2015.08.03
- 調査・研究
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
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スポーツ政策研究所を組織し、Mission&Visionの達成に向けさまざまな研究調査活動を行います。客観的な分析・研究に基づく実現性のある政策提言につなげています。
自治体・スポーツ組織・企業・教育機関等と連携し、スポーツ推進計画の策定やスポーツ振興、地域課題の解決につながる取り組みを共同で実践しています。
「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。
日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。
2015.08.03
スポーツにおける「クライシスマネジメント」という言葉を聞いて、まず何を想像するだろうか。クライシスという用語にあまり馴染みのない方も多いのではないだろうか。クライシスは直訳すると「危機」と訳されることが多いため、スポーツにおけるクライシスマネジメントと聞くと、スポーツにおける危機的な傷害事故を起こさないための事前計画、または起きた時の迅速な対処法を想像するかもしれない。あるいは、海外で報道されるフーリガンをはじめとするサッカーファンの暴動やファン同士の喧嘩などを鎮静させるためのマネジメントを想像される方もいるかもしれない。
クライシスマネジメントが対象とする「クライシス」は、自然災害、テロリズム、事故、スキャンダル、悪い噂話など多岐に渡る。すなわち、頻繁に報道されるプロスポーツチーム・リーグやスポーツ選手の目に余る所業による悪影響を最小限に防ぐことも、クライシスマネジメントの対象に含まれる。インターネットのニュースやテレビを通じてスポーツ現場で起きた数々の不祥事を簡単に見つけることができるにもかかわらず、その重要性は近年まで強調されてこなかった。そこで本稿では、重要性が強く認識され始めているクライシスマネジメントについて、プロスポーツチーム・リーグに着目しながら情報提供することを目的とした。最初に(1)クライシスマネジメントの概要を説明し、(2)なぜクライシスマネジメントが積極的に行われていないのか考察する。そして(3)アメリカのスポーツ現場におけるいくつかの事例と(4)クライシスマネジメントモデルを紹介し、最後に(5)スポーツチーム・リーグが実際のクライシスマネジメントの計画を作成する際に有用だと考えられるチェックリストを提供する。
クライシスマネジメントの定義は多岐に渡るが、本稿におけるクライシスマネジメントは「組織や多くのステークホルダーに悪影響を及ぼすさまざまな不祥事の発生確率の抑制、悪影響の最小化、そしてビジネスの再生までを包括的に対応すること」と定義づけて報告を行う。
数々の不祥事が報告され、クライシスマネジメントの重要性は認識され始めているものの、実際に綿密な計画を基にしたクライシスマネジメントを行っている企業は少ない。アメリカのPR会社であるBurson-Marsteller(2011)が世界中の800強の企業を対象に行った調査によれば、調査サンプル全体の60%にものぼる企業が今までに何かしらの不祥事を経験しており、それらの会社の意思決定を任される人物は1年以内にさらなる不祥事が起こると推測している。それにもかかわらず、おおよそ半分の企業しかクライシスマネジメントを積極的に行っていないという、企業のリスクに対する脆弱(ぜいじゃく)性を報告している。同じくアメリカのPR会社であるVersion 2.0も何も対策を練らなければ、遅かれ早かれ不祥事は避けることができないと警笛を鳴らしている。
実際に綿密な計画に落として不祥事に備えている企業は、近年増えてきてはいるものの決して多くはない。なぜ重要性が謳われるクライシスマネジメントに積極的に取り組む企業が少ないのだろうか。
