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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

スポーツの変革に挑戦してきた人びと
第90回
未来へつなげたい「ゴールデン・スポーツイヤーズ」のレガシー

森 喜朗

2019年、大成功に終わったラグビーワールドカップ。それは、日本ラグビーフットボール協会会長時代に招致に尽力された森喜朗元首相の存在なくしてはなかったと言っても過言ではありません。

そして現在は、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長として奔走されています。強いリーダーシップを発揮し、日本スポーツ界を牽引し続けている森元首相にお話をうかがいました。

インタビュー/2019年11月26日、2020年1月30日、2月18日  聞き手/佐野 慎輔  文/斉藤 寿子  写真/フォート・キシモト

今後にこそあるラグビーワールドカップ真の成功

ラグビーワールドカップ2019日本大会で優勝した南アフリカチーム(2019年)

ラグビーワールドカップ2019日本大会で優勝した南アフリカチーム(2019年)

―― まずは、昨年アジアで初めて開催されたラグビーワールドカップについておうかがいしたいと思います。森元首相が招致にご尽力された肝入りの大会でもありましたが、日本代表が初めて決勝進出を果たし、世界の8強に入りました。さらに観客動員数は170万4443人に達し、大型ビジョンで試合が観戦できるように各会場に設けられた「ファンゾーン」にはワールドカップ史上最多となる約113万7000人が来場しました。経済効果も4370億円にのぼると言われています。これは、歴史に残る大成功を収めたと言ってもいいのではないでしょうか。

たしかに日本代表の活躍や盛り上がりという点では、非常に成果のあった大会になったと思います。ただ、最も重要なのはこれからです。成功に終わったラグビーワールドカップを今後どうつなげていくのか。本当の成功というのは、そこにこそあるということを、日本ラグビー関係者は認識してほしいですね。

ラグビーワールドカップ2019日本大会・日本のサポーター(2019年)

ラグビーワールドカップ2019日本大会・日本のサポーター(2019年)

―― 昨年のラグビーワールドカップで初めてラグビーを観て、あのダイナミックな迫力に、スポーツの醍醐味を感じられた人も多かったように思います。

ラグビーには不思議な魅力があるんですよね。実際にやってみたり、あるいは観戦したりと、触れてみると非常に面白い。そうして一度はまってしまうと、そこからなかなか抜け出せない魔力みたいなものがある。それはなぜかというと、ラグビーというスポーツは人間が本来持っている本能同士のぶつかり合いだからなんですよ。だから本能が呼び覚まされて「自分もやってみたいな」とか「また見てみたいな」という気持ちになるんです。私自身もその世界に引きずり込まれて抜け出せないでいるひとりですからね(笑)そしてもうひとつは、今回のワールドカップで試合を見ながら思ったんですけどね。ああいうラガーマンのようなギラギラした目つきをし、筋骨隆々の体で汗だくになって激しくぶつかり合うなんてこと、現代の人にはなかなかないでしょう。泥臭い人間が少なくなってきている。そういう中で、ラガーマンは稀有の存在。だからこそ、今回のワールドカップで「ああ、やっぱりこういう熱くて激しいのっていいな」と見直す人も多かったんじゃないかなと。それがあれだけの盛り上がりになったんじゃないかと思うんです。ただ、日本人というのは熱しやすく冷めやすいというところがありますから、これが一過性のもので終わらないようにしなければいけないんです。

ラグビーワールドカップ2019日本大会・準々決勝 日本対南アフリカ(2019年)

ラグビーワールドカップ2019日本大会・準々決勝 日本対南アフリカ(2019年)

―― おっしゃる通りだと思います。そしてもうひとつは、ラグビーワールドカップの成功が、今年開催される東京オリンピック・パラリンピックにどう影響を与えられるかということもあるのではないでしょうか。

それは大いにあると思います。あのラグビーワールドカップで、国民の皆さんのスポーツへの関心度が高まり、協力体制も強化された。これは割と定着したように思いますので、東京オリンピック・パラリンピックにもつながっていくと期待しています。昨年、ラグビーワールドカップ2019組織委員会と東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は、お互いに連携して双方の大会を成功に導こうという協定書を交わしています。ですから、昨年のラグビーワールドカップで得た知見や情報は、今年の東京オリンピック・パラリンピックに役立てられるはずです。

