子どもの自主性を育てるために!
学校も教師も保護者も地域も
みんな悩みながら運動部活動をまもってきた
- 調査・研究
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子どもの自主性を育てるために!
学校も教師も保護者も地域も
みんな悩みながら運動部活動をまもってきた
「あとがき」を読むと、著者がなぜこのような学校運動部活動のことを学問の作法によって考えようとしたかがよくわかる。著者は、だんじり祭りで有名な大阪岸和田市で生まれ育った。小学生のときに地域住民のおじさんたちが指導するサッカーチームでのスポーツに夢中になりボールを蹴り続けた。純粋に楽しかった。中学はサッカーがやりたくて両親が薦める私立中学ではなく地元の公立中学を選んだ。が、この部活経験で少しほとぼりが冷め、サッカーはまあまあ好きというくらいになった。高校では興味も関心もないテニス部に入り、教育的配慮も戒める顧問もいない運動部活動を経験している。中学時代とは違う、これは放任に近い部活だった。そして東京大学に進み、もう一度サッカーをしてみようと体育会系のサッカー部に入部する。しかし、体育会系の学生は東大でも、勝利のためにすべてを犠牲にするという考えが支配的で、これまた中学、高校とはまた違う部活を経験することになり、サッカーに対する気持ちはさらに冷めてしまった。
ここで著者は、幸いなことにと言っていいだろう、学問の楽しさに出会ったのである。自分の頭で理解し、その理解に基づいて、問題を解明していく楽しさ。つまり、自分の頭で考えるべき問題を見つけ、それにのめりこんでいく。この問いが「なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか」という副題になっている。
今までこんなこと考えた人はいない。中学、高校に部活があるのはあたりまえだと思っていた。実は多くの国では、スポーツは学校教育とは離れて成立しているらしいのだ。現在、見られるような「運動部活動」はカリキュラムにもない、きわめて日本特殊的なことらしい。しかも、これが拡張していくのは戦後の現象である。この意味で研究の主題は「運動部活動の戦後と現在」をあぶりだす論述に限定されている。ここから学校教育とスポーツ、運動部活動の是非やあるべき論が導かれているわけではない。しかし、それゆえに、この若く有能で誠実な研究者の仕事は、学問的にも評価されるべきだろう。著者の仮説にあるように、戦後日本がスポーツと学校教育を結び付けてきたのは「子どもたちの自主性を育てる」という理念であり、このことに学校も教師も保護者も地域もそれぞれに、それぞれの時代ごとに悪戦苦闘してきたというのが「部活動」の実態だとするなら、折りしも戦後70年、この歴史から新しいスポーツと学校教育の関係や部活動の新しい問題を見つけていくべきは、今度は、我われの側にあるだろう。
(掲載:2015年01月16日)