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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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夏季とは異なる冬季オリンピックのメダル

【冬季オリンピック・パラリンピック大会】

2023.06.15

 メダルは金、銀などの貴金属が使用されることが多く、表面に意匠を施した円形もしくは楕円形のもの。ルイ14世の太陽王のメダルが示すように、権力者や勝者の象徴として古くから作られてきたもので、その後、勲章に近い意味で功績があった者、勝利した者を表彰し授与されるようになった。

 現在、多くの人は「メダル」といえばオリンピックで13位に授与されるオリンピックメダルを想起する。しかし、メダルの歴史は1896年に始まる近代オリンピックの歴史より古い。

 スポーツ大会でいえば、英国のマッチ・ウェンロックという小さな町で1850年から行われていたウェンロック・オリンピックというローカルな大会で、勝者にメダルが与えられていた。近代オリンピックの提唱者であるピエール・ド・クーベルタンは、1888年に英国を訪れ、ウェンロック・オリンピックの主催者ウィリアム・ペニー・ブルックスに会い大会も見ている。そこで勝者にメダルが授与されることは知っていた。また、1859年から1889年の間に4回行われたギリシャのオリンピア競技祭(通称ザッパス・オリンピック)でもメダルは授与されていた。

 古代オリンピックを復活させ近代オリンピックを立ち上げたクーベルタンであるが、古代オリンピックではメダルの授与は行われていない。勝者にメダルを授与する近代オリンピックのスタイルは、古代オリンピックにその起源があったわけではなく、19世紀のヨーロッパのトレンドを採用したものであったと考えられる。

1928年アムステルダム大会でオランダの女王から金メダルを授与される鶴田義行(水泳200m平泳ぎ)

1928年アムステルダム大会でオランダの女王から金メダルを授与される鶴田義行(水泳200m平泳ぎ)

 近代オリンピックでは第1回アテネ大会からメダルが授与されている。この大会では1位に銀メダル、2位に銅メダルが贈られたが、3位には何もなかった。第2回パリ大会は万国博覧会の付属大会という不完全なオリンピックであったことで、メダルが授与される競技とされない競技があったが、その後の大会では現在と同様、13位の選手にメダルが授与されるようになった。

 さて、メダルのデザインである。第1回アテネ大会ではギリシャ神話の最高神ゼウスが大きく描かれていた。その後、メダルのデザインは毎回変更になったが、1928年アムステルダム大会から2000年シドニー大会までは同じデザインが採用された(1956年大会の馬術競技用のメダルを除く)。勝利の女神「ニケ」が右手で勝者に授けるオリーブの冠を掲げている。ニケの背後に描かれている競技場は、イタリア・ローマのコロッセオ。デザイナーはイタリアのジュゼッペ・カシオリである。

 このメダルの裏側は、古代オリンピックの勝者が人々によって担がれているデザインで、こちらは1968年メキシコシティー大会まで続く。それ以降、裏側は大会ごとに異なるデザインになった。

 夏季大会のメダルのデザインが大きく変わったのは2004年アテネ大会だった。それまで斜め横を向いて腰掛けていた勝利の女神ニケが、立って正面を向くようになった。背中の翼も大きく描かれるようになり、躍動感が増した。背景には競技場が描かれているが、以前のコロッセオではなく、第1回アテネ大会で使用されたパナシナイコ競技場に変更されている。このデザインはそれ以降の大会でも続いて使用されており、2020年東京大会もこのデザインが採用された。この2004年以降のメダルの裏側には、大会エンブレムが描かれている。

 ちなみに、現在オリンピックでは13位の選手が表彰台に立ち、大会関係者(多くは国際競技連盟の役員)が表彰台の下から選手の首にメダルをかける方法(コロナ禍を除く)で行うが、このスタイルになったのは1936年から。1932年ロサンゼルス大会までは、メダルを持った国家元首、王族、貴族や国際オリンピック委員会会長、組織委員会の役員などのところに正装(あるいはデレゲーションユニフォームを着用)した選手がメダルをいただきにいき、授与されるという方法だった。13位の表彰台の上に選手が立つスタイルは、1936年ガルミッシュパルテンキルヘン冬季大会が最初である。