―― ラグビーワールドカップから東京オリンピック・パラリンピックへ、そしてさらに来年のワールドマスターズゲームズ2021関西にもつながっていくことが期待されます。そういう意味でも、ラグビーワールドカップの成功は日本のスポーツ界にとって非常に大きな財産をもたらすものとなるのではないでしょうか。

実際にそうなることを願いたいし、われわれ東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会としても、そうなるように関係者一人ひとりが自覚と責任をもっていかなければいけないと思っています。

多くの問題を抱える新国立競技場の実態

新国立競技場(2020年)

新国立競技場(2020年)

―― 東京オリンピック・パラリンピックの開催が、間近に迫ってきています。オリンピックもパラリンピックも、チケットの抽選販売では申し込みが殺到し、入手困難な競技が数多くあることからも、日本国民のオリンピック・パラリンピックへの関心の高さがうかがわれます。

オリンピックに限らず、パラリンピックにおいてもチケットの売れ行きが好調であることは、非常に嬉しいことだと思っています。パラリンピックが成功してこそ、東京大会の成功と言えるわけですから、特にパラリンピックへの関心が高まっていることは非常に良い傾向にあると思います。

―― 昨年12月21日には新国立競技場のオープニングイベントが開催され、約6万人の大観衆で埋まりました。そのほかの準備状況も良好で、IOC(国際オリンピック委員会)のトーマス・バッハ会長も「東京ほど準備が着実に進んでいる大会は記憶にない」と語るほどです。大会組織委員会の会長としては、どのように思われていますか?

ラグビー大学選手権決勝 早稲田大学対明治大学(2020年/新国立競技場)

ラグビー大学選手権決勝 早稲田大学対明治大学(2020年/新国立競技場)

たしかに海外よりも準備はしっかりと進められているとは思いますが、中身が伴っていない点があることも事実です。私が最も問題としているのは、新国立競技場です。大会組織委員会の会長として、私は陰腹を切る思いです。「立派な競技場ができた」なんて言う人がいますが、果たしてそうだろうかとはなはだ疑問です。確かに外見は立派に見えるかもしれない。しかし、中身は「これが日本を代表する競技場です」と言うにはあまりにも大事な部分が抜け落ちている。

1月11日の大学ラグビー決勝戦の際に、私は初めて新国立競技場に足を踏み入れたわけですが、はじめはVIP席の立派さに感心していたのです。ところが、どこを見渡してもロイヤルボックスらしきものが見当たらない。関係者に「どこにロイヤルボックスをつくるのか?」と聞いたら「知りません」と。そんなバカな話がありますか?国立競技場には当然ロイヤルボックスが必要であることを誰も知らないわけですよ。さらに天皇皇后両陛下が来られた際の「お控室」を見てみると、どこにでもあるような会議室のようなところでした。名前だけは「お控室」となっているが、何の配慮もされていないわけです。また、VIPルームへのエレベーターもたったひとつしかないんです。しかもエレベーター前が広いロビーのようになっていればまだいいけれども、そうではなく外にむき出しになっている場所ですからね。これでは、東京オリンピック・パラリンピックに海外から大勢の要人をお迎えした時には、エレベーター前が大混雑を起こしてしまうことは容易に想像できます。聖火台の設置場所においても未だに解決されていないわけですが、設計の際にそうした国立競技場として必要なものが多く削ぎ落とされてしまっているわけです。

―― 「おもてなし」ということを大きく掲げていたにもかかわらず、本来あるべき「おもてなし」ができないような国立競技場になってしまったというわけですね。

その通りです。結局は、経費削減ばかりを重視したツケが、こういう大事なところに影響してしまっているんです。あくまでも国立なわけですから、私からも安倍晋三首相にはきちんと指摘しましたよ。開幕までにきちんとしたものをつくっていただけることを期待しています。

東京大会で示したい共生社会の姿

リオデジャネイロオリンピック・パラリンピック後に行われた日本選手団凱旋パレード(2016年/銀座)

リオデジャネイロオリンピック・パラリンピック後に行われた日本選手団凱旋パレード(2016年/銀座)

―― 2008年北京大会からオリンピックとパラリンピックの大会組織委員会が正式に統一され、東京大会も「オリンピック・パラリンピック大会競技組織委員会」として、オールジャパン体制で大会の準備、運営にあたっています。

