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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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スピードスケート、オランダの強さ

【冬季オリンピック・パラリンピック大会】

2023.09.07

聖地

 オランダの首都、アムステルダムから北東へ車を走らせること約2時間。人口5万人ほどのヘーレンフェインという小さな町がある。大変失礼な言い方にはなるが、取り立てて特徴があるわけでもなく、普段は人もまばらな田舎町だ。平たんで広大な土地に並ぶ牧場や畑では、牛が放牧され、風車がくるくると回る。オランダではどこにでもありそうなのどかな風景ではあるが、この町には、世界に誇れる自慢がある。スピードスケートの聖地とされるリンク「ティアルフ(Thialf)」だ。

スピードスケート場「ティアルフ」。数々の国際大会の会場として使用されている。

スピードスケート場「ティアルフ」。数々の国際大会の会場として使用されている。

 1967年に屋外リンクとして完成し、1986年に室内リンクとなったこの場所を訪れるだけで、なぜオランダのスピードスケートが強いのか、その一端が垣間見える。人の気配のないリンク周辺は、スケートの大会が開かれると、景色が一変。まずは、徒歩圏内の鉄道駅に、大会開催時だけ列車が臨時停車する。オレンジ色の服をまとった大勢のファンが国内各地から押しかけ、約12千人収容のリンクはびっしり埋め尽くされる。会場の中でも外でも吹奏楽団が盛り上げ、レース前からお祭り騒ぎ。レーンの至近距離に設けられている観客席からは、熱狂的で温かい声援が送られ、屋根の低さも相まって、リンクは独特の高揚感に包まれる。昨年末のオランダ代表選考会の期間中には、観戦と飲食に加えてリンク中央に寝泊まりする権利を付与したチケットまで販売された。スケート愛にあふれたオランダでしか成り立たない企画だろう。

 世界選手権やワールドカップ(W杯)などの国際大会をはじめ、国内トップ選手の大会、そして子どもたちからマスターズまで、あらゆるカテゴリーのレースの舞台となる。集まるファンもおじいさん、おばあさんから小さな子どもまで幅広く、世界のどこのリンクと比べても、観客の熱量はけた違い。その場にいるだけで楽しくなり、心が躍る。地味なイメージもあるスピードスケートだが、この場所だけは違う。演出によるものではない、世界でもここだけの華やかな雰囲気は一朝一夕につくれるものではなく、この国のスケートの歴史、その深さを感じさせる。

 これほどまでにスケートが国民から愛され、応援され、注目されている国は他にない。選手の育成や強化策というレベルの話よりまず先に、ひとつのスポーツを超えた文化として根付いていることが、何よりの強さの秘けつではないだろうか。この舞台で脚光を浴びることはオランダ人にとって大きな名誉であり、トップ選手は億単位の収入も得る。子どもたちは夢を抱き、次世代のトップ選手に羽ばたく。こうして次々とスター、ヒロインが誕生する循環が生まれ、最強国の座を守り抜いてきた。

 もともと、凍った運河を滑るオランダの文化が競技の発祥とされる。寒冷で平たんな国土を持つオランダにおいて、運河を滑り、また滑らせることは、日常の移動や荷物運搬の手段だった。18世紀の終盤から競技としてのスケートが始まったとされ、アムステルダムを舞台に世界選手権がスタートした。さらに、オランダ特有の「スケートマラソン」という大会もある。ヘーレンフェインを含めたフリースラント州の11都市、全長約200kmを巡る大会で、運河が完全に凍った年にしか開かれない、レアイベントだ。近年は地球温暖化の影響もあり、1997年を最後に開かれていないという。オランダ人の中には、この大会での栄誉は「オリンピックの金メダル以上に価値がある」とまで語る人もいるほどだ。

「環濠で氷遊び」エサイアス・ファン・デ・フェルデ(蘭)作/所蔵:アルテ・ピナコテーク

「環濠で氷遊び」エサイアス・ファン・デ・フェルデ(蘭)作/所蔵:アルテ・ピナコテーク

荒稼ぎ

 スケートが幅広く根付くオランダは、オリンピックでも隆盛を誇ってきた。近年、最も強烈なインパクトを残したのは、2014年ソチ冬季オリンピックだろう。男女計12種目のうち、8種目で金メダルを獲得。うち4種目は銀メダル、銅メダルもオランダ選手で独占した。メダル総数は23個の荒稼ぎだった。

 この時の量産の理由は、短距離陣の進化にあったと言える。オランダにとってのスケートとは、もともと生活手段だったこともあり、長い距離をいかに効率的に滑るかが重視されてきた。競技においても、どちらかといえば長距離のステータスが高く、力のある選手は長距離を志向する傾向があった。しかし、ソチオリンピックでは男子500mでミヘル・ムルダーが金メダル、ヤン・スメーケンスが銀メダル、ロナルド・ムルダーが銅メダル。金メダル候補だった加藤条治と長島圭一郎の二枚看板が表彰台圏外に追いやられる、日本人にとっては何とも悔しい結果だった。このほか、男子1000mもオランダ勢が金、銅メダルを獲得し、女子も500m1000m3個のメダルと、短距離で一大旋風を巻き起こした。

