観がほとんどの人にはあったと思います。
それはメディアも同じ。だから、2020年東京パラリンピックの放映権も民放はどこも買わず、全部、NHKにお任せにしてしまったんです。ところが、どんどんパラリンピックのほうも盛り上がりを見せてきたものだから、各局の民放があわてて取り上げるようになっていったんです。本番でも放送したくて仕方ないけれど、自分たちが断った経緯があるものだから、困っているみたいですね(笑)
パラ駅伝(2015年/駒沢オリンピック総合運動場)
―― 日本財団の普及活動の方法も、非常に巧みですばらしかったと思います。例えば、2015年にはSMAPをパラサポのスペシャルサポーターに起用(2017年から元SMAPメンバーの稲垣五郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんの「新しい地図」に引き継がれている)しました。
残念ながらSMAPのスペシャルサポーターとしての活動は、1度きりで終わってしまいました。それでも2015年のパラ駅伝(障がいのある人とない人がひとつのチームとなってタスキをつないで走るイベント)にSMAPが応援に駆けつけてくれた。あれがパラスポーツ普及活動のキックオフとなったことは間違いありません。
会場となった駒沢公園には1万4000人もの観客が集まってくれて、パラ駅伝を見てくれました。たしかにパラ駅伝ではなく、SMAPを見たいという気持ちで来ていたファンがほとんどだったと思います。しかし、そのSMAPファンからパラスポーツが認知拡大されていったことも事実です。もし本当に今、日本国民に広く認知されているのだとしたら、あの時のSMAPの功績は大きいですね。
パラリンピック支援はインクルーシブ社会実現の一環
「日本財団 DIVERSITY IN THE ARTS」開会式(左は安倍首相)(2017年)
―― もともと日本財団では、障がい者の支援活動が広く行われてきました。例えば、視覚障がいや聴覚障がいのある人、車いすユーザーたちがパフォーマンスを繰り広げる「障害者芸術祭」を2006年からアジア各地で開催しています。今年は、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催に合わせて、ユネスコと共同で日本全国で「障害者芸術祭」を開催しています。スポーツに限らず、幅広く障がい者にスポットを当ててこられてきました。
日本財団の役割というのは、いわゆる社会的に弱者と言われる障がいのある方や難病を抱えている方、貧困に苦しんでいる方にも手を差し伸べる活動です。東南アジアでは極端な話では、家族や親せきから「恥だ」というふうに見られて、家から出されないようにされてしまうからです。しかし、それでは正常な人間としての生活を営むことはできません。どんどん外に出て、人と交流できるようにしていかなければいけないわけです。
そこで、日本財団ではミャンマー、ラオス、ベトナム、カンボジア、タイなど東南アジア各国で、障がい者の「カラオケ大会」のようなものを開催してきました。そうすると、障がいのある人もない人も、何千人という人たちが押し掛けてくるんです。パラリンピックの文化・芸術活動というのは、そういう経験をしている日本財団にしかできないものだろうという自負がありました。
シンガポールで開催されたアジア太平洋障害者芸術祭True Colours Festival(2018年)
そこでパラリンピックに向けた啓蒙活動の一環として、2017年から「日本財団DIVERSITY IN THE ARTS」というプロジェクトを行ってきました。今年の夏には、2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催にあわせて約2カ月間、「LOVE LOVE LOVE LOVE展」を、船の科学館(東京都・お台場)で行う予定です。国内外から約40組の障がいのあるアーティストと現代美術のアーティストを迎え、さまざまな作品を紹介します。また、目隠しをして真っ暗な部屋を歩いてみたり、義手・義足をつけて動かしてみたりと体験型プログラムも用意し、実際に障がいのある人たちがどんなふうにして生活を送っているのかというのを実体験してもらいたいと思っています。この展示会を通して、特に子どもたちや若い人たちに、「どんなことがあっても努力すれば、すばらしい人生が送れるんだ」というような、人生における何かヒントを与えられたら嬉しいと思っています。