これは非常に良かったと思います。今ではオリンピックとパラリンピックをセットにして考えるのは世界的に当然のことですからね。しかし、以前はそうではなかった。

例えば2016年リオデジャネイロ大会後には、初めてオリンピックとパラリンピックの合同での凱旋パレードを行い、非常に盛り上がりましたが、実は当初は反対する人たちもいたんです。「なぜ障がい者と一緒にする必要があるんだ?」とか「車いすの選手は危ないからバスには乗せられない」とか、稚拙な議論がありました。そんなのはベルトで固定させるとかすれば済む話で、何の問題でもないわけです。実際、約80万人という大観衆を集めて、非常に盛り上がりましたよね。

ゴールボール(2016年/リオデジャネイロパラリンピック)

ゴールボール(2016年/リオデジャネイロパラリンピック)

―― この4年間で、パラリンピックに対する意識に変化を感じていらっしゃいますか?

まずは世論の動向がずいぶんと変わってきたなと感じています。特にそれが顕著に表れているのが、スポンサーですね。東京大会のスポンサーをしている企業を訪れると、例えば社内のエレベーターに描かれているのはオリンピック選手ではなく、パラリンピック選手だったりするんです。また、NHKは国内で唯一、オリンピックもパラリンピックも放映権を保有していて、これまで大会に関連した番組を放映していますが、どちらかといえば、パラリンピック関連の番組が数多く放映されている気がします。こうしたメディアからの積極的なアプローチによって、徐々に国民がパラリンピックに理解を示し、関心を抱き始めているのだと思います。

社会的な観点からも変化が見られます。例えば、ホテル。東京都内にはこれだけたくさんのホテルがあるというのに、以前は車いすユーザーが利用できるバリアフリーの部屋があるホテルは非常に限られていました。ですから、パラリンピックのオフィシャルホテルを決めるには苦労を要しました。「それだけの数のバリアフリーの部屋を用意するのは無理です」と、相次いで断られたんです。しかし、現在はバリアフリーの部屋をもつことが当然のように考えられるようになり、だいぶ増えましたよね。これもひとつの東京オリンピック・パラリンピック開催のレガシーです。

(左)2020東京オリンピック・金銀銅メダル(右)2020東京オリンピック・トーチ

(左)2020東京オリンピック・金銀銅メダル
(右)2020東京オリンピック・トーチ

―― これまでのオリンピック・パラリンピックにはなかった、東京大会独自の取り組みとは何でしょうか?

一番大きいのは、持続可能性に配慮した取り組みです。これは、地球及び人間の未来を見据えて、国連(国際連合)の「持続可能な開発目標(SDGs)」に貢献しようということで、例えば全国から不要になった携帯電話などを集めて、そのリサイクル金属で金・銀・銅メダルをつくるという国民参加型プロジェクトは、海外からも称賛の声があがっています。また、聖火リレーのトーチの一部は、東日本大震災の被災3県で使われた仮設住宅の廃材を再利用しています。表彰台も使い捨てプラスチックを再利用したものです。先日、実際に表彰台を見ましたが、非常に立派なものでしたよ。こうしたことは、まさに世界に誇れる日本の知恵と技術ですよね。大会後、表彰台は日本人メダリストのそれぞれの母校に寄付したらいいんじゃないかなと思っています。「この学校からメダリストが出たんだ」と自慢になりますし、子どもたちの夢になる。それもレガシーとしてしっかりと残されていくはずです。

それと、まだこれは私の提案でしかないんだけれども、オリンピック・パラリンピックでひとつの大会なわけですから、オリンピックの開会式にパラリンピック選手を登場させて、一緒に開幕を迎える。さらに、オリンピックが終わったからといって熱が冷めるようなことであってはいけませんから、パラリンピックの開会式もオリンピックと変わらずに盛り上げて、勢いよく幕が上がると。そしてパラリンピックの閉会式にはオリンピック選手を登場させて、「総合閉会式」として一緒にフィナーレを迎える、というようなことをしたいんです。

―― まさに「インクルーシブ社会」の実現ですよね。

その通りです。「パラリンピックの成功なくして、東京大会の成功はない」と言ってきたわけですから、ぜひオリンピックとパラリンピックが共生した姿をお見せしたいと思っています。

札幌大通り公園をスタートする北海道マラソン(2018年)

札幌大通り公園をスタートする北海道マラソン(2018年)

