求められるスポーツ界と企業とのwin-winの関係性
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2009年IOC総会(コペンハーゲン)でのプレゼンテーション
―― 日本の場合、パラアスリートの層の薄さに課題があるように思います。これは日本が戦争もなく平和な国で、交通事故も少なく、医療レベルも高いという証明でもありますが、一方で今後の選手発掘については対策が必要となるのではないでしょうか。
JPCも国やJSCと共同で選手の発掘事業をしていますが、東京パラリンピック後に募集をかけたところ、応募数は1年前の倍でした。問い合わせの件数も増え、また問い合わせ内容のクオリティも上がったと感じています。
これまでは「うちの子どもにも障がい者スポーツをやらせたいのですが、どうしたらいいでしょうか」という初歩的な問い合わせが多かったのが、東京パラリンピック後は「うちの子どもにはこういう障がいがあるのですが、良いコーチを紹介していただけませんか」というような、具体的にどうしたらパラリンピックに出られるかということを質問してくる方が増えたんです。東京パラリンピックが開催されて選手たちのパフォーマンスだけでなく、指導者やスタッフの存在を多くの人が目にしたことで、社会に大きな変化が起こっているのだと思います。ただ、そこからパラリンピックでメダルを取れるくらいまでの選手に育っていくかは、また別の要素が必要となります。まさにその部分をJPCが対策として講じようとしているところでして、次世代につなげるような取り組みを重点的に行っていかなければいけないと感じています。
―― あるパラリンピアンから聞いた話ですが、東京パラリンピック開催後はもっと理解度が深まると思っていたら、未だに車いすユーザーがスポーツ施設を利用するのを断られるケースも少なくないと。障がいのある方たちがスポーツ施設を利用できるようにする環境整備は、国をあげて取り組まなければいけない問題だと思いますが、どのように考えられていますか?
東京パラリンピック直後に、萩生田光一文部科学大臣(当時)とお会いした際、直接私のほうから「現在の日本のパラスポーツにおける課題は、大きくは2点あります」というお話をしました。ひとつは、障がいのある児童、生徒が学校体育の授業で見学という待遇を受けていることがあること。もうひとつは、障がいのある方々が地域のスポーツ施設を利用しようとすると、「車いすで床に傷がつくから」などという理由で断られるケースがあること。これらは国民の教育を受ける権利、スポーツをする権利の観点からしても由々しき問題ですし、「障害者差別解消法」(2016年4月1日に施行。正式名称は「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」。障がいの有無に関係なく、その人らしさを認め合いながら、共に生きる社会をつくることをめざすもの)に基づいても間違っていますので、国として正してほしい、というお願いをしました。
その約2週間後に文部科学省が東京オリンピック・パラリンピックで活躍した選手の顕彰、表彰式を開いた際、萩生田大臣から「ご指摘いただいた課題について、きちんと予算を組んで早急に取り組んでいきます」というふうに約束していただきました。実際、2021年12月には「第3期スポーツ基本計画」(2022年度から5年間の国のスポーツ施策に関する指針)の中間報告が出されましたが、そこに加えられた3つの新たな視点のひとつに「性別、年齢、障害の有無、経済的事情、地域事情等に関わらず、すべての人がスポーツにアクセスできる社会の実現・機運の醸成を目指すという視点」が記されています。今後、年度末の最終案を制作していく段階でも、しっかりと確認していきたいと思います。現段階で課題は多々ありますが、東京パラリンピックが開催されたからこそ、国がそういう課題に目を向け、真摯に取り組んでいこうと考えるきっかけになったと思いますので、大きな成果だったことは間違いないと思います。ただ、国民の皆さんが実感を伴うまでにはどうしても時間がかかってしまうところは否めません。法律やルールが定められれば、すぐに課題が解決し、社会が変わるわけではありませんので。それでも時間はかかるけれども、社会が変わっていくきっかけを、東京オリンピック・パラリンピックは提供したという点は間違いないと思います。