夏季大会のメダルデザイン

 冬季オリンピックのメダルのデザインは夏季とは異なるものでなければならないとされている。このことは、大会ごとのメダルデザインの自由度が高いことを意味する。実際、冬季のメダルデザインは夏季大会とは異なり、同じデザインが続くことがなく、大会によって大きく異なっている。

 それではまず、夏季大会で長く採用されてきた1928年アムステルダム大会のメダルと、2004年アテネ大会から採用されている現在のメダルのデザインを見ていこう。

1928年アムステルダム大会(夏季)

 表側には、右手に勝者の冠を高く掲げる伝統的な勝利の女神ニケの姿が描かれている。背景にはローマのコロッセオ。デザインしたのはフィレンツェの芸術家ジュゼッペ・カシオリ。国際オリンピック委員会のコンペティションで選ばれた。この表側のデザインはこれ以降2000年シドニー大会まで続く。裏面には、古代オリンピックのスタジアムを背景に、群衆に担がれた優勝者が勝利の凱旋を行なっている姿が描かれている。

2004年アテネ大会(夏季)

 この大会でデザインが大きく見直された。1928年から2000年までのニケは勝者のための葉冠を掲げて座っていたが、この新しいメダルでは勝利を授けるためスタジアムに降り立つ姿が描かれている。そのスタジアムとして、かつてのコロッセオは姿を消し、新たに第1回アテネ大会で使われたパナシナイコスタジアムが採用された。また、それまで使用されてこなかったギリシャ文字が、メダルの表・裏の両方に刻まれるようになった。オリンピックの起源を見直し、復刻しようという意識の表れである。
 東京2020大会でのメダルも同じデザインだった。

 以上が夏季大会のメダルの主要デザインである。次は、開催地の文化が反映されている冬季大会のメダルのデザインを見ていこう。ここでは特徴的なものをいくつか紹介する。

冬季大会のメダルデザイン

1924年シャモニー冬季大会

 表側には、競技の優勝者が右手にはスケートを、左手にはスキー板を持って両腕を広げている姿が描かれている。背景にはモンブランとアルプスの山々が見える。裏面には、「CHAMONIX MONT-BLANC SPORTS D’HIVER 25 JANVIER-5FEVRIER 1924 ORGANISES PARLE COMITE OLYMPIQUE FRANCAIS SOUS LE HAUT PATRONAGE DU COMITE INTERNATIONAL OLYMPIQUE A LOCCASION DE LA CELEBRATION DE LA VIIIe OLYMPIADE(第8回オリンピアードを祝して国際オリンピック委員会が後援し、フランスオリンピック委員会が主催する1924年1月25日から2月5日まで行う冬季スポーツ大会)」の文字。「オリンピック競技大会」とは書かれていない。このメダルが制作された時点では、この大会はまだオリンピックと認定されていなかったためである。

1972年札幌冬季大会

 このメダルは丸くない。表側のデザインは陶芸家・八木一夫によるもの。刻まれた複数の線によって、ふわふわした雪と尖った氷の両方が表現されている。平和な日本の雪国の風景である。中央を縦に伸びる曲線はスキーのシュプール、右下の楕円形はスケートリンクだ。田中一光デザインの裏面には、「札幌オリンピック冬季大会」、「XI OLYMPIC WINER GAMES SAPPORO '72」の文字と、公式エンブレムが刻まれている。

1992年アルベールビル冬季大会

 表・裏ともにクリスタルガラスが使われている。ガラス部分には雪の山谷を模したデザインが施され、オリンピック・シンボルが浮かび上がるように刻まれている。表側の上部には金色で月桂樹の枝が描かれ、下の金色の部分には「ALBERTVILLE 92 XVIes JEUX OLYMPIQUES D 'HIVER-XVI OLYMPIC WINTER GAMES」と書かれている。ガラスでできた初めてのメダルで、複雑で精密な手作業が数段階必要とされる。35人が数百時間かけて完成させたという。

