2024年4月10日
武藤 泰明 (早稲田大学 スポーツ科学学術院 教授/笹川スポーツ財団 理事/スポーツ政策研究所 所長)
- 調査・研究
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2024年4月10日
武藤 泰明 (早稲田大学 スポーツ科学学術院 教授/笹川スポーツ財団 理事/スポーツ政策研究所 所長)
川淵三郎さんの功績については、何か私が語れるようなことではないし、その必要もないように思うのだけれど、マネジメントの観点からみたとき、実はすごいことをしていらしたのだと最近気がついたので書きとめておきたい。
すごいこと・・それは「理念を一つにしたこと」である。
企業の側から考えてみると分かりやすい。会社には、企業理念、コーポレート・スローガンなど、いろいろなものがあるのだが、その特徴は「独自」だというところである。つまり、ほかの会社と同じではない。同じではならないのだ。マーケティングの用語でいえば、差別化、あるいは差別という言葉が嫌なら差異化ということになる。
たとえば、サントリーは「水と生きる」という。何だかかっこいい。そしてサントリーがこういうと、アサヒ飲料やキリンビバレッジは、「水と生きる」と言えなくなる。登録された商標や特許のように、「水と生きる」はサントリーの権利になっている。もう少し例をあげるなら、IBMはずっとTHINKである。製品名にも使っている。三菱には第四代社長の岩崎小彌太が策定した「三綱領」と呼ばれる理念があって、所期奉公、処事光明、貿易立業の三つである。YKKグループの経営哲学は現在も「善の巡環」である。それぞれの会社には、権利という意識はないと思う。でもほかの会社は、同じものを使わない。固有なのである。
しかし近年、大きな変化が起きている。たとえばパーパス。米国のビジネスラウンドテーブル(日本の経団連のような団体である)が2019年に公表した「宣言」に見られるもので、経緯としては、前年の2018年に同じく米国の投資運用会社ラブロックのCEOがグローバル企業の経営者にあてた書簡が初出である。マネジメントの文脈では、パーパスは株主第一主義の見直しという点において画期的なものなのだが、もう一つ重視しなければならないのは、企業が「外在する」「共通の」課題を認識し始めたという点である。
少し丁寧に見ていくなら、上記「宣言」はつぎの5項である。
①顧客の期待に応える、あるいはそれを超える価値・サービスの提供
②従業員への投資(公平な報酬、急速な世界の変化に対応した教育の提供)
③サプライヤーに対する公平かつ倫理的な取引の実行
④地域社会支援、環境保護
⑤企業の投資、成長、革新を可能にするための資本を提供する株主への長期的な価値の提供
このうち、①と⑤は目新しいものではないが、まるで当然のことのように②~④が併記されていることに意味がある。②~④を①、⑤と同程度に重視するという宣言なのである。そして②~④は、平等と格差、貧困と教育の欠如、地球温暖化、地域社会の機能劣化などの「外在する共通の課題」に直面するところから出発している。
日本では一時、個々の企業が自社のパーパスを明示しなければならないと考えられていたように思う。論理構造としては、理念やコーポレート・スローガンのかわりに、あるいは追加してパーパスを置くということだ。でも実は、理念やコーポレート・スローガンとパーパスには、決定的に違うところがある。パーパスには、企業ごとに個性があっては「ならない」のである。むしろ、多くの企業が、同じ課題を認識し、方法こそ違え、同じ目標に向かっていくことが求められる。だから、会社のパーパスは、ほかの会社と同じであってよい。というより、同じであることが必然なのである。そしてこのように「同じ目標」を追求することは、かつてのCSR、現在のESG、あるいはダボス会議のステイクホルダー資本主義、そして特に日本で好意的に受け入れられているSDGsでも同じである。
川淵三郎さんの功績は、彼のおかげで、あらゆるスポーツ組織が「スポーツによる地域活性化」あるいは地域振興と言ってよくなったことである。Jリーグはその創設において、サッカーの振興と言わなかった。1993年のJリーグオープニングイベントでも、川淵さんは「スポーツファンの皆さん」と語りかけ始めた。
企業理念やコーポレート・スローガンの発想に立つなら、「スポーツによる地域活性化」は、少し迷惑である。なぜなら、Jリーグが「スポーツによる地域活性化」と言ってしまったので、ほかの競技団体やリーグは、同じ表現を使いにくいのだ。でもどの競技も、あるいは日本スポーツ協会のような統括団体も皆「スポーツによる地域活性化」が理念や目的の一つで構わない。というより、そうでなければならないしおかしい。つまり川淵さんは、種目や団体を問わず、皆で同じ課題を認識し解決していこうという枠組をつくった人なのである。
産業社会では、とくに欧米において、企業が「理念をほかの企業と共有する」ことが、何十年かをかけて次第に実現されるようになってきた。だから産業界の人々は、パーパス、ステイクホルダー資本主義、ESG、SDGs等に違和感を持たない。そして重要なのは、何となくパーパスやSDGsがトレンドらしいからという理由で追随する会社でも、この理念を実現するという役割を果たせるというところである。みんなで取り組むことに意味と意義がある。
少し気になるのは、日本のスポーツ関係者は、リーダーの号令一下、同じ目標に向かって邁進努力することが得意なのではないかという点であろう。でもそれは、時に内省や思考を妨げるのかもしれない。理念の共有は、できれば熟慮によるものであってほしい。そうすることが、川淵さんの功績にこたえることなのだと思う。