―― スポーツ界全体の問題になりますが、事業を進めていくにはどうしても大きな財源が必要になります。しかし東京オリンピック・パラリンピックが終わったことで、国からの支援もどうなっていくのか不透明です。企業がどこまで競技団体や選手たちへのスポンサードを続けてくれるか、という部分も決して楽観視はできません。この問題については、いかがでしょうか。
今までのように、東京オリンピック・パラリンピックがあるからという理由だけでお願いをするということでは、もう続かないということは誰しもがわかっていることだと思います。単なる広告塔としてではなく、スポンサードしてくれる企業がどんなメリットを競技団体や選手たちに求めているのかをきちんと把握したうえで、それに沿ったご提案をできるかどうかにかかってくるのではないかと思います。キーワードは「事業競争」。「御社とこういう取り組みをして、こういう社会をつくっていくパートナーとして一緒にやっていきたいので、そのためにはどのくらいの支援を必要としています」ということを明確に提示していけるかどうかが重要になってくるだろうと。企業に対するプレゼンテーションだけでなく、事業のマネジメントや、検証、評価ができるかどうかという、競技団体や選手の能力が問われる時代になってきます。人材をどう育成していくのかという課題も出てきますが、やはり単にお願いをするだけではなく、競技団体や選手側が、企業にとってメリットを感じられるパートナーとなり、一緒に価値を生み出していけるかどうか。お互いがwin-winな関係性をつくれた場合には、スポンサードを考えていただけるということになっていくのだろうと思います。
―― 例えば、参天製薬は2020年8月に国際視覚障がい者スポーツ連盟と連携を開始したり、同年10月にはNPO法人日本ブラインドサッカー協会と10年間の長期パートナーシップ契約を締結しました。これは、視覚障がい者スポーツを通じて、視覚障がいの有無に関わらず、人々が交じり合い、いきいきと共生する社会の実現をめざしたものです。また、視覚に障がいのある従業員が「社員先生」となり、小学生を対象とした視覚障がいに対する理解を向上するプログラムの開発、実施も行っています。こうした企業と競技団体との特性が合致した取り組みは、いろいろと考えられるのではないでしょうか。
競技団体側がそういう提案をしていけるかどうか、そしてそういうことを求めている企業とマッチングしていけるかどうかが重要になってくるのだろうと思います。
―― 組織としての人材育成という点では、河合さんたちの次の世代についてはいかがでしょうか?
2016年にJPCではアスリート委員会を設置し、また2021年9月4日には、日本人として初めて鈴木孝幸選手(先天性四肢欠損のパラ水泳選手。2004年アテネパラリンピックから5大会連続出場し、東京パラリンピックでは2個の金メダルを含む5個のメダルを獲得)がIPCのアスリート委員に当選したことが発表されました。彼らが中心となっていくことが期待されています。
小さな一歩の積み重ねによる共生
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東京2020パラリンピック5人制サッカー(ブラインドサッカー)
―― 東京オリンピック・パラリンピックは一体となって取り組まれてきたわけですが、JOC(日本オリンピック委員会)とJPCの関係性というのは今後どうなっていくことが望まれますか?
東京オリンピック・パラリンピックでは、「共生」をテーマに、初めて日本代表選手団が開会式や式典で着用する公式ユニフォームのデザインが統一されるなど、JOCとJPCの関係性としても非常に緊密化が進みました。今後はより実行可能な部分で協働していくと思います。世界では、例えばアメリカや南アフリカ、ノルウェー、オランダはオリンピック委員会とパラリンピック委員会が統一団体となっていて、南アフリカは東京パラリンピックで選手団団長を務めた方は、東京オリンピックでは副団長を務めた方でした。ノルウェーは東京オリンピックの選手団スタッフが半数ほど残って、東京パラリンピックにも従事していました。そうした人材の有効活用が世界で進み始めているということは明らかですので、日本もどのような形でJOCとJPCが連携を図っていくのかというところは議論の余地があるかと思います。いずれにしても今後は、JOCだけ、JPCだけということではなく、それぞれのスタッフがNFも含めて全体を把握するような人材の育成が求められていくと思いますので、積極的な人事交流を図っていくことも重要だと思っています。
―― オリンピックとパラリンピックを一緒にしたらどうか、という意見もありますが、どう考えていますか?