―― また、東京大会の成功に欠かすことができないのが、「暑さ対策」です。オリンピックのマラソンと競歩は、選手の健康面を配慮して、急遽札幌に会場を移すことに決定しました。

IOCのバッハ会長から直々に私の元に電話がかかってきて、札幌への移転の話を聞いた時は、私も驚きました。マラソンはオリンピックの華で、それも男子マラソンは大会最終日に行われ、表彰式は閉会式に組み込まれていましたから、札幌への移転はそう簡単なことではない、とは思いました。しかし、東京の暑さを不安視するIOCに対して「対策は完璧です。任せてください!」なんてことは言えませんよね。世界的に温暖化による気温上昇は年々ひどくなってきていますから、今年の夏はどれだけ気温が上昇するかわかりません。そうしたなか、どれだけ万全を期しても、「絶対に大丈夫」とは言えないわけです。しかもIOCの決定には従わなければなりません。だから札幌会場への移転は致し方ないことでした。でも、今となっては良かったと思っているんです。確かに東京で見られないというのは残念ですし、急遽準備に取りかからなければならなくなった北海道や札幌市には苦労をかけるかたちとなりました。ただ、今年の夏は予想をはるかに超える暑さになるかもしれない。そうなってから騒いでも遅いわけです。何より選手の安全が第一ですからね。

問題解決に必要な財政基盤の整備

日本体育協会・日本オリンピック委員会創立100周年記念祝賀式典(中央が森日本体育協会会長/当時)(2011年)

日本体育協会・日本オリンピック委員会創立100周年記念祝賀式典(中央が森日本体育協会会長/当時)(2011年)

―― 紆余曲折ありながらも、ここまでしっかりと準備が進められ、機運が高まってきていると感じています。まさに「オールジャパン」での大会となるわけですが、先頭に立ってさまざまな問題を解決の方向へ導いてきたのが、森元首相です。正直、森元首相のような強いリーダーシップがあり、視野の広い方が陣頭指揮をとられてきたからこそ、今の状況があると思います。

自分で「そうです」なんて答えるほど、私も図々しくはないけれどね(笑)ただ、経験が生きたということはあるでしょうね。狭い考えや、必要以上のこだわりを持っていると、こういう国や組織を動かさなければいけないような一大事業の陣頭指揮はとれないということがわかっていたということが大きかったと思いますよ。

―― そもそも歴史をたどれば、森元首相が日本体育協会(現・日本スポーツ協会、以下日体協)の会長を務められていた時代(2005~2011)に、現在の日本スポーツ界におけるファウンデーションがつくられたのではないでしょうか。例えばtoto(スポーツ振興くじ)※1 によって財政を確立させました。さらに2011年に日体協とJOC(日本オリンピック委員会)が創立100周年を迎えた際には、日本スポーツ界の指針として「スポーツ宣言日本~21世紀におけるスポーツの使命~」※2 を採択するなど、日本が歩むべき方向性をきちんと提示されました。それらが日本スポーツ界を取り巻く環境を変え、現在のような選手育成・強化や組織運営の基盤を築いてきた原点になっていると思います。

それまでの時代は、政府が決めた予算の下でしかスポーツが成り立たないような仕組みで、狭い範囲でしか動くことができなかったんです。さらに日本スポーツ界を発展させるためには、より強固な組織運営・体制が必要になるだろうと。そのためには仕組みそのものを変え、財政基盤を整えていかなければなりませんでした。

例えばラグビーを例にとると、昨年のラグビーワールドカップの影響で、今、ラグビーをやりたいという小学生が増えていて、各地域のラグビー教室はどこも満員で困っていると。ところが、その小学生たちがラグビーを続けたいと思っても、中学生がラグビーをやれる環境というのは非常に少ないんです。その要因のひとつは、指導者不足にあります。指導したくても、それだけで食べていくことはできませんから、みんなほかの仕事をしながら休日にボランティアで子どもたちに教えているという厳しい現状があるわけです。だから指導したくてもできないという人は結構いるんですよ。ほかの競技も同じようなことが言えると思います。これでは日本スポーツ界の発展はあり得ません。こうした問題を解決していくためには仕組みを変え、財政基盤を整えていかないといけないと。

toto助成事業

toto助成事業

―― 特にtotoがなければ、今の日本スポーツは成り立っていなかったと思います。ラグビーワールドカップの成功も、東京オリンピック・パラリンピックの招致も、国立競技場の建て替えも、すべてtotoがあったからこそです。

