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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

パリ五輪・パラリンピックのもう一つの見方

SPORT POLICY INCUBATOR(41)

2024年6月6日
結城 和香子(読売新聞編集委員)

 国際オリンピック委員会(IOC)が「新時代の五輪」と銘打つ夏季大会が、7月に幕を開ける。コロナ後の祝祭感が花を添える、パリという都での祭典は、五輪・パラリンピックのこれからをも左右する鍵となるかもしれない。

 競技や選手を通じ、心に残るドラマを体感する。選手たちの交歓に、人のあるべき姿を重ねる。パリ大会を見る方には、そんなスポーツの本質を是非楽しんでほしいと思う。ただ本稿では、日本の今後にとっても示唆に富む、中長期的なもう一つの「見方」を提示したい。

ひとつの問い

 華やかなパリ大会の情報や、現地の人々の期待感に接する時、ふと不思議に感じることがある。

 愛国心の強さや祝祭好きという特性はあるものの、フランスの社会には、批判精神や権利意識が自負心とともに根強く存在する。フランス革命にも使われたフリジア帽が、大会マスコットになっているほどだ。それなのに、東京大会前の日本と異なり、反対の声がそれほど聞こえて来ないのはなぜだろう。パリ大会も、やはり巨額のコストを投資し、捜査中の疑惑を抱え、コロナ禍の代わりに国際社会を揺るがす戦争の余波をひしひしと感じているはずなのに。

 東京大会の前、コロナ禍のただ中での先の見えない重圧は、確かに私たちの価値観を転換させた。史上初の延期や無観客開催と、大会そのものも大きく変容した。でも「違い」の理由はそれだけではない。五輪・パラリンピックというものが社会に何をもたらすのかの、理解の差があるように思う。

 パリ大会は、そして五輪開催や招致を志す昨今の欧米先進国の姿は、改めて私たちにひとつの問いを投げかける。五輪・パラリンピック開催は、人々や社会にとってどんな価値があるのだろう。それは逆境や不正やコスト高という課題があっても、それを超えた意義を持ち得るものなのか。

 今の日本社会に、問いへの確かな答えはない。しかしパリの関係者からは、恐らく肯定が返ってくるだろう。その違いは、例えば東京大会後の汚職事件の余波を受けた札幌冬季大会の招致が機運を逸し、パリ大会の追い風を受けた仏アルプス地方が代わりに2030年の五輪・パラリンピック開催地に内定した主因のひとつでもある。

なぜやるのか、から入ったパリ

 パリ大会の来し方を見ると、東京が持たなかったアプローチが浮かび上がる。

 東京が開催権を勝ち取った2013年と、パリが得た2017年では、五輪を取り巻く様々な状況が変わった。東京は候補都市がしのぎを削る従来の招致レースで、開催決定は2012年ロンドン五輪・パラリンピック「成功」の翌年だった。いわば期待値の高さから入った形だ。

 他方、ロンドンに敗退したパリは、再招致を検討する過程で五輪の混迷に直面する。欧米の都市がコスト高などを理由に軒並み招致から撤退し、これを受けてIOCが新たな選考方法を含む五輪改革を打ち出した。2014年ソチ冬季大会では、開催国ロシアが組織的ドーピングを行っていたことが発覚した。2016年リオデジャネイロ大会は、ブラジルの政治経済の混迷と準備遅れの影響で、閉幕後のレガシーを熟考する余力さえ失った。

 このためパリは最初から、「招致するなら、大会開催が社会に長期的な利益をもたらすと納得してもらう必要があった」(組織委のレガシー担当局長)。パリ招致関係者は当初から、雇用創出や恵まれない地域の振興など、具体的なレガシー戦略を熱弁していたのを記憶している。

 他方、国際社会でも、2017年に体育・スポーツ担当大臣等国際会議が「カザン行動計画」を採択するなど、スポーツを通じた社会変革や「持続可能な開発目標(SDGs)」への貢献が一層重視されるようになっていた。パリは、スポーツを通じて社会に持続的な変化を起こすという公約を前提に、開催が決まった大会だったのだ。

