「小さくてもキラリと光る村」 飛島村 チャレンジデー初参加
左:久野時男氏(飛島村長)右:渡邉一利(笹川スポーツ財団専務理事)
渡邉 最初に飛島村を全国にPRする意味で、村長から少し村の話をしていただきたいと思います。
久野 昭和40年代の話になりますが、ちょうど農作業などで腰が曲がっているお年寄りが多くいるなど、村民の健康について何かしなければいけないと考えていました。スポーツというか、体を動かして健康づくりができないだろうか。願わくば若い人も参加する形にできないだろうか。村で健康づくりに取り組むようになったのは、このときが最初だったと思います。
渡邉 当時村長は村役場で働いていらっしゃったと聞いています。
久野 そうです。教育委員会に出向を命じられ、社会体育や社会教育に携わりました。そこで、最初に現在のバレーボール連盟の人たちに呼びかけまして、一緒になってクラブ活動をやりました。小学生を対象に学校に寝泊まりしてみんなで汗を流すということもやりました。こうしたところからスタートしてスポーツ活動が徐々に広がっていきます。特に平成6年の「わかしゃち国体」では綱引競技の会場になった事により綱引きはかなり強くなりまして、愛知県を代表して全国大会に出場できるまでになりました。
渡邉 競技スポーツの強化ですね。
久野 はい、こうして競技としてのスポーツが定着してくると同時に、それだけではなく、健康づくりとスポーツをもっと結び付けなくてはいけないと。健康とスポーツをまったく別のものとしてとらえていたことが間違いではないのか、そのように考えるようになりました。
渡邉 そうしたスポーツを通じた健康づくりに長年力を入れ、今回は初めてチャレンジデーに参加していただきました。
久野 そうです。みんなでがんばろうと。地元の企業も一緒にやろうとお願いしました。飛島村は従来の農業の村と、堤防を挟んで臨海工業地帯とがはっきりと分かれています。普段、両者はあまり交流が見られないのですが、今回チャレンジデーに参加していろいろな交流ができるきっかけになったと思います。
渡邉 戦後の復興期、高度経済成長期を経て現在にいたるまで、村は大きく変わったと聞いています。
久野 そうですね。飛島村はもともと農業と漁業の村でした。海苔の養殖をしていて、浅草まで送っていました。それが昭和34年の伊勢湾台風で堤防が決壊し、村民132人が亡くなりました。このことで村の住民の意識が大きく変わりました。早く復興しなくてはいけない、もっと災害に強い地域にしなくてはいけないと。そこで近隣自治体の協力も得て、臨海部に工業地帯をつくっていただくことになりました。我々は漁業を放棄し、多くの企業が入ってくるようになりました。
渡邉 大きな港がありますね。
久野 現在は臨海部の東側に325億円かけて新しいバースを建設しています。耐震化もされています。災害時に港が壊れてしまうと輸出入ができなくなり、日本の経済が停滞してしまいます。速やかに復興するためには、しっかりとした岸壁をつくらなくてはいけません。岸壁がしっかりしていれば船が港に入り、物資も運べます。
渡邉 臨海部にはどれくらいの事業所がありますか?