そう思いますね。ただ、今のtotoの仕組みでは、これから先は難しいと思いますよ。すぐに財政難に陥るのは目に見えています。だからこそ、totoには"援軍"が必要なんです。現在はサッカーのJリーグのみが対象となっていますが、限界にきています。ほかのプロスポーツにも対象を広げていかなければ、totoは破綻してしまいます。プロ野球やバレーボールのVリーグなどにも声をかけていますが、遅々として話が進みません。ラグビーのトップリーグもプロ化しなければ、今のままでは企業にお金を賭けることになりますから、それはそれで問題になってしまう。

そこで今、最も期待しているのがバスケットボールのBリーグです。公営競技である競輪、競馬、ボートレース、オートレースでの売上げ総額は、すべてを合わせると大変な額になるわけです。その収益を社会福祉の増進、教育文化の発展、スポーツの振興などの経費の財源に充てることが法律で定められているんです。ですから、本来は売り上げの何割かをスポーツ事業の予算に充てるという明確な法律をつくるべきなんです。私も政治家時代にいろいろと試みましたが、各公営競技を牛耳っている各省庁がまったく耳を貸してくれませんでした。それでtotoをつくるしかないとなったわけです。今思えば、totoをつくっておいて本当に良かったと思いますよ。そうでなければ、いざワールドカップやオリンピック・パラリンピックなど大規模な大会やイベントをやりたいとなっても、財政的に厳しければ頓挫していたでしょうからね。

今後の最大の問題は「人」と「場所」です。やはり奉仕だけでは指導者は増えていきません。きちんと報酬を出せるようにして、専門の知識を持った優秀な人材を育てていく仕組みが必要です。もうひとつは、スポーツができる場所づくり。例えば、今回のラグビーワールドカップの影響を受けて「ラグビーをやりたい」という子どもたちが増えても、結局やる場所がなければ何もならない。そういうことでは日本スポーツ界は衰退してしまいますよ。昨年、ラグビーワールドカップが閉幕した翌日の11月3日に、全国10紙の新聞に、日本ラグビーフットボール協会が出稿した広告記事を見て、感動しました。応援してくれた人たちへの感謝の気持ちを綴った言葉が並べられていた中に、〈子どもたちが思いっきりプレーできる、芝生のグラウンドを増やそう。〉という文があったんです。私と同じ気持ちでいてくれているんだな、と非常に嬉しく思いましたよ。子どもたちは芝生のグラウンドとボールがあったら、それだけで走ってボールを転がして遊ぶんですからね。

※1「スポーツ振興くじ」(toto・BIG)とは、収益金を財源に誰もが身近にスポーツに親しめる、あるいはアスリートの国際競技力向上のための環境整備など、新たなスポーツ振興政策を実施するために導入されたもの
※2「スポーツ宣言日本~21世紀におけるスポーツの使命~」とは、100年にわたり日本のスポーツが積み重ねてきた歩みをもとに、次の100年をどのような考え方に立ち、どこへ向かって進んでいくべきかの指針を示したもの

―― そうした問題をスピーディに解決していくためには、全体を統括するリーダー的組織が必要なのではないでしょうか。

そう思いますね。しかし、それは本来スポーツ庁の役割なんですよ。ところが、文部科学省の外局となっているものだから、あまり力がない。そうではなくて、独立した「スポーツ省」に格上げするべきでしょうね。

子どもたちに残したいスポーツが伸び伸びとできる環境

―― 2019年から2021年にかけて、ラグビーワールドカップ、東京オリンピック・パラリンピック、ワールドマスターズゲームズ2021関西と、3年連続で世界規模のスポーツイベントが行われ、「ゴールデン・スポーツイヤーズ」と言われています。大事なのは、その先、日本スポーツ界がどう発展していくかだと思います。

