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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

脆弱な日本のスポーツジャーナリズム

SPORT POLICY INCUBATOR(34)

2023年11月8日
荻田 則夫 (共同通信社論説委員)

 新型コロナウイルスのパンデミックによる未曽有の試練を乗り越えて、スポーツ界は活況を取り戻している。今年は春から野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での劇的な日本優勝から、大会を伝えるスポーツ報道はお祭り騒ぎの連続だ。プロ野球、高校野球人気はコロナ禍以前の活気を回復し、世界水泳、世界陸上、女子サッカー、バスケットボール、ラグビーのワールドカップ(W杯)と続いている。放送、新聞からネットに至るまで、まさにスポーツ報道は百花繚乱。しかしその成熟度はどうだろうか。

Photo by AP/AFLO

相変わらずのスター至上主義

 今年のスポーツ報道における主役は、野球の大谷翔平選手(エンゼルス)だろう。投打二刀流のスーパースターは、WBCでMVPを獲得。大リーグのシーズンに入っても打っては本塁打を量産し、投げても早々と10勝してファンを魅了し続けた。テレビでは各局の情報番組が「大谷コーナー」を設けて連日、プレーぶりをきめ細かく伝えた。新聞やネット上の活字メディアもたえず情報をアップデート。現地取材での情報源が限定されているためか、〝金太郎あめ〟のように各メディア横並びの大谷報道が展開されている。

 その一方、例えばWBCという大会がどのように運営され、大会フォーマットも利益配分もなぜ米国優位になっているのか、などを読み解く報道は少なかった。野球唯一の「世界一決定戦」の将来像を展望する記事も不足していた。日本のスポーツ報道は昭和の「巨人・大鵬・卵焼き」の時代からのスター至上主義、イベント中心主義がいまも続いているといえよう。

 こうした土壌であるから、例えば昨年、スポーツ庁が策定した第3期スポーツ基本計画などについては、詳細に報道するメディアは見当たらなかった。競技団体が対応に苦慮している「ガバナンスコード」についても策定時、今回の改定時とも分かりやすい記事にはほとんど出くわさない。スポーツ行政の根幹ニュースなのに見向きされないのである。

 スポーツ界のガバナンスの根本となる各団体の役員人事も、新聞で言えば最近はベタ記事扱いが多い。かつて旧日本体育協会(現日本スポーツ協会)、日本オリンピック委員会(JOC)や陸上、水泳などの主要競技団体の役員人事は大きく報道された。取材するメディアも「体協次期会長は」などを巡ってスクープ合戦を演じたものだ。

 政治にしても、企業活動にしても「物事の決定プロセス」の根幹に人事がある。だから取材記者は人事報道を重視した。政治記者や経済記者にとっては、今でも人事は重要ニュースであるが、スポーツ取材では統轄団体の役員人事はもはや関心事でなく、もっぱらスター選手や監督の動向が取材のターゲットだ。スポーツ組織全体を俯瞰的に見るメディアの監視機能は劣化しているといえよう。スポーツ関係の相次ぐ不祥事にも影響しているかもしれない。

スポーツへの「監視機能」を

「権力の監視」は、ジャーナリズムの重要な役割である。スター選手の動向を追い、日々の競技結果を伝えるスポーツ報道においてもその重要性は変わらない。とはいえ現状は課題が多い。

 旧日本体育協会の一専門委員会にすぎなかった日本オリンピック委員会(JOC)は1991年、体協から完全分離し、国内オリンピック委員会として独立した。1980年のモスクワ五輪参加を、国からの補助金を人質にした政府の干渉を受けて断念した苦い経験も背景にあった。しかし「自立」したはずのJOCなのに、強化資金は以前にまして「国頼み」になっているし、政府機関から〝天下り役員〟も受け入れ続けている。「2020東京五輪・パラリンピック」では、JOCはイニシアチブを取ることができず、国主導の運営によるコロナ禍の大会を傍観していたように見えた。

