低迷が続く日本アイスホッケー界の実情
―― 日本のアイスホッケー界は大変厳しい状況にありますが、星野さんはどのように感じていらっしゃいますか?
私が現役時代のころは、日本の男子は世界では11位あたりの位置にいましたが、現在は25位にまで低迷しています。ソ連やチェコスロバキアなど共産圏の国が解体し、ヨーロッパの選手の多くがNHL(ナショナルホッケーリーグ。北アメリカのプロアイスホッケーリーグで、アメリカとカナダのプロチームで編成される)でプレーするなど強化が進んでいることもあって、日本との差は広がる一方です。現在、日本では実業団チームを前身とするクラブチームがあり、ほとんどの選手がプロ契約をしていますが、チーム数があまりにも少ないのが実情です。企業を母体とする実業団チームも消滅したため、大学でアイスホッケーをやっていても、その後の就職先がないということで、学生にとっても非常に厳しい状況です。ディビジョン1に所属する強豪の大学でレギュラーになるような優秀な選手でも、就職活動のために途中で辞めてしまう選手も少なくありません。苫小牧、釧路(いずれも北海道)、八戸(青森)、日光(栃木)と、もともとアイスホッケーが盛んだった地域でも、今では競技人口が非常に少なくなっています。高校では単体では試合に出られないというほどの人数しかいないアイスホッケー部も増えてきました。
全日本監督時代
―― アイスホッケーは寒い地域で発展してきたという競技の特性があります。その分、広く普及するのは非常に難しいとされてきましたね。
寒い地域でなければアイスホッケーができないわけではありません。屋内競技ですので、例えば沖縄でもアイスホッケーはできます。実際に沖縄県南風原町の「エナジックスポーツワールドサザンヒル」という総合レジャースポーツにはリンクがあり、アイスホッケーができます。また沖縄県で唯一アイスホッケー部がある琉球大学は、男子は2021年には九州学生選手権で優勝していますし、女子は全国大会で表彰台に上がるなどトップクラスの実力校です。さらに今年2月に青森県八戸市で行われた特別国民体育大会冬季大会には、少年男子で4年ぶりに九州ブロックを勝ち抜いた沖縄県代表が出場しました。実は私が現役時代に一緒に日本代表として活躍した三沢悟(1980年レークプラシッド大会に出場)は北海道出身ですが、2013年に沖縄に移住し、現在は「琉球ウォリアーズ」というチームの総監督を務めています。一方、東京ではリンクが減少傾向にあり、学生が練習する場所が失われつつあります。現在、東京のリンクは明治神宮アイススケート場、東伏見のダイドードリンコアイスアリーナ、東大和スケートセンターの3カ所だけです。そのために練習場所を確保するのが難しく、大学リーグの下部のチームは夜中や早朝にしか予約が取れず、朝の4時から練習ということもざらにあります。
―― 競技人口が減少傾向にあるのは、企業という受け皿がないということが最大の原因になっているのでしょうか?
おっしゃる通りです。高校からアイスホッケーを始める選手も少なくないのですが、その時点では卒業後は大学でプレーするという目標を立てることができます。ところが、前述した通り、大学卒業後にプレーを続ける道があまりにも少なく、「アイスホッケーをやっても、めざす先がない」と辞めてしまう選手があとを絶ちません。
―― ひと昔前は、王子製紙や日本製紙、雪印(現・雪印メグミルク)といった北海道に拠点を置くチームがあり、関東には西武鉄道と国土計画がありました。しかし、企業の経営状態が厳しくなったことと比例して、アイスホッケーチームの廃部が相次ぎました。日本リーグも2004年を最後に休止となりました。
現在は、日本、韓国、ロシアの3カ国でのアジアリーグが行われていますが、メディアの露出は激減しました。世間一般的には「アイスホッケーはいつやっているんだろう?」となっている状態です。
「氷友会」前列左から2人目が本人(2004年)
―― 以前は新聞社、テレビ局の各マスコミには必ずアイスホッケー担当の記者がいて、日本リーグを取材していました。なかでも元NHKアナウンサーの西田善夫*8)さんは、アイスホッケーの実況でもご活躍されました。
昔は年に何度か氷友会というアイスホッケーの各担当記者の集まりがあり、私も何度もお邪魔させていただいて、マスコミの方と一緒に食事をすることがよくありました。それこそ西田さんとは昔からの付き合いで、旧知の仲でした。
*8)西田善夫:NHKのスポーツアナウンサーとして、オリンピックほか多くの国際大会、国内大会の実況を担当。1978年放送開始の「スポーツアワー」では初代キャスターを務めた
―― 西田さんをはじめ、担当記者の皆さんもアイスホッケーに情熱を注ぎこんでいる方がたくさんいました。ところが、今ではアイスホッケーの現場ではマスコミの姿はほとんど見かけなくなりました。
本当に寂しいですね。メディア露出がないので、私たちのような元日本代表選手でも、アンテナを張っていないと、いつ試合をやっているのかわからないほどです。
―― これほどの寂しい状況になったのは、日本リーグがなくなったころからでしょうか?
