JOCの理解が必要なワールドゲームズの価値
ジャカルタアジア大会ボウリング競技(2018年8月)
―― 現在、ボウリングはオリンピックの正式競技の採用を目指していますが、1988年のソウルオリンピックでは一度、ボウリングが公開競技として行われました。しかし、それ以来、オリンピックの舞台には上がれていない状況が続いています。
ソウルオリンピックで公開競技として実施できたのは、まずはアジア競技大会でボウリングが第7回大会(タイ)から正式種目となっていたことも大きかったと思います。それともう一つは私が当時のIOCのサマランチ会長と接する機会が非常に多かったというのもありました。なぜ、私が動いたのかと言いますと、オリンピックの開催都市が決定するのは開催の7年前ですから、正式競技にするためには早めに動かなければならないわけです。ところが、当時世界のボウリング界を牛耳っていたアメリカがまったく動こうとしなかった。そこで私が動くしかないということになったわけです。
それこそ、サマランチ会長が出席する理事会や総会がある時には必ず私も出席しまして、ご挨拶をしました。そうすると、サマランチ会長も「やぁ、ミスター・ボウリング」と言ってくれるようになりましてね(笑)。そうしたロビー活動もあって、ソウルオリンピックでは公開競技として実施されました。その後、今度は正式競技にしようということで精力的に動いたわけですが、最も大きなチャンスだったのは1996年アトランタオリンピックでした。
アトランタオリンピック開会式(1996年7月)
その4年前の1992年バルセロナオリンピックの時には、選手村の中にボウリングレーンを18レーンつくりまして、始球式の時にはサマランチ会長も選手村に来てくれました。サマランチ会長は、ボウリングに非常に理解を示してくれていたんです。次のアトランタオリンピックではテンピンボウリング発祥の国でありながらアメリカの組織が動かなかったのですが、なんとしても正式競技として実施したいということで、私は日本の業界とともに現地に行きました。市長から何から主要人物に全員に会って話をしたところ、非常にうまく話が通るようになりまして、途中までは順調に進められていたんです。世界テンピンボウリング連盟は6億円を用意しまして、「この土地にボウリング会場を建てよう」と見当をつけていた現地に視察に行くというところまでいっていました。
ところが市長が心臓病で倒れてしまいまして、代わって就任した次の市長に「財政が厳しいので、13億円を出してくれないか」と言われたんです。良く聞くと、アトランタにはキング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア。アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者)の生家があって、アトランタオリンピックで予定していたマラソンコースをその生家前を通るコースに変更しなければならなくなった。アトランタがあるジョージア州もいくらか出してくれることになっているけれど、まだまだ資金が不足して困っているから、ボウリング場を建てることを許可するかわりに、その分も一部負担してくれないか、ということだったんです。会議で話し合いをしましたが、「いやいや、話が違う。それは無理だ」ということになって、その話は頓挫してしまいました。
長野オリンピック時に開かれたボウリング大会でのサマランチIOC会長(当時/1998年2月)左端が赤木氏
―― いまや高齢者から子供たちまでプレーできるボウリングは国民スポーツといってもいいと思いますが、ボウリングをオリンピック競技の正式競技にするためには、今後、どんなことが必要になってくるでしょうか。
大きなチャンスは、2028年に開催が決定しているロサンゼルスオリンピックでしょう。ボウリングはアメリカが発祥の地で、世界最大の「ボウリング大国」なわけですから、やはりアメリカで行われるオリンピックで実施される可能性が高いと思います。1996年アトランタオリンピックでは、先述した通り、財政的な問題等も絡んできて、結局は正式競技に入れることができなかった。これは大失敗だったと思います。当時、私は世界テンピンボウリング連盟の第一副会長として、ジョージア州の知事にも、アメリカの主要銀行の頭取にも会って話を進めようとしましたが、結局、アトランタ市長が「13億」なんて破格の金額を言うものだから、何も進まなかった。やはり、アメリカのボウリング連盟が精力的に動いてくれないとというところはありますので、日本としては、どうアメリカにアプローチしていくか、早急に対策を練らなければいけないと思っています。