IOCとIPCの組織体制をどうするかも含めて、この5年、10年で解決するような簡単な話ではないと思っています。将来的にそういう動きがあってもいいのかなとは思います。ただ、オリンピックだけでもどの競技を採用するかというのは毎回のように激しい競争が繰り広げられているなか、障がいによるクラス分けごとに多くの種目があるパラリンピック競技をどこまで入れられるのかということは大きな問題になることは間違いありません。その分、大会日程を延ばせば開催都市の負担がさらに大きくなることは明らかです。そう考えると、大きな動きを求めるよりも、今できることをやっていくことのほうが現実的かなと思います。
例えば、東京オリンピックの閉会式では組織委員会の橋本聖子会長が、東京パラリンピックについても述べられ、パラリンピックの映像も流れたというのは歴史的快挙だと思います。私からすれば天変地異が起こったくらいの出来事でした。それほど橋本会長をはじめ、組織委員会が東京パラリンピックにも力を注いでくださったということの表れであり、まさに一体となっていたのだと思います。こういう小さな一歩の積み重ねが重要だと思いますので、大会や組織を統合するという議論をする前に、共通の価値観を持って、社会にインパクトを与えられる大会にしていく努力を共にしていくことのほうが重要のように思います。
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東京2020パラリンピック水泳で5個のメダルを獲得した鈴木孝幸選手
―― 東京オリンピック・パラリンピックのテーマであった「多様性」「共生社会」という点において、ボランティアでも障がいのある人たちが活躍したということは非常に大きな意味があったと思います。
組織委員会の「ボランティア検討委員会」で相当な議論を交わし、日本財団パラリンピックサポートセンター(現・日本パラスポーツセンター)、日本財団ボランティアサポートセンターにも協力をしていただきながら実現できたことだったことも、大きな成果だったと思います。もし東京オリンピック・パラリンピックでできなければ、今後日本で「共生社会」を実現させていくことは難しいだろうと思っていました。そもそもボランティアとは、誰かの役に立ちたいという思いのもと自主的にやるものであって、それを障がいがあるからできないというのは、社会のシステムにこそ障がいがあるということ。そういう社会を変えていく意味でも、大きな意義がありましたし、障がいのある人、ない人、それぞれがお互いにとても良い経験をしたのではないかと思います。そして今回、ボランティアとして東京オリンピック・パラリンピックに携わった人たちが、それぞれの職場などに戻っていった時に、経験したことを自分の周りでもやってみようと思えるきっかけにしてくれることを願っています。
―― 2021年10月25日(日本時間)に開催された世界の国・地域のオリンピック委員会の会合で橋本会長が「東京モデル」として、東京オリンピック・パラリンピックで見出された価値を今後の大会に活用してほしいとお話されましたが、JPC単独では何かそういう総括のようなものは出されるのでしょうか?
東京オリンピック・パラリンピックの象徴として、一般的にはメダルの数が一番目立ったわけですが、そこだけではなく、さまざまな視点で組織委員会をリーダー役として推進してきたことがありますので、それが大会開催によってどういう結果をもたらしたのかは、JPCとしてもしっかりと検証していかなければならいけないと思っていますし、実際に進めています。そして今後の2024年パリ・パラリンピック以降に活用していくことが重要です。JPCではこれまでの強化委員会を、2022年1月から強化本部に格上げして新たな体制をしきました。先述した「JPC戦略計画」で掲げた「世界を目指すパラアスリートの活躍」をめざした強化を、強化本部で一元的に取り組んでいきます。選手の発掘や育成、指導者やトレーナーの育成、クラス分け、医科学的情報提供など、それぞれの分野の専門家に入っていただき、しっかりとした体制でやっていこうということで、今まさに準備を進めているところです。
パラスポーツの重要性
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車いすバスケットボールの香西宏昭選手
―― スポーツは社会課題を解決する糸口になり得るものだと思いますが、とりわけパラスポーツにはそうした可能性が大きいように思います。
障がいの有無に関係なく、誰しもが、少しでも健康で長く生きていきたいという願望があると思いますが、障がいのある人たちはよりスポーツを必要とする度合いが高いということが言えるでしょう。そういう意味においては、パラスポーツの重要性はやはり大きいと思います。
―― 東京パラリンピックをきっかけに、パラスポーツの存在価値や役割の大きさについては理解度が深まったように思います。では今後は、どのような取り組みが必要となるのでしょうか?