日本リーグがなくなったことが本当に大きかったと思います。直後にアジアリーグをつくりましたが、コロナ禍で一時試合が行われなくなってしまったことも響いていると思います。現在はアジアリーグが通常通り開催され、日本からはH.C.栃木日光アイスバックス、ひがし北海道クレインズ、レッドイーグルス北海道、東北フリーブレイズに加えて、2020-21年度シーズンから神奈川県横浜市を拠点とするプロチーム横浜GRITSが新しく参入したりしています。しかし、厳しさは変わってはいません。やはり東京を拠点とするチームがひとつもないというのが、メディア露出や観客動員の少なさに大きく影響しているように思います。
2022年北京オリンピックに出場した日本女子チーム(スマイルジャパン)
―― その一方で"スマイルジャパン"という愛称で親しまれている女子日本代表は、近年ではめざましい活躍を遂げています。2018年平昌大会(韓国)でオリンピック初勝利を挙げ、2022年北京大会(中国)では2勝を挙げて準々決勝進出を果たしました。
女子は世界的にはアメリカとカナダが飛び抜けていますが、それ以外の国は拮抗しているので、日本にもチャンスがあります。実際ヨーロッパのチームとは、日本は接戦を演じるなど、実力的には非常に拮抗しています。今後、日本が表彰台に上がることも十分に可能性があります。ただアメリカ、カナダのレベルはあまりにも飛び抜けていて、この2カ国の牙城を崩すのは非常に厳しい。3位までは可能性はありますが、そこから上を狙うとなると、選手層や体力の差が浮き彫りとなり、難しいというのが現状です。
―― コロナ禍で開催された2022年北京大会は、原則無観客のなかで試合が行われました。オリンピックの盛り上がりを肌で知っていらっしゃる星野さんは、どのように感じられましたか?
選手というのは、観客に見てもらえているからこそモチベーションが高まりますし、応援の声が聞こえてきただけで力が沸くものなんです。それこそひとつのプレーで会場中にこだまするような大歓声が鳴り響くのがオリンピックの本来の姿ですので、無観客のなかでの試合は、選手たちにとっては気持ちの面でとても厳しい戦いだったと思います。そのなかで女子日本代表は2勝を挙げて、準々決勝に進出しました。本当によくやったと思います。
チャンスを逃した日本アイスホッケー界の厳しい現状
1998年長野オリンピック、日本対ベラルーシ
―― 翻って男子日本代表は、冬季オリンピックには1998年長野大会を除き、海外での開催に限れば10大会連続で出場を逃している状態です。日本がオリンピックの舞台に戻れるようになるには、今後どうしたらいいでしょうか?
現在、日本のクラブチームはアジアリーグに参加していますが、本来は日本リーグが行われるのが、一番いい形であるように思います。そして、大学の強化に注力すること。そうすれば、大学のアイスホッケー界に魅力を感じた高校生、中学生が増え、底辺が拡大します。そこにジュニアチームでの育成が加われば良いと思いますが、共働きの家庭も多いなかで、保護者が毎日のように子どもの送り迎えをするのもなかなか難しい現状があります。競技人口は右肩下がりで、ひと昔前はアイスホッケーが盛んだった苫小牧でさえもひとつの中学校では部員数が足りず、試合に出られません。高校さえも複数の学校で合同チームをつくらなければ試合に出られない状況です。
―― 指導について、何か感じていることはありますか?
私の意見としては、子どもには自由に伸び伸びとプレーさせてあげてほしいと思っています。指導者のなかには、あれこれと細かい技術指導をする方がいますが、まずは好きなようにやらせてあげること。そうすれば、自ずと良いものが出てくるはずです。昔、NHLのスカウトに「若い選手のどこを見て採っているんですか?」と聞いたことがありますが、彼は「体のサイズ」と答えていました。1990年に桑原ライアン春男*9)という選手が18歳でNHLのモントリオール・カナディアンズにドラフト2位で指名されました。それ以前に彼のプレーを見たことがありましたが、当時はとても上手いとは言えませんでした。それでもなぜドラフト上位で採ったのか、モントリオールのスカウトに聞いたところ、やはり「サイズだ」と。結局、彼はその後に技術的にも成長して、1998年長野大会では日本代表としてプレーしました。彼の活躍を見ても、ジュニア時代は下手でも自由にプレーさせていたほうが、その後の伸び代は大きいように思います。
*9)桑原ライアン春男:父親が日本人、母親がカナダ人のハーフで、NHLでプレーしたのちには来日してコクドに入団。日本国籍を取得し、1998年長野大会には日本代表として出場した
―― その1998年長野大会は、当時J0C(日本オリンピック委員会)会長だった堤義明さんのご尽力もあって、アイスホッケーでは初めてプロ選手の参加が認められたオリンピックでした。NHLもリーグを中断することを決断し、スーパースターがカナダやアメリカの代表としてオリンピックに出場したことで大変盛り上がりました。その長野大会を機に、日本のアイスホッケー界への関心も高まるのではないかと期待されましたが、残念ながら状況は変わらず、今に至っています。
正直なことを申しますと、日本アイスホッケーがオリンピックに"おんぶに抱っこ"状態で、自分たちでは何もしなかったことが、一番の原因だったと思います。せっかくオリンピックで女子日本代表が躍進しても、オリンピックが終わればそれでおしまいというのではなく、継続した選手強化が必要です。同じスケート競技のフィギュアスケートやスピードスケートでは、さまざまな活動が行われています。だからこそ今も世界のトップレベルにありますし、人気が高いのだと思います。
星野好男(当日のインタビュー風景)
―― 現在、日本でのリーグ戦は、韓国、ロシアとのアジアリーグという形で行われていますが、これについてはいかがでしょうか?
