大学院への見直しで「大学スポーツ」の多様化へ
早稲田大学 対 帝京大学の攻防
―― さて、これからの日本ラグビー界を考えますと、やはり気になるのが人気の低迷です。
日本のラグビーが最も人気が高かったのは、1990年代前後。今思えば、その当時はラグビー人気がずっと続くものと信じていたのだと思います。ところが、1993年にサッカーがプロ化してJリーグが始まりました。その頃、日本のラグビー界は「果たしてプロ化して成功するのだろうか」と半信半疑にサッカー界を見ていたと思います。しかし、Jリーグが成功し、いよいよラグビーもプロ化への道を進むことになりました。とはいえ、そう簡単にはラグビー人気が復活するわけではありません。では、どうしなければいけないか、ということが今問われているわけですが、一つはやはり日本代表の強化ですよね。それとトップリーグの発展と、大学ラグビーの再構築。これらが大事になってくるのだろうと思います。
―― ラグビーが人気だった時代、やはりスーパースターを多く輩出した大学ラグビーという存在は欠かせませんでした。しかし、現在ではその大学ラグビーも人気が高いとは決して言えません。
現在、大学ラグビーの最も課題となっているのは、現役学生がスタジアムに応援に足を運ばないことにあるのではないかと思います。これはラグビーだけの問題ではありません。例えば、六大学野球リーグ。ひと昔前でしたら、"早慶戦"は必ず満員でチケットを入手するのも一苦労でした。ところが、今では空席が目立つことも珍しくありません。また、ラグビーならではというと、日本選手権で大学チームと社会人チームが対戦し、時には大学が勝つこともあり、おおいに盛り上がりましたよね。しかし、近年ではプロ化したトップリーグのチームに大学チームが勝つことはほとんど不可能になってしまった。大会自体も2017年からはトップリーグの上位4チームによるリーグ順位決定トーナメントと統合するかたちとなり、大学チームの出場枠が撤廃されました。そうすると、やはり大学スポーツ内での改革が重要となるのかなと。
大学選手権で優勝した帝京大学チーム
―― そういった中で、今、NCAA(全米大学体育協会)*3の日本版をつくろうという話が持ち上がっています。河野さんは、これについてはどのようなお考えをお持ちでしょうか?
そうですね。まず、NCAAが100年ほどかけてつくりあげられたものであることを踏まえると、そう簡単に日本版がつくられるわけではなく、ある程度の時間が必要だと思います。また、アメリカのエッセンスをそのまま日本に持ち込むことは難しいですよね。そういう中で、私は大学院に目を向けてはどうかなと考えています。大学スポーツの期限を4年間ではなく、大学院までの6年間とすると、少し違った局面を見出すことができるのではないかなと。スパンを伸ばせることもありますが、大学院に進むということは学業も大切にしなければなりませんし、大学院に進むことで就職においても広がりを持つことができるはずです。さらに学業も大事にしたいと考える海外からの留学生にも門戸が開きやすくなれば、競技における交流の輪も広がります。今、日本のスポーツ界でも重視され始めた「デュアルキャリア」という考え方からしても、大学院という場を見直すことで、多様な道を開くことができるのではないかと思います。
*3 NCAAとは、アメリカの大学スポーツを統治する組織で、学生がスポーツを通じて充実した学生生活を送れるように、人格形成、学業、キャリア、資金の支援を行い、安全確保や文武両道を達成できる仕組み作りを行っている。
2019年ラグビーW杯開催による「スポーツレガシー」への期待
ラグビーワールドカップイングランド大会における日本対南アフリカ戦(2015年)
―― 現在日本のスポーツ界では、組織幹部によるパワハラや指導者からの暴力など、さまざまな問題が浮上しています。河野さんは、日本のスポーツ界についてはどのように見ていますか?
ひとつは、やはり問題が起きた時に何かしらのペナルティがないといけないと思います。そのためには、各競技団体を得点で評価する明確な指標が必要ではないかと。そうしたルールが求められていると思いますね。
実は私は国際ラグビー連盟の技術委員だったことがあるのですが、例えば近年ラグビーでは「ハイタックル」が問題視されていました。脳震盪を起こす可能性が高く、危険なプレーだということで、厳しいルールを設けました。途中のプロセスは関係なく、結果的に相手の肩よりも手が上にかかっていれば、すべてペナルティになります。しかし、そのルールを導入した時には大反対が起こりました。「あんなのラグビーでは普通だろう。そんなに危なくないじゃないか」と。それでも、とにかく手が肩より上にかかったら即座にペナルティということを徹底的に行ったことで、今ではハイタックルが激減し、選手が脳震盪を起こすことも減ってきています。
つまり物事は、ルールを明確化し、厳正に行うことで変わってくるんです。それともう一つは、柔軟性です。ルールを明確にしても、やはりどこかで何かが起こるもの。その時にいかに柔軟に変えていくことができるかということです。
―― ドーピングについてはいかがでしょうか。
これまで日本では民事事件の領域でおさまっていたものが、最近では刑事事件にまで広がりつつあります。そうした現状を踏まえた方法やルールを考えてペナルティを課していく必要があると思います。もちろん、スポーツ界自体の自浄作用に期待したいところですが、その前にその自浄作用が働くためのメカニズムが必要です。そのために文部科学省やスポーツ庁が何らかの方針を出すべきかなと。特にスポーツ庁はせっかく設立されたのですから、もっと機能的に、フル稼働できるようになるとよいと思います。
