佐野 慎輔
- 調査・研究
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
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スポーツ政策研究所を組織し、Mission&Visionの達成に向けさまざまな研究調査活動を行います。客観的な分析・研究に基づく実現性のある政策提言につなげています。
自治体・スポーツ組織・企業・教育機関等と連携し、スポーツ推進計画の策定やスポーツ振興、地域課題の解決につながる取り組みを共同で実践しています。
「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。
日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。
佐野 慎輔
抜本的な組織改革を急がなければならない。6月下旬、日本オリンピック委員会(JOC)と日本ラグビー協会(JRFU)は軌を一にしたかのように、新会長にそれぞれ山下泰裕氏、森重隆氏を選出、「山下JOC」「森ジャパン」ともいうべき新体制を発足させた。
いうまでもなく、1年後に東京オリンピックを控える。ラグビーのワールドカップ(RWC)は開幕まで3カ月を切った。ともに大会は組織委員会が取り仕切る。しかし、JOCもJRFUも開催国の窓口となる組織、会長は大会の顔といってよい。直前でのトップの交代、体制の変更は「異常事態」である。
山下氏自身、およそ1時間に及んだ会見の中で「非常事態」「異常」との言葉を使って覚悟を語った。森氏も「スピード感をもった改革」を方針に掲げた。山下氏は62歳、森氏67歳。必ずしも「フレッシュ」とはいえないものの、前任者よりも、それぞれ9歳、13歳若返った。一方で山下氏は前常務理事・選手強化本部長、森氏は前副会長として組織の置かれた状況も熟知している。腹をくくった改革を望みたい。
山下氏は言わずと知れた不世出の柔道家である。右足を負傷しながら金メダルに輝いた1984年ロサンゼルス大会の強さは今なお強烈な印象として残る。全日本選手権9連覇。85年の全日本で優勝し引退するまでの7年6カ月で、7引き分けを含む203連勝を記録した。実績、人柄は申し分ない。
「ヒゲ森」の愛称で知られた森氏は明治大学、新日鐵釜石を通じ闘志あふれるプレーで観客を魅了した。俊足のセンターとして大学生で日本代表に選ばれ、通算27キャップ。新日鐵釜石時代は主将、監督も兼任し4連覇に貢献した。引退後は母校の福岡県立福岡高を22年間、熱血指導、全国大会に導いた。統率力と明るさは天性のリーダーである。
それにしてもなぜ、一大事を控えたこの時期での会長交代、組織の変革なのか。訝しく思う方も少なくあるまい。
端的に言えば任期満了による交代である。しかし、事はそれほど単純ではない。
JOCには2020年東京大会招致疑惑という暗雲が今なお、かかっている。
疑惑はフランス司法当局のロシアの陸上選手をめぐるドーピング隠蔽捜査が発端。国際陸上競技連盟のラミン・ディアク前会長とその息子でコンサルタントのパパマッサタ氏の隠蔽工作関与を捜査するうち、東京大会招致委員会名義の口座から2013年7月と10月の2度、総額2億3000万円もの送金があったことが発覚した。捜査当局は招致委員会理事長だった竹田恒和前JOC会長から16年、18年の2度にわたり事情聴取を行い竹田氏は疑惑を否定した。捜査協力を依頼されたJOCは調査したもののお手盛り感は拭えず、依然、捜査は継続されている。進展次第ではより大事にもなりかねない。
東京大会のイメージ悪化が指摘されて久しい。ところが、JOCの反応は鈍かった。19年1月、竹田氏の釈明会見はわずか7分間、質問も受け付けない一方的な内容に批判が集まった。通常この種の会見ならば同席すべき弁護士の姿はなく、JOC理事もいない。着任したばかりの広報担当が汗をぬぐう様子に組織の機能不全がみてとれた。
スポーツ界は18年に噴出した不祥事からガバナンス強化、コンプライアンス重視がさけばれている。まさにその渦中にありながら危機意識の欠如にあきれさせられた。あまつさえ、一部の理事、監事からは「役員定年延長」「オリンピック終了後まで任期を延長して現体制(当時の竹田体制)を維持」との声があがり、規定を変更、70歳定年延長の動きまで起きた。あきれてものも言えないとはこうした事を指すのだろう。
竹田氏は2001年、当時の八木祐四郎会長急逝をうけて就任、以後、10期18年にわたり、会長の座に君臨した。その間、スポーツ振興くじの恩恵をうけて財政面は安定、東京大会招致に成功するなど、光のあたる道を歩んだ。自身も国際オリンピック委員会(IOC)委員に就任。知見、人柄の良さに加えてマーケティング委員長としても活躍し、定年延長の恩典をうけるなど重きをなした。 しかし、長期政権はいつしかぬるま湯的な体質をJOCにもたらし、危機にも感度の鈍い組織にしてしまったともいえる。理事会、事務局のそうした空気が、知らず竹田氏を"裸の王様"にしたのかもしれない。
いうまでもなく、疑惑は竹田氏ひとりに帰するものではない。捜査当局周辺からは大手広告代理店、電通の名があがるなど組織だった関与が問われている。言い換えれば日本のスポーツ界に向けられた「疑惑のまなざし」である。
山下JOCは信頼回復に向けて組織を根本から立て直さなければならない。しかし、就任会見で山下新会長は問いかけにこう答えている。「再調査を行うことは、現時点で頭の中にはない」
そうした姿勢でよいのだろうか。失った信頼を取り戻すことは決してたやすいことではない。現役時代のように真っ向から勝負し、暗雲を払っていただきたいと思うのは私ひとりではあるまい。
