苦難の時を乗り越える力に 歴史が証明するスポーツの価値
戦後の日本スポーツ界を支えた
古橋廣之進(左)と橋爪四郎
―― その「スポーツの価値」については、先進国の諸外国と比較しても、日本はまだまだ低いと感じられます。
その通りだと思います。これまでの歴史上、スポーツが果たしてきた役割の大きさからすれば、まだまだスポーツの力、価値という点において、日本では認められていないように感じられます。古い話になりますが、戦後、焼野原の状態から、日本が復活・復興することができたのは、例えば水泳界で言えば、敗戦国を理由に日本の出場が許されなかった1948年ロンドンオリンピックの同日、同時刻に開催された日本選手権で、金メダリストを上回る世界新記録を出した古橋擴之進さんや橋爪四郎さんたちの頑張りが、日本国民に勇気と感動を与えて、「もう一度、頑張ろう」という気持ちを起こさせてくれたからということもあったと思うんですね。また、2011年の東日本大震災の時には、数か月後にW杯で優勝した「なでしこジャパン」ことサッカー女子日本代表の存在が、被災地の人たちを勇気づけてくれたことは、記憶に新しいですよね。他にも目に見えないかたちで、スポーツは生きる力を与えてきてくれたと思うんです。
FIFA女子ワールドカップ決勝で“なでしこジャパン”が
アメリカを破り世界一に。日本中が歓喜した。(2011年)
―― スポーツの存在価値を高めるために必要なものとは?
これまでスポーツと言うと、「どんなレベルの大会で、いくつのメダルを取った」というイメージが強かったと思うんです。しかし、今やスポーツというのは、もっと広義に解釈すべきものであって、単に勝負の世界でメダルを取るということだけではなく、心身の健康やビジネスにおいても、非常に有能な素材だというふうに認識されるべきだと思っています。また、アスリートが現役を引退後に、社会に貢献する人材となることもまた、「やっぱりスポーツって素晴らしいね」という評価へとつながるはずです。
―― そういう意味では「セカンドキャリア」は重要ですね。
とても重要な課題として、スポーツ庁でも注力していくつもりです。スポーツ科学・医療の発展によって、ひと昔前に比べると、選手寿命がだいぶ延びました。とてもいいことだと思いますが、その反面、30代、40代という年齢で「新入社員」にならざるを得ず、セカンドキャリアで苦労しています。やはり、選手が現役引退後について悩まずに競技に専念でき、そして引退後は経験を活かして社会に貢献できるような環境づくりを早急に進めていかなければいけないと考えています。
“モノづくりニッポン”の技術で、障がい者スポーツの発展へ
―― スポーツの価値という点においても、今後は障がい者スポーツを外すことはできません。スポーツ庁でもパラリンピックを柱の一つとしています。
今は「オリンピック・パラリンピック」というふうに、セットになって考えられるようになってきています。選手たちにとっても、お互いが刺激し合うことがあると思います。障がいの有無にかかわらず、誰もがスポーツにアクセスできて、活躍できる場を提供するということが、先進国には求めらているのだと思います。
―― 国内では、まだまだ障がい者が気軽にスポーツができる場が少ないですし、そういう場に出てこれるような支援の手も不足しているように感じます。
これまでは後天的に障がいを負った人たちに対しては、病院やリハビリセンターなどで少しずつ障がいを受け入れたり乗り越えたりする中で、障がい者スポーツを紹介されて知る機会がありました。しかし今は、すぐに退院させられてしまうので、スポーツをやろうという精神状態になる前に社会に出てしまうことも多く、なかなか難しいところがあります。ですから、特別支援学校や地域の障がい者スポーツセンターとも連携を取りながら、入口の部分の充実を図っていきたいと考えています。
ロンドン・パラリンピック陸上 走幅跳びに出場した佐藤真海選手(2012年)
―― 障がい者スポーツの競技力向上においては、用具・道具の充実も重要です。
