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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

オランダの自転車活用と身体的効果(前編)

山口 泰雄(神戸大学 名誉教授/SSF上席特別研究員)

1.世界一の自転車王国 オランダ

 世界保健機関(WHO)は202355日、新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言の終了を発表した。2020130日に同宣言が発表されて以降、約33カ月を経て終了の宣言に至った。スポーツ庁は2021年、Withコロナ時代の健康二次被害として、2020311日のWHOによるパンデミック宣言以降、国民の歩数は30%低下したままで、119日には世界187ヵ国の上位10ヵ国中3位であった歩数が61日には9位に下がったと発表した。さらに、①「コロナ太り」体重増加、②テレワークによる「肩こり・腰痛」、「目の疲れ」等の不調の訴えが増加、③座位時間が長くなることにより、血流の悪化や血栓ができるリスクが上昇、を指摘した。

 兵庫県教育委員会は、コロナ禍(2021.4.235.12)における県民のスポーツ実施状況を報告した。2010年の前回調査で1位であった「散歩・ウォーキング」(65.2%)の実施率は、今回47.7%17.5ポイントも減少した。また、新型コロナ流行下での健康状況は、「ストレスが増えた」(34.5%)、「体重が増加した」(27.2%)と深刻である。直近のスポーツ庁調査(2022年)によれば、週1日以上の運動・スポーツ実施率は、前回の2019年調査の59.9%から52.3%と、7.6 ポイントも減少した。このようにコロナ禍において国民の運動・スポーツ実施率が低下し、“身体不活動”(physical inactivity)の生活スタイルが広がり、体重やストレス増加など健康問題に暗い影をもたらしている。

 ポストコロナ時代において、注目を集めているのが自転車である。わが国における自転車は、保有台数こそ約2人に1台と、欧米諸国や近隣国と比べると中位に位置しているが、利用状況や法律および環境整備には課題が山積している。道路交通法では、自転車は「軽車両」と位置づけられ、「歩道等と車道の区別がある道路においては、車道の左側を通行しなければならない」(第17条)と規定されているが、現実はどうだろうか。また、「無灯火運転」、「傘さし運転」、「携帯電話使用運転」は道路交通法や都道府県条例で禁止されている。「イヤホン・ヘッドホン運転」を見かけるが、法律や条例に処罰対象として規定されていない。その結果、自転車関連事故は年々減少しているのに対して、「自転車対歩行者」及び「自転車単独」事故は2017年から、「自転車相互」事故は2016年から、それぞれ増加に転じている。法律や条令の内容・罰則が周知されず、また取り締まりも緩いことから、わが国では、自転車が軽車両ではなく歩行者と同じになってしまった。

 近年、ようやく自転車振興を真剣に推進する動きが生まれている。それは、2016年の「自転車活用推進法」の制定である。同法は第2条(基本理念)において、「自転車の活用の推進は、・・国民の健康の増進及び交通の混雑の緩和による経済的社会的効果を及ぼす・・」とし、第3条で「国は基本理念にのっとり、自転車の活用の推進に関する施策を総合的かつ計画的に策定し、および実施する責務を有する」と規定している。地方公共団体においても自転車活用計画の策定が進んでいるが、推進計画の策定は努力義務であることから、計画内容の策定過程とクオリティ、実施計画においては自治体間格差がみられる。20215月には、「第2次自転車活用推進計画」が策定された。同計画の総論「国民の健康増進」において、『自転車は適正な運動強度を維持しやすく脂肪燃焼等に効果があり、生活習慣病の予防が期待できるほか。年齢を重ねた時の身体作りに資するものである』と強調されている。自転車による運動は、継続してからだを動かすエアロビクス運動で、膝への負担が少なく、有酸素運動として心肺機能を高めることがこれまでの研究成果により実証されている。しかし、自転車利用による健康増進効果に関しては、調査・研究による知見は緒に就いたばかりであり、自転車利用による身体効果や経済効果の解明が求められている。