清宮克幸氏

清宮克幸氏

先ほども申し上げましたが、昨年のラグビーワールドカップは確かに大成功に終わりました。しかし、それを一過性のものに終わらせては何もならないわけです。私はラグビーワールドカップの開催によって、日本ラグビー界がプロ化に向けた体制基盤がしっかりとつくられるといいなと思っていたんです。ところが、意外と進まないんですね。理由は何かというと、現状のままでも環境は恵まれているからです。居心地の良さにあぐらをかいているわけですね。そこへきてラグビーワールドカップによって人気が出てきたものだから、リーディングカンパニーの多くは、ますます「当分このままでいいじゃないか、無理しなくても」となってしまっている。一方、中間の企業においては自分たちもなんとかプロ化についていきたいけれども、それには財政が厳しいからと二の足を踏んでいる。その下のクラスの企業は、「プロ化になれば、自分たちは切り離されてしまうのではないか」という不安がある。そうしたことで遅々としてプロ化の話は進んでいません。一方で日本ラグビーフットボール協会副会長の清宮克幸くん(早稲田大学、サントリーで主将を務めるなど中心選手として活躍。現役引退後は、早稲田大学、サントリー、ヤマハ発動機で監督を歴任)のような改革推進派からすれば、「今やらなければいけない」と思っているわけです。特にスポンサーにおいては人気がある今でないとダメだと。

川淵三郎氏

川淵三郎氏

―― やはり、組織や体制を改革するには、川淵三郎さん(Jリーグの初代チェアマン。2015年には日本バスケットボール協会会長に就任し、分裂状態にあった日本バスケ界を正常化させた。現在は日本トップリーグ連携機構会長、大学スポーツ協会顧問)のようなリーダーがいないと進みませんよね。清宮さんがそういう存在になることが期待されているわけですが、なかなか難しいですね。

私も清宮くんがそういう存在になってくれたらと思っているわけですが、そのためには人がついてこないとダメですよね。だから私も今、少し様子を見ているところです。

―― ラグビーに限らず、日本スポーツ界は現状を維持しようとする保守的な人が多いような気がします。

結局は、会長に就任すると、その地位を守りたいという気持ちが働くわけです。最も難しい点は、アマチュアスポーツの組織の会長というのは、ほとんどが無報酬ということです。果たして、それでいいのかということなんですよ。それに対して、きちんと検討してみる必要があると思います。

―― 日本スポーツ界は未だに「アマチュアリズム」が払しょくされていません。だから無報酬でやるのが当たり前という考えがあります。しかし、川淵さんがJリーグを創設して、自身も報酬を受けてのチェアマンとなりました。また、JOC(日本オリンピック委員会)でも、竹田恆和さん(1972年ミュンヘン、1976年モントリオールと2大会連続で馬術日本代表としてオリンピックに出場。2001年から2019年まで6期、JOC会長を務める)以降、会長は有給となりました。これが日本でも当然のようになっていくのかなと思っていたのですが、意外にも旧態依然という競技団体が少なくありません。その要因のひとつは、資金難ということが挙げられると思います。

私も日本フットボールラグビー協会の会長を務めた時は無報酬でしたから、自分の貯えをほとんど費やしました。妻には申し訳ないことをしたとは思いますが、ただ自分はラグビーに生涯をささげるつもりで生きてきましたから、ラグビーのために使うことができて良かったと思っているんです。とはいえ、他の人にも同じことをやれというわけにはいかない。やはり財政的なことはスポーツ庁が考えていかなければいけないでしょう。

森 喜朗氏

森 喜朗氏(当日のインタビュー風景)

―― 今後の日本スポーツ界を考えるうえで、どんなことが大切になってくるでしょうか?

日本が世界に誇れるのは、結局は人間力だと思います。その日本独特の人間性がどこで磨かれてきたかというと、スポーツが大きく関わっているんじゃないかなと。政治家でも経済界でも、トップリーダーのほとんどがスポーツ経験者であることがその証でしょう。ところが、現在の教育では頭脳的才能ばかりが求められている。しかし、いくら頭脳明晰でも、コミュニケーション力や責任感、我慢強さなどが伴っていなければ、社会では生きていけないわけです。そうした人間的な部分を磨くのに非常に有効的なツールがスポーツであるということをもっと認識されていかなければいけないと思いますね。

―― 世界的な動きで言えば、新スポーツが次々と誕生しています。例えば、「eスポーツ」(対戦型ビデオゲームで競う「エレクトロニック・スポーツ」の略)がオリンピック競技として採用されるとも言われています。