不祥事の発生確率を抑制するというクライシスマネジメントの一つの大きな課題へのアプローチは、さまざまな企業活動にとって優先順位の高いものとして認識されていないことは、上記のデータからも推察される。その理由は、企業の意思決定者の中には、クライシスマネジメントは「する必要がないかもしれない便益への投資」と捉えられている方々がいるからではないだろうか。将来起こるかどうかわからない不祥事の確率を抑制するという不明瞭な便益のために、クライシスマネジメントにかかる明確な時間的・金銭的コストを費やすことは勇気のいる決断なのかもしれない。人間は明確なリスク(ここではクライシスマネジメントにかかる時間的・金銭的コスト)と、不明確な便益(ここでは不祥事を避けられる可能性)を目の前にすると、明確なリスクを回避するように意思決定を行う傾向がある(人々の意思決定とリスクの関係をより詳しく知りたい方は、カーネマンが提唱したプロスペクト理論を参照)。一方、不祥事が起きた時は、その悪影響が明確であるため、時間的・金銭的コストを費やしてでも、その悪影響の排除・最小化に注力する。しかしながら、事前に綿密な計画が立てられていなければ、不祥事への対処が難しいのはいうまでもない。深刻さはさまざまだが不祥事は毎日のように起こっており、もし意思決定を任される人物がスポーツ現場には関係ないと思っているとしたら、そのチームはあまりにも無防備な組織といっても過言ではないかもしれない。不祥事の抑制は「目に見えない便益」ではなく「必要不可欠な保険」であるという認識が必要かもしれない。
アメリカのスポーツ現場では1980年代からクライシスマネジメントの必要性が問われ続けてきた。さまざまな側面からクライシスマネジメントに関連する政策を打ち出していく必要がある。問題行動を起こしたファンや選手に対して、罰金を課すなどの策を講ずるチームやリーグも存在するが、人々の感情を強く刺激するスポーツ観戦の場面において、これらの問題行動の代償が頭に浮かぶとは考えがたい。それでは、現在のプロスポーツチーム・リーグに着目すると、どのようなクライシスマネジメントが行われているのだろうか。
まずスタジアムでの喧嘩や暴動は海外でしばしば報告される不祥事である。特に、攻撃的行動と飲酒の強い関係性は早くから認識されてきた。アメリカ4大スポーツリーグであるアメリカンフットボールのNational Football League(NFL)、バスケットボールのNational Basketball Association(NBA)、野球のMajor League Baseball(MLB)、そしてアイスホッケーのNational Hockey League(NHL)では、観戦者の群集管理が重要なクライシスマネジメントの課題として認識され、その中でもNFLは1990年代から「お酒」に関する明確なクライシスマネジメント政策を打ち出している。たとえば、Seattle Seahawksは、観戦者の見た目にかかわらず、スタジアムでの酒類の購入時には身分証明者の提示を100%義務付けている。さらに、試合終了後の喧嘩や暴動が起きる可能性を減らすため、第3クォーター終了時に酒類の販売を完全に打ち切っている。
スタジアムのオペレーションもクライシスマネジメント、特にファン同士の喧嘩や暴動を抑えるために重要な役割を果たす。ホームチームとアウェーチームのファンの出入り口を分けるというシンプルな策は、アメリカだけでなく世界中どこでも行われているが、同一チーム同士の喧嘩や暴動が起こらないとは限らない。実際、アメリカでスポーツの試合後に起こる暴動の多くは、ホームチームのファンによってホームタウンの中で起こされるという報告もある。ESPNのダレン・ロベル氏によれば、NFLのいくつかのチームでは、試合後のファンの流れを特別なアルゴリズムを用いて解析し、座席から車までの流れを完全に把握して誘導するシステムをつくっている。
スタジアムの安全に関する政策だけでなく、スポーツ選手やチームスタッフによって起こされる不祥事も、コミュニケーションの観点から策が講じられている。たとえばNFLとNBAでは、ソーシャルメディアのクライシスマネジメントに取り組んでいる。NFLは選手、コーチ、チーム関係者によるTwitterのつぶやきを、試合前後の90分間(合計3時間)禁止している。同様にNBAも、選手、コーチ、チーム関係者の携帯電話・類似する機器の使用禁止を、試合中と試合前後の45分ずつの(合計1時間半)行っている。さらにNBAは、ルーキー選手に対する教育プログラムを充実させ、メディアトレーニングを徹底させることで不祥事の防止に注力している。
レポート執筆者
佐藤 晋太郎
Assistant Professor of Marketing Montclair State University Correspondent, Sasakawa Sports Foundation