卓球の歴史・沿革
卓球発祥当初の絵
卓球発祥の地はイギリス。19世紀、上流階級の貴族たちが外でテニスができない雨天に室内テーブルを使って楽しんだのが始まりといわれており、長い歴史を誇る。その後、1900年ごろ、羊の皮を張ったバトルドア(バドミントンの前身)のラケットと、セルロイド製のおもちゃボールが使われるようになり、セルロイドのボールを皮張りのラケットで打つと「ピン」、相手の台に落ちると「ポン」と音がするところからその音をなぞらえてピンポンと呼ばれ、上流階級の貴族たちが社交の場として"ピンポンパーティー"を日常的に開くようになった。この頃からピンポンブームが始まり、イギリスで大流行。後に、テーブルテニス(卓球)という名前が正式な競技名となり、今に至る。
1921年に、イングランドで卓球協会が誕生。国際卓球連盟は1926年に発足し、同年、ロンドンで初の世界選手権が開催された。オリンピックは1988年ソウル大会から正式種目となっている。
日本へは1902年(明治35年)にヨーロッパから坪井玄道氏がネット、ラケット、ボールなどを持ち帰ったことにより伝来し、その後国内に広まり、近年は日本代表選手の活躍もあり人気スポーツとなっている。
卓球の概要
競技者は、卓球台を挟んで向かい合い、プラスチックでできたボールを打ち合って得点を競う。使用されるラケットは、木材から作られた板とゴム製のラバーでできており、両面にラバーのある「シェークハンド」グリップと、片面の「ペンホルダー」グリップの、大きく2種類に分けられる。
世界選手権の種目は、男子/女子シングルス、男子/女子ダブルス、男女1名ずつの混合ダブルス、男子/女子団体戦の7つで、個人戦と団体戦が隔年で開催される。また、東京オリンピック種目には個人戦の男女ダブルスがないため、5種目となる。常に表彰台に上る中国勢に肩を並べ、近年は日本人選手の活躍が目立つようになり、プロスポーツとしての卓球も注目を集めている。
プロの高速卓球に目を見張る一方で、卓球は、体格の差に左右されることが少なく、誰でも気軽に楽しめるところが魅力の一つ。体を動かしながら頭も使うため、高齢者から子どもまでが一緒に取り組めるところもポイントである。
卓球のルール
試合は、1ゲームが11点先取で、4ゲーム先取の7ゲーム制、3ゲーム先取の5ゲーム制。コイントス(じゃんけん)を行い、勝った選手が「サービス」か「レシーブ」、または「コート」を選択できる。
サービスは、自分のコートに1回、相手コートに1回バウンドさせる。レシーブは、相手の打球が自分のコートに1回バウンドした後、相手コートにバウンドさせるように打ち返せば返球成功。以後、交互に返球を繰り返すが、返球に失敗すると相手に1点が入る。サービスは2本交替で、先に11点を取ると、1ゲームを取ったことになる。ただし、10-10になったら「ジュース」で、2点差がつくまで試合が続く(その間サービスは1本交替)。
1ゲームごとに両選手はコート(エンド)を交替する。ただし、最終ゲームのみ、どちらかが5点取った時点で交替する。
卓球のコート・用具
■卓球台:長さ2.74m、幅1.525mの長方形の台は、地面より76cmの高さに水平に位置する。台の長辺に垂直に張られたネットで、台が2つのコートに等分される。ネットは台から15.25cmの高さに吊られ、台の両端に取り付けられたサポートによって支えられている。
■ボール:直径40mm、重さ2.7gのセルロイドまたは同質のプラスチック製で、色は白またはオレンジ。
■ラケット:基本的に木材から作られた板とゴム製のラバーとから構成されるが、握り方の違う「シェークハンド型」と「ペンホルダー型」の2種類がある。さまざまな製品から選択できるが、日本国内の公式試合で使用するラケットは、見える場所にメーカー名と日本卓球協会の公認の表示(JTTAA)が義務付けられている。
日本の卓球ブーム
これまで圧倒的な強さを見せつけていた中国勢に追いつけ追い越せと、日本人選手たちが目覚ましい活躍を見せている。なかでも、ITTFワールドツアー男子シングルスを最年少の14歳61日で優勝した張本智和選手や、ワールドカップ、全日本選手権、アジア卓球選手権女子シングルスを最年少で優勝した平野美宇選手、オリンピック卓球競技の最年少メダリストとなり全日本選手権において最年少で三冠達成した伊藤美誠選手など、若手の進化が目覚ましい。日本卓球協会では、指導者への教育を徹底し、小学生といった若年層からの育成と強化体制の見直しを図ってきたのだ。世界で活躍する若い選手たちを、日本全体が応援するようになった。
それに伴って、日本の卓球人口も増加傾向にある。老若男女が、その年齢や実力に左右されることなく一緒に楽しめる生涯スポーツとしても、卓球の可能性は計り知れない。
公式サイト
公益財団法人日本卓球協会