古い考えと言われるかもしれませんが、私は「eスポーツ」は、スポーツとは認めていないんです。スポーツというのは、体を動かして汗を流すこと。そういう観点からすれば、「eスポーツ」はスポーツとは言えません。ただ、大きなお金が動く世界であることは確かです。ですから、スポーツ界に財政的なバックアップをしてもらえるような体制を築くのであれば、「スポーツ」という名称を認可するということも考えられるかもしれません。その場合も、どういう名称にするかはもう少し考える余地があると思います。やはり一般的なスポーツとは分けて考えていかないと、「スポーツとは何ぞや」ということになってしまいますからね。

―― 最後に、未来の子どもたちに残したいことをお聞かせください。

子どもたちがスポーツをやりたい時にやれる環境を残したいということです。私が子どものころは、田んぼや松林で自由に野球をやったりしていましたよ。ところが、今は自由にボールを蹴ったり走り回ったりできる環境がほとんどないですよね。本来はそういう場であるはずの公園でさえ、騒音だの危ないだのと言って禁止されているわけですから。
子どもたちが裸足で伸び伸びと芝生の上を走り回れる環境を全国につくりたいですね。それが、私の夢です。

  • 森喜朗氏 略歴
  • 世相

1912
明治45

ストックホルムオリンピック開催(夏季)
日本から金栗四三氏が男子マラソン、三島弥彦氏が男子100m、200mに初参加

1916
大正5

第一次世界大戦でオリンピック中止

1920
大正9

アントワープオリンピック開催(夏季)

1924
大正13
パリオリンピック開催(夏季)
織田幹雄氏、男子三段跳で全競技を通じて日本人初の入賞となる6位となる
1928
昭和3
アムステルダムオリンピック開催(夏季)
織田幹雄氏、男子三段跳で全競技を通じて日本人初の金メダルを獲得
人見絹枝氏、女子800mで全競技を通じて日本人女子初の銀メダルを獲得
サンモリッツオリンピック開催(冬季)
1932
昭和7
ロサンゼルスオリンピック開催(夏季)
南部忠平氏、男子三段跳で世界新記録を樹立し、金メダル獲得
レークプラシッドオリンピック開催(冬季)

1936
昭和11
ベルリンオリンピック開催(夏季)
田島直人氏、男子三段跳で世界新記録を樹立し、金メダル獲得
織田幹雄氏、南部忠平氏に続く日本人選手の同種目3連覇となる
ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック開催(冬季)

  • 1937 森 喜朗氏、石川県に生まれる
1940
昭和15
第二次世界大戦でオリンピック中止

1944
昭和19
第二次世界大戦でオリンピック中止

  • 1945第二次世界大戦が終戦
  • 1947日本国憲法が施行
1948
昭和23
ロンドンオリンピック開催(夏季)
サンモリッツオリンピック開催(冬季)

  • 1950朝鮮戦争が勃発
  • 1951日米安全保障条約を締結
1952
昭和27
ヘルシンキオリンピック開催(夏季)
オスロオリンピック開催(冬季)

  • 1953 森 喜朗氏、金沢二水高校に入学。
     小学生の時に、早稲田大学ラグビー部が地元の根上町で合宿を行ったことがきっかけで、「早稲田大学のラグビー部に入る」と決意。
     石川県下でラグビーが強かった同校に入学し、ラグビー部キャプテンを務める
  • 1955日本の高度経済成長の開始
1956
昭和31
メルボルンオリンピック開催(夏季)
コルチナ・ダンペッツォオリンピック開催(冬季)
猪谷千春氏、スキー回転で銀メダル獲得(冬季大会で日本人初のメダリストとなる)

  • 1956 森 喜朗氏、早稲田大学に入学。ラグビー部に入部するも4か月で退部し、早大雄弁会に所属。自由民主党学生部に入党
1959
昭和34
1964年東京オリンピック開催決定

1960
昭和35
ローマオリンピック開催(夏季)
スコーバレーオリンピック開催(冬季)

ローマで第9回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催
(のちに、第1回パラリンピックとして位置づけられる)

  • 1960 森 喜朗氏、早稲田大学を卒業し、産経新聞社に入社
  • 1962 森 喜朗氏、産経新聞社を退社し、衆議院議員 今松 治郎氏の秘書を務める
1964
昭和39
東京オリンピック・パラリンピック開催(夏季)
円谷幸吉氏、男子マラソンで銅メダル獲得
インスブルックオリンピック開催(冬季)

  • 1964東海道新幹線が開業
1968
昭和43
メキシコオリンピック開催(夏季)
テルアビブパラリンピック開催(夏季)
グルノーブルオリンピック開催(冬季)

