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シドニーオリンピックパークに見る有形と無形のレガシー:2000年シドニー大会がもたらしたもの

2015.04.06

シドニーオリンピックパークに見る有形と無形のレガシー:2000年シドニー大会がもたらしたもの

はじめに

2000年9月15日に開幕したシドニーオリンピックは、シドニーオリンピックパーク(Sydney Olympic Park)をメイン舞台として数多くのメダルと収益をオーストラリアにもたらし、競技面・運営面の両方で成功した大会であった。閉会式では、当時の国際オリンピック委員会(IOC)会長のサマランチ氏が「これまでで最高のオリンピック(the best Olympic Games ever)」と賛辞し、オーストラリアはこれを誇りにしてきた。シドニーオリンピックパークはその栄光の象徴であった。オリンピックパークの開発にあたっては「環境五輪(Green Games)」と呼ばれるほど環境問題に取り組み、アクアティックセンターやオリンピックスタジアムなどの競技施設は国際的にも高く評価された。こうした成功を支えたのは、2000年大会招致以前から進められてきた地域開発である。1970年代から始まった開発は、地域住民にスポーツ・レクリエーションの場を提供することとオリンピック招致を目指していた。70年代・80年代は財政的な理由などで立候補都市になるまでには至らなかったが、将来の招致や開発地域周辺の人口増加への対応から開発を進めてきた。開発のための基本計画は何度も見直しが行われ、2000年大会後は後利用を巡って批判の的にもなったが、現在のオリンピックパークは、スポーツやレクリエーションだけでなく住居、ビジネス、ショッピング、教育機能のある街へと変貌してきている。競技施設などの有形レガシーを活用したイベントやプログラムといった無形レガシーが導入され、競技観戦の場のみならず、スポーツ・レクリエーションの実践の場へとパークの利用目的は多様化した。

本稿では、開催後10年以上を経たシドニーオリンピックパークに見る有形・無形のレガシーを紹介するとともに課題にも触れ、2020年東京大会のレガシーを検討するきっかけとしたい。

2000年シドニー大会の表彰台

2000年シドニー大会の表彰台

1.シドニーオリンピックパークの概要

1.1. 2000年大会招致以前の開発

シドニーオリンピックパークは、シドニー中心部から西に14km離れたホームブッシュベイ(Homebush Bay)地域に位置する。かつては工業地帯であったが、1970年代からニューサウスウェールズ(NSW)州政府主導で開発が進められた。きっかけは、シドニー西部の人口増加に伴って住民にスポーツやレクリエーションの場を提供する必要性が出てきたことと、オリンピック招致を実現することだった。シドニーは、1972年大会・1988年大会・1996年大会に立候補を検討しながら財政的な理由などで断念した。それでも将来のオリンピック招致や地域住民へのサービス向上といった視点から開発を進め、立候補都市として名乗りを上げたのは90年代初め、2000年大会の招致であった。招致時点ですでに複数の競技会場の建設が進められていたことや、汚染土処理などの環境改善策や水資源の再利用、緑地化による生態系保存などを持続可能な発展への積極姿勢としてアピールしたことが招致の強みとなった。

1.2. 2000年大会に向けた「1995年オリンピック基本計画」

1993年に招致が決定すると、オリンピック・パラリンピック開催準備のためのシドニーオリンピックパーク開発計画が策定され、「1995年オリンピック基本計画(Olympic Master Plan 1995)」として発表された。その内容は、各競技会場と関連施設、オリンピックパーク駅と環状線路、ミレニアムパーク(緑地公園)、道路、居住施設、ホテル、商業施設、下水道・水再利用設備などの建設・整備であった。その後、部分的な見直しが行われながら開催準備が進められていった。パークや競技施設の整備資金には、NSW州政府だけでなく連邦政府のスポーツ政策予算からの支援や民間企業からの資金提供も含まれた。

1.3. レガシーガバナンスと後利用の計画「2002年基本計画」

2000年シドニー大会開催後、NSW州政府はパーク利用計画の草案を2001年に作成、その後、シドニーオリンピックパークを管理運営する機関「シドニーオリンピックパーク局(Sydney Olympic Park Authority: SOPA)」を同年7月に設立した。翌2002年5月に、草案を見直した「2002年基本計画(Master Plan 2002)」が策定された。これは7~10年間を見据えた中長期的な計画であり、さまざまな利用形態(スポーツ、文化、エンターテインメント活動など)とともにそのための土地活用承認(商業、レジャー、教育、小売、ホテル、文化・教育機関など)を含み、日常的に1万人の勤務者と3,000人の住民を受け入れられるようにするというビジョンを描いていた。