2016東京オリンピック・パラリンピック招致委員会事務総長を務める(2009年コペンハーゲン)
―― スポーツに対する国のサポートについては、どのように感じられていますか。
国家プロジェクトの一つとして「スポーツ立国戦略」を策定するなど、スポーツの価値が認められ、国からのサポートも拡大傾向にあります。ただ、今ではだいぶ変わりましたが、少し前までは日本ではスポーツは国から"オンリーサポート・ノーコントロール"だったことが問題だなと感じていました。これはよく言えばスポーツ界が自立しているというようにも考えられますが、ともすると"無責任タニマチ"にもなりかねないんです。やはり支援する側は支援するだけの価値を提示し、支援を受ける側はその価値を見出す責任があるわけです。単に"お金だけちょうだい"では、良好な関係を築くことはできませんし、スポーツは発展しません。
ところが、毎年政府から発表される「骨太方針」には、これまで一度も「スポーツ」という言葉が出てきたことがありませんでした。それでは国のスポーツに対する考え方がわからないわけです。そこで国会議員の先生方にスポーツへの意見をアンケートしようとしたことがありました。もちろんこちら側と違う意見があってもいいんです。要は国会議員の先生方がどのようにスポーツを考えているかを知ることができれば、スポーツ界としても対応することができますよね。
女子ラグビーのトレーニング風景
―― また、医師のお立場として伺いたいのですが、2020年東京オリンピック・パラリンピックで問題視されている暑さ対策については、9月20日に開幕するラグビーW杯においても無視することはできません。どのような対策が考えられるでしょうか。
アスリートはすでにトレーニングで暑さに対応した体づくりなどを行っていることと思いますが、観客側も今からの準備が非常に重要です。人間の体の仕組みというのは意外にシンプルで、外気が体温よりも高いと、その熱が体内に入ってくるわけです。そこで大事なのが、どうやって体内に入るのをブロックするか。あるいは体内にこもった熱を冷やすかです。もちろん、冷たいものを体に当てたり、水分を補給することは重要です。もう一つは、汗をかくこと。人間の体は汗をかくことによって体温をコントロールしているんですね。ですから、うまくコントロールするためには、ふだんから汗をかく体にしておかなければいけないんです。その汗がどこからくるかというと、体内からですよね。体内にあるタンクを広げるには、筋力が影響しているんです。つまり、ふだんから運動をして汗をかくことが、熱中症の予防対策につながります。
50,000人ものランナーが参加して毎年4月に開催されるパリマラソン
―― なるほど。私たち一人ひとりが、今からできることがあるというわけですね。
はい、その通りです。ですから、まだ正式には発表されていませんが(インタビュー時点:2018年9月)、来年のラグビーW杯開催にともなって、「ラグビーウォークムーヴメント」をつくろうと思っています。どこの会場にしても、最寄り駅やバス停から歩かなければいけないわけですよね。だったら、嫌々歩くのではなく、どうせなら楽しく歩きましょうと。そうすると、心身にかかる負担も軽くなりますし、また都市づくりにもいいのではないかと思っているんです。
私が参考にしたいなと思ったのは、以前見たフランスのパリで開催されたマラソン大会。ランナーが走る先々に地元のワインが用意されていたんです。現在では日本国内でもスイーツなどが用意されたマラソン大会がありますが、ラグビーW杯やオリンピック・パラリンピックでも、会場までの道のりに、地元グルメやスイーツを用意していくことで"歩く楽しみ"を作ったらどうかなと。そうして楽しく歩けるような場所をつくることで、街が活気づき、人が健康になる。こうしたことを国の政策課題にするには、ラグビーW杯とオリンピック・パラリンピックは、非常にいいチャンスになると考えています。
―― 国民の健康増進につながり、ひいては医療費削減につながりますね。
はい、おっしゃる通りです。それもまた、ラグビーW杯やオリンピック・パラリンピックの大きなレガシーとなる。「スポーツレガシー・プロジェクト」の一つです。
激しいぶつかり合いが魅力のウィルチェアラグビー
(2016リオデジャネイロ・パラリンピック)
―― 2019年ラグビーW杯の大会期間中には、パラリンピック競技のウィルチェアーラグビーの「ワールドチャレンジ」という大会が同時開催されます。
実は日本ラグビー協会の中竹竜二コーチングディレクターには、日本ウィルチェアーラグビー連盟の副理事長を兼任してもらうなど、ウィルチェアーラグビーとの交流は深まってきています。ウィルチェアーラグビー日本代表はリオデジャネイロパラリンピックでは銅メダルを獲得し、今年8月の世界選手権ではオーストラリアを破って優勝しました。同じ"ラグビー仲間"として非常に嬉しいですし、一緒にラグビーW杯やオリンピック・パラリンピックを盛り上げていきたいですね。
―― 最後に、日本スポーツ界が進むべき道について、河野さんはどのようにお考えでしょうか。
理想像を語る前に、まずは課題を一つ一つ解決していくことが先決だと思います。そうした課題をクリアしていく先に、スポーツが日本国民にとって真の文化となるのではないでしょうか。現在は、どうしてもイベント的な部分で収まってしまっているような気がします。それをいかに生活の一部にスポーツを取り入れることができるかにあるかなと。IOC(国際オリンピック委員会)のトーマス・バッハ会長が「バリュー(価値)を見出さないスポーツは単なるエンターテインメントに過ぎない」とおっしゃっていましたが、その言葉の意味を考え、実行していくことによって、日本の「スポーツ立国」としての将来が見えてくると思います。