 短距離は、小柄でも技術と筋力強化、素早い脚の回転で対抗できる面があり、ロケットスタートを武器とした清水宏保を筆頭に、日本人の活躍も光った分野だった。これは本場のオランダ人にも認められており、加藤のライバルとしてしのぎを削ったスメーケンスは故郷の地名から「サラントの日本人」と呼ばれていたという。ただ、ソチ大会に向けて日本のスプリンターの強みを徹底研究された。特に参考にされたのが、長島のフォームだった。腰を落とし、両脚を目いっぱい広げて氷を捉える美しい滑りは「お手本」「教科書」とも称され、オランダの短距離陣もその技術を取り入れた。

 もともと発祥国として強さを誇り、次々とスターを生んだ中長距離に加え、短距離でも世界トップクラスの選手がそろい始め、最強国の地位は揺らぐ気配はない。2018年平昌オリンピックでは、高木美帆(日体大職)を中心とする日本の大躍進もあって数を減らしたものの、オランダは金7個を含む16個のメダルを獲得。2022年北京オリンピックも、金6個、総数12個でいずれも世界トップだった。メダル数を2桁に乗せる国は他になく、オランダの強さが際立つ。(平昌五輪から種目数は男女計14に増えた)

2014年ソチ大会スピードスケート男子10000m でメダルを独占したオランダ

2014年ソチ大会スピードスケート男子10000m でメダルを独占したオランダ

物議

 あまりの強さは、思わぬ問題を巻き起こすこともある。例えば、ソチオリンピックの終盤に行われた、最長距離種目の男子1m16人が出場予定だったものの、ノルウェーやロシアなど、強豪国の棄権者が続出。他の国・地域から繰り上げ出場を認めても枠は埋まらず、結局14人での争いとなった。表だって認める選手はいなかったが、オランダがあまりに強すぎるため、この種目での戦意を喪失し、後に行われる団体追い抜きに備えたとの見方が大勢を占めた。

 もともと1mはオランダでこそ人気種目であり、ラップタイムの上げ下げを追うと面白いのだが、400mリンクを約12分もかけて25周するレースは極めて単調で、「テレビ映え」するとは言いがたい。オランダの独壇場となることは、幅広い地域への普及を推奨する国際オリンピック委員会(IOC)の方針とも合致せず、オリンピックでの実施種目から除外されるとの観測もあった。結局、北京大会でも実施されているが、チームスプリントなど新種目候補もあり、安泰とは言えない状況だ。

 北京オリンピックでは、オランダの「不正」疑惑を他国が糾弾する一幕もあった。きっかけは、オランダ連盟が「整氷担当者に助言し、自国のリンクに近い氷の状態を保っている」と明らかにしたこと。もともと、運営などの面においてもオランダの発言力は大きいとされる。北京のリンクについては、よりよい氷をつくるために発祥国のノウハウを提供する目的だったようだが、これに猛反発したのが、男子5000m1mを圧勝したニルス・ファンデルプール(スウェーデン)だった。この王者は、オランダ人の祖父を持ち、発祥国には縁があるものの「オランダにだけ有利な状況にすべきでない。公平であるべきだ」と強く訴えた。大会中にわざわざ記者会見まで開いて「ドーピングのようなもの。スポーツの破壊だ」と激しい表現で問題提起。オランダ連盟は、問題ないとの認識を示して沈静化に努めたが、強すぎるがゆえに、こうした競技外の騒動も事欠かない。

留学

 とはいえ、オランダの知見を吸収して成長につなげるのは、王道となりつつある。平昌オリンピック女子500mで金メダルに輝いた小平奈緒さんが、2014年からオランダに留学して力を伸ばしたほか、日本スケート連盟も高木らの指導のためにナショナルチームのヘッドコーチとして、オランダ人のヨハン・デビット氏を招いたことは有名な成功事例となった。日本以外にも、韓国や中国など世界各国もオランダ人指導者を受け入れ、レベルアップを図っている。

 小平さんによれば「力を使わない動きをうまく使って、スピードに生かしていくのがオランダ流」という。もともと、パワーに頼りがちな滑りだった小平さんも、留学後はフォームの力みが抜け、世界での連勝街道、そしてオリンピックの金メダルにつなげていった。

 効率よい滑りの源は、選手や指導者の鍛錬や研究もあるだろうが、究極的には、長い歴史や日常生活、文化。さらに言えば、長身で手脚が長いことも、そもそも有利だ。これらの背景はオランダ特有のものと言わざるを得ず、簡単にまねできるものではない。日本をはじめ、各国が打倒オランダを掲げて奮闘しているが、「オランダ1強」はなかなか崩れることはないだろう。

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スポーツ歴史の検証
  • 菊浦 佑介 1983年、鹿児島県生まれ。2006年、共同通信社に入社。福岡支社運動部、大阪支社社会部を経て、10年から東京本社運動部で五輪担当。東京五輪開催決定後は大会準備、運営面に関して政府、組織委などを取材。競技は水泳、スピードスケートを中心にカバー。夏季五輪は12年ロンドン大会から、冬季五輪は14年ソチ大会からいずれも3大会連続で取材。現在は五輪やスポーツ関連の施策、札幌五輪招致などを担当。