“モノづくり”日本の技術を駆使して、選手により良い環境を与えられるようにしていきたいと考えてます。実際、企業の方ともお話をさせていただくと、車椅子などの技術開発に大きな関心を寄せているところも多いんです。というのも、障がい者スポーツへの技術開発が、将来的には高齢者にも応用できる部分が沢山あるんですね。日本の高い科学技術をもってすれば、世界に先駆けた新しい用具・道具がどんどん開発されていくと期待していますし、スポーツ庁としても経済産業省や厚生労働省などと連携を図りながら、力を注いでいきたいと思っています。
―― 一般のスポーツは、例えば学校教育に取り入れられることで、用具・道具の普及拡大が可能ですが、障がい者スポーツにおいては拡販が難しく、どんなにいいものを作っても、爆発的に売れるということは考えにくい。その点が、企業としても投資のネックになっているのではないでしょうか。
東京都障害者スポーツセンターを視察し、
車いすテニスを体験(2016年)
なかなか難しい問題ではありますが、例えば車椅子競技は健常者にも楽しむことができます。実際、車椅子バスケットボールは健常者にも人気で、「日本車椅子バスケットボール大学連盟」では、健常者と障がい者が一緒になってプレーし、“大学日本一”を決める選手権大会が行われています。そう考えると、競技によってはロットを上げて、単価を下げることで普及を拡大させていけるものもあると思いますので、「誰でも気軽に楽しめるスポーツ」にできるようなアイデアを出し合っていけたらと思っています。
全国で盛り上げたい2020年東京
スポーツの深みが出る大会に
―― いろいろお話を伺っていると、スポーツ庁への期待は、今後ますます膨らみそうですね。
そうだと思いますね。2020年東京オリンピック・パラリンピックを成功させることはもちろんですが、さまざまな分野でスポーツが日本人にとって有益なものとなるように、これからも取り組んでいきたいと思っています。
リオ・オリンピック閉会式で“オリンピック旗”
が小池東京都知事に引き継がれた(2016年)
―― 特に2020年東京オリンピック・パラリンピックの成功は、日本のスポーツ界にとって重要ですね。
はい、その通りです。今、各競技や各国選手団のキャンプ地の誘致に向けて、各自治体が積極的に動いていますが、とてもいい傾向だと思います。2020年は決して東京だけのものではありません。スポーツによる地域活性化が全国に広まり、日本のオリンピック・パラリンピックという意識が高まっていって欲しいですね。
―― また2020年には、メダリストだけでなく、自己ベスト更新や、メダルには届かなかったけれども、アジア新や日本新を出した選手も称賛するような日本のスポーツ界になってほしいなと思っていますが、いかがでしょうか。
リオ・オリンピック陸上男子4×100mリレー
で銀メダルを獲得した日本チーム (2016年)
左から山縣、飯塚、桐生、ケンブリッジ飛鳥
それは、とても重要なことですね。その試合やレースでの「勝者」は1人しかいません。メダリストにしても、わずか3人だけです。でも、あの4年に一度しかない大舞台で、自己ベストを出す、アジア新、日本新を出すというのは、本当に難しいことなんです。私自身、そのことをよく知っているだけに、そういう選手にもぜひ大きな拍手を送ってあげたいですよね。選手にはそれぞれ、あの舞台にたどり着くまでにはさまざまな人間ドラマがあるわけで、そういうところにもっとフォーカスしたメディアが増えてくれば、国民も共感できると思うんです。2020年は、勝負の結果にこだわるのはもちろんですが、それ以外にも目を向けた、スポーツの深み、厚みがさらに抽出される大会にできるようにしたいですね。
―― 長官としての仕事も増える一方ですね。
そうですね。とても難しい問題ばかりで、一朝一夕で解決できるわけではありません。それだけに色々と大変なことも多いのですが、自分はどう評価されても構わないと思っています。目先の自分の評価よりも、10年後、20年後に「スポーツ庁は、いい舵取りをしてきたな。日本スポーツの発展に、大きな役割を果たしてきたな」というふうに言われることが本望と考えています。これからも「スポーツ立国・ニッポン」の実現に向けて、奔走していきたいと思います。