2024年11月13日
松浪 健四郎(日本体育大学 理事長)
- 調査・研究
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2024年11月13日
松浪 健四郎(日本体育大学 理事長)
ロシアがウクライナに軍事侵攻して約3年、終戦する気配はなく、まだまだ戦争が続く。イスラエルとパレスチナのハマスの戦争は、人種も宗教も異なるため、命の価値観も異なるため、停戦の予想すら困難である。仲裁に入ろうとするカタールやエジプトも手を焼いているかに映る。私たち日本人は、平和を甘受し他人事のニュースだと思っている。
毎年8月初旬、日本体育大学は慰霊式を行う。キャンパスに立派な慰霊碑があり、毎日、花を供え続けている。第二次大戦の学徒動員によって、約400名の先輩たちが尊い命を失った。その御霊に哀悼の誠を捧げる伝統が定着していて、戦争に協力した学校としての歴史を忘れない。戦前は、日体大の前身の学校は準国立であり、政府が学生たちの学費を負担した。学内のその監視委員の一人に渋沢栄一翁がいた。閑院宮載仁親王殿下が総裁(理事長)で、政府の「富国強兵」策の最前線で協力する学校であった。「海洋体育科」や「航空体育科」を設置してまで、強兵づくりに貢献する学校という過去は、当時の時代背景からすれば当然だったかもしれない。
「海洋体育科」は潜水艦の乗組員を養成し、「航空体育科」はゼロ戦のパイロット養成だったという。運動能力の優れた人材を集めた特殊な学校であったゆえ、戦争のために役立つ兵士を育成する機関に組み入れられていたのだ。各士官学校が軍隊の幹部を養成するだけでは不十分、私どもの学校も重要だったのである。「体育」を専門とする学校は、国立は東京高等師範学校(現在の筑波大の前身)、私立は日本体育会体操学校(現在の日体大)しかなく、富国強兵の国・軍隊に協力せねばならない運命にあったといえる。運動能力の高い逸材を集めた学校として、国家に期待されたのである。
2019年の夏、実に51年ぶりに私はロシアを訪問した。ソビエト連邦(ソ連)からペレストロイカを経て、新生ロシアに転じた大国。オリンピックでは、ドーピング問題で歪んだ印象を与えながらもスポーツ大国であることに変わりはない。ウクライナに軍事侵攻をしていなければ、パリのオリンピックでも存在感を見せつけたにちがいない。1967年夏、私はレスリングのソ連遠征日本代表選手として訪ソし、ソ連のスポーツの強さを熟知するに至った。その総本家は、国立モスクワ体育大学であった。
1975年、日大大学院の博士課程を満期退学した私は、この大学への留学を目指したことがある。共産主義国・ソ連のスポーツ教育と現状に興味を覚え、「CCCP」の強さの秘密を探りたかったのだ。強さにくわえ選手層の厚さの原点を識りたい、学びたいと考えたのである。すでに私は米国留学を経験していて、その比較研究にも関心を持っていた。当時、「ソ連留学」などを考えるスポーツ関係者が不在だっただけに、ソ連を転戦した体験をもつ私には貴重に思えたのである。
ところが、日本レスリング協会からの突然の連絡で、私は外務省の要請に応じてアフガニスタンに派遣されることになり、私の計画は水の泡に帰した。それでも、ロシア訪問の際、モスクワ体育大学をどうしても訪れたかったのである。同校は「ロシア国立体育・スポーツ・青年・観光大学」へと名を改めていた。ドミトリー副学長が、熱心に学内を案内して下さった。サンボや逮捕術の模範演技まで披露してくれ、学生との交歓会までも企画して下さった。
活躍されたアスリートや指導者たちの立派な胸像が正門前にびっしり並び、ロシアを代表する体育大学であることを物語る。最初に案内されたのは、大学博物館。各種のスポーツ用具の変化、ユニフォーム、メダル等、アスリートたちの活躍を謳う展示物が凄かった。とくにノルディック・スキーの時代順のコレクションは圧巻であった。説明を聴いて驚いた。競技者のスキーなのだが、兵士たちの歩行のために改良が進められたというのだ。寒い国にあっては、軍隊でもスキーは重要だったのだ。スポーツ技術が、ソ連では軍隊でも活用されていたことを教えられた。
もっと驚いたのは、1931年、同大学は「パラシュート・コース」を設置したという。戦争のためにパラシュート隊員を養成した歴史を、館長が悲しく語るではないか。それらの多くの写真の展示は、体育大学の宿命を示唆していたように感じた。同時期、日体大の前身が前述したように「海洋体育科」「航空体育科」を設置したからに他ならない。ソ連の政府も体育大学を戦争に利用したことを識って、私は複雑な心境に陥った。
「なぜ、体育大学の中に観光学部を併設したのか」という私の質問に、ヴィクトロヴナ学長が応えてくれた。「スポーツも観光も平和でなければできないのです」、と。戦前の暗い歴史を払拭し、平和を希求する大学へと転じたと強調する口ぶりであられた。なのに、数年後、ロシアはウクライナに軍事侵攻したのである。あの女性学長は、はたして、どうしているのだろうか。私は日体大との連携協定を提案したが、あっさり拒否された。
ピョンヤンを訪問し北朝鮮の金日国体育大臣と面談
日体大のミッションの中に「スポーツを基軸に国際平和に貢献する」とあるが、これは戦争に深く加担してきた日体大の反省である。旧モスクワ体育大学も同じだったと痛感したが、ロシア政府は大学を裏切ったかに映る。戦争に最も協力した歴史を持つ大学の責任者の一人として、平和運動であるオリンピック精神を大切にしつつ国民に勇気と希望を与えるアスリートの養成と指導者の輩出のために精進したいと考える。
日体大は、国交のない朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)をすでに4度訪問し、スポーツ交流を行ってきた。すべての国と仲良くすべく、スポーツ交流を盛んにすべきだと考える。戦争に加担した日体大の歴史は、「平和」のために本気であることを理解していただきたいと願う。国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊の派遣者数のトップ大学は日体大である。平和の使者として、発展途上国で活躍してくれる卒業生たちを誇りに思う。平和は願うだけでは手中にできない。行動せねばならない、と考える。