1994年リレハンメル冬季大会

 制作者によると「ユーモラスで、しぶくて、印象的」なメダル。コンセプトは「生粋のノルウェー人」。メダルの基盤にはノルウェーで豊富なスパラグマイトという岩石を使い、ノルウェーの人々の性質と自然との共存を表現している。表側にはオリンピック・シンボルと「THE XVII OLYMPIC WINTER GAMES Lillehammer '94」の文字、裏側には競技名とアスリートの姿が刻まれている。

1998年長野冬季大会

 木曽漆を使用し、蒔絵、七宝焼きという日本の伝統芸術が活かされた。表側の上部には蒔絵で日の出の風景が、中央には6色を使った七宝焼きで大会エンブレムが描かれている。左右には月桂樹の枝が飾られ、下部には「NAGANO1998」の文字とオリンピック・シンボル。裏側の蒔絵内に描かれているのは信州の山々。下部には、各競技のピクトグラムが刻まれている。

2006年トリノ冬季大会

 中央に穴がある珍しいデザインのメダル。表側には競技を象徴するデザインがグラフィックに描かれ、裏側にはピクトグラムが刻まれている。丸い穴はオリンピック・シンボルを連想させ、リボンはこの穴を通して結ばれる。メダルの表面はなめらかな輝きを放つよう工夫されている。また、首にかけるとちょうど穴の部分が競技者の心臓のあたりに来ることで、生命力と感情を強調するという狙いもこめられている。

2010年バンクーバー冬季大会

 表側にはオリンピック・シンボルのレリーフのほか、シャチをモチーフにした先住民のアートが描かれている。裏側には大会正式名称が英語とフランス語で刻まれ、大会エンブレムと競技・種目名も添えられている。メダルは平らではなく波打っており、考案したのはバンクーバー出身の産業デザイナーで建築家でもあるオマー・アーベル。メダルにインスピレーションを与えたのは、カナダ先住民の伝統をテーマにバンクーバーで活動する芸術家コリーン・ハントの作品。

2014年ソチ冬季大会

 雪に覆われた山頂から黒海の砂浜へと太陽の光が降り注ぐ、ソチの景観が表現されている。金属とポリカーボネートを使用して作られたメダルは、明るさを強調。オリンピック・シンボルが表側にあり、種目名とソチ2014のエンブレムは裏側に刻まれている。側面には大会名称「第22回オリンピック冬季競技大会」がロシア語、英語、フランス語で書かれている。

2018年平昌冬季大会

 デザインは木の幹の質感に着想を得たもので、表側にはオリンピック・シンボルとオリンピックの歴史、そしてダイナミックな斜めの線がいくつも刻まれている。一方、裏側には競技名、種目名、平昌2018のエンブレムが描かれている。制作者は韓国の有名デザイナーであるイ・ソグ。

2022年北京冬季大会

 メダルの名前は「同心」(中国語で「心を一つに団結する」の意)。5つの同心円と中心のオリンピック・シンボルで構成されている。5つの同心円は、世界の人々を結びつけるオリンピック精神と、冬季オリンピックの歓喜を分かち合うことを表している。このデザインは2008年北京夏季大会のメダルの裏側のデザインに似ているが、それは史上初である夏季と冬季の両オリンピックを開催する都市「デュアルオリンピックシティ」を表現しているため。中央のオリンピック・シンボルの下には「XXIV Olympic Winter Games Beijing 2022」の文字が刻まれ、その周りに氷や雪、雲の模様が描かれている。

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スポーツ歴史の検証
  • 大野 益弘 日本オリンピック・アカデミー 理事。筑波大学 芸術系非常勤講師。ライター・編集者。株式会社ジャニス代表。
    福武書店(現ベネッセ)などを経て編集プロダクションを設立。オリンピック関連書籍・写真集の編集および監修多数。筑波大学大学院人間総合科学研究科修了(修士)。単著に「オリンピック ヒーローたちの物語」(ポプラ社)、「クーベルタン」「人見絹枝」(ともに小峰書店)、「きみに応援歌<エール>を 古関裕而物語」「ミスター・オリンピックと呼ばれた男 田畑政治」(ともに講談社)など、共著に「2020+1 東京大会を考える」(メディアパル)など。