―― 赤木さんはボウリング競技を通して「第2のオリンピック」と言われている「ワールドゲームズ」にも、赤木さんは深く関わりを持ってこられました。また2018年より日本ワールドゲームズ協会の会長も務めておられます。ワールドゲームズの意義とはどんなところにあるでしょうか。
今、IOCが徐々に財政面の肥大化に歯止めをかけるなどの理由から、参加人数、競技数の制限など大会規模の縮小の道を進み始めていますが、そういう意味では、同じ4年に一度のワールドゲームズというのは、既存の施設を活用することを運営の基本にしているので、オリンピック・パラリンピックのいいモデルになると思います。国際ワールドゲームズ協会(IWGA、本部はスイス)は、IOCに承認された競技で組織されている団体ですが、1981年に第1回大会がアメリカ・サンタクララで開催されました。2001年には秋田で21世紀最初の第6回ワールドゲームズ大会が開催されましたが、それほど経費は膨らまず、予算を下回ったと聞いています。もう一つは、日本でのワールドゲームズの価値を高めていくことも必要です。日本ではワールドゲームズの認知度が高くありませんが、バドミントンやソフトボール、トライアスロン、さらに来年の東京オリンピックで初めて実施される空手、スポーツクライミング、サーフィン、スケートボードなど、オリンピック競技の中には、もともとはワールドゲームズで行われていたものも少なくありません。つまり、ワールドゲームズを経て、オリンピック競技に採用されるというルートが世界のスポーツ界で出来上がっているわけです。そういう意味でも、ワールドゲームズのような広範囲にわたってスポーツの受け皿となっている国際大会が、スポーツ界の発展に寄与してきた部分は非常に大きい。IOCも国際ワールドゲームズ協会を後援しています。
左 第6回ワールドゲームズ秋田大会(2001年8月)右 第8回ワールドゲームズ高雄大会(2009年7月)
ですから、日本でもワールドゲームズの価値が理解され、JOCがワールドゲームズを取り仕切っても良いはずです。しかし、JOCは関心を示さず、距離を置いています。例えば、ユニフォーム一つとっても、他国では同じ代表としてオリンピックとおそろいのデザインのユニフォームが支給されるのですが、日本ではそうではありません。ワールドゲームズは日本スポーツ協会でという考えもありますが、現在、日本スポーツ協会はジュニアの育成に注力しています。そうすると、単に日本スポーツ協会が育成した選手を選考して、オリンピックに送り込むことだけがJOCの役割かということになってしまいます。現在、笹川スポーツ財団も日本ワールドゲームズ協会の事務局として支援してくれていますが、JOCは日本スポーツ界のトップ組織なわけですから、オリンピックにも深く関わっているワールドゲームズは、やはりJOCが統括すべきだと考えます。
2020東京大会1年前イベントで挨拶するIOCバッハ会長(2019年7月)
―― 来年には2回目の東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。オリンピック・パラリンピックの今後については、どのようにお考えでしょうか?
世界最大のスポーツイベントであるオリンピックの方は、もう都市型開催では限界にきているのではないでしょうか。オリンピックと同じ「世界三大スポーツ」であるサッカーやラグビーのワールドカップは、国が開催となっていますが、オリンピックもやはり国で受けるべきじゃないかなと思います。あるいは、あくまでも都市型というのなら、一つの都市ではなく、複数の都市で行うゾーン型にしなければ財政問題や会場問題などで、開催することは難しくなってきていると思います。実際、東京オリンピック・パラリンピックの競技会場は東京都以外の都市でも行われるわけですから、今後はそのやり方が立候補しやすくなるのではないでしょうか。
―― 2026年冬季オリンピック・パラリンピックは、今年6月24日のIOC総会で開催都市が決定しましたが、イタリアのミラノとコルチナ・ダンペッツオと二都市での開催となりました。
IOCも憲章を変えて、そのように柔軟にやっていかないと、もう立候補する都市はなくなってしまいます。