腰の重いラグビー界を動かしたのはワールドカップ招致に貢献した森喜朗名誉会長(元首相、現・2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長)である。今年4月、出席したJRFU理事会の席上、RWC開幕を目前にしながら日本協会と地方組織との連携不足、とりわけ日本協会の硬直した姿勢に危機感を募らせた森名誉会長が「世代交代」を求めた。岡村正会長は80歳、しかし、当時の理事会はRWC終了後まで現状維持を方針としていた。大事の前は何もしない、JOCと同じ発想である。しかし、森名誉会長は「ここで変わらないと、ポスト・ワールドカップの動きが遅くなる」と決断。自ら「名誉会長を辞任する」と公言、静かな池に大きな石を投げ入れた。 名誉会長の席を空け、そこに勇退する岡村会長が座る。そして若い人の間から後任会長を選ぶ。森名誉会長はこう話す。「誰かが憎まれ役を買って出ないと、ラグビーに限らず日本のスポーツ界は前に進まない」
ラグビー界には大きな課題が山積する。普及と浸透、世界に伍していくための戦力強化。具体的に言えば、トップリーグ(TL)の再編と時代の趨勢となっているプロ化の促進である。そして若年層へのラグビー文化の広がりとユース層の充実などもあげられる。
ラグビー界はインナー意識が強く、ほかの競技団体と比べてもラグビー出身者以外の外部人材登用は進んでいない。いきおい硬直した組織にならざるを得ず、ラグビーを知らない層へのアピールでも後れが目立った。情報発信力の乏しい組織であったことは否定できまい。
ワールドカップ開催をそうした課題解決の出発点にしたい。それは誰しもが考えている。ただ、直ちに実行することができるか否か、それが次代のラグビーの広がりに結び付く。
また、サンウルブズのスーパーラグビーからの除外やネーションズ選手権開催の頓挫など、取り巻く環境は厳しい。対応を迫られる組織の改革は不可避といえよう。
森新会長はだからこそ、副会長に51歳の元早稲田大学監督、ヤマハ発動機前監督の清宮克幸氏を選んだ。早大監督時代から知られた清宮氏の突破力を生かすためだ。専務理事に据えた43歳の7人制男子代表監督、岩渕健輔氏とともにスピード感を持った改革をしていく狙いが伝わる。理事会メンバーは大幅に若返り、外部登用理事を増加、女性理事の数も2人から5人に増やした。改革への強い意思表示である。
JOCもまた、改革を急がなければならない。開幕まで1年後とはいうものの、2週間あまりで大会は終了する。立ち止まっていてはオリンピック開催の余韻も冷めてしまう。
新体制は組織の足元強化とともに、スポーツ界を取り巻くさまざまな問題での対応を迫られている。競技の普及と競技人口の広がり、指導方法の啓発と指導者教育、ドーピング対策と医科学研究の進歩・発展への貢献…。さらには財源問題。オリンピック開催まで膨らみ続けてきた財源は縮小を余儀なくされる。安定した財源がなければ新たな事業展開もままならなくなる。新財源をいかに求めていくのか。競技団体に効果的に配布するためにも対応、対策は喫緊の課題である。
また、JOC自身の姿勢も問われるガバナンスの強化、コンプライアンスの徹底、そしてオリンピックやスポーツのもたらす価値の再確認など、早急に取り組まなければならないテーマは少なくない。統括団体としての真価、覚悟が問われている。 折から組織委員会の森会長の発言で表面化したが、かねて、日本スポーツ協会(JSPO)との再合併の話は燻り続けている。 JOCは1989年、当時の日本体育協会(現・JSPO)から分離、独立した。きっかけとなったのは1980年モスクワ・オリンピックのボイコット。ソ連(現・ロシア)のアフガニスタン侵攻に抗議した当時のジミー・カーター米大統領の呼びかけに日本政府が呼応、ボイコットを主導したことは人口に膾炙する。オリンピック参加への政治介入に反発したJOC(当時は日本体育協会傘下の特別委員会)メンバーを中心に政治からの自立を掲げて分離、独立に動いたのだった。
今回、山下新体制では現役文部科学省の官僚が常務理事に入った。いまの事務局では心もとないという意味もあろう。ただ、再び監督下に置くステップではないかと危惧するざわめきも聞こえてくる。
送り込んだ政治側は、「政治再介入の意図はなく、公金を投入している責任上、管理、監督するのは国民への義務である」とする。JOC独立に際し、スポーツ界は「独自財源の確保」を明言した。自立のためにはまず財政面の独立という意味だ。しかし、あれから20年、財源は依然、振興くじをはじめ、政府予算に頼るのが現実にほかならない。財政支援を突かれては正論も、反論もおぼつかない。しかも、何度でも書くが、ガバナンス、コンプライアンスへのスポーツ界、とりわけJOCの覚悟が見えてこない。
山下新会長はモスクワ・ボイコット当時、金メダル最有力といわれ、ボイコット決定に涙の抗議をした「幻の日本代表」である。
20年大会で、モスクワ当時の代表選手だった人々を何らかの形で参画させたいとする趣旨の意見を開陳した。それは結構なことである。彼らは代表となりながら参加もできず、ボイコットしたがゆえ、オリンピアンと名乗ることも許されない。山下新会長の思いは深く受け止めるべきだろう。
ただ、JOC設立の精神は何だったのか、自主独立を掲げた思いと行動は再確認しておくべきだと考える。そのうえで、これを発端として組織の体質改善をはかっていただきたい。そうならなければ、いずれ再統合の憂き目に遭うことは必須だと思う。 山下氏、森氏とスポーツ育ちの新会長を大いに歓迎するとともに、その高いポテンシャルにより、ぜひとも日本スポーツ界の未来を明るく切り開いていただきたい。まさに、改革は待ったなし、である。