1969
昭和44
日本陸上競技連盟の青木半治理事長が、日本体育協会の専務理事、日本オリンピック委員会(JOC)の委員長に就任

  • 1969 森 喜朗氏、衆議院議員選挙に立候補し、トップ当選。自由民主党から追加公認を得る。
     政治家として「教育問題」に力を注ぎ、その一環としてスポーツ振興にも積極的に取り組む
  • 1969アポロ11号が人類初の月面有人着陸
1972
昭和47
ミュンヘンオリンピック開催(夏季)
ハイデルベルクパラリンピック開催(夏季)
札幌オリンピック開催(冬季)

  • 1973オイルショックが始まる
1976
昭和51
モントリオールオリンピック開催(夏季)
トロントパラリンピック開催(夏季)
インスブルックオリンピック開催(冬季)
 
  • 1976ロッキード事件が表面化
1978
昭和53
8カ国陸上(アメリカ・ソ連・西ドイツ・イギリス・フランス・イタリア・ポーランド・日本)開催  

  • 1978日中平和友好条約を調印
1980
昭和55
モスクワオリンピック開催(夏季)、日本はボイコット
アーネムパラリンピック開催(夏季)
レークプラシッドオリンピック開催(冬季)
ヤイロパラリンピック開催(冬季) 冬季大会への日本人初参加

  • 1982東北、上越新幹線が開業
1984
昭和59
ロサンゼルスオリンピック開催(夏季)
ニューヨーク/ストーク・マンデビルパラリンピック開催(夏季)
サラエボオリンピック開催(冬季)
インスブルックパラリンピック開催(冬季)

  • 1984 森 喜朗氏、自由民主党教育改革特別調査会会長、スポーツ振興特別委員長に就任
1988
昭和63
ソウルオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
鈴木大地 競泳金メダル獲得
カルガリーオリンピック開催(冬季)
インスブルックパラリンピック開催(冬季)

1992
平成4
バルセロナオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
有森裕子氏、女子マラソンにて日本女子陸上選手64年ぶりの銀メダル獲得
アルベールビルオリンピック開催(冬季)
ティーユ/アルベールビルパラリンピック開催(冬季)

1994
平成6
リレハンメルオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 1995阪神・淡路大震災が発生
1996
平成8
アトランタオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
有森裕子氏、女子マラソンにて銅メダル獲得

  • 1997香港が中国に返還される
1998
平成10
長野オリンピック・パラリンピック開催(冬季)

2000
平成12
シドニーオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
高橋尚子氏、女子マラソンにて金メダル獲得

  • 2000 森 喜朗氏、自民党総裁、第85代内閣総理大臣に就任
  • 2001 森 喜朗氏、内閣総理大臣を退任
2002
平成14
ソルトレークシティオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

2004
平成16
アテネオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
野口みずき氏、女子マラソンにて金メダル獲得

  • 2005 森 喜朗氏、日本ラグビーフットボール協会の12代目会長に就任
     森 喜朗氏、日本体育協会(現・日本スポーツ協会)会長に就任
2006
平成18
トリノオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

2007
平成19
第1回東京マラソン開催

2008
平成20
北京オリンピック・パラリンピック開催(夏季)
男子4×100mリレーで日本(塚原直貴氏、末續慎吾氏、高平慎士氏、朝原宣治氏)が3位となり、男子トラック種目初のオリンピック銅メダル獲得

  • 2008リーマンショックが起こる
2010
平成22
バンクーバーオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 2010 森 喜朗氏、ラグビーワールドカップ2019組織委員会副会長に就任
  • 2011 森 喜朗氏、日本体育大学名誉博士に就任
  • 2011東日本大震災が発生
2012
平成24
ロンドンオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
2020年に東京オリンピック・パラリンピック開催決定

  • 2012 森 喜朗氏、衆議院議員引退
2014
平成26
ソチオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 2014 森 喜朗氏、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 会長に就任
  • 2015 森 喜朗氏、日本財団パラリンピックサポートセンター最高顧問に就任
     森 喜朗氏、日本ラグビーフットボール協会名誉会長に就任
2016
平成28
リオデジャネイロオリンピック・パラリンピック開催(夏季)

2018
平成30
平昌オリンピック・パラリンピック開催(冬季)