1.4. さらなる発展を目指して:「2025年構想計画」と「2030年基本計画」

この2002年基本計画をさらに長期的に発展させ、持続可能な街づくりを広範に進めるため、2005年に20ヵ年の計画として「2025年構想計画(Vision 2025)」が発表された。その後、同構想計画に基づく具体的な基本計画「2030年シドニーオリンピックパーク基本計画(Sydney Olympic Park Master Plan 2030)」が立案され、2009年にNSW州政府の都市計画担当大臣(Minister for Planning)によって承認、2010年3月10日から実施されている。2030年基本計画では、商業機能を駅の近くに集中させ、新しい住居施設やコミュニティ利用にもそれぞれ開発区域を割当てる、教育機関はスポーツ施設の近くに設置するなど従来の計画よりも的を絞っている。また2030年までに、一日あたりの人口として3万1,500人の勤務者、1万5,000人の訪問者、1万4,000人の住民、5,000人の学生を受け入れられるようにすることを目標としている。現在、オリンピックパークの開発はこの2030年基本計画に基づいて行われており、640ヘクタールのうち430ヘクタールを緑地公園とし、緑地公園に囲まれるようにしてスポーツ・レジャー施設の他、教育・ショッピング・ビジネス・住居といった施設や道路・鉄道からなる街が形成されている。

ANZスタジアム正面(2009年撮影)

ANZスタジアム正面(2009年撮影)

2.有形のレガシー

シドニーオリンピックパークにおける有形レガシーには、競技施設や教育機関、まちづくりがあげられる。パーク内の競技施設は、スポーツイベントだけでなく文化・レクリエーション活動にも利用されている。ここでは、有形レガシーの成功事例として、招致前からSport for All施設として計画され、招致決定の翌年となる1994年にオープンしたアクアティックセンターを紹介したい。

アクアティックセンターには、競技用プール、練習用プール、飛び込み用プール、レジャープール、ウォータースライダー、流れるプール、ジャグジー・サウナ、トレーニングジム、VIP用観戦ルームといった設備がある。

アクアティックセンターのレクリエーションゾーン

アクアティックセンターのレクリエーションゾーン

2000年大会前からパンパシフィック選手権など国際大会が開催され、オリンピック開催時にはイアン・ソープ選手を初めとするオーストラリア人選手の大活躍がテレビで伝えられたが、その競技用プールと壁を挟んだ隣には子どもが遊べるレジャープールがあり、外につながる開閉式の壁を開ければバーベキューもできる。著者が最初に訪れたのは1998年だったが、地域住民のためのレクリエーション施設として家族連れで賑わっているプールがオリンピック競技場であることに驚いた。活躍した水泳選手の功績が入り口近くの壁に埋め込まれ、オリンピック選手と子どもたちが物理的にも精神的にも近さを感じられる。国際大会はもちろん、州内のジュニア選手権やマスターズ水泳大会にも利用されており、障がいのある選手も同日に同一大会に参加しているのが印象的だった。エリート選手から草の根まで、競技からレジャーまで誰でも利用できる施設になっているため、オリンピック・パラリンピック開催後も多くの人が利用している。

アクアティックセンターのような成功例がある一方で、2000年大会が終了するとオリンピックパークはその後利用を巡って「無用の長物(white elephant)」とメディアから批判された。これは、パークの管理機関SOPAの設置や基本計画が実行されるまでに空白期間があったからである。パーク内の競技施設を活用するため、2000年大会後はスポーツだけでなく文化、エンターテインメント、レクリエーション、教育など幅広いジャンルのイベントやプログラムが誘致・開催されるようになった。つまり、競技施設という有形のレガシーが、イベントやプログラムという無形のレガシーを推進したことになる。

3.無形のレガシー

複数の専門的な競技施設を有するオリンピックパークで行われるようになったイベントとして、まずあげられるのは「オーストラリア・ユースオリンピック・フェスティバル(Australian Youth Olympic Festival:AYOF)」である。2000年シドニー大会の収益を原資にオーストラリアオリンピック委員会が2001年に開始した国際イベントで、13~19歳のエリート選手にオリンピック環境の中で競技する機会を提供している。当初は2年ごとに開催していたが、IOCが2010年から「ユースオリンピック大会(Youth Olympic Games:YOG)」を導入したのに伴い、2009年以降は4年ごとの開催となった。AYOFは競技だけでなくドーピング教育やオリンピック教育に触れる機会も提供しており、国内外の有望な若手選手育成に貢献してきた。AYOFに参加した選手の多くがその後オリンピックメダリストになっている。例えば、2012年ロンドン大会に参加したオーストラリア人選手のうち160人はAYOF参加者でそのAYOF参加者が19のメダルを獲得していた。

2007年AYOF:競泳で表彰された選手を迎える選手たち(表彰台は2000年シドニー大会で使ったものを使用)

2007年AYOF:競泳で表彰された選手を迎える選手たち(表彰台は2000年シドニー大会で使ったものを使用)

同様に、複数競技を一カ所で開催できることを強みにしたイベント開催例として、ワールドマスターズゲームズ(World Masters Games)の招致成功もあげられる。2004年に招致が決定し、2009年に開催されたワールドマスターズゲームズは、NSW州に6,020万豪ドル(約56億円)の経済効果をもたらした。

