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中国女子卓球のコンペティション・マネジメント:伊藤美誠選手は何を見たのだろう

SPORT POLICY INCUBATOR(4)

2021年11月17日
武藤 泰明 (早稲田大学 スポーツ科学学術院 教授/笹川スポーツ財団 理事/スポーツ政策研究所 所長)

 東京五輪女子卓球団体の表彰式後のインタビューを、運よく生で見ることができた。なぜ「運よく」なのかというと、私にとって貴重なコメントを聞くことができたからである。私にとっては貴重なのだけれど、一般的にはそうでもないしつまらない。だから録画あるいはYouTubeではカットされていたようで、見つけることができなかった。

 そんな事情で、記録がないので覚えている範囲だから表現は不正確かもしれない。コメントしたのは伊藤 美誠(みま)選手。伊藤選手は団体の銀だけでなく、まず混合ダブルスで金、つぎにシングルスで銅メダルである。だからインタビュアーも彼女に対してはダブルスの金から質問を始める。そして伊藤選手は、伊藤・水谷で金メダルを獲った後、「中国の監督―だけでなくてスタッフも動きが変わった」と話したのだ。

東京2020オリンピック 卓球 混合ダブルスでは、水谷・伊藤ペアが接戦の末、中国に逆転勝利。日本卓球界初の金メダルを獲得した。

東京2020オリンピック 卓球 混合ダブルスでは、水谷・伊藤ペアが接戦の末、中国に逆転勝利。日本卓球界初の金メダルを獲得した。©フォートキシモト

 まあ聞き手にとってこれは「欲しい」コメントではないはずで、皆さんありがとうとか、楽しくプレーできたと言ってもらえれば無難である。そうではないので、質問の二の矢もなく話は途切れる。だから中国の監督やスタッフの動きがどのように変わったのか、私は知りたいのだが分からなかった。でも確かなのは、観察した伊藤選手も大したものだと思うが中国の動きがかわったことである。というより、中国が動きを変えたことである。

 早稲田大学は日本で一番外国人留学生の多い大学である。私の研究室にも中国人の院生がいるので尋ねてみた。そしてわかった。中国ではこの「動きを変えたこと」が、大きく報道されていたのである。

 中国の人々にとって、混合ダブルスで金メダルが取れなかったことは衝撃だったようだ。だから代表チームが「動きを変え」て、その後の女子シングルス金銀と団体の金を盤石のものにしたことには、報道する価値がある。

 では中国代表チームはどのように動きを変えたのか。留学生から聞いたままを書けば

1.伊藤美誠選手とプレースタイルの近い選手を選んで孫選手の練習台にした。

 孫選手はシングルス準決勝で伊藤選手と対戦する。世界ランク1位は中国の陳選手で、伊藤選手と孫選手が2位を争っている。直接の対戦成績は孫選手のほうが上回っているがいつも勝っているわけではない。

プレースタイルの近い練習相手、つまり「仮想―伊藤美誠」は中国代表チームのスタッフから選んだ。スタッフと言っても、もとオリンピアンや世界選手権上位が何人もいる。

2.監督(中国卓球協会会長でもある)は孫選手のプレースタイルを、伊藤選手が苦手とするものに変更した。

と報道されている。その留学生は実際の対戦をテレビで見ていて、監督が孫選手に試合中「秒単位で」指示を出していたと言う。そして孫選手は、急遽プレースタイルを変えたにもかかわらず4―0で圧勝した。団体決勝第二試合もこの二人の対戦で、結果は3―1であった。

 この話は、一般的にはスポーツ報道とか、インサイド・ストーリーとして取り扱われる性格のものなのだろう。でも私は専門がマネジメントなので、違う見方をしてしまう。私にとって重要なのは、中国が動きを変えたことである。私は中国代表にマネジメントが存在したということなのだろうと思っている。中国はシングルスと団体の勝利を確実なものにするために動いた。

 以下、マネジメントの観点から議論を敷衍するなら、まず日本はチームとして、伊藤選手が気づいたことについて、伊藤選手と同じように観察・認識していたのだろうか。そしてもし気づいていたなら、どのような対応をしたのだろう。聞いてみたい。

 つぎに、このような「観察、認識、対応」は、選手個人ではなく、国と国の戦いである。あるいは代表チーム同士の、組織をあげた戦いである。そしてこの戦いでは、勝利を目指す当事者は選手個人ではなくて国あるいはチームである。もちろん、試合に出場するのはエントリーした選手なのだが、実は選手は当事者ではないのかもしれない。つまり、アスリート・ファーストではない。

 選手が一番の当事者なら、代表チームの仕事はアントラージュである。つまりその選手が勝つために万全の側面支援を行う。でも孫選手のプレースタイルを急遽変更したことは、アントラージュでは説明がつかない。

 優先されるのは選手か、それとも組織なのかという議論は、おそらく実りを生まない。企業のことを考えてみる。画期的な新技術・新素材を生み出した開発チームがいたとして、それを製品化して競争優位を実現するのはマネジメントの「領分」である。日本のスポーツの世界はおそらくこのマネジメントが弱いので、アスリート・ファーストと言うことによって選手に責任を押し付けているように思えてならない。

 面倒に思われるかもしれないが、中国のこの行動にコンペティション・マネジメントという名前をつけてみる。1つの試合の中のマネジメントはゲーム・マネジメントなので、これと区別するためである。この概念が日本にないのだとすると、日本のスポーツについて、マネジメントの領分を充実させていこうと考えることに、きっと意味がある。

  • 武藤 泰明 武藤 泰明    Yasuaki Muto,Ph. D. 早稲田大学 スポーツ科学学術院 教授
    笹川スポーツ財団 理事/スポーツ政策研究所 所長
    東京大学大学院修士課程修了。博士(スポーツ科学)。2006年三菱総合研究所退職(主席研究員)、同年4月早稲田大学教授嘱任、現在に至る。専門分野はマネジメント・企業経済学。日本フィナンシャル・プランナーズ協会常務理事、全国民営職業紹介事業協会理事等 。著書に「プロスポーツクラブのマネジメント(第3版)」「スポーツのファイナンスとマネタイズ」等がある。