 ヨーロッパにおける自転車振興は世界の先進事例であるが、1980年にはドイツのブレーメンにおいて、自転車都市会議(The Velo-city)が開催された。さらに、同会議の開催は、1983年のヨーロッパサイクリスト連盟(the European Cyclists’Federation: ECF)の設立につながった。同会議は、政府や自治体、政治家、研究者、コンサルタント、ビジネスマン、自転車愛好者などのステークホルダーが一堂に会するフォーラムとして現在も継続開催されている。ヨーロッパの中でも、オランダは世界一の自転車王国として知られている。これまでわが国においては、オランダにおける自転車利用の環境整備や自治体における自転車利用に関するケーススタディが報告されている。しかし、オランダがなぜ国を挙げて自転車振興に取り組み、どのように推進していったのかを総合的に検証し、その身体的効果を明らかにした研究報告は見られない。本稿では、オランダにおける自転車活用と身体的効果を2回のフィールドワーク(2016年61日~830日:201883日~87日)の成果により検証したい。

. オランダにおける自転車振興の歴史

 オランダは、自他ともに認めるヨーロッパの自転車王国である。そのルーツは、オランダの国土の特徴にある。国土の4分の1は海面下にあり、沼地から排水し耕作地に転用することで、人口を増やしてきた。国土は平坦で最も高い地点でも321mと自転車で走るのに適した環境である。また、地球温暖化によって海水面が上昇すると水害に直結するので、オランダ人は環境問題への関心が高く、政策においても環境エネルギー政策を重要課題として取り組み、都市交通においても自転車の利用を積極的に促進してきた。

 自転車が移動手段として登場したのは、1880年代の英国とアメリカである。オランダにおいては、1890年代に自転車の普及が始まった。1970年代に入ると、モータリゼーションの普及により自動車保有台数が急激に増加し、都市部においては自動車事故件数も増えた。自動車事故は、対自動車だけでなく、対歩行者事故も増え、子どもが自動車事故に巻き込まれる事故が増加した。

 石田(2020)が行ったインタビュー調査によると、1971年には、オランダ全体で約3,300人が交通事故で亡くなり、そのうち約400人が子どもたちだったという。その頃から、交通事故撲滅運動がハウテン市やフローニンゲン市で始まった。それは、“Stop de kindermoord”(Stop the child murder)と言われ、『子ども殺しを止めろ』という市民運動であったが、1973年から74年にかけてのオイル危機は政府を自転車振興政策へと変化させた。

  表1は、オランダにおける自転車振興政策の歴史を示している。まず、都市部における自動車使用の抑制からスタートした。そして、個人の自転車利用の促進を奨励し、駐輪所を整備し、交通安全対策へと変化していった。本格的な自転車交通基本計画は、1991年から着手し、自転車専用レーンの整備などのハード整備へと進んだ。基本計画は、国家戦略として自転車振興に着手するきっかけとなり、その理念は、①自転車にやさしいインフラ整備、②自転車にやさしい公共政策、計画、法律整備であった。そして、具体的施策として①自転車専用レーンの整備、②公共交通と自転車の連携強化、③自転車通勤・通学の奨励の3つが盛り込まれた。

表1 オランダにおける自転車政策の歴史
年代    政策
1970年代後半 第1次交通基本計画 ・自動車使用抑制
1980年 個人の利用促進  ・自転車利用促進(都市部における地方計画)
・サイクリスト用の諸設備の整備、交通安全の改善
1990年    第2次交通基本政策   ・自動車交通の抑制 
・短距離移動の自転車奨励(通勤)
1991年 自転車交通基本計画  ・自転車専用レーンの整備 
・公共交通と自転車の連携強化
・自転車利用者の安全性の向上 
・自転車盗難の防止
1993年  CROW(非営利団体) ・『自転車交通のためのデザインマニュアル』
1995年 企業の自転車政策 ・雇用者が自転車購入費用を支払う(749ユーロまで)
・雇用者が購入し、従業員に貸与する(749ユーロまで非課税)
*条件:往復15km以上、年間勤務日数の半数以上
2000年 フローニンゲン市 ・『自転車交通計画2000』
・『自転車戦略 2015-2025』

出典:石田(2020)、瀬尾・望月(2003)、松本(2011)、坪原(2012)、National Institute for Public Health and the Environment (2019)より筆者作成