一方、ローカル向けのスポーツ・レクリエーションイベント開催も増えてきている。2004年からは子ども向けのトライアスロン大会「Sanitarium Weet-bix Kids Triathlon」、2005年からはサイクリング大会「Festival for Cycling」、さらに2009年からは女性対象のスポーツイベント「Sydney Olympic Park Women's Sports Festival」とランニング大会「Rebel Sports Run4Fun」が同オリンピックパークで開催されるようになった。これらはいずれもスポーツ実施を高めることを目的としたコミュニティ型のスポーツイベントである。また、若者のスポーツ離れを食い止めるためにBMXトラックやスケートパークも整備された。BMXは2008年北京オリンピックに新たに加わった競技であり、そのための練習場としても同施設は利用された。さらに、オリンピックパーク内に整備された35kmのサイクリングロードは月間7万人が利用している。こうした取り組みによって、2009年にはパーク内のスポーツ利用者のうち、スポーツ観戦者の数よりもスポーツ実践者が上回るようになった。また、スポーツのハブとして、NSW州のスポーツ研究所や各スポーツ団体の本部オフィスがパーク内に設置されたことで、スポーツ教育・研究活動の場としても活用されている。

スポーツ以外では、毎年イースターの時期に開催される南半球最大のファミリーイベント「Royal Easter Show」が、シドニー中心部からオリンピックパークへと移り、国内外のファミリー観光客の動員とともに、2000年シドニー大会の記憶を呼び起こす機会提供に貢献している。また、オリンピックパークの都市化によるビジネス誘致や緑地化による生態系保存も、有形レガシーによって推進された無形レガシーといえよう。

4.レガシー計画の課題

オリンピックのレガシーへの関心が国際的に高まったのは2000年代に入ってからであり、2000年シドニー大会の準備を行っていた90年代は、オリンピック開催によって何を残すのかというレガシー議論はほとんど行われていなかった。そのため、シドニー大会の経験が提示した最も大事なことは、長期的なレガシー計画を前もって立案することの重要性である。開催前から検討すると考えれば最低でも20年先を見据えた計画を立てることが必要となる。また、レガシー計画立案・管理を担当するガバナンス機関を開催前から早目に設置すること、開催後に空白期間を作らないことも重要である。そして、計画立案の際には、有形のものだけでなく無形のレガシーについても検討すべきである。シドニーオリンピックパークのように、競技施設という有形のレガシーがイベントやプログラムといった無形のレガシー誘致の契機になるだけでなく、無形のレガシーがさらなる有形のレガシー推進のきっかけになる場合もある。

また、レガシーを成功に導くには幅広い視点も必要である。シドニーオリンピックパークのアクアティックセンターのように、最初から幅広い利用層と利用形態を想定した施設づくりは長期的な発展につながる。一方、発展だけではなく持続可能性とのバランスを取ること、適正規模を見極めたフィージビリティ・スタディを行うことも重要である。

2015年現在のANZスタジアム観客席とフィールド

2015年現在のANZスタジアム観客席とフィールド

おわりに

筆者は、2000年シドニー大会を事例としてオリンピックのレガシー研究を行ってきた。オリンピック開催都市シドニーに約10年住み、オリンピックパークに何度も訪れ、長期的なレガシーについて考えてきた。シドニー大会はレガシーに対する国際的な関心が高まる前に行われたにもかかわらず、結果として長期的な有形・無形のレガシーをいくつか残すことに成功している。また、レガシー計画のあり方について様々な課題を投げかけ、国際的なレガシーへの関心の高まりに貢献してきた。今回はオリンピックパークに限定したシドニー大会のレガシーを紹介したが、機会があれば別のレガシーについても紹介できればと考えている。

※文中、1豪ドル=93円で換算

参考文献

  1. Australian Government and NSW Government. 2010. Sydney 2009 World Masters Games Final Report.
  2. Australian Olympic Committee. 2015. Sydney 2000. Retrieved from http://corporate.olympics.com.au/games/2000-sydney
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  4. Cashman, R. 2011. Sydney Olympic Park 2000 to 2010: History and Legacy. Sydney: Walla Walla Press.
  5. Toohey, Kristine. 2008. “The Sydney Olympics: Striving for Legacies - Overcoming Short-Term Disappointments and Long-Term Deficiencies.” The International Journal of the History of Sport 25 (14): 1953?1971.
  6. Sydney Olympic Park Authority. 2015. About Us. Retrieved from http://www.sopa.nsw.gov.au/about_us
  7. ---. 2015. Legacy - from "the best Games ever" to today. Retrieved from http://www.sopa.nsw.gov.au/our_park/legacy
  8. ---. 2010. SOPA Annual Report 2009.
  9. ---. 2009. Sydney Olympic Park Master Plan 2030.

レポート執筆者

本間 恵子

本間 恵子

Partner Fellow, Sasakawa Sports Foundation
(2015年4月より、日本から情報発信)