アジアリーグに参戦しているのは7チームですが、韓国、ロシアからは1チームずつで、残り5チームは日本のクラブチームです。ほとんど日本のリーグであると言ってもいいくらいですので、私は思い切って日本リーグを復活してもいいように思います。そこに大学のチームを参入させるんです。人数不足で試合に出られない大学は、複数の大学でチームを結成してもいいと思います。大学生が社会人との試合を重ねることで、実戦経験を積むことができますし、強化にもつながります。大学同士の垣根を越えるのはさまざまな問題があるかもしれませんが、今すぐに抜本的な改革を推し進めなければ、日本アイスホッケー界はこのまま廃れていく一方です。
―― 日本ではアイスホッケーの魅力が伝わりきれていないように思います。
「氷上の格闘技」と言われているアイスホッケーは、激しいぶつかり合いで危ないスポーツというイメージを抱いてしまい、特に親御さんからは敬遠されがちです。もちろんケガはします。ただ、ほかのスポーツでもケガはつきものです。それでもアイスホッケーは、若い時にしかできないといったものではありません。70代の私は今もプレーしています。実は37歳で現役を引退したあと、20年間ほどはまったくリンクの上に立っていませんでした。ところが、60歳くらいの時に「人数が不足しているから来てくれ」と友人に頼まれて試合に出たのをきっかけに、またアイスホッケーを始めたんです。20年以上もブランクがあって、その間、ほとんど運動はしていませんでした。でも久しぶりにリンクに上がったら意外とプレーできて楽しむことができましたし、試合後は爽快感がありました。
―― 2030年の開催をめざしている札幌オリンピック・パラリンピックについては、どのようにお考えでしょうか?
ぜひ開催してほしいと思いますし、それに向けて今からアイスホッケーも強化に取り組んでほしいと思います。1972年札幌大会の時には、ロシア、ヨーロッパ、カナダと2カ月間、転戦したことがありましたが、それくらいやっても世界の壁は厚かった。それを考えると、今から始めても、決して早いということはないと思います。ましてや、現在のオリンピックでは、予選は2グループに分かれてのリーグ戦ですので、勝つチャンスがあります。それは2022年北京大会で準々決勝に進出した女子日本代表が証明してくれました。また、オリンピック・パラリンピックが閉幕したあとも、1998年長野大会のようにそれで終わりで尻すぼみになるのではなく、オリンピックをスタートにして普及・育成・強化の体制を推し進めてもらいたいと思います。
―― 超高齢化社会となった日本では「健康寿命」の重要性が叫ばれています。現在もアイスホッケーを続けている星野さんの健康の秘訣を教えてください。
やはり体を動かし続けていることが、健康につながっていると思います。私のチームの最高齢は78歳ですが、元気に沖縄にも行きますし、今年はカナダを訪れる予定です。東京では「東京都オールドタイマーアイスホッケー大会」が行われており、50代が参加資格の「0-50」と、60代以上の「0-60」の2部門に分かれてリーグ戦が行われています。今シーズンは0-50には9チーム、0-60には6チームが参加しています。私たち70代ばかりのチームも、60代の人を相手に試合をしているわけですが、なかなか大変です。ただ、カナダでは80代で現役という人がいたりします。私は今年で73歳になりますが、これからもできる限り長く続けたいと思っています。
―― 最後に、星野さんが後世に伝えたい、残したいものとは何でしょうか?
アイスホッケーはアメリカではアメリカンフットボール、バスケットボール、野球と並んで人気の高い"4大プロスポーツ"となっています。それほど魅力が詰まったスポーツだということを、日本人にも広く知ってほしいと願っています。屋内競技ですので、沖縄でもクラブチームが活動しているなど、寒い地域に限らずどこででもできます。チャンスがあれば、ぜひ一度経験してほしいと思いますし、試合を見ていただきたいと思います。