 東京大会で相次いだ不祥事にメディアはその都度、騒ぎ立てたが、当初から組織委員会のいびつな「権力構造」についてのチェック機能は働いていなかった。「五輪のようなビッグイベントだから、元首相をトップに担ぎ出し、元財務相のエリート官僚が大会を取り仕切るのも仕方がない」。組織委員会発足時からの「諦観」が、メディアの嗅覚を鈍らせていたようにも映る。

地域スポーツでの役割

 スポーツ庁発信のニュースでは、珍しく公立中学校の部活動を地域移行させる話題は関心を集めた。一般紙、通信社とも多角的に報じ、論説で課題も指摘した。中学生のクラブ活動の在り方は、スポーツニュースというより生活密着、地域密着のニュースだからだ。スポーツ基本計画が、生活者の日常スポーツから遊離した理想論に見えるのとは対照的だ。

 あらためて見直したいのが「地域スポーツ」と「地域メディア」の関係である。「ハイパーローカルの時代」と叫ばれて久しいが、地域スポーツ振興に地域メディアの協力は欠かせない。地域スポーツの現状を伝え、活性化のために必要な施策を提言するのは、全国各地で活動する地方新聞や地方放送局の役割でもある。

 地方紙を開くと各欄に地方の小さな競技会の記録が細かく掲載され、活躍した選手を紹介する記事も豊富だ。ローカルニュースは、全国紙と区別化する地方新聞のキラーコンテンツである。地域のスポーツ行政にとっても、地域のイベント主催者にとっても、地元に密着した地域メディアの活用は欠かせない。メディア側は普及、振興に協力する一方で、きちんとその進み具合、在り方を監視する責務も生じる。

信頼できるメディアの見極め

 スポーツ報道の一方の雄である新聞は新聞離れにあえぎ、一般紙、スポーツ紙とも部数減に苦しんでいる。日本新聞協会によると国内の新聞発行部数は、2000年当時には一般紙・スポーツ紙合わせて約5370万部もあったが、22年は約3084万部で約42%減。スポーツ新聞の落ち込みはさらにひどく、2000年の約630万部から3分の1ほどの約215万部まで減ってしまった。通勤電車内で、スポーツ新聞を読んでいるおじさん方を見かけなくなった。

 スポーツ新聞は戦後、相次いで発刊され、日本のスポーツ文化発展の一翼を担ってきた。「貧すれば、鈍す」では寂しい。各社、ネット展開にも力を入れ、新たな収益源確保に懸命だが、ネット拡充が紙の新聞販売の足を引っ張っている。そんな悪循環の中でも、新聞は「テレビが伝えない舞台裏」を詳報し、新聞ならではの「解説」「分析」「論評」記事などに工夫を凝らし、生き残りに懸命だ。

 ネット上はこうした新聞社系コンテンツに交じり、真偽不明、出所不明の怪しげな記事もあふれている。どんな会社のどんな記者が書いているのか分からない情報も多い。実際に現場で取材しているのかさえ判断つきかねる。国内外の報道からの無断引用、転載も目立つ。

 情報を提供する側も、情報を受け取る側も、メディアの信頼性を見極めることがより重要になっている。コンテンツ氾濫の時代だからこそ、報道する側の責任もこれまで以上に重くなっている。

 スポーツ報道華やかな時代だが、まだ日本にはきちんと体系化された「スポーツジャーナリズム論」が存在しない。近年、多くの大学でスポーツジャーナリズム関連の講座が開設されている。多くは元記者、元放送関係者が自らの経験を基に業界の歴史や実態を伝えているが、ジャーナリズムの指針とするには、はなはだ未成熟である。

 スポーツ報道の現状は混沌とした状況が続いている。各メディアの試行錯誤が、近未来における「日本版スポーツジャーナリズム論」の確立につながることを期待したい。

  • 荻田 則夫 荻田  則夫   Ogita Norio 共同通信社論説委員 三重県出身。共同通信社では五輪取材を軸にスポーツ報道に従事。シドニー支局次長、運動部長、業務局長、放送報道局長などを歴任。現在、日本スケート連盟監事、日本スポーツマンクラブ常務理事を兼務。元法政大学非常勤講師。