東京オリンピック・パラリンピックに向けてオリンピック・パラリンピック教育を推進してきたことで、今の小学生、中学生は、オリンピックとパラリンピックの垣根が低く、パラリンピック選手にもオリンピック選手と同じような認識をもってくれています。子どもたちにとってはどちらも「世界をめざしているすごい選手」という同じくくりなんですね。ある保護者の方から聞いたのですが、ご自身のお子さんが東京パラリンピックで車いすバスケットボールの試合を見ていて、「自分もやりたいから、選手たちが乗っている車いすが欲しい」と言ってきたんだそうです。でも、調べてみたら数十万円もする高価なものということがわかって困ったなんていうお話をうかがったのですが、このこと自体、これまでには考えられないことだったわけです。つまり、スケートボードの試合を見て、かっこいいからボードがほしいと思ったのと同じように、車いすバスケットボールに魅力を感じたということですよね。
東京パラリンピックによって、社会が実際に変わってきていて、良い風が吹いていると思いますので、現役選手にはぜひこれからも子どもたちと触れ合う機会を持ち続けていってもらいたいと思います。特に若い選手たちは子どもたちとの年齢も近いので、より身近に感じ、応援する気持ちが生まれるでしょうし、選手のモチベーションにもつながっていくと思うんです。一方、JPCとしてはIPCのアギトス財団(2012年に設立されたIPCの開発を担う機関。インクルーシブな社会実現のためのツールとして、パラスポーツの発展を国際的にリードする機関として活動)がIPC公認のパラリンピック教材『I'm POSSIBLE』のさらなる推進のほか、文部科学省の協力をいただきながら、パラスポーツの価値を伝える教員を育成していく研修プログラムを各自治体で行ったり、教員免許取得のカリキュラムのなかにパラスポーツの指導カリキュラムを入れられないかというようなことを実現させていきたいと考えています。
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北京2022パラリンピック日本選手団結団式会見(2022年2月)
―― アスリートのセカンドキャリアの問題については、いかがでしょうか?
引退後の生活については、選手自身が考えなければいけないというふうになりがちですが、もちろんそれは当然ではあるものの、選手がセカンドキャリアについて考えられる環境にあるかどうかということがおざなりになっているように感じます。文部科学省では幼稚園教育要領や、小学校、中学校、高校の学習指導要領に「キャリア教育」(一人ひとりの社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して、キャリア発達を促す教育)を盛り込んでいます。私見を述べさせてもらえば、10年後はどういう社会になっているのか、あるいはどういう職業が生き残っているのか、ということは誰にもわからない時代なわけです。それなのに「将来どんな職業に就きたいか」という教育は、やはり限界があると思っています。それより大事なのは、最終的にどういう状態でありたいのか、どういう状態の自分が幸せなのか、という本質的なところの気づき。それが「キャリア教育」の根幹になければいけないと思っています。
―― 東京パラリンピックに続いて、河合さんは2022年3月の北京パラリンピックでも日本代表選手団団長を務められます。団長として大会や選手に求めるものとは何でしょうか?
大きな方向性は、東京パラリンピックと変わらないのだろうと考えています。日本と中国という開催場所の違いはありますが、それでも引き続き、徹底した新型コロナ感染症対策は必要不可欠ですし、大変厳しいなかで開催の準備にあたってこられた中国や北京パラリンピック組織委員会、そして送り出してくださる日本の皆さんへの感謝の気持ちを持つことが大切です。そのうえで選手たちにはベストなパフォーマンスを発揮してほしいと思っています。ただ、東京パラリンピックを経験していない選手たちにすれば、前回の2018年平昌パラリンピック以前とはまったく違う環境の大会になります。現地では外部との接触を徹底的に遮断する「バブル方式」のなかで過ごさなければいけないですし、入国後は毎日PCR検査が義務付けられています。そのようなことは選手団のほとんどが初めての経験となります。戸惑いや窮屈さを感じることもあるとは思いますが、文句を言ったところで何も始まりません。とにかく「これが当たり前なんだ」と思って、しっかりとプレーブックに従ってほしいと思います。また、中国はウインタースポーツの国際大会開催の実績がそれほどないため、競技会場がどういう雪質や氷上なのか、選手たちは一様に不安を持っていると聞いています。しかしそれは、中国選手を除いて世界の選手たちが同じ条件なわけですから、結局は各国選手団のチーム力や、選手個々の適応力が問われている大会になると思いますので、日本代表選手団としてはチーム力を上げ、一致団結をして準備を進めていきたいと思っています。
―― 最後に、次世代につなげていきたいことを教えてください。
これからもさまざまな形で東京パラリンピックが開催された意義を伝えていきたいと思っています。これからの日本のパラスポーツ界や社会にとって、東京パラリンピックが起点になることは間違いありませんので。そして、大会開催をきっかけにして掲げた理想を、ひとつでも実現させていきたいと思っています。これからは、東京パラリンピックを経験した選手たちが中心となり、自分たちが得たものを次世代に残していこうとしていくと思います。その際、どうやって形にしていくのか、そのノウハウを伝えていくことが自分の役割かなと。また、今の環境を当たり前に思うのではなく、常に感謝し、そしてさらにより良くしていこうとする気持ちを持てるような選手の育成にも携わっていきたいと思っています。