久野 300くらいです。その中に木材関係の会社もあります。木材を輸入して貯木する会社です。このように村には新しい会社がどんどん進出し、工事関係者もたくさん入ってきます。急激な変化にさらされてきた土地柄です。そこに健康づくり、スポーツをうまく取り入れていこうと。チャレンジデーに参加して良かったところは、みんなが一緒になって協力体制が組めたということです。ここがぐらついてしまうと行政は安定しませんし、住民の心も離ればなれになってしまいます。私たちの村は「小さくてもキラリと光る村」というキャッチフレーズを掲げています。住民一人ひとりが輝くことが村の輝きにもつながります。
渡邉 今回のチャレンジデーでは協力を得るために各事業所をまわられたと聞いています。事業所で働いている方は今どれくらいいらっしゃるのでしょうか。
久野 1万2,000人くらいだと思います。工事関係の方々も多く入っていて、はっきりした数字はつかめていません。村の人口は4,500人ほどです。
「日本一健康長寿村研究会」で、医療費は約25%削減
渡邉 健康とスポーツは今、国の政策と表裏一体となっています。社会保障費、医療介護費が膨らんでいく中で、この伸びを抑制するためにもスポーツが健康に果たす役割が注目されています。飛島村には「日本一健康長寿村研究会」があり、継続的にデータを取り、医療費の抑制などに効果があったと聞いています。
久野 筑波大学の安梅勅江教授の指導を仰ぎ、国の機関にもお願いして指導体制を組んでいただき、研究会を発足させました。地元の医師も参加し、村民の健康長寿実現に取り組んでいます。もう20年以上続いており、医療費は約25%削減したという効果もありました。
渡邉 具体的にはどのようなことをしたのでしょうか。
久野 たとえば食生活を見直してもらうため、村民が普段食べている食事の塩分濃度の検査をしました。ご家庭の味噌汁などを持ってきてもらって塩分がどれだけ入っているか調べました。塩分濃度が高ければ「もう少し薄い味噌汁にしましょう」といった具合に指導をしていただきました。こうした指導がしっかりと住民に浸透したのだと思います。
渡邉 子どもたちへの健康指導も行っていると聞いています。
久野 学校が愛知県から健康推進の研究指定をいただいて、学校を上げて健康づくりに取り組んでいます。子どものときから健康への意識づくりをしておくことはとても大事だと思います。大人になって急にやれと言われてもなかなかできるものではありません。オリジナルの体操も村で作りました「キラリとびしま のびのび体操」です。これは多世代交流が必要ということで、住民リーダーが中心になって作りました。どのような動きを取り入れるか、歌詞を含めて、住民が意見を出し合って完成しました。平成27年の村民体育祭で披露しまして、現在では保育園や飛島学園、すこやかセンターや敬老センターでの集いなどで、多くの方々が体操を行っています。
渡邉 村には温水プールなどを兼ね備えた複合施設「すこやかセンター」がありますね。こちらも村民の健康増進に大いに役立っているのではないでしょうか。
久野 最初は公園だったところをテニスコートにし、その後、やはり保健福祉の施設が重要だということで、テニスコートは別の場所に移して、平成8年にすこやかセンターが誕生しました。障害者の方々も利用できるように対応しています。
渡邉 利用者はどれくらいいるのでしょうか。
久野 温水プールの利用者は年間9万人くらいです。最も多い時で1日1,700人が利用します。
渡邉 村の人口が4,500人ですからそれは多いですね。
久野 おかげさまで多くの方々に利用していただいています。オープン当初は多数の利用があり、村民が利用出来ないとの苦情により住民と飛島村で働く方のみが利用できる村民利用日を設けました。まずは村の人たちが施設を使いこなすことが重要だと考えたからです。自分たちが自分たちで使いこなす、自分たちの生活の中に取りいれるということを徹底しました。
渡邉 村民を大切にして村づくりをしようという村長の思いが伝わってきます。
久野 村民が真ん中にいて、それを取り囲む人たちが周りにいて、そういった方々とも協力しながら村をつくっていく。いま飛島村は県内の豊根村、鹿児島県の南種子町と友好都市として自治体連携しています。人の交流、物の交流、そして何かあったときに助け合いをしようと。たとえば災害があったとき、離れた土地であれば同時に二つともやられてしまうことはありません。そういったときに助け合おうじゃないかと。物の交流であれば、互いの特産物を通じて交流し合うということです。
渡邉 これまでチャレンジデーを24回開催していますが、心温まるようなエピソードがあります。2010年のチャレンジデーで、岩手県沿岸部の陸前高田市と大分県の豊後高田市が“高田対決”をしました。2011年の東日本大震災では陸前高田市が壊滅的な打撃を受けました。そこで豊後高田市はいち早く陸前高田市に義援金と救援物資を送ったそうです。同じようなケースがほかにもあります。チャレンジデーは参加率を競うだけではなく、そうした交流が深まる機会でもあります。
久野 東日本大震災では私どもも米をトラック1台分送りましたが、そのような交流があるのですね。チャレンジデーは村民が一体となって協力し合えますし、よその自治体との交流が生まれるのも魅力です。今回初めて参加したわけですが、これをいかに継続していくかが今後の課題でしょう。そのためには最初からペースを上げ過ぎてもいけません。長距離ランナーの気持ちで、より多くの村民の参加を促して裾野を広げていきたいと考えています。
渡邉 本日はいろいろなお話が出ましたが、すべては村づくりにつながっているのだと感じました。貴重なお話をありがとうございました。
-
対談者
久野 時男氏
飛島村 (愛知県海部郡) 村長
飛島村 村長の部屋はこちら