本気度の差

 もちろん東京五輪・パラリンピックでも、二度の招致から開催までを見れば、スポーツ基本法が作られ、スポーツ庁が創設され、パラリンピックの管轄が変わり、社会変化を意識した様々な取り組みが行われた。ただレガシー戦略は、組織委、国、東京都、スポーツ界がそれぞれ個別に策定し担った感があり、オリパラ教育やホストタウン制度など、大会開催までの時期を主眼に展開されたプロジェクトも多かった。

 一方のパリで印象深いのは、五輪・パラリンピックが終わり、組織委が解散したのちも、社会レガシー創出の試みが持続するよう工夫されていることだ。組織委やスポーツ界が、行政、中小企業を含む経済界、草の根の民間団体や市民のスポーツクラブなど、地域を知り、住民の直面する課題を知る組織と協働しプロジェクトを展開している。さらに組織委は行政等と連携し、独立した外部専門家から成る評価委員会を設置。大会を契機に創出されたレガシーが、どのような社会変化につながったかを中長期的に実証しようとしている。スポーツを触媒に、社会を変えようという本気度の差を感じるのだ。

 人々のための大会――。それを分かりやすい形で示すため、開会式をセーヌ川で行い、五輪マラソン競技の日の夜に一般の市民マラソンを実施するなど、象徴的な発想を打ち出していることもパリ大会の特徴だ。ただ開会式は、昨今の国際情勢下の脅威レベルの高まりで、当初予定の受け入れ人数を減らし、参加の方法を変えるなど、かなりの困難も伴いそうだが。

政策主導

 五輪・パラリンピックやそれに類する国際大会を、レガシー戦略やSDGsと組み合わせて社会変革の触媒とする動きは今、欧米で新たな段階に入っていると言ってもいい。経済協力開発機構(OECD)が、大規模スポーツ大会の開催によるレガシー創出と、その評価の枠組みを提言するなど、政策主導の流れも強まっている。IOCもOECDと覚書を交わし、パリ大会がもたらす成果をその後の大会開催に生かす可能性を模索している。

 こうした動きは、IOCの新たな開催地選考過程と相まって、以前なら「招致から軒並み撤退」を決め込んでいた欧米の、五輪・パラリンピック開催への意欲を高めたように見える。パリに続く5大会の開催地や内定候補に名を連ねるのは、イタリア、米国、フランス、豪州、そしてまた米国。成熟社会にとっての大会開催の意義について、少なくともこれらの国は、リスクがあっても、それを超えた価値を持ちうると結論づけたと言えそうだ。

 日本は今、年代や違いを超えた参画、地域展開やデジタル化など、未来につながる道筋をスポーツの力を使って描こうとしている。スポーツ行政やスポーツを通じた社会変革を考える時、素地となるのは人々や社会のスポーツに対する関心度だ。五輪・パラリンピックなどの主要大会開催の有用性をどう位置づけるか。パリ大会は、日本のこれからにとっても興味深い視点をくれそうだ。

  • 結城和香子 結城 和香子    Wakako Yuki 読売新聞編集委員 1962年東京生まれ。筑波大学附属高校、東京大学文学部英語英米文学科卒。1986年読売新聞入社、運動部、シドニー支局長、ロンドン支局員、アテネ臨時支局支局長、運動部次長を経て2011年から編集委員(現職)。文部科学省オリンピック・パラリンピック教育有識者会議委員、スポーツ庁スポーツ審議会委員、同スポーツ基本計画部会員などを務める。日本オリンピックアカデミー副会長。国際オリンピック委員会(IOC)の取材を30年以上担当。現地特派員として報じたシドニー、アテネ大会や、2020年東京大会など、1994 年以降の夏季・冬季五輪15大会と、夏季・冬季パラリンピック10 大会を取材。著書に「オリンピックの光と影 東京招致の勝利とスポーツの力」(中央公論新社)など。