 1990年代には、国家戦略としての自転車振興計画が策定されたが、都市部における自転車の地方振興計画は1970年代から始まっている。それは、『子ども殺しを止めろ』という市民運動が地方都市から始まったからである。フローニンゲン市は、オランダ北部の中心として、人口約19万人を有するが、1970年代から自転車のための施設整備を進めてきた。主要政策は、都市中心部に自動車流入を制限することであった。中心部で自動車が走ることができる区域は一部に限られ、さらに自動車の市内中心部での走行速度も時速30km以下に制限されている。

 一方、自転車利用では市内どこへも短時間でアクセスが可能であることから、ますます自転車利用をする市民が増える結果となっている。市内の自転車道の総延長は約150kmに達する。自転車の交通分担率は40%弱、市内移動に限ってみれば60%弱で、いずれもオランダ内で最大である。オランダサイクリング協会は2000年から 23年毎に、オランダ内で最も自転車にやさしい都市、「自転車都市」を選出しているが、フローニンゲン市は2002年に選ばれた。フローニンゲン自転車都市という動画を開くと、驚くほどの自転車が移動している。

 フローニンゲン市は、2000年に『自転車都市計画2000』を策定している。同計画は、本文45ページで付録が付いている。坪原(2012)は、「5. 自転車ストラクチャーと質的条件」と「8. 交通安全性」を分析した。その結果、同計画の目標を、自動車利用の著しい増加が予想される中、策定時の自転車の市内分担率約50%を、少なくとも同じレベルに維持するとしていた。その後の自転車施策の実施計画は、同計画に基づいて策定されていたという。                 

. オランダにおける自転車活用

 1980年にドイツ・ブレーメン市において、自転車都市会議(The Velo-city)が開催されるようになってから、ヨーロッパにおいて自転車の普及と利用環境の整備が加速された。オランダとデンマークは、どちらも自転車王国を自認している。図1は、ヨーロッパの主要国における自転車保有台数(1人当たり)と自転車分担率を示している。オランダの自転車保有台数は、1,11台(1人当たり)と世界一であり、ドイツ0.83台、デンマーク 0.77台と続いている。日本は0.67台、アメリカは0.37台、中国は0.36台と少なく、通勤や通学用の自転車分担率が高い。

 自転車分担率とは、日常移動における交通手段の自転車比率である。ヨーロッパにおける自転車分担率が高い国は、オランダ27%、デンマーク19%、ドイツ10%と続いている。オランダにおいては、自転車以外の分担率は自動車45%、公共交通機関11%であることから、脱炭素社会を目指す上でも、国を挙げて自転車活用を奨励していることが理解できる。ちなみに、日本における自転車分担率は13%で、コロナ禍において都市部では増加傾向がみられるが、通勤手当や通勤上の事故保険など課題が多い。また、自転車活用の目的は、1位レジャー(37%)、2位通勤(24%)、3位通学(20%)、4位ショッピング(13%)、5位その他(6%)となっている。レジャー目的は、週末の日帰り旅行と自転車旅行を含んでいる。通勤と通学を合わせると、半数近くに上るのは、もちろん自転車道の整備と駐輪場などの整備が大きく貢献しているものと思われる。

図1 ヨーロッパにおける自転車保有台数と自転車分担率 (国土交通省, 2020:pp3-4より筆者作図)

図1 ヨーロッパにおける自転車保有台数と自転車分担率 (国土交通省, 2020:pp3-4より筆者作図)

▸後編へつづく

  • 山口 泰雄 山口 泰雄 神戸大学 名誉教授/SSF 上席特別研究員
    カナダ・ウォータールー大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。生涯スポーツ振興の国際組織であるTAFISA(The Association For International Sport for All:国際スポーツ・フォー・オール協議会)で、日本人として二人目の理事を2009年より3期13年務める。中央教育審議会スポーツ・青少年分科会副会長、独立行政法人日本スポーツ振興センター・スポーツ振興助成審査委員長、日本生涯スポーツ学会会長などを歴任。スポーツ政策やスポーツ・フォー・オールの研究を行う。大学ではスポーツビジネス論、スポーツ文化論、健康・スポーツ関連企業分析などを講じる。趣味はテニス。

    主な著書:「スポーツ・ボランティアへの招待-新しいスポーツ文化の可能性-」「地域を変えた総合型地域スポーツクラブ」「健康・スポーツへの招待-今日から